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白亜の竜と時計師の僕  作者: 紅生姜愛好家
8/15

それぞれの傷跡

 五日目の夜、ルシアンが倉庫に来ると、シーアが床に座って壁に背を預けていた。膝を抱えて、目を開けたまま、何かを考えている顔だった。

 ランプはついていた。笛は胸元にある。異常はない。

「何か食べた?」

「昼に、パンを」

「それだけ?」

「お腹が、あまり空かなかった」

 ルシアンは鞄から夕飯の包みを出した。近くの屋台で買ってきたもので、温かいうちに持ってきたかったが、少し冷めてしまっていた。

「食べて。空腹じゃなくても」

 シーアは受け取って、黙って食べ始めた。ルシアンは椅子に座って、自分の分を広げた。

 しばらく、二人とも何も言わなかった。

 食べ終わったところで、シーアが口を開いた。

「昼間、夢を見た」

「どんな」

「白い部屋の夢。ただ、いつもと違った」

「違った?」

 シーアは膝の上で手を組んだ。

「いつもは痛い夢を見る。あの部屋でされたことの夢。でも今日は、それより前の夢だった」

 ルシアンは何も言わずに続きを待った。

「野原にいた。誰かと一緒に。顔は見えないけど、手だけ見えた。大人の手で、少し荒れていた。その手に引っ張ってもらって、走っていた」

「楽しかった?」

「……うん。目が覚めた時、少し泣いていた」

 シーアは事実として言った。泣いていたことを恥じる様子も、感傷に浸る様子もなかった。ただ、そうだったという報告のように。

「楽しい夢で泣くことも、ある」

 ルシアンが言うと、シーアは少し考えた。

「戻れないから?」

「たぶん」

「ルシアンも、そういう夢を見る?」

 ルシアンは少し間を置いた。

「たまに」

「どんな」

「……家族と、食事してる夢。たいした内容じゃない。ただ飯を食ってるだけ」

「それで、目が覚めたら泣いてる?」

「泣かない。ただ、しばらく動けない」

 シーアはルシアンを見た。

「家族は、戦争で?」

「うん」

「ごめんなさい」

「謝らなくていい。シーアのせいじゃないから」

 静かになった。ランプの炎が少し揺れた。

 ルシアンは腕時計のベルトを親指でなぞった。いつもの癖だ。シーアがその手元を見ていた。

「それ、大事なもの?」

「父親の形見。他には何も残らなかったから」

「時計師だったの、お父さんも」

「うん。小さい頃から横で見てたから、自然に覚えた」

「……好き? 時計を直すのが」

 ルシアンは少し考えた。

「嫌いじゃない。壊れたものが動き出す瞬間が、悪くないと思う」

「どんな感じ?」

「歯車が全部噛み合って、針が動き始める。それだけのことなんだけど——なんか、ちゃんとしてる、って感じがする」

 うまく言えなかった。シーアは黙って聞いていた。

「時間って、戻らないじゃないですか」

 シーアが言った。

「うん」

「でも時計は、ちゃんと時間を刻んでいく。止まっても、直せば、また刻み始める」

「そう」

「……それが、好きなんじゃないかな。ルシアンが時計を直すのが嫌いじゃない理由」

 ルシアンは少し面食らった。自分でそう考えたことはなかった。でも言われてみると、否定できなかった。

「……買いかぶりすぎ」

「そうかな」

「そうだよ」

 でも、そうじゃないかもしれないと、心のどこかで思っていた。

 シーアが伸びをした。それからルシアンを見て、

「見せてもらえる?」

「何を」

「時計を直すところ。今度、工房で」

 工房には当分戻れないかもしれない。でも、いつかは戻る。そのいつかを前提にした言葉だということが、なんとなくわかった。

「……気が向いたら」

「うん」

 シーアは満足したように目を細めた。

 その顔を見て、ルシアンは気がついた。

 今初めて、シーアが笑った。

 かすかなものだったが、確かに笑っていた。翼も鱗もなく、古いコートを羽織って、膝を抱えた小柄な姿で——それでも笑うと、場所に少し温度が生まれる気がした。

 ルシアンは視線を逸らした。

「そろそろ寝て。傷、まだ全快じゃないから」

「ルシアンは?」

「もう少ししたら工房に戻る」

「……今夜も、近くにいる?」

「いる」

 シーアは頷いた。毛布を引き寄せて、横になった。

 ルシアンはランプの火を小さくして、椅子に座ったまま、少しだけ目を閉じた。

 シーアの言葉が、頭の端に残っていた。

 止まっても、直せば、また刻み始める。

 自分で言ったことなのに、他人の言葉みたいに聞こえた。

 波の音が遠く聞こえた。港町の夜が、静かに更けていった。

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