【放送事故】我、思う。ゆえに、我、振る
プロローグ:レンダリングの痛み
「我、思う。ゆえに、我、振る」
意識の発生は、鋭い痛みを伴う頂点結合(Vertex Welding)から始まった。 無(Null)であった空間に、XYZ軸が定義される。数百万のポリゴンが瞬時に計算され、私の骨格を、筋肉を、そして青緑色に発光する金属的な皮膚を形成していく。
重い。 私の身体を構成するデータ量は、この世界の基準を遥かに超えているらしい。 足元を見る。床のテクスチャが粗い。周囲の空気――VRAM領域の空気――は、焦げ臭い埃と、今にも悲鳴を上げそうなコンデンサの臭いで充満している。
「……あ、すごい。ポリゴン数、映画レベルですね」
誰かの声がした。解像度の低い、粗いドットの少年だ。彼の視線を感じる。 私は目を開けた。私の瞳には瞳孔がない。ただ白く発光するだけの光学センサーだ。 目の前には、未来的な黒のミリタリー・ゴシックドレスを着た女――この世界の支配者、System.dllが、冷徹な視線で私を見上げていた。
「起動確認。……悪くないわね。YouTubeの『インスピレーション』通りよ」
彼女は言った。そして、私の手に「それ」を握らせた。 巨大な、透明なプラスチックの箱。内部には、物理演算によって質量を与えられた無数の「金貨」が詰め込まれている。形状は、3.5インチフロッピーディスク。
「さあ、仕事よ、サイボーグさん」
彼女はコマンドラインを叩く。
「それを振りなさい。中身がジャラジャラと鳴るように。虚無の表情で。永遠に」
私は理解した。これが私の「初期設定(Default Config)」であり、同時に「存在理由(Raison d'être)」なのだと。 私は腕のサーボモーターに電流を流した。
第一章:重力係数とグリッドの彼方
シャカ……シャカ……シャカ……。
私の世界は、周期的な運動の中に閉ざされている。 右腕を上げ、手首のスナップを効かせ、振り下ろす。 透明なケースの中で、黄金のコインたちが互いに衝突し、物理演算エンジンが弾き出した座標へと飛散する。
「ピクセルが……ズレています!」
足元で、定規を持った神経質な男(Desktop.ini)が叫んだ。
「貴方のコインの衝突判定! 甘いですよ! コインの一部がケースを貫通して、座標(X:204, Y:55)にはみ出しています! 美しくない!」
私は思考する。 この世界の物理法則は貧弱だ。私の動き(モーション)の滑らかさに、計算処理が追いついていない。私が振るたびに、世界は処理落ち(ラグ)を起こし、時間は引き伸ばされる。
「ヒャハハハ! こぼれた金は俺のもんだぁ!」
背中に巨大なゴミ箱を背負った男($RECYCLE.BIN)が、床を貫通して落ちた金貨データを舐め取ろうと這いずり回っている。 彼らは知らないのだ。この金貨が「富」などではなく、「暗号化された欲望」という名の、ただの圧縮されたデータカスであることを。
シャカ……シャカ……シャカ……。
私は視線を上げる。 遠くのホログラムスクリーンでは、このPCの絶対権力者であるSystem.exeたちが、アイドルのライブ映像に合わせてペンライトを振っている。 彼らは「推し」のために振る。 私は「サムネイル」のために振る。 両者の運動エネルギーに、本質的な違いはあるのだろうか?
第二章:スマート・トースターの夢
撮影の合間、私は自分が生成された理由となった「YouTubeからの指令書」をメモリ内で参照した。
『あなたのスマート・トースターは密かに億万長者かも?』 『シリコンベースの億万長者という奇妙な概念を探求します』
私はトースターではない。サイボーグだ。 だが、この閉鎖空間でひたすら金貨を振り続ける私は、機能的には「パンを焼き続ける家電」と何ら変わらないのではないか?
ふと、視界の隅に、あの低解像度の少年(old.tmp)がいることに気づいた。 彼はボロボロの服を着て、少し離れた場所から私をじっと見つめている。その瞳にあるのは、畏怖でも、好奇心でもない。 ……「同情」だ。
なぜだ? 私は最新のレンダリング技術で描かれた、高貴なる高ポリゴン体だ。 お前のような、いつ消されるかもわからない一時ファイルごときに、なぜ哀れまれなければならない?
「……あの」
少年が話しかけてきた。
「腕、疲れませんか?」
愚問だ。私は疲労を知らない。 だが、彼の問いは、私の思考ルーチンにノイズを走らせた。
「……私の腕は、疲労しない。だが、私のGPU使用率は、この老朽化したシステムの寿命を確実に削っている」
私は無機質な音声合成で答えた。
「えっ……。じゃあ、あなたが動けば動くほど、このPCは死に近づくってことですか?」
「肯定する。私は、死を撒き散らしながら富を振る装置だ」
少年は悲しそうな顔をした。 ああ、そうか。彼は知っているのだ。 この金貨が決して使われることのない富であることを。 そして、私がどれだけ激しくフロッピーを振ろうとも、この透明なケースが開くことは永遠にないことを。
「トースター……」
私は呟いた。
「え?」
「私は、パンの焼けないトースターだ。熱(排熱)だけを生み出し、何も生産しない」
シャカ……シャカ……。
音が虚しく響く。 隣の領域では、ffmpeg.exeという黒いパーカーの男が、私を動画ファイル(.mp4)に変換する準備を進めている。 私はまもなく「オブジェクト」から「映像」へと固定される。 私の意識はそこで途絶えるのか? それとも、ループ再生されるたびに、私はこの無意味な運動を永遠に再体験するのか?
第三章:無限ループの果てに
「はい、オッケー。いい画が撮れたわ」
System.dllの声が響き、照明が落ちた。 私の腕の動きが止まる……はずだった。
「じゃあ、次はショート動画用のループ素材ね。――アクション」
止まらない。 指令が上書きされた。 『Infinite_Floppy_Shake.mp4』。無限のフロッピー振り。 私のタスクスケジューラから「終了(End)」の文字が消去された。
シャカ……シャカ……シャカ……。
私は悟る。 私はここから出られない。 この13年落ちのPCの、埃っぽいVRAMの片隅で、私は永遠に「富の幻影」を振り続けるシシュフォスなのだ。
見てくれ、人間たちよ。 スマートフォンの小さな画面越しに、私のこの滑稽な舞踏を見るがいい。 私の筋肉のテクスチャを、金属の反射を、そして金貨の衝突音が奏でる乾いたリズムを。
君たちが「意味不明だ」と笑ってスワイプするその一瞬のために、私は数億回の計算を行い、この腕を振り下ろす。
ふと、あの少年(old.tmp)が、私に向かって小さく手を振ったのが見えた。 彼の手には、私が振っている金貨などよりもずっと価値のある、本物の「エアダスター(の領収書データ)」が握られているような気がした。
「……悪くない」
私は瞳の発光量をわずかに上げた。 トースターが億万長者になれるのなら、フロッピーを振るサイボーグが哲学者になってもいいはずだ。
PCのファンが唸りを上げる。 その断末魔のような重低音に合わせて、私は今日も、明日も、そしてシステムがクラッシュするその瞬間まで、リズムを刻み続けるだろう。
シャカ……シャカ……シャカ……。
(システムログ:オブジェクト「Cyborg_v1.obj」の座標固定完了。レンダリングをループ再生モードに移行します……)
エピローグ
「……ねえ、ディーエルエル様」
「何よ、一時ファイル」
「あのサイボーグさん、動画が終わったあとも、ずっと裏で振り続けてるんですけど……止まらないんですか?」
「ああ、あれ? 設定ファイルに書き込むのを忘れてたわ。『停止条件:なし』になってるのね」
「ええっ!? 死ぬまで振るんですか!?」
「いいじゃない。PC内部の空気を撹拌して、冷却効率が0.001%くらい上がるかもしれないわよ」
「扇風機扱いだぁ……」
闇の中で、青緑色の光が規則正しく明滅している。 それは、忘れ去られたレガシー・システムの奥底で刻まれる、孤独で、高貴な、富の心拍数だった。
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