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白亜の竜と時計師の僕  作者: 紅生姜愛好家
10/15

街道の午後

 街道に出ると、人通りがあった。

 行商人の荷馬車、旅人、農作業帰りらしい老人。港町から東へ向かう街道は、戦後に整備されたもので、石畳が比較的きれいだった。目立つほど人が多いわけではないが、完全に閑散としているわけでもない。

 ちょうどいい、とルシアンは思った。人目があった方が、かえって軍の残党は動きにくい。

 シーアは言いつけ通り、フードを被ってルシアンの少し後ろを歩いていた。歩き方が、最初の夜より随分しっかりしていた。熱が下がって、体力が戻ってきているのかもしれない。

 一時間ほど歩いたところで、シーアが口を開いた。

「ねえ」

「何」

「あの人たち、何を運んでるの」

 行商人の荷馬車を指していた。幌がかかっていて中は見えないが、馬が少し重そうにしていた。

「さあ。穀物か、布か」

「開けたらわかる?」

「開けたらわかるけど、開けたら怒られる」

「そうか」

 シーアはしばらく荷馬車の後ろ姿を見ていた。それから、

「街道って、初めて歩いた」

「白い部屋にずっといたなら、そうだろうね」

「外ってこんな感じなんだ」

「こんな感じ、って?」

「広い。空が、思ったより近い」

 ルシアンは空を見上げた。確かに、港町の路地から見る空より広かった。秋の午後の空は高くて、薄い雲がゆっくりと動いていた。

「空を、飛んだことは?」

 聞いてから、余計なことを言ったかもしれないと思った。竜の形を思い出させるような質問だ。

 でもシーアは嫌そうな顔をしなかった。

「……一回だけ、あった気がする。でもよく覚えてない。高かったのと、風が冷たかったのだけ、覚えてる」

「どんな感じだった」

「怖かった。でも——」

 シーアは少し止まった。

「でも?」

「気持ちよかった、と思う。たぶん」

 自分の感覚に自信がなさそうだった。当然かもしれない——自分の意志で飛んだわけではないのなら、それが気持ちよかったのか、それとも別の何かだったのか、整理がついていないのだろう。

 ルシアンは何も言わなかった。

 二時間目に入ったところで、休憩を取った。街道沿いの木陰に入って、水を飲んだ。シーアは木の幹に寄りかかって、耳をそばだてていた。

「何か聞こえる?」

「鳥。それと、虫。あと、風」

「後ろは?」

「……今は、何も」

 今は、という言葉に引っかかった。さっきは何かあったのかもしれない。ルシアンは聞かなかった。聞いて余計な不安を煽ってもしかたない。

 水筒をしまおうとしたら、シーアが手を伸ばしてきた。

「持つよ」

「いい」

「重そうだから」

「慣れてる」

 シーアは少し考えてから、

「二人で持てば、半分になる」

 と言った。

 論理は正しかった。ルシアンは水筒をシーアに渡した。シーアは鞄の端に引っかけて、少し得意そうな顔をした。

 得意そうな顔、というのは、ルシアンの主観だったが。

「笑った?」

 思わず言うと、シーアはフードの陰でわずかに目を丸くした。

「笑ってた?」

「ちょっとだけ」

「……そうかな」

「そうだよ」

 シーアはフードを少し直した。隠したのかもしれない。ルシアンは前を向いて歩き始めた。

 三時間目に、最初の宿場町を通過した。小さな町で、宿が二軒と食堂が一軒あった。ガレットの言うカルロがいるのは三つ目の宿場町だから、ここは素通りする。

 町の入り口に、掲示板があった。

 手配書の類が貼ってあることがある。ルシアンは目を向けて、それから、さりげなく視線を逸らした。

 貼ってあった。

 手描きの絵で、精度は低かったが——白い竜の絵と、特徴を書いた文章だった。懸賞金の額も書いてある。悪くない額だった。

「見た?」

 小声でシーアに言った。

「……見た」

「気にしなくていい」

「絵、あまり似てなかった」

「そうね」

「でも、わかる人にはわかるかもしれない」

「わかる人間がこの辺にいるかどうかの方が問題だから、今は考えなくていい」

 シーアは頷いた。それ以上は言わなかった。

 町を抜けたところで、シーアが少しペースを落とした。ルシアンが気づいて振り返ると、シーアは街道の脇に生えている草を見ていた。

「どうした」

「この草、見たことある」

「雑草だよ」

「知ってる。でも、なんか」

 シーアはしゃがんで、草に触れた。細い指先が、葉をそっと撫でた。

「白い部屋に来る前、野原を走ってた夢。その夢の中にも、この草があった気がする」

 ルシアンは黙っていた。

「ただの草なのに、なんで覚えてるんだろ」

「それだけ大事な記憶だったんじゃないの」

「大事、か」

 シーアは草から手を離して、立ち上がった。

「……大事だったのかもしれない。よくわからないけど」

「わからなくていいよ、今は」

「今は?」

「いつか、わかる時が来るかもしれないから」

 シーアはルシアンを見た。

「来ると思う?」

「思わないけど、思うことにしてる」

 シーアは少し黙って、それから、

「……変なの」

 と言った。

 批判ではなかった。むしろ、温かみのある言い方だった。

「よく言われる」

「ガレットさんに馬鹿って言われて、私に変って言われて」

「今日だけで二回か」

「ふふ」

 小さな声だった。笑い声と言えるかどうかギリギリのものだったが、確かに笑っていた。

 ルシアンは前を向いた。耳が少し熱い気がしたが、気のせいだということにした。

 街道が緩やかな丘に差し掛かって、登り切ったところで、視界が開けた。

 遠くに、次の宿場町らしい屋根が見えた。夕日が山の端に近づいていて、街道が橙色に染まっていた。

 シーアが立ち止まって、その景色を見た。

「きれい」

 小声だった。独り言みたいな声だった。

 ルシアンも一瞬だけ見た。きれいだと思った。思ったが、言わなかった。

「急がないと日が暮れる」

「うん」

 歩き始めた。シーアがついてくる。

 丘を下りながら、ルシアンはふと思った。

 港町を出てから半日、シーアは一度も後ろを振り返らなかった。怖いと言っていたのに、立ち止まらなかった。

 それがなんとなく、すごいと思った。

 思ったが、それも言わなかった。

 夕日の中を、二人で歩いた。

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