アニマルセラピー
地上の遥か上に存在する世界――天界と呼ばれるそこでは、それぞれに固有の異能を授かった天使たちが、自身の役割を果たすために日々を過ごしている。
白を基調とした厳かな雰囲気の大聖堂や、整然とした宿舎。街の中心部にある広場は、職務を終えた天使たちの憩いの場だ。待ち合わせ場所として親しまれる巨大な噴水が、午後の柔らかな日差しを浴びて、キラキラと輝いている。
広場は今日も賑わっていた。人間に近い姿をした天使たちの中で、他とは異なる容姿の二人が、噴水の前で楽しげに談笑をしている。
「だから私、こうやって持って行ったの」
大きめの猫耳をピンと立て、ラジエルは荷物を抱えるジェスチャーをして見せた。
小柄な体に白みがかった柔らかな体毛。長くしなやかな尻尾が、彼女のテンションを表すように上がっている。
「その持ち方は無理があるだろ!」
すかさずラミエルがツッコミを入れる。同時に、彼の狼耳がピコピコと動いた。
すらりと背の高い体には、薄い青灰色の硬質な体毛が生えている。
笑い合う二人に、一人の天使が神妙な面持ちで声をかけた。
「ラジエル様、ラミエル様……お二人にお願いがあるのですが……」
腰まで真っ直ぐに伸びた金髪が、風でさらりと揺れる。
背は高いのに、どこか控えめに肩をすぼめたその姿は、柔和な顔立ちと相まってひどく頼りなく見えた。
元気のない彼を見て、ラジエルは遠慮がちに尋ねる。
「こんにちは、えーと……ごめん、誰だっけ?」
「挨拶が遅れてすみません! 僕、ノエルと言います。天界に来たのはつい最近で……ここに来る前は、ずっと天国の方で働いていました」
天国は、天使だけではなく、下界で一生を終えた人間や動物たちも暮らしている場所だ。天界から一度も出たことのないラジエルは、興味津々に身を乗り出して質問する。
「天国で働いてたんだ。いいなー! ねぇ、天国ってどんな感じなの? 人間と自由にお話しできる?」
「ラジエル、その話は後で聞こうぜ。……それで、俺たちにお願いって?」
「あ、はい。急にこんなお願いをするのもなんですが……お二人がよければ是非……モフモフさせてくださいっ!」
「……モフモフ?」
聞き馴染みのない言葉に、二人は首を傾げた。理解できていない様子に、ノエルは口ごもりながらも説明する。
「僕の仕事は、天国で動物のお世話をすることでした。けれど、上司のサリエル様からの命令により、天界へ異動になったんです。……天界での業務に不満は無いのですが、今まで触れ合ってきた動物がいないのが寂しくて……」
どこか遠くを眺めて話す彼を、ラジエルは心配そうに見つめた。
「失礼を承知で申し上げます。天界にいる天使の中でも、特に動物に近いあなた方を撫でさせてください! あのフワフワの感触を思い出させてください!」
懇願するノエルに、二人は目を見合わせる。
どちらも獣人らしい見た目ではあるが、そんな変わったお願いをされたのは初めてだった。
「悪いなノエル、その頼みには答えられない」
少し潔癖なところがあるラミエルは、躊躇なく断った。
「私は……ちょっとだけなら触ってもいいよ!」
気の毒に思ったラジエルが承諾した、その瞬間。
「ありがとうございます! では失礼します!」
ノエルは礼儀正しくお辞儀をし、ラジエルの耳を掴んだ。そのまま思いきり撫で回す。
「わああー!?」
「ラジエル様の耳、猫ちゃんみたいでかわいい……へへへ、ふわふわ……」
「ああー! せっかくセットしたのに!」
猫耳どころか頭全体を乱雑に撫で回され、我慢できずに抗議の声を上げた。
それを傍目で見ていたラミエルが、反射的に止めに入る。
「ノエル。その辺でやめとけよ」
「はっ……すみません! 久しぶりのモフモフだったので、つい」
「うう、ちょっとだけって言ったのにー」
乱れた髪と毛並みを整えながら、ラジエルは頬を膨らませた。
「ラジエル様、すみませんでした。……あの、最後に尻尾を触らせてもらっても?」
「ぜったい嫌!」
「ですよね……」
ガックリと肩を落とした様子を見て、ラミエルが口を開いた。
「動物に近いのがいいんだったら、ラグエルにも頼んでみたらどうだ? あいつ、見た目ほぼ鳥だし」
「うん、良いかも。ラグちゃん、意外と頼み事とか聞いてくれるもんね」
ラミエルの言葉通り、ラグエルは鳥に近い姿をした天使だ。
フクロウのような嘴と翼に、ずんぐりとした体型。触り心地も良さそうではある。
体長三メートルという大きさと、顔の中央に据わった単眼さえなければ、ノエルも喜んで触りに行っただろう。
「しかし……ラグエル様は大きすぎるというか、できればもう少し可愛らしい方がいいかなーって……」
やんわりと断ろうとするノエルに、ラミエルは突っ込んだ。
「頼む奴が選り好みすんな!」
「そうだよ! 贅沢言わない!」
強引に撫でられた恨みもあってか、ラジエルも便乗して注意する。
「僕が言うのも何ですけど……お二人とも、ラグエル様に面倒事を押し付けてませんか?」
ノエルの問いかけに、二人は無言で目を逸らした。
ラジエルとラミエルに背を押される形になったノエルは、ラグエルの自室へと向かった。
一般の天使たちの部屋と比べて、重厚で巨大な作りの扉をノックする。
「ラグエル様、いらっしゃいますか?」
部屋には居ないのか、返事は返ってこない。後で訪ねた方が良いかと迷うノエルに、背後から平坦な声が響いた。
「あら、ノエル。こんな所でどうかしました?」
声をかけたのは、彼の上司のサリエルだった。
きっちりと整えられた修道服に、透き通った白い肌。その切れ長の瞳で見据えられただけで、自然と背筋が伸びた。
「ラグエル様を探しているのですが、どこにいるか知りませんか?」
「あのお方でしたら、資料館に行きましたよ」
「資料館ですね。サリエル様、ありがとうございます!」
「……ええ、お気をつけて」
軽く頭を下げ、急いで資料館に向かうノエルを、サリエルは訝しげな顔で見送った。
資料館には、天界の他にも、様々な世界の書物が所狭しと並んでいる。
天井から吊るされたランプに照らされ、均等に並んだ書架が高い影を落としていた。
静まり返った室内に、ノエルの小さな足音が響く。
書架の奥から、大きな影が伸びている。息を潜めて覗き込むと、ラグエルが一人、本を読んでいた。
「……ラグエル様、少しお時間よろしいでしょうか?」
読んでいた本を閉じて、ラグエルはゆっくりと身を屈めた。首にかけているストラを整えつつ、ノエルを目視する。
「ん? ああ、サリエルの部下の……」
威圧感のある瞳に、思わず顔を伏せた。
視線を落とした先、ラグエルの足元を見ると、普段は剥き出しの鋭い爪が、ふわりとした羽毛で覆われていた。
「ノエルです。読書中にすみません……個人的なお願いなので、後でも大丈夫です」
「別に今でも構わんが、なんだ?」
「もふもふ……いえ、撫でさせてください!」
「……? すまない、よく聞き取れなかった。……もう一度言ってくれ」
ノエルは、彼の足元を凝視しながら叫んだ。
「そのフワフワなお腹を撫でたいです! お願いします! 撫でさせてください!」
「ダメだ」
「ええーーっ!?」
予想外の返答に、ノエルはその場で固まった。
(ラグエル様なら頼み事を聞いてくれるって……ラジエル様! 話が違うじゃないですかー!)
重い沈黙の後、覚悟を決めたノエルは、ぎゅっと拳を握りしめた。
「僕は今、動物に飢えているんです……お願いします! アニマルセラピーだと思って協力してください!」
「アニマルセラピー? そもそも、キミが求めているのは動物であってワタシではないだろう? 似たようなものを撫でたところで、根本的な解決にはならないと思うがね」
「……じゃあ、僕はどうすればいいんですか? 動物とはもう二度と会えないのに……」
握っていた手を解き、手汗を拭う。
動物と関わったことがない彼らにとっては、自分の悩みなんて、ほんの些細なことだ。それでも、誰でもいいから聞いて欲しいとノエルは思った。
「……以前は、天国でいろんな動物のお世話をしてきました。みんな可愛くていい子で……僕は、その子たちを癒して、元気にしてあげるのが生き甲斐で、唯一の誇りだったんです。だけど、ある日突然サリエル様から言われたんです。『あなたは二度と動物に関わってはいけない』と……」
「……」
ラグエルは、持っていた本をそっと棚に戻した。
「サリエル様は、その理由を教えてくれませんでしたが、今なら分かる気がします。あの子たちと会えなくなって気付いたんです。癒されて、元気にしてもらっていたのは動物たちではなく、僕の方だった。いつの間にか、動物たちのためと言いつつ、自分のための仕事になっていて……サリエル様は、きっと僕の本心に気付かれたんだと思います」
両手を組み、緊張と汗で冷えてしまった指先を温める。不意に寂しさが込み上げて、視界が滲んだ。
「僕は、根本的な解決なんて望んでいません……ただ、彼らの温もりや感触を思い出したいだけなんです」
話し終わると、ノエルは俯いた。音の止んだ室内に、微かに息を吐く音が聞こえた。
「……分かった。ワタシでは気休め程度にしかならないと思うが、それで良ければ」
「本当ですか……!? ありがとうございます!」
すかさず抱きついたノエルに、ラグエルは身を竦める。
「待て、いきなり抱きつくな!」
「えへへ、ふわふわであったかい……」
ラグエルの視界の端に、涙を浮かべて笑うノエルが映る。彼の話を聞いた後では、振り解く気にはなれなかった。
(……まあ、少しぐらいならいいか。……ん?)
ふと、気配を感じて顔を上げた。
目の前に、何者かが立っている。頭上の光輪が逆光となり、顔こそ見えないが、長い付き合いのラグエルは一瞬で気が付いた。
「サリエル!? どうしてここに」
「あなたたち……こんな場所で、一体何をしているのですか?」
振り返ったノエルも、声の主に気付いて悲鳴を上げる。
「うわぁ!! サリエル様!」
「ずいぶんと親密なご関係のようで……わたくし、知りませんでした」
「サリエル、違うんだ。これには理由が」
「アニマルセラピーです! サリエル様」
「そう! アニマルセラピーだ!」
声を揃えて否定するが、サリエルは気にも留めなかった。くるりと踵を返し、冷たく言い放つ。
「……お二方には、次の会議の時に詳しく説明してもらいます。それまでに、もう少しマシな言い訳を考えてきてくださいね」
彼女の言う会議とは、代表の天使たちが集まり、最近あった出来事や、仕事の進捗を報告しあう重要な会合である。
目立つのが苦手なラグエルは、大勢の前でサリエルに追及される自身の姿を想像して身震いした。
「待て、サリエル。話なら今ここで……キミもいい加減離れないか!」
資料館を出て、足早に去っていくサリエルを追おうとするラグエルに、ノエルは抱きついたまま話す。
「こうなってしまっては訂正は不可能です。諦めましょう! ラグエル様!」
「諦めるな! 誤解を解かなければ、次の会議で晒し者にされるんだぞ!?」
縋り付くノエルを振り払い、ラグエルは慌てて資料館を飛び出して行った。
「ラグエル様ー! 待ってください! 置いてかないで!」
騒動の渦中にあるラグエルたちを遠目から眺め、ラミエルは隣にいるラジエルに呟く。
「……俺たちは何も見なかったよな? ラジエル」
「……うん。なんか可哀想なラグちゃんが見えたけど、気のせいだよね」
地獄のような光景を目にしつつ、あくまで無関係を装うラジエルとラミエルであった。
夕日に染まっていく天界に、大聖堂の鐘の音が静かに響いた。一部の天使を除いて、今日も平和な一日が終わっていく。




