第十五話
金の眼の男は、マッドと名乗った。
マッドに抱えられながら、たどり着いたのは灼熱の町、ミアロス。今までいたフェンリル国を出て、だいぶ南下したようだ。マッドは私に地図を見せてくれた。
初めて見る地図。
世界地図ではなく、この辺の大陸だけの地図のようだったけど、やっぱり私の住んでいる世界とは違うんだなぁと思った。
「ここでしばらく暮らすと良いです。知り合いがいまして…」
そう言って入ったのは、一軒のバーだった。
「いらっしゃ…あら、マッドちゃんじゃない?しばらくぶりね~」
そう言って迎えてくれたのは、茶色の長い髪を束ねた褐色の肌の、長身の青年だった。…そして顔には厚い厚いお化粧が。
「あら~あたしみたいのが珍しいのかしら、この子猫ちゃん」
珍しいものを見る目で見てしまった。反省。
「この子も訳ありでして。しばらくの間、匿ってほしいのですが」
「あら~訳ありなのは、この町みんな一緒でしょ。いいわよ、マッドちゃんの頼みだもんね」
と、快く受けてくれた。
「あ、あの…シアンです。よろしくお願いします」
私、思いっきり夜着だけど…。
「そうそう、貴女は今日から別の名前を使ったほうがいいですよ。これから、きっと大捜索されるでしょうから」
「ですよね…」
マッドの言葉に、私は頷く。…考えておかないと。
「じゃあ、私はもう行きます」
そう言って、マッドは外套を深くかぶる。
「マッド、あっちの世界に行っちゃうんですね」
…私の代わりに。
そう言いかけて、飲み込んだ。
「貴女には、本当に申し訳ないことをしていると、思っています。ですが、私もどうしてもあの世界にいたいのです」
そう言って、彼は私に何か包みを渡した。
「あ。携帯電話…と、お金?」
「貴女の荷物、少しだけ持ってこれましたので、お渡ししておきます」
いつの間にー。
私は受け取った荷物をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう…」
「携帯電話、少しだけ使えるようにしてあります」
「え???本当に?」
「通話はできませんが」
なんと圏外から回復している。
アンテナ1本だけ立っていた。
「ありがとう…何かに使えるかな…?」
私は携帯をポケットにしまった。
「あとのことは、レイニーにお願いしておきます」
「レイニー…?」
「あら!あたしのことよ」
「おに…おねーさん、レイニーっていうんですね…」
懐かしい顔が浮かんだ。…元気かなぁ?レイニーちゃん。
「では…もしもまた会うことがあれば、その時まで」
そう言って、マッドはネオンの町の中へと消えていった。
「行っちゃった…」
眼で追えるところまで追っていたが、見えなくなって、ぽつりと私は言う。
すると、レイニーさんが、
「じゃあ、シアンちゃん。あら、シアンちゃんって呼んだらまずいんだっけ」
と困っていたので、
「ヨアンと呼んでください」
と言った。...少し変えただけだけど。
「じゃあ、ヨアンちゃん。ヨアンちゃんは二階を使ってね」
そう言って二階を案内された。
「ごめんねぇ、荷物置き場だったから、きれいじゃないけどぉ」
お掃除グッズを持って二階に上がったので、なんとなく察しておりました。
「お掃除しまーす!おいてある荷物は、端に寄せちゃっていいですかー?」
「いいわよぉ。あたしはお店があるから手伝えないの、ごめんねぇ」
そう言って、内股で器用に階段を駆け下りて行った。
「よぉし!やるぞぉん!」
あ、口調が移った!
こうして、新しい生活がスタートした。
私はときどき帽子を市場に卸したり、バーの手伝いをしてお金を稼いでいた。
なるべく目立たないようにしつつ、外出では、マッドが使っていたという人の印象に残らない帽子をかぶった。
レイニーさんもいい人で、バーで最初うまく話せなかった私のフォローをよくしてくれた。
そして、早朝5時。
バーを閉める時間になった。
「本当に、いつもありがとうねぇ。お酒飲めないのに、酔っ払い相手に頑張ってくれて、助かるわぁ」
めちゃくちゃほめてくれるなぁ。
私は結婚式の日に、18歳になっていた。この国の法律ではもう飲める年齢だけど、なんとなく二十歳まで飲みたくなかった。
そして、なんと金一封もいただきました!やったー!
「いつも慎ましく生活しているヨアンにボーナスよ」
と、ウィンクをするレイニーさん。
姉貴、素敵すぎだぜ。
私はありがたく、お金を受け取った、その時。
不意にめまいを感じて、その場に座り込んだ。
「え?大丈夫?どうしたの??」
「ちょっと、気持ち悪くて…」
風邪だって滅多にひかない体質の私には珍しく、めちゃくちゃ具合が悪くなった。
「夜型の生活に、慣れてきたと思ったのに…」
口元を押さえつつ話していると、
レイニーさんは衝撃的なことを言った。
「貴女、それ、妊娠してるんじゃないの?」
「え?」
私は頭が真っ白になった。
「覚えはないの?」
「な…くはないかもしれません…」
え?あの一回で?あの時??
私はさらにクラクラしてきた。
「とりあえず、二階で横になるのよ!」
その言葉とともに、レイニーさんは漢らしい声を上げつつ私をお姫様だっこした。
「ごめんなさい…」
「あら、軽くて重しが足りないくらいよ。惚れないでね!」
「大丈夫です…」
と、私は冷たくあしらっておいた。
横になって、一時間くらいしただろうか。
私は眠れずにいた。
もしも、本当に妊娠していたら、どうしたらいい?
このまま一人で産むの?
それとも…
一瞬ユラくんの顔が浮かんだ。
でも、だめだ。
ラドクリフ家に戻ったら、赤ちゃん取り上げられちゃう。
そして、その子も魔法の研究の材料にされてしまう。
…それだけはだめだ。
「どうしよう…私、一人で、育てられるのかなぁ…」
不安が押し寄せて、結局一睡もできなかった。
次の日、私は昼間にレイニーさんに付き添われて産婦人科に来ていた。
「レイニーさん…あの、夜遅かったのに、ごめんなさい」
「いいのよ。ここの産婦人科の先生は腕がいいの。安心してね」
レイニーさん、口調はいつもの口調だけど、化粧をしてなくて、普通の男の人みたいだった。
「なぁに?すっぴんも美人でしょぉ?」
「ジロジロ見てすみません、珍しくて…」
そんな会話をしていると、先生に名前を呼ばれた。
「お祝いしないとね」
「お祝い…してくれるんですか?」
結果を聞いて呆然としている私に、レイニーさんは言ってくれた。
「もちろんよぉ。めでたいじゃない。おなかの中に、新しい命がいるのよ。…こんな素晴らしいことがほかにあるの?」
その言葉を聞いて、私は自然と涙がこぼれてきた。
「…産みます。私、頑張って、産みます…」
涙が次々あふれてきて、私はその日、人生で一番泣いたかもしれない。




