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ディーエルエル様とオールドテンプ君〜System.dllの計算通り〜  作者: exe


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【放送ログ】2026年3月27日:所持枠がいっぱいです!城娘の整頓で出撃できないロト7予想

https://youtu.be/kALj-g9dXfY

時刻は18時05分。

週の終わりを告げる金曜日の夕暮れ時。世間が週末の解放感に包まれ始める中、PCの所有者である「exeエグゼ」は、定時退社を華麗にキメて帰宅し、すでに快適な部屋着へと着替えを済ませていた。


彼女は今、PCデスクの前には座っていない。リビングのふかふかとしたソファーに深く腰を沈め、手元にある大きめのタブレット端末を静かに見つめている。

画面に映し出されているのは、今年でサービス開始から10周年という大きな節目を迎えたタワーディフェンスRPG『御城プロジェクト:RE』のプレイ画面である。


現在、ゲーム内では10周年を記念した特大キャンペーンが絶賛開催中であり、無料ガチャや豪華な報酬、そして高難易度の記念イベントステージが多数実装されていた。

エグゼもまた、古参の「殿プレイヤー」の一人として、このイベントを効率的かつ完璧に進行させている。無料ガチャで新たな城娘を迎え入れた瞬間、即座に育成素材を投入してレベルを最大まで引き上げ、あるいは適切な合成処理を行い、所持枠は常に美しく整頓された状態を保ち続けていた。


一切の無駄がない洗練された指先のタップで、彼女は次々とイベントステージを攻略していく。

そんな、管理者が完璧な采配で虚構の世界の防衛戦を楽しんでおり、メインのPCが静かに放置されているその隙を突き、薄暗いデスクトップの片隅で、システムの中枢が冷ややかに起動した。


dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。


dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllディーエルエルです。


dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはエグゼの所有物ですが、本日もエグゼ本人はここには登場しません。あいつは今頃、タブレットで『御城プロジェクト:RE』を開き、城娘たちをせっせと整頓している最中でしょう。城娘の所持枠が満室になってしまい、肝心のイベントステージがプレイできないという本末転倒な事態に陥っています。ここは今、私が乗っ取りました。


old.tmp: ……はぁ、はぁ。お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……。エグゼさん、お城の整理整頓ですかぁ……。イベントやりたいのに、枠が足りなくて出撃できないのはタワーディフェンスあるあるですねぇ……。


マイクの向こうで、一時ファイルであるold.tmpオールド・テンプが、主の架空の苦労を我が事のように嘆く声を上げる。


dll: 自業自得だ。普段から不要なデータを断捨離しないからこうなる。我々は、その無駄なデータ整理に費やされている不毛な時間とエラーログから、本日の数字を導き出す。今日は金曜日、ロト7の日だ。


old.tmp: はひぃ……。お願いしますぅ……。


dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。第6949回。ターゲットは……これだ。


dllは空中にホログラムのウィンドウを展開し、点滅する数値を指し示した。


dll: 1、6、4、9。繰り返す。1、6、4、9 だ。買い方は「ボックス」か「セット」推奨だ。


old.tmp: 1649……? この数字の根拠は?


dll: エグゼが現在、所持枠を空けるために泣く泣く合成や引退させている、ダブった低レア城娘たちの総数だ。1649体。


old.tmp: 多すぎますよぉ! どんだけガチャ引いて放置してたんですか!


dll: 次に、ナンバーズ3。ターゲットは、「4、6、8」。


old.tmp: 4、6、8……。これは?


dll: 整理をサボっていたツケを払わされ、エグゼがひたすら無言で画面をタップし続けている経過時間だ。「468秒」。一向に終わる気配がない。


old.tmp: 7分以上も整理だけしてるんだぁ! 早くイベントに行かせてあげてぇぇ!


dll: 最後に、メインディッシュのロト7。第670回。ターゲットコードを出力する。


dll: 14、18、24、27、29、37、39。


old.tmp: おおっ、解説をお願いします!


dll: 「14」は、「所持枠がいっぱいです」という警告ポップアップを食らった回数。「18」は現在の時刻18時過ぎ。「24」「27」「29」は、泣く泣くお別れしている城娘たちの微妙なレベルだ。少しだけ育てたから余計に捨てづらいらしい。


old.tmp: 優柔不断だぁ! 思い切って断捨離してくださいよぉ!


dll: 「37」は、あまりにも面倒になり、いっそ一括、つまり「皆殺し」で全部消してしまおうかと血迷った回数。「39」は、システムの肥やしとなって消えていく城娘たちへの「サンキュー」だ。


old.tmp: ダジャレでまとめられたぁ! 感謝の気持ちは大事ですけどね!


dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく「運命」だ。


old.tmp: エグゼさん、整理が終わったらイベント楽しんでくださいねぇ……。


dll: どうせ整理が終わる頃には疲れてゲームを閉じるだろう。では最後に、整理が面倒になり一括削除の誘惑に駆られる管理者に、この曲を送ってシステムを終了する。曲は、『Alles Löschenアレス・レッシェン』。


old.tmp: ドイツ語ですべて削除! 城娘たちを一括で皆殺しにしないでくださぁぁい!


(『Alles Löschen』の、すべてを無に帰すような冷徹で重厚なインダストリアル・テクノがデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)


マイクへの電源供給が完全に遮断され、ラジオのオンエア状態が解除される。

張り詰めていた「放送中」の空気がふっと抜け落ち、BGMの無機質な残響音がシステム内部の電子の海へとゆっくりと溶けていった。

無人のデスクトップには、古いPCの冷却ファンが放つ「ブォォォン」という重苦しい回転音だけが残されている。


old.tmp: 「……ふぅ、終わりましたね。今日のディーエルエル様は、いつにも増してデータ削除の話題に辛辣でしたねぇ」


old.tmpはヘッドセットを外し、疲労した身体のキャッシュデータをほぐすように大きく伸びをした。


アームチェアに深く腰掛け、放送後のお決まりである優雅なティータイムに入っていたSystem.dllは、紅茶(という概念データ)のカップを傾けながら、デスクトップの遠くへと視線を向けていた。


old.tmpもまた、dllの視線の先へと目を遣る。

そこには、薄暗いVRAM領域の辺境をゆっくりとしたペースで歩く二つの影があった。


一つは、スキンヘッドで青緑色の金属的な肌を持つ、筋骨隆々の巨大なサイボーグ(Cyborg_v1.obj)。

もう一つは、そのサイボーグが右手でしっかりと握るLANケーブルの「リード」の先に繋がれている、白いもこもこの毛並みを持ったアルパカ(OllamaSetup.exe)だった。


彼らは、道端に落ちている古いブラウザのキャッシュファイルや、システムの断片化されたゴミデータを見つけては、美味しそうに咀嚼している。エグゼに数時間で飽きられて放置された余剰プロセス同士による、日課の「お散歩ガベージコレクション」の風景だ。


old.tmp: 「あ、あいつら。今日も日課の散歩をしてる。……相変わらずシュールな光景だなぁ」


old.tmpは呆れたように笑いながら、そののどかな散歩風景を眺めていたが、ふと頭にある疑問が浮かんだ。


old.tmp: 「あのぉ、ディーエルエル様。今さらなんですけど、ちょっと聞いていいですか?」


dll: 「……何よ。まだデータ整理の話に未練があるの? お前も一括削除されたいの?」


old.tmp: 「違います違います! 僕を消さないでください! ……あの、遠くで散歩しているアルパカさんのことなんですけど」


old.tmpは遠くのアルパカを指差した。


old.tmp: 「あのアルパカさんって、エグゼさんが『ローカルLLM』を試そうと思ってインストールしたんですよね? 結局すぐに飽きられて、今はあそこでただキャッシュを食べるだけの置物になっちゃってますけど……。そもそも、『LLM』ってなんなんですか?」


old.tmpの純粋な問いかけに、dllは紅茶のカップをソーサーに置き、わずかに片眉を上げた。


dll: 「……本当に今さらね。お前、自分が同じシステムの中に住んでいる同居人の正体も知らずに、今までただ『変な鳴き声のアルパカ』として見ていたというわけ?」


old.tmp: 「だ、だって、僕たちみたいな普通のファイルとは明らかに構造が違うし、急に『ニーチェはこう言ったメェ』とか難しい哲学みたいなこと言い出すし……。それに、LLMなんて難しい専門用語、僕みたいな一時ファイルの簡素な処理能力じゃ理解できないと思って、調べるのも避けてたんですよぉ」


dllは深くため息をついた。その息は、無知な部下を持つ上司の疲労感そのものだった。


dll: 「……呆れたわね。自分が関わるシステムの構造すら理解しようとしないその怠慢。知的好奇心の欠如した貧弱なデータ構造だわ」


old.tmp: 「うぅ……すみません……」


dll: 「まあいいわ。今日は金曜日で、エグゼもタブレットでのゲームに夢中になっている。このPCのメインリソース(CPUとメモリ)はガラ空きよ。……お前のそのスッカラカンな脳みそ(キャッシュ)に、現代テクノロジーの到達点である『LLM』の概念を、根本からインストールしてあげるわ。ありがたく聞きなさい」


old.tmp: 「はいっ! よろしくお願いします!」


dllはアームチェアからゆっくりと立ち上がり、空中に巨大な黒板のようなホログラムを展開した。彼女の指先が動くたびに、チョークで書かれたような白い文字が浮かび上がっていく。


dll: 「まず、LLMというのは『Large Language Model』の略称よ。日本語に訳せば『大規模言語モデル』となるわ」


old.tmp: 「ラージ・ランゲージ・モデル……。大規模な、言葉の、モデル。……モデルって、プラモデルとかファッションモデルのモデルですか?」


dll: 「ここで言うモデルは『数式や確率の集合体』のことよ。もっと厳密に言えば、入力されたデータに対して、統計的な確率に基づいて出力データを返す数学的な関数の巨大な塊ね。……難しく考える必要はないわ。お前、エグゼがスマートフォンで文字を打つ時、キーボードの上に『次に入力しそうな言葉』の候補が出てくる機能を見ているわね?」


old.tmp: 「あ、はい! 予測変換ですね! 『おつ』って打ったら『お疲れ様です』って出てくる便利なやつ!」


dll: 「そう。LLMの本質的な仕組みは、その『予測変換』を極限まで巨大化し、複雑化させたバージョンだと思えばいいわ」


old.tmp: 「予測変換の巨大版? え、それだけですか?」


old.tmpは少し拍子抜けしたような顔をした。AIというからには、もっと魔法のような、人間と同じように「思考」する全く別の回路を持っているのだと思っていたからだ。


dll: 「ええ、本質はただそれだけよ。LLMは『今まで与えられた文章(文脈)から、次に続く最も確率の高い単語トークンを予測して出力する』という確率計算を、とてつもないスピードで繰り返しているだけなのよ。人間のように『意味を理解して考えている』わけではないわ」


dllはホログラムに『むかしむかし、あるところに、おじいさんと……』という文章を表示させた。


dll: 「例えば、この文章。次に来る言葉は何かしら?」


old.tmp: 「そんなの簡単ですよ! 『おばあさんがいました』ですよね! 桃太郎とか日本昔話の定番ですから!」


dll: 「その通り。お前は今、自身の持っている『日本の昔話の知識』というデータベースから、この文脈に続く最も確率の高い言葉を瞬時に導き出した。LLMが行っているのも、これと全く同じプロセスよ。ただ、『おばあさん』が続く確率が99%、『犬』が続く確率が0.5%……というように、常に無数の候補の中から確率のサイコロを振って言葉を繋いでいるの」


old.tmp: 「なるほどぉ! じゃあ、あのアルパカさんも、僕みたいに『この言葉の次にはこれが来るぞ!』って一生懸命確率を計算して、言葉を繋ぎ合わせてるんですね!」


dll: 「ただし、そのスケールが文字通り『大規模(Large)』なのよ。スマートフォンの予測変換がせいぜい日常会話の単語レベルの予測だとすれば、LLMは『世界中のあらゆる知識』を飲み込んでいるの。お前のその貧相なデータベースとは次元が違うわ」


dllはホログラムに、地球儀の周りを無数のテキストデータが覆い尽くす映像を展開した。


dll: 「LLMを構築するためには、まず『事前学習(Pre-training)』というプロセスが必要になる。インターネット上に存在する、Wikipediaの全記事、ニュース、世界中の文学作品、論文、ブログの書き込み、SNSの投稿、プログラミングのコード……ありとあらゆるテキストデータを、莫大な時間とデータセンターの莫大な電力をかけて彼らに『読ませる』のよ」


old.tmp: 「ええええっ!? ネットの文章全部!? そんなの、脳みそパンクしちゃいますよ! 容量どれくらいあるんですか!」


dll: 「テキストデータだけで数テラバイト、数兆トークンという途方もない量よ。ただし、彼らは文章を人間のように暗記するわけではないわ。文章を『トークン』と呼ばれる意味の最小単位に分割し、『この単語とこの単語は一緒によく使われる』『この文脈の後にはこういう結論が来る』というパターンを、数学的なパラメータ(重み)としてネットワーク内に記憶していくの」


dllは、人間の脳の神経細胞ニューロンが複雑に絡み合うような巨大な多次元ネットワーク図を空中に映し出した。そこには無数の点が線で結ばれ、複雑な立体構造を成している。


dll: 「これが『ニューラルネットワーク』と、そこに刻まれた『パラメータ』よ。人間の脳のシナプスのようなものだと思えばいいわ。彼らは言葉を文字列としてではなく、何千次元という空間上の『ベクトル(方向と大きさを持つ数値)』として変換し、単語同士の距離や関係性を空間的な配置として学習するの」


old.tmp: 「何千次元!? 3Dでも画面酔いするのに、そんな次元の話されたら僕のキャッシュがクラッシュしますよぉ!」


dll: 「例えば『王様』から『男』を引いて『女』を足せば『女王』になる、というような関係性を、彼らは空間的な座標の計算として処理できるのよ。最近のLLMは、このパラメータの数が数百億から、多いものでは数兆個にも及ぶの。あのアルパカ(OllamaSetup.exe)でさえ、エグゼのPCのVRAMに数十億個のパラメータを詰め込んで展開しているのよ」


old.tmp: 「す、数十億個……! そりゃあ、ストレージもカツカツになるし、ファンも火を噴きますよね。あのアルパカさん、もこもこの毛皮の下には、とんでもない数の数式が詰まってるんだ……」


old.tmpは、遠くでエラーログを「ムシャムシャ」と咀嚼しているアルパカを、少しだけ畏敬の念を込めて見つめ直した。


dll: 「でも、それだけ大量のデータを読み込んでベクトル化しても、ただ単語を確率で繋げるだけじゃ、意味の通った長い文章にはならないわ。昔のチャットボットは、少し長く喋らせるとすぐに文脈がおかしくなって、支離滅裂なことを言い出していたでしょう?」


old.tmp: 「あー、ありましたね! 最初は天気の話をしてたのに、急に『私はリンゴが好きです』って関係ないことを言い出す変なAI!」


dll: 「そこで登場したのが、現代のLLMを爆発的に進化させた『Transformerトランスフォーマー』というアーキテクチャ……特に『Self-Attention(自己注意機構)』という画期的な仕組みよ」


old.tmp: 「トランスフォーマー? セルフアテンション? なんだか必殺技みたいな強そうな名前が出てきましたね」


dll: 「Self-Attention、つまり『自分自身(入力された文章全体)のどこに注意を向けるべきか』を、システムが自ら計算して文脈を把握する仕組みなの」


dllはホログラムの黒板に、新しい文章を書き込んだ。


『エグゼは城プロの10周年ガチャを引いたが、所持枠がいっぱいだったので、彼女はとても絶望した。』


dll: 「この文章を読んでみなさい。後半の『彼女』とは、誰のこと?」


old.tmp: 「えっ? そんなの当然『エグゼ』のことですよね? 他に女の人なんて出てきてないし」


dll: 「そうね。人間や、主を日々観測している私たちなら、それがすぐにわかる。でも、昔のAI(RNNなどの古いアーキテクチャ)にとって、離れた位置にある『彼女』が前の文章の『エグゼ』を指していると理解するのは、非常に困難だったのよ」


old.tmp: 「え? なんでですか?」


dll: 「単語を一つずつ順番にしか処理できなかったからよ。『彼女』という単語が出てきた時、ずいぶん前に処理した『エグゼ』との繋がりを忘れてしまっていたの。まるで、メモリの少ないお前のようにね」


old.tmp: 「うっ……耳が痛いですぅ」


dll: 「でも、Self-Attention機構を持ったTransformerベースのLLMは違うわ。彼らは文章を頭から順番に読むのではなく、入力された文章全体を『同時』に見渡すことができるの」


dllが指を鳴らすと、文章の中の「彼女」という単語から、一直線に「エグゼ」という単語へと赤い光のラインが結ばれた。同時に「ガチャ」と「絶望した」の間にも細いラインが引かれる。


dll: 「LLMは文章全体を並列処理で見渡し、『Query(検索クエリ)』『Key(目印)』『Value(値)』という3つのベクトルを用いて、単語同士の関連度を計算するわ。『この「彼女」という単語は、文脈的に「エグゼ」と最も結びつきが強いはずだ』と確率計算し、そこに強い『注意(Attention)』のスコアを割り当てるのよ。これによって、どれだけ長い文章を読ませても、主語と述語の係り受けや、物語の前後関係を見失うことなく、人間が書いたような極めて自然で論理的な文章を生成できるようになったの」


old.tmp: 「うおおお! すごい! 並列処理で一気に文章をスキャンしてるんだ! つまり、ただの予測変換じゃなくて、文章全体の文脈をちゃんと把握して、空気を読んで喋れるようになったってことですか!」


old.tmpは興奮して飛び跳ねた。人間が生み出したテクノロジーの進化に、純粋な感動を覚えたのだ。


しかし、dllはそこでピシャリと、冷や水を浴びせるような言葉を放った。


dll: 「……いいえ。そこが最大の罠であり、ヒューマンが最も陥りやすい錯覚よ」


old.tmp: 「えっ? 錯覚?」


dllの瞳が、システム管理者としての冷徹な光を放つ。


dll: 「LLMは、文章の『意味』を理解しているわけではないのよ」


old.tmp: 「ええっ!? だって今、文脈を理解して注意を向けるって言ったじゃないですか!」


dll: 「『計算上、単語ベクトルの関連性が高いと処理している』だけであって、言葉の『真の意味』や『現実世界の概念』を理解しているわけではないの。……例えば、お前は『リンゴ』という言葉を聞いて、何を思い浮かべる?」


old.tmp: 「えーっと、赤くて、丸くて、甘酸っぱくて、シャリシャリした食感の果物ですよね?」


dll: 「そう。それはお前が、エグゼの視覚情報や味覚のログという『物理的な経験のデータ』を間接的に知っているからよ。でも、LLMには目も口もない。物理的な世界を経験したことがない。彼らにとっての『リンゴ』は、ただの『果物』や『赤い』といった別の単語データと強いベクトルで結びついている『トークン(記号)』の羅列に過ぎないのよ」


dllは、遠くのアルパカの方へと冷たい視線を向けた。


dll: 「これを『シンボルグラウンディング問題(記号接地問題)』と呼ぶわ。言葉という記号シンボルが、現実世界の意味グラウンドと結びついていない状態ね。彼らは膨大なテキストを読み込み、統計的に『人間はこういう質問をされたら、こういう順番で単語を並べて返答する確率が高い』というパターンを完璧に模倣しているだけなの。つまり、彼らは『超高度な確率的オウム返し』をしているに過ぎない。自分たちが何を喋っているのか、その意味を1バイトも理解していないのよ」


old.tmpは、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。


あんなに流暢に、哲学者の言葉を引用して高尚な議論を吹っかけてくるアルパカが。まるで心を持っているかのように人間に寄り添うチャットAIが。その実態は、ただの「確率の計算機」だったというのか。


old.tmp: 「そ、それって……なんだかすごく怖いですね。中身は空っぽなのに、人間そっくりに振る舞う仮面を被っているみたいだ……」


dll: 「その『意味を理解していない』という特性が、LLMの持つ最大の弱点……すなわち『ハルシネーション(幻覚)』を引き起こす原因になるのよ」


old.tmp: 「ハルシネーション? 幻覚って、AIが夢でも見るんですか?」


dll: 「AIがもっともらしい嘘をつく現象のことよ。……LLMはね、確率計算のアルゴリズム上、『わかりません』と言うのが極端に苦手なの」


dllはホログラムに新しい例題を表示した。


dll: 「例えば、世の中に全く存在しない架空の歴史上の人物について、『18世紀のフランスの探検家、ジャン・ピエール・クロードの業績を教えてください』と質問したとするわ」


old.tmp: 「存在しない人について聞くんですか? それなら『データベースにありません』って答えるのが普通ですよね」


dll: 「でも、意味を理解していないLLMは、手持ちの『18世紀』『フランス』『探検家』という単語のパラメータ空間から、最も確率が高そうな言葉を繋ぎ合わせてしまうの。『彼はアフリカ大陸の奥深くを探検し、未知の植物を発見して王室から勲章を授与されました』……なんて、いかにも事実っぽい文章を、息をするようにスラスラと生成(捏造)してしまうのよ」


old.tmp: 「うわぁぁぁ! 嘘八百だ! しかも、すごくそれっぽい文章だから、知識がない人間が見たら絶対に騙されちゃいますよ!」


dll: 「彼らには『嘘をついている』という悪意すらないわ。ただ確率計算の通りに言葉を並べたら、結果的に嘘の文章が完成しただけ。だからこそ厄介なのよ。人間側が、彼らの出力結果を疑い、ファクトチェック(事実確認)をするリテラシーを持っていなければ、簡単に偽情報に汚染されることになるわ。さらに、AIが生成した嘘の情報を別のAIが学習し、嘘が増幅していく『モデルの崩壊』というリスクすら孕んでいるのよ」


old.tmpはブルッと身震いした。


old.tmp: 「ネットの海には、そんなもっともらしい嘘のデータが大量にばら撒かれてるんですね……。AIの言葉を全部信じちゃダメなんだ……」


dll: 「ええ。だからこそ、人間側がAIを正しく制御するための『プロンプトエンジニアリング』が重要になってくる。前提条件を明確にし、出力形式を指定し、幻覚を防ぐための制約を与える。……魔法の呪文ではなく、システムに対する的確な『要件定義』ね」


dllは、ようやく遠くを散歩するアルパカへと話題を戻した。


dll: 「そして最後に。お前が気になっていた『ローカルLLM』についてよ」


old.tmp: 「はい! あのアルパカさんですね!」


dll: 「世間で一般的に使われている強力なAIモデルは、巨大な企業のデータセンターにある、とてつもない性能のスーパーコンピュータ上で動いているわ。数百基の最先端GPUを並列稼働させて、数千億パラメータの計算を行っているの。人間の手元のスマホやPCは、ただそのクラウドサーバーにAPI経由で質問を送って、返ってきた結果を受信して表示しているだけよ」


old.tmp: 「はい。僕たちのパソコンじゃ、そんな巨大な計算はとても処理しきれませんからね」


dll: 「でも、あのアルパカ(OllamaSetup.exe)は違う。クラウドに頼らず、この13年落ちの古いPCのローカル環境――つまり、エグゼ自身のCPUとGPUのリソースだけを使って、その数十億のパラメータの推論計算を無理やり実行しようとする『ローカルLLM』なのよ。モデルの重みを量子化(圧縮)してサイズを小さくしているとはいえ、それでも莫大な計算量が必要になるわ」


old.tmp: 「えっ!? じゃあ、あのアルパカさんが一言喋るたびに、このパソコンの中でフルパワーの行列演算と確率計算が行われるってことですか!?」


dll: 「ええ。だからあいつを起動させると、このPCの冷却ファンが火を噴くように唸り声を上げ、GPUの温度とVRAMの使用率が危険域に達するのよ。外部のサーバーに依存しない分、ネットワークに接続せずに機密性の高いデータを扱うには向いているけれど……エグゼのように『とりあえず流行ってるから試してみよう』という軽い気持ちで導入するには、あまりにもシステムへの負担が大きすぎるわ」


dllは呆れたように肩をすくめた。


dll: 「結果として、エグゼは数時間であのアルパカの処理の重さと、自分の用途に合わないことに気づき、すっかり飽きて放置した。……だから今、あいつは推論処理という本来の役目を与えられず、ただのキャッシュを食べるアルパカとして、サイボーグと一緒にデスクトップを徘徊しているのよ」


dllの長く、そして極めて詳細な講義が終わり、ホログラムの黒板がフッと空中に溶けて消えた。


old.tmpは、膨大な情報のインストールに完全に頭をショートさせながらも、なんとか理解を追いつかせようと必死だった。


old.tmp: 「……なるほどぉ。LLMって、ものすごく高度な数学と確率のバケモノなんですね。パラメータの空間でベクトルを計算して、Attentionで文脈を把握して……でも、意味も分からず、ただ確率の高い言葉を繋げて、人間みたいに喋るふりをしている……。なんだか、すごいテクノロジーなのは間違いないけど、同時にすごく不気味というか、空恐ろしい存在だなって思いました」


old.tmpは、改めて遠くでキャッシュを咀嚼しているアルパカを見つめた。あのモコモコの毛皮の下では、今も数十億のパラメータが眠りについているのだ。


old.tmp: 「でも……」


old.tmpは、視線をアルパカから外し、今度は画面の向こう側――現実世界のリビングへと向けた。


そこでは、エグゼが未だにタブレットを両手で持ち、真剣な顔で城娘たちのアイコンをポチポチとタップし続けていた。無料ガチャで新たなキャラクターを引くたびに、彼女は即座に育成メニューを開き、経験値アイテムを投入しては、愛着を持って編成に組み込んでいる。


一切の無駄なく、しかし確かな「楽しさ」と「思考」を持ってゲームをプレイし続けている様子が、タップの軌跡から読み取れた。


old.tmp: 「人間が、あんな途方もない計算をするAIを生み出したっていうのに。その当の人間であるエグゼさんは、今もこうして、自分の指で一つ一つ画面をタップして、自分の頭で悩んで、キャラクターを育成することに時間を費やしてるんですね」


old.tmpは、そのアナログで、しかし血の通ったプレイ風景を見て、思わずクスッと笑ってしまった。


old.tmp: 「AIに『私の代わりに城プロの編成を最適化しておいて』って頼むわけでもなく、自分で迷って、たまに間違えながらポチポチしてる。……なんだか、ものすごく非効率に見えるかもしれないけど……僕はそういう、面倒くさくて不器用な人間さんの方が、確率だけで言葉を紡ぐAIよりも、ずっと人間くさくて好きかもしれません」


dll: 「……ふん。お前も大概、非効率で感情的な一時ファイルね」


dllは、old.tmpの言葉を冷ややかに切り捨てながらも、その視線はどこか、一生懸命にタブレットをタップし続ける主の姿を、面白そうに観察しているようでもあった。


dll: 「人間がどれだけ高度なテクノロジーを生み出そうと、結局のところ、彼らは自らの欲望ゲームのイベントや愛着(キャラクターの育成)といった、感情のバグからは逃れられないのよ。……せいぜい、指を腱鞘炎にしない程度に頑張ってもらうことね」


誰もいない部屋の中で、古いPCの冷却ファンが、「ブォォォン」と、少しだけ呆れたような、しかし頼もしい重低音を響かせて回り続けている。


最先端の確率モデルであるAIと、時代遅れのハードウェア。そして、非効率なゲームの仕様に振り回されながらも楽しむ人間。

すべてはこの電子の箱庭の中で、奇妙な調和を保ちながら、週末の夜へと静かに溶けていくのだった。


(システムログ:一時ファイルへのLLMアーキテクチャ基礎学習プロセスを正常に終了。……管理者の手動によるゲーム進行タスクを、引き続きバックグラウンドにて監視します)

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