夜の話
夕飯はカルロが作った。
豚肉と根菜の煮込みで、量が多かった。テーブルに並べながら、カルロは特に何も言わなかった。ルシアンとシーアが座ると、自分も向かいに座って、無言で食べ始めた。
最初はそのまま終わるかと思った。
でもカルロは食べながら、ぽつりと言った。
「戦争に行ったことはあるか」
ルシアンに聞いていた。
「ないです。始まった時に七つだったので」
「そうか。私は行った」
「軍人だったんですか」
「工兵だ。橋を作ったり、壊したりする仕事だ」カルロはコップに水を注いだ。「竜の話は、その頃から出ていた。研究施設が何かをやっているという話は前線でも聞こえていた。ただ、詳しいことは誰も知らなかった」
シーアは黙って聞いていた。食事の手が止まっていた。
「後で聞いた話だが、被験体には孤児が多かったらしい。戦争孤児は記録が曖昧だから、消えても気づかれにくい」
「……そう」
ルシアンは短く言った。
自分も孤児だ。消えても気づかれにくい側の人間だ。それはずっと知っていたし、それでどうということもなかったが、今夜はその言葉が少し違う重さで聞こえた。
「その子は覚えていないのか、自分がどこから来たか」
「断片だけです」カルロに答えながら、ルシアンはシーアを見た。「今は」
「無理に思い出す必要はない」カルロはシーアを見た。「ただ、知っておけ。お前が何者かということは、お前が決めることだ。他の誰かが決めることじゃない」
シーアはカルロを見た。
「……カルロさんは、なんでそんなことを」
「言いたかったから言った。それだけだ」
カルロは煮込みを口に運んだ。それ以上は何も言わなかった。
食事が終わって、カルロが片付けをしている間、ルシアンとシーアは部屋に戻った。
ランプに火を入れて、ルシアンは鞄の中身を確認した。ヴァレンまでの道のりを頭の中で整理する。ここから東に向かって、もう一日半ほどの行程だろう。
「ルシアン」
「何」
「カルロさんが言ったこと、聞いてた?」
「全部聞いてた」
「お前が何者かはお前が決める、って」
「うん」
シーアは寝台の上で膝を抱えた。
「……難しいな」
「何が」
「自分で決めるって。自分のことを、自分がよく知らないのに」
ルシアンは手を止めた。
「知らなくても、決められることはある」
「例えば?」
「例えば、嫌なことは嫌だって言えること。あの部屋に戻りたくないって思うこと。それも、お前が決めてること」
シーアは少し考えた。
「……そうかな」
「そうだよ」
「ルシアンは、自分のことをよく知ってる?」
ルシアンは少し間を置いた。
「知らない部分の方が多いと思う」
「なのに、ちゃんとしてる」
「ちゃんとしてるかどうか、わからない。ただ、今日やることをやってるだけ」
「それで十分なの?」
「十分かどうかもわからない。でも、それしかできないから」
シーアはルシアンをじっと見ていた。
ランプの光の中で、白い髪がオレンジ色を帯びていた。目が、暖かい色をしていた。氷青のはずなのに、光の加減でそう見えた。
「ルシアンって、不思議だな」
「何が」
「自信なさそうなのに、頼りになる」
「頼りになってるかどうか」
「なってるよ」
断言だった。シーアは断言する時、迷わない。それがどこから来るのか、ルシアンにはわからなかった。
「……寝て」
「もう少し話していい?」
「明日早い」
「少しだけ」
ルシアンは椅子に座り直した。黙って続きを待った。
「ルシアンは、どこに行きたいの」
「どこって」
「ヴァレンの次。落ち着いたら、どこかに行きたいとか、何かしたいとか、ある?」
考えたことがなかった。工房に戻ること、依頼をこなすこと、それくらいしか考えていなかった。
「工房に戻る。それくらい」
「それだけ?」
「それだけ。シーアは?」
シーアは少し驚いた顔をした。自分が聞かれるとは思っていなかったのかもしれない。
「……わからない。行きたい場所が、あるかどうかもわからない」
「思い出した場所があれば、行けばいい」
「ルシアンと?」
さらっと言った。
ルシアンは少し止まった。
「……状況次第でしょ」
「状況次第、か」
「うん」
シーアは少し考えてから、
「じゃあ、状況がよくなったら」
「その時に考える」
「約束する?」
「約束はしない」
「なんで」
「守れない約束はしたくない」
シーアはルシアンを見た。それから、静かに頷いた。
「……正直だね」
「嘘をついても意味ないから」
「うん」シーアは横になった。毛布を引き上げて、天井を見た。「ルシアン、ありがとう」
「何が」
「全部」
全部、というのは雑だとルシアンは思った。でも、その雑さが、シーアらしいとも思った。
「寝て」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
ランプの火を小さくした。
シーアの呼吸が、すぐに眠る時のリズムになった。よく眠れる人間だ、とルシアンは思った。安心しているのか、それとも疲れているのか。たぶん両方だろう。
ルシアンは椅子に座ったまま、暗い天井を見た。
状況次第。
その言葉が、少し、軽かった気がした。状況がよくなる保証なんてどこにもないのに、状況次第と言ってしまった。
守れない約束はしたくない、と言っておきながら。
腕時計を見た。夜の十時を少し回っていた。
今この瞬間に、戻ってくる。
今この瞬間は、狭い宿の部屋で、シーアが眠っていて、自分は椅子に座っている。それだけだ。
それだけのはずなのに、なぜか、それが悪くないと思った。
思ったことが、少し、癪だった。




