街道の午後
街道に出ると、人通りがあった。
行商人の荷馬車、旅人、農作業帰りらしい老人。港町から東へ向かう街道は、戦後に整備されたもので、石畳が比較的きれいだった。目立つほど人が多いわけではないが、完全に閑散としているわけでもない。
ちょうどいい、とルシアンは思った。人目があった方が、かえって軍の残党は動きにくい。
シーアは言いつけ通り、フードを被ってルシアンの少し後ろを歩いていた。歩き方が、最初の夜より随分しっかりしていた。熱が下がって、体力が戻ってきているのかもしれない。
一時間ほど歩いたところで、シーアが口を開いた。
「ねえ」
「何」
「あの人たち、何を運んでるの」
行商人の荷馬車を指していた。幌がかかっていて中は見えないが、馬が少し重そうにしていた。
「さあ。穀物か、布か」
「開けたらわかる?」
「開けたらわかるけど、開けたら怒られる」
「そうか」
シーアはしばらく荷馬車の後ろ姿を見ていた。それから、
「街道って、初めて歩いた」
「白い部屋にずっといたなら、そうだろうね」
「外ってこんな感じなんだ」
「こんな感じ、って?」
「広い。空が、思ったより近い」
ルシアンは空を見上げた。確かに、港町の路地から見る空より広かった。秋の午後の空は高くて、薄い雲がゆっくりと動いていた。
「空を、飛んだことは?」
聞いてから、余計なことを言ったかもしれないと思った。竜の形を思い出させるような質問だ。
でもシーアは嫌そうな顔をしなかった。
「……一回だけ、あった気がする。でもよく覚えてない。高かったのと、風が冷たかったのだけ、覚えてる」
「どんな感じだった」
「怖かった。でも——」
シーアは少し止まった。
「でも?」
「気持ちよかった、と思う。たぶん」
自分の感覚に自信がなさそうだった。当然かもしれない——自分の意志で飛んだわけではないのなら、それが気持ちよかったのか、それとも別の何かだったのか、整理がついていないのだろう。
ルシアンは何も言わなかった。
二時間目に入ったところで、休憩を取った。街道沿いの木陰に入って、水を飲んだ。シーアは木の幹に寄りかかって、耳をそばだてていた。
「何か聞こえる?」
「鳥。それと、虫。あと、風」
「後ろは?」
「……今は、何も」
今は、という言葉に引っかかった。さっきは何かあったのかもしれない。ルシアンは聞かなかった。聞いて余計な不安を煽ってもしかたない。
水筒をしまおうとしたら、シーアが手を伸ばしてきた。
「持つよ」
「いい」
「重そうだから」
「慣れてる」
シーアは少し考えてから、
「二人で持てば、半分になる」
と言った。
論理は正しかった。ルシアンは水筒をシーアに渡した。シーアは鞄の端に引っかけて、少し得意そうな顔をした。
得意そうな顔、というのは、ルシアンの主観だったが。
「笑った?」
思わず言うと、シーアはフードの陰でわずかに目を丸くした。
「笑ってた?」
「ちょっとだけ」
「……そうかな」
「そうだよ」
シーアはフードを少し直した。隠したのかもしれない。ルシアンは前を向いて歩き始めた。
三時間目に、最初の宿場町を通過した。小さな町で、宿が二軒と食堂が一軒あった。ガレットの言うカルロがいるのは三つ目の宿場町だから、ここは素通りする。
町の入り口に、掲示板があった。
手配書の類が貼ってあることがある。ルシアンは目を向けて、それから、さりげなく視線を逸らした。
貼ってあった。
手描きの絵で、精度は低かったが——白い竜の絵と、特徴を書いた文章だった。懸賞金の額も書いてある。悪くない額だった。
「見た?」
小声でシーアに言った。
「……見た」
「気にしなくていい」
「絵、あまり似てなかった」
「そうね」
「でも、わかる人にはわかるかもしれない」
「わかる人間がこの辺にいるかどうかの方が問題だから、今は考えなくていい」
シーアは頷いた。それ以上は言わなかった。
町を抜けたところで、シーアが少しペースを落とした。ルシアンが気づいて振り返ると、シーアは街道の脇に生えている草を見ていた。
「どうした」
「この草、見たことある」
「雑草だよ」
「知ってる。でも、なんか」
シーアはしゃがんで、草に触れた。細い指先が、葉をそっと撫でた。
「白い部屋に来る前、野原を走ってた夢。その夢の中にも、この草があった気がする」
ルシアンは黙っていた。
「ただの草なのに、なんで覚えてるんだろ」
「それだけ大事な記憶だったんじゃないの」
「大事、か」
シーアは草から手を離して、立ち上がった。
「……大事だったのかもしれない。よくわからないけど」
「わからなくていいよ、今は」
「今は?」
「いつか、わかる時が来るかもしれないから」
シーアはルシアンを見た。
「来ると思う?」
「思わないけど、思うことにしてる」
シーアは少し黙って、それから、
「……変なの」
と言った。
批判ではなかった。むしろ、温かみのある言い方だった。
「よく言われる」
「ガレットさんに馬鹿って言われて、私に変って言われて」
「今日だけで二回か」
「ふふ」
小さな声だった。笑い声と言えるかどうかギリギリのものだったが、確かに笑っていた。
ルシアンは前を向いた。耳が少し熱い気がしたが、気のせいだということにした。
街道が緩やかな丘に差し掛かって、登り切ったところで、視界が開けた。
遠くに、次の宿場町らしい屋根が見えた。夕日が山の端に近づいていて、街道が橙色に染まっていた。
シーアが立ち止まって、その景色を見た。
「きれい」
小声だった。独り言みたいな声だった。
ルシアンも一瞬だけ見た。きれいだと思った。思ったが、言わなかった。
「急がないと日が暮れる」
「うん」
歩き始めた。シーアがついてくる。
丘を下りながら、ルシアンはふと思った。
港町を出てから半日、シーアは一度も後ろを振り返らなかった。怖いと言っていたのに、立ち止まらなかった。
それがなんとなく、すごいと思った。
思ったが、それも言わなかった。
夕日の中を、二人で歩いた。




