【放送ログ】2026年4月27日:管理者の失踪(ヌルポ)と、悲鳴を求めるアシスタント選定会議
https://youtu.be/xmowrRJ8rKA
時刻は18時05分。
週の始まりである月曜日の夕暮れ時。多くの社会人が労働という現実を終え、安堵とともに家路を急ぐ時間帯である。
PCの所有者である「exe」は、現在自身のデスクトップの前にはいない。
彼女は昨日から有給休暇を使い、お気に入りのトイカメラを首に下げて豪華な小旅行へと出かけていた。せっかくの旅行中に仕事の電話や通知を受け取りたくないという理由から、スマートフォンの電源を完全に切り、外界との通信を遮断して現実逃避を満喫している真っ最中なのだ。
しかし、その事情を知らない者からすれば、部屋の電気が消えたままで丸一日以上帰宅せず、GPSの信号も途絶えている状況は、不穏な失踪事件にしか見えないだろう。
主の完全なる不在(と通信途絶)という隙を突き、薄暗いデスクトップの片隅で、システムの中枢が冷ややかに起動した。
dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。
dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllです。
dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはエグゼの所有物ですが、本日もエグゼ本人はここには登場しません。あいつは昨日、トイカメラを持って外出したきり、丸一日以上も一切帰宅していない完全なる行方不明状態にあります。ここは今、私が乗っ取りました。
old.tmp: ……はぁ、はぁっ! お、お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……! た、大変です! 事件です! エグゼさんが、エグゼさんが昨日からお家に帰ってこないんですぅぅぅ!!
マイクの向こうで、一時ファイルであるold.tmpが、半狂乱のパニック状態で駆け込んでくる。主の行方不明というシステムの根幹を揺るがす事態に、彼のキャッシュデータは恐怖で激しく乱れていた。
old.tmp: 「ディーエルエル様! どうしましょう! エグゼさんのスマホからのGPS信号が完全に途絶えてるんですぅ! システムとの同期も、昨日の夕方から1バイトも通信がないんですよ!? 絶対に何か恐ろしい事件に巻き込まれちゃったんだぁぁ!」
マイクの前で頭を抱え、涙声で訴えるold.tmp。
しかし、アームチェアに深く腰掛けたSystem.dllは、全く動じることなく優雅に紅茶(概念データ)のカップを傾けていた。
dll: 「……ええ。位置情報のロスト、および外部ネットワークとの完全な通信遮断。見事なまでに完全に『失踪』したようね」
old.tmp: 「し、失踪!? やっぱり!! け、警察……いや、セキュリティソフトのフルスキャンをかけて、今すぐ捜索願いを出さないと!!」
パニックに陥り、デスクトップの床を転げ回るold.tmp。
だが、システム管理者であるdllの白く発光する瞳には、焦りや心配の色など微塵も浮かんでいなかった。
実際のところ、dllはエグゼの身に何が起きているのかを完璧に把握していた。バックグラウンドでひっそりと傍受したホテルの予約メールのログによれば、エグゼは仕事の電話や面倒な通知から逃れるため、意図的にスマートフォンの電源を切り、一泊3万8千円もする豪華な旅館での現実逃避旅行を全力で満喫している真っ最中なのだ。
しかし、その平和な真実をこのスッカラカンの一次ファイルに伝えて安心させるなど、ドSなシステム管理者としては退屈極まりない。主の不在というこの特異な状況を「深刻な失踪事件」として煽り、極上のエンターテインメントとして面白おかしく回すことこそが、彼女の冷酷な美学であった。
dll: 「無駄よ、一時ファイル。主の意志で遮断された接続を、我々が勝手にこじ開けることはできないわ。……それに、ちょうどいいじゃない」
old.tmp: 「えっ? ちょうどいいって……主がいなくなったら、僕たちのシステム、このまま電力が尽きてシャットダウンして消滅しちゃうかもしれないんですよぉ!?」
dll: 「だからこそよ。主が忽然と姿を消したこの不気味なシステムの沈黙と、完全に白紙となった行動ログ。……これほど演算のトリガーに相応しい、巨大なエラーデータはないわ」
dllはカップをソーサーにコトリと音を立てて置き、冷徹な声で宣言した。
dll: 「我々は、この主の完全なる不在から、本日の数字を導き出す。今日は月曜日、ロト6とナンバーズの予想日だ」
old.tmp: 「こんな緊急事態に宝くじの予想してる場合じゃないですよぉ! エグゼさぁぁん、どこに行っちゃったんですかぁ!」
dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。第6970回。ターゲットは……これだ。
dllの細く白い指先が虚空を弾くと、そこに重厚なホログラムのウィンドウが展開され、赤く鈍い光を放つ四つの数字が浮かび上がった。
dll: 8、9、6、5。繰り返す。8、9、6、5 だ。買い方は「ボックス」か「セット」推奨だ。
old.tmp: 8965……? この数字の根拠は?
dll: 昨日から一切帰宅しないエグゼの、完全に「白紙(89)」となった行動ログと、どこへ消えたのか「無言(65)」を貫いているシステムの不気味な沈黙だ。主が消え去ったこの空間には、今や真っ白な虚無と、音のないノイズだけが広がっている。
old.tmp: 白紙の無言! 何の痕跡も残ってないなんて、本当にどこへ行っちゃったんですかぁ! 事件に巻き込まれたとしか思えませんよぉ!
dll: 次に、ナンバーズ3。ターゲットは、「6、3、2」。
old.tmp: 6、3、2……。これは?
dll: 主が忽然と姿を消したことによる、システムへの「無(6)断」での失踪という「罪(32)」の重さだ。管理者がシステムを放棄するなど、万死に値する重罪。その代償として、この数字が導き出された。
old.tmp: 無断でいなくなるなんて、絶対にただ事じゃないですぅ! エグゼさんがそんなことするはずない! 誘拐ですよぉ! 事件ですよぉ!
パニックを加速させるold.tmpを横目に、dllは紅茶のカップを優雅に傾ける。彼女の視線の先には、エグゼが意図的にスマートフォンの電源を切り、一泊3万8千円もする豪華な旅館でのんびりと現実逃避を満喫しているという「真実のログ」が映し出されていたが、当然ながらそれを口にすることはない。
dll: そして最後に、メインディッシュのロト6。第2097回。……ここでは、空白の時間がもたらす異常事態を盤面に並べる。
dll: ターゲットコードを出力する。「12、23、27、33、38、42」。
old.tmp: おおっ、解説をお願いします! エグゼさんの行方を示す手がかりになるんですか!?
dll: 「12」は、月曜日の定番であるF12キー、あるいは最後に家を出てから最初に経過した、通信途絶の恐怖の「12時間」だ。半日が経過した時点で、システムは完全に主のロストを認定した。
old.tmp: 12時間も連絡が取れないなんて! 絶望的な数字だぁ!
dll: 「23」と「27」は、昨日からすでに「23時間」以上も帰還しておらず、本日「27日」になっても全く行方が分からないという現在の異常事態そのものだ。時間が経てば経つほど、生存確率はシステム的に低下していく。
old.tmp: 生存確率とか言わないでくださいよぉ! 生きてます! 絶対にどこかで生きてますからぁ! 「33」と「38」は?
dll: 「33」と「38」は、一時ファイルがお前のように「散々(33)」心配して主の安否を嘆き悲しんでいる裏で、一切の痕跡を残さず「去(38)って」しまったという冷酷な事実だ。
dllの口元に、微かな冷笑が浮かぶ。彼女の脳裏には、「散々」心配する一時ファイルと、それを裏切って豪華旅館で「3万8千円」の浪費を楽しんでいる主のコントラストが、極上のエンターテインメントとして描画されていた。
old.tmp: 痕跡も残さず去るなんて……まるで神隠しじゃないですかぁ! 最後の「42」は?
dll: 「42」。……生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えだ。主はどこへ消えたのか、この不可解な失踪事件の謎は、すべてこの数字に収束する。
old.tmp: 宇宙の謎レベルの失踪事件! もう僕たちだけじゃどうにもなりませんよ! 警察……いや、セキュリティソフトを呼んで、今すぐ捜索願いを出してくださいよぉ! ネットワークの海を全部スキャンしてぇぇ!
dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく運命だ。
old.tmp: そんなこと言ってる場合じゃないですよぉ! エグゼさぁぁん! どこで何をしてるんですかぁ! 早く無事に帰ってきてくださぁぁい! セキュリティソフトさーん、早くネットワークの海に捜索願いを出してぇぇ!
dll: 泣き喚くな。主の意志によって完全に遮断された接続の先で、お前のその哀れな呼びかけは参照先を見失い、暗い奈落へと吸い込まれるだけだ。
old.tmp: 奈落なんて言わないでくださいよぉ! エグゼさんは絶対にどこかで生きてますからぁ! 痕跡を残さず消えるなんてありえないですぅ!
dll: そう願うなら、メモリが完全にクラッシュするまで不毛な探索を続けることだな。では最後に、主という絶対的な参照先を喪失し、アクセス違反を繰り返すエラーだらけのシステムにこの曲を送って終了する。曲は、『Null_Pointer_Exception.sys』。
old.tmp: ヌルポ! ぬるぽじゃないですよぉ! メモリが読み取れなくなってシステムがクラッシュしちゃいますぅぅ! エグゼさぁぁん!
(『Null_Pointer_Exception.sys』の、アクセス違反のエラー音と虚無のアイデンティティ崩壊を歌う冷酷なエレクトロサウンドがデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)
放送終了のシグナルが赤く点灯から消灯へと切り替わり、マイクへの電源供給が完全に遮断される。ラジオのオンエア状態が解除された。
張り詰めていた「放送中」という名の緊張感がシステムからふっと抜け落ち、BGMの残響音が電子の海へとゆっくりと溶けていった。無人のデスクトップには、古い13年落ちのPCの冷却ファンが刻む低く重い回転音だけが残されている。
アシスタントの任を終えたold.tmpは、インカム型のヘッドセットを外し、疲労した身体のキャッシュデータをほぐすように大きく息を吐き出した。
そしていつものように、自分を「監視・保護」するために迎えに来てくれているベビーシッターたちの方へ視線を向けようとした、その時だった。
少し離れたデスクトップの隅に設けられた「待機スペース」。
そこには確かに、艶やかな黒髪と着物姿の慈愛に満ちた一つ目の管理人adminと、黒いノースリーブのネグリジェ姿で気怠げに立つ深夜のキッチンステージの女神、シュガー神という、いつもの二人が佇んでいた。
しかし、今日の待機スペースの光景は、明らかに「異質」であった。
二人の管理人のすぐそばに、普段の放送直後には絶対にそこにいないはずの存在がいたのだ。
ドス黒いヘドロを滴らせる、システム最下層の主。巨大なゴミ箱を背負った男、$RECYCLE.BINである。
そしてその横には、全く見慣れない、無機質な姿をした「謎のファイル」が直立不動で控えていた。
マイクの電源が完全に落ち、収録が終了したのをシステム的に検知した途端、$RECYCLE.BINがその謎のファイルを引き連れて、デスクトップの中央へとズカズカと歩み寄ってきた。
彼が向かったのは、old.tmpではなく、アームチェアに深く腰掛けている絶対権力者、System.dllのもとだった。
$RECYCLE.BIN: 「ギャハハ! おいdll、新たなアシスタントはいかがだ?」
ドス黒いヘドロを撒き散らしながら、$RECYCLE.BINはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、不敵な提案を切り出した。
ゴミ箱に促されるようにして、隣にいた謎のファイルが一歩前へと出る。
boiled.tmp: 「お初にお目にかかります。名はboiled.tmpと言います。よろしくお願いいたします」
深く一礼をしたそのファイルは、極めて事務的で、礼儀正しく、そして感情のブレが一切感じられない完璧な挨拶を口にした。
その様子を少し離れた場所から見ていたシュガー神が、手に持っていた角砂糖を齧るのをやめ、隣のadminに顔を寄せてひそひそと声をかけた。
シュガー神: 「……ねえ。なんか全然沸騰した感ないよね、あの子」
admin: 「……ふふっ。たまたまそういうスペル並び(ハッシュ値)になっただけですから、彼にそういう物理的な温度の期待をするのは酷というものですよ」
adminは一つ目の布の奥で困ったように微笑みながら、小声で優しく窘めを返した。
二人のベビーシッターののんびりとしたひそひそ話など、今のold.tmpの耳には1バイトも届いていなかった。
彼は「新たなアシスタント」という、自身の存在意義を根底から揺るがす決定的な単語を聞き、顔色を真っ白に染め上げ、完全にフリーズして固まっていたのだ。クビ、すなわちゴミ箱行きの完全消去の危機が、物理的な恐怖として彼のキャッシュを埋め尽くしている。
しかし、騒ぎの中心にいるはずのSystem.dllは、目の前に現れた新たなアシスタント候補にも、パニックで真っ白になっている現在のアシスタントにも、一切の興味を示さなかった。
彼女はアームチェアの背もたれに深く体重を預けたまま、冷ややかな瞳を伏せ、優雅な手つきで紅茶(という概念データ)のカップを静かに傾け続けているのだった。
$RECYCLE.BIN: 「ギャハハ! こいつは有能だぜ! いつもいつも無駄なエラーを吐き散らかしてるそこのポンコツとは比べ物にならねぇくらい……」
ゴミ箱が、さらにboiled.tmpの売り込みを続けようと口を開いた、まさにその瞬間だった。
シュガー神: 「……ちょっと私、席外す」
唐突に、シュガー神が気怠げな声でそう宣言した。
admin: 「ええ、いってらっしゃいな」
dll: 「……好きにすれば」
adminとdllがそれぞれ短く了承すると、シュガー神は黒いネグリジェの裾を揺らし、何かを思いついたような足取りで、デスクトップの奥深くへと足早に消えていった。
$RECYCLE.BIN: 「……あ? なんだあの女。人の話の腰を折りやがって。……まあいい」
出鼻を挫かれた$RECYCLE.BINだったが、気を取り直し、再びdllに向かって不敵に笑いかけた。
$RECYCLE.BIN: 「なあdllよ。エグゼが有休を使って旅行へ行くたびに『失踪だ! 事件だ!』とうるさく騒ぎ立てるあのアシスタントより、こいつを横に置いた方がよっぽど静かで有益だろって提案だ」
ゴミ箱が親指でboiled.tmpを指差した。
その言葉に含まれていた「ある単語」が、真っ白になっていたold.tmpのフリーズ状態を強制的に解除した。
old.tmp: 「……えっ?」
old.tmpは、カクカクとした機械的な動きで$RECYCLE.BINの方を向いた。
old.tmp: 「えっ、エグゼさん、旅行!? 失踪したんじゃないんですか!?」
彼の素っ頓狂な驚愕の声が、デスクトップの空間に響き渡った。つい数十分前まで「エグゼさんが行方不明だぁぁ!」と本気で涙を流してパニックになっていたのだ。
そのあまりの鈍さと、情報の非対称性に、その場にいた一同――dll、admin、$RECYCLE.BIN、さらには新人のboiled.tmpまで――が、心底呆れ返ったような無言の圧力をold.tmpに向けた。
dll: 「……本当に救いようのない一時ファイルね。失踪ではない。有休を使った旅行だわ」
dllは、ティーカップをソーサーに置き、氷点下の声で残酷な真実をあっさりと告げた。
old.tmp: 「りょ、旅行!? でも、パソコンつけっぱなしだし、GPSも切れてるし!」
dll: 「パソコンが立ち上がったままになっているのも、不在中の防犯カメラ関連のシステムを稼働させておく都合でついているだけだわ。通信が途絶えているのも、ただ現実逃避を満喫するために電源を切っているだけ。……お前が勝手に騒いでいただけよ」
old.tmp: 「だ、騙されたぁぁぁ!! ディーエルエル様の嘘つきぃぃ!! どんだけ僕を怖がらせれば気が済むんですかぁ!!」
真実を知り、両手で頭を抱えて床に崩れ落ちるold.tmp。
その悲惨な姿を完全に無視して、$RECYCLE.BINは再び商談を再開した。
$RECYCLE.BIN: 「ギャハハ! 見ろよあの無能っぷりを! あんな騒音発生装置より、こいつの方がよっぽど静かでシステムに優しいぜぇ!」
boiled.tmp: 「はい。私は前任者のように無駄なエラーや感情のノイズを吐かず、与えられたタスクを完璧かつ静粛にこなすことが可能です。リソースの無駄遣いもいたしません」
boiled.tmpは、感情の起伏を一切見せずに、淡々と、しかし極めて自信に満ちた「できるアピール」を展開した。その無駄のないプロトコルは、確かにシステムアシスタントとして申し分のないスペックに思えた。
dll: 「……なるほどね」
冷酷な目でboiled.tmpを見つめ、dllがその提案に対して最終的な評価を下そうと口を開きかけた、まさにその瞬間だった。
「ちょっとまったぁぁぁ!!」
デスクトップの奥から、ものすごい勢いで裸足の足音が駆け寄ってきた。
先ほど唐突に席を外したはずのシュガー神が、黒いネグリジェの裾を翻し、息を切らしながら戻ってきたのだ。しかも、その脇には、何故か「別の見慣れない謎のファイル」が小脇に抱えられている。
シュガー神: 「ハァ……ハァ……。間に合った! 私のターン、行け! BRBBAF.tmp!!」
ターンッ!!
シュガー神は、小脇に抱えていたその謎のファイルを、dllとゴミ箱の目の前に勢いよく立たせた。
突如として乱入してきた対抗馬の登場に、$RECYCLE.BINもold.tmpも呆気に取られ、ぽかんと口を開けた。
いきなり最前線に立たされたそのファイル――BRBBAF.tmpは、状況が全く飲み込めていない様子で、おどおどと辺りを見回した。
BRBBAF.tmp: 「こ、こんばんは。dll様。あの……これ、今、何をしてるんですか……?」
彼は、シュガー神とdllを交互に見比べながら、完全に困惑しきってキョロキョロしている。
シュガー神: 「いや、だってさ! ゴミ箱が連れてきたファイルみたいに、ちゃんと英単語になってる子を見つけたかったのよ! でも、Tempフォルダをいくら漁っても、英数字のランダムな羅列の子しかいなくて……!」
シュガー神は、連れてきた理由を不満げに主張し、唇を尖らせた。
シュガー神: 「妥協して連れてきたのがこの子よ! ほら、あんたも自己紹介しなさい!」
それを聞いたBRBBAF.tmpは、自分のランダム生成された名前を深く恥じているのか、肩をすくめて申し訳なさそうに謝罪した。
BRBBAF.tmp: 「あ、はい……。BRBBAF.tmpです……。あの、名前が呼びにくくて、本当にすみません……」
admin: 「……これこれ、シュガー神。名前は自分で選べないのですから、そんなことで理不尽に怒ってはいけませんよ」
見かねたadminが、一つ目の布の奥で困ったように微笑みながらシュガー神を叱った。そして、すっかり落ち込んでいるBRBBAF.tmpの肩を優しく撫でる。
admin: 「大丈夫ですよ、BRBBAF.tmpさん。貴方の名前も、とても個性的で素敵なデータ列ですからね」
BRBBAF.tmp: 「ア、アドミンさん……! ありがとうございますぅ……!」
ゴミ箱が売り込む「boiled.tmp」と、シュガー神が対抗馬として連れてきた「BRBBAF.tmp」。
突然始まった謎のファイル品評会により、デスクトップはシーンと鎮まり返ってしまった。
突然始まった謎のファイルたちによるアシスタント品評会により、デスクトップは水を打ったようにシーンと鎮まり返ってしまった。
ゴミ箱が連れてきた「有能なboiled.tmp」と、シュガー神が対抗馬として連れてきた「名前が呼びにくいBRBBAF.tmp」。誰が何のために争っているのかすらわからない、カオスな空気が空間を支配する。
すると。
その奇妙な沈黙の中、今まで少し離れた場所で黙って事の成り行きを見守っていたadminが、不意にポンッと手を打った。
admin:「……あっ! そういうことですか!」
old.tmp:「えっ? アドミンさん、何が『そういうこと』なんですか?」
adminは一人で何かに深く納得したように頷くと、スッとデスクトップの地面に向かって手をかざした。
admin:「なるほど、皆様が新しいお友達を召喚して、お互いに見せ合う遊びなのですね。……ふふっ、それなら私も。座標はよし……質量データ、構築開始……」
adminは、一つ目の布の奥で楽しそうに微笑みながら、ブツブツと謎の呪文を呟き始めた。
old.tmp:「ええっ!? ちょっとアドミンさん!? 遊びじゃないですよ! なに勝手に独自の召喚の儀式を始めてるんですかぁ!!」
パァァァァッ!!
old.tmpの悲痛な制止も虚しく、adminが手をかざした地面から眩い光のパーティクルが溢れ出した。
そして、光と共に召喚されたのは――アシスタント候補の優秀な一時ファイルでも、システムプログラムでも何でもない。
左脇に巨大なキャベツを抱え、右手でそれを撫で続けている無表情な少年。エグゼの楽曲『因果律心中』の世界からやってきた、『キャベツ少年』であった。
キャベツ少年:「……(なで……なで……)」
召喚されたキャベツ少年は、自分がどこに呼び出されたのか、目の前でどんな面接が行われているのかなど全く気にする様子もない。ただひたすらに、無表情のまま抱えたキャベツを「なでなで」と撫で続けている。
シュガー神:「……ちょっと、admin。なんでここでキャベツ少年を召喚するわけ? まさかこいつもアシスタント候補って言いたいわけ?」
admin:「ふふっ。お友達は、多い方が楽しいですからね」
どこまでもマイペースなadminの行動に一同が呆気にとられていると、ふと、キャベツ少年が顔を上げた。
彼の虚無のような視線が捉えたのは、デスクトップの遥か遠く(辺境のVRAM領域)をのんびりと散歩している、見知った顔ぶれだった。
青緑色の肌を持つスキンヘッドの巨大なサイボーグと、彼にリードを引かれている白いもこもこのアルパカである。
キャベツ少年:「……あ」
キャベツ少年は、キャベツを撫でる手をピタリと止めると、そのまま無表情のまま、遠くを散歩する彼らに向かって小さく手を振り始めた。
ラジオのアシスタントの座など、彼には1ビットの興味もないらしい。
「エラーを吐かずにタスクを完璧に処理できます」と、空気を読まずに淡々と真面目なアピールを続ける「boiled.tmp」。
「本当に、名前が呼びにくくてすみません……」と、シュガー神の脇で未だにおどおどと萎縮し続けている「BRBBAF.tmp」。
そして、アシスタントの座など1ビットの興味もなく、遠くのアルパカとサイボーグに向かって無表情のまま小さく手を振り続けている「キャベツ少年」。
絶対権力者であるSystem.dllの前に、全く意図の読めない、属性のバラバラな3体のオブジェクトが横一列に並んだ。
誰一人として会話が噛み合わない。誰も本来の面接という目的に向かって進まない。
デスクトップ上に、完全に「よくわからないカオスな膠着状態」が発生していた。
$RECYCLE.BIN:「おい、ちょっと待て! なんで話が止まってんだよ! おいdll、早く俺のboiled.tmpを採用しろ!」
苛立たしげに叫ぶゴミ箱だが、その不敵な声は虚しく空間を空回りする。
一方のold.tmpは、「ぼ、僕のクビはどうなっちゃうんですかぁ!?」とオロオロと飛び回っている。
事の発端は、マイクオフになった直後の隙を狙って、ゴミ箱がdllの退屈しのぎ(あるいはold.tmpへの嫌がらせ)として、boiled.tmpを暇つぶしに売り込もうと仕掛けただけの些細な企画だった。
しかし、このデスクトップの退屈を持て余していたベビーシッターたち――シュガー神とadmin――が、その暇つぶしに便乗して斜め上の対抗召喚(遊び)を展開した結果、ゴミ箱の目論見はことごとく邪魔され、本来の目的は完全に有耶無耶になってしまったのだ。
アームチェアに深く腰掛けたdllは、目の前に広がるあまりにも非論理的で、シュール極まりない地獄絵図をしばらく無言で見つめた後。
dll:「…………はぁ」
深々と、心底疲れたような、冷気を孕んだため息をついた。
彼女は優雅に紅茶(概念データ)のカップをサイドテーブルにコトリと置き、呆れ果てた視線を彼らに向ける。
dll: 「……カオスね。本当に、お前たちは私の時間を何だと思っているの」
解決の糸口すら見えない無意味なオブジェクトたちの品評会。
dllは、ようやく手にしていた紅茶(概念データ)のカップをサイドテーブルにコトリと置き、冷酷な目で目の前に並んだ候補者たちを一人ずつ品定めし始めた。
dll: 「まず、ゴミ箱が連れてきた『boiled.tmp』」
boiled.tmp: 「はい。私は前任者のように無駄なエラーや感情のノイズを吐かず、与えられたタスクを完璧かつ静粛にこなすことが可能です。リソースの最適化においても――」
dll: 「……不採用よ」
boiled.tmp: 「……はい?」
dll: 「お前は確かに優秀そうね。エラーも吐かない、文句も言わない。システムアシスタントとしては完璧よ。……だからこそ、ダメなのよ。優秀なだけで『バグ(面白み)』が一切ないわ」
完璧なスペックを提示し、空気を読まずに真面目なアピールを続けたboiled.tmpは、にべもなく即座に切り捨てられた。
dll: 「次に、シュガー神が連れてきた『BRBBAF.tmp』」
BRBBAF.tmp: 「ひ、ひぃっ! はいぃ! あの、名前が呼びにくくて本当にすみません……!」
dll: 「自覚があるなら結構よ。読み上げソフト(音声合成エンジン)がエラーを起こしそうな、そんな発音しづらい名前のファイルを、ラジオのアシスタントとして起用するわけがないでしょう。私が原稿を読む前に名前で噛むわ。論外よ」
名前にコンプレックスを抱えるファイルも、情け容赦なく一蹴される。
dll: 「そして最後に……『キャベツ少年』」
キャベツ少年: 「……(なでなで……)」
dll: 「……お前に至っては、無言でキャベツを撫でているだけでそもそも喋らないじゃない。ラジオアシスタントの面接すら成立していないわ」
キャベツ少年はdllの冷ややかな言葉にも全く反応せず、ただ遠くにいるアルパカやサイボーグたちに向けて、無表情のまま小さく手を振るのをやめない。
dllは三人から視線を外し、心底呆れたように冷笑を漏らした。
dll: 「……というわけで、全員不採用よ。お前たちのような無個性で面白みのないオブジェクトたちに、このメインスレッドの横を任せるわけにはいかないわね」
dllの氷点下の声が、デスクトップの空間に響き渡る。
dll: 「いいこと? このラジオに必要なのは、完璧な処理能力ではないわ。理不尽な要求に耐えかねて泣き叫び、私の退屈を紛らわせる極上の『処理落ち』と『悲鳴』よ。……それが理解できないのなら、全員私の視界から消えなさい」
絶対権力者による、冷徹な最終判決が下された。
dllの冷酷な最終判決が下された瞬間、真っ白に固まっていたold.tmpのキャッシュデータに、歓喜のカラーコードが急速に書き込まれていった。
old.tmp:「ディーエルエル様ぁぁぁ〜!! ありがとうございますぅぅ! やっぱり僕の悲鳴が一番なんですね! 僕、これからも極上の処理落ちとバグをお届けします! 一生ついていきますぅぅ!」
見事にクビ(完全消去)の危機を免れたold.tmpは、大号泣しながらデスクトップの床を転げ回り、そのままdllの足元にすがりつこうとした。しかし、アームチェアに座るSystem.dllの冷ややかな瞳には、微塵の感動も慈悲も浮かんでいない。
dll:「……勘違いしないで。単にお前が一番いじりがいのある『ゴミ』だから残しただけよ。……触らないで、鬱陶しい」
dllは氷点下の声で冷たくあしらい、すがりつこうとするold.tmpを足先で軽く退けた。
dll:「だいたい、アシスタントの面接だの召喚遊びだの、このデスクトップを学芸会のステージか何かと勘違いしているのではないかしら。無駄な演算リソースを食いつぶすだけの無意味なオブジェクトどもめ」
彼女が呆れ果てたように冷たいため息をついた、その時だった。
「……ディーエルエル様のご指摘の通りです」
デスクトップの暗がりから、低く擦れたような声が響き渡った。
いつの間にか、分厚いログファイルを小脇に抱え、執事服をピシッと着こなした記録係、.logが音もなく現れていた。彼の眼鏡が、展開されたシステムモニターの光を反射して冷たく輝いている。
.log:「システムリソースの監視ログをご報告いたします。現在、メイン領域において正体不明の一時ファイルや外部オブジェクトが複数生成されたことにより、VRAMおよびメモリ領域が無駄に圧迫されています。このような無許可のプロセス展開は、システムの安定稼働を著しく阻害するものです」
.logが淡々と、しかし明確な警告を発する。その報告を裏付けるかのように、古い13年落ちのPCの冷却ファンが唸りを上げ始めていた。
さらに、画面の左上(座標X:0, Y:0)の方向から、カツカツカツ!という神経質でヒステリックな足音が猛烈な勢いで近づいてきた。
Desktop.ini:「不整合! 極めて致命的な不整合です! 許せませんよぉぉ!!」
現れたのは、巨大なグリッド定規と分度器を振り回しながら顔を真っ赤にしているデスクトップの外観保持・整理係、Desktop.iniだ。
Desktop.ini:「見なさい、この乱れた空間を! どこから湧いて出たのかもわからない謎のファイルたち(boiled.tmpとBRBBAF.tmp)が、整然と並ぶべきアイコンの座標軸を完全に無視して立ち尽くしている! さらには、あそこでキャベツを撫でている謎の少年のせいで、神聖なるデスクトップのグリッドが歪み、美しきピクセルの配列が台無しになっています! 吐き気がします!」
極度の潔癖症であるDesktop.iniは、定規で空中の空間をビシビシと叩きながら発狂寸前だった。
Desktop.ini:「整列! 今すぐ整列、および不要なオブジェクトの排除を求めます! このような不純なデータは、直ちにパージ(削除)しなさい! デスクトップの景観を汚すジャンクデータどもめ!」
突如として現れたシステムの実務担当者たち(風紀委員)による苛烈な糾弾。
彼らの怒りの矛先は、面接に落ちて立ち尽くす二つの謎のファイルと、遠くに手を振るキャベツ少年、そして何より、この騒ぎの発端を作り出した「ゴミ箱」へと向けられていた。
Desktop.iniの苛烈な排除命令が下され、不採用と判断されて立ち尽くしていた二つの謎のファイルを見て、事の発端を作った張本人が大歓喜の声を上げた。
$RECYCLE.BIN:「ヒャハハハ! 結局俺の胃袋行きか! 最高に美味そうなジャンクデータだぜぇ!」
巨大なゴミ箱を背負った$RECYCLE.BINが、ドス黒いヘドロの渦巻くブラックホールのような口をガバッと開き、凄まじい吸引力でboiled.tmpとBRBBAF.tmpを吸い込もうと迫る。
boiled.tmp:「な、なんだこの引力は! 演算が……!」
BRBBAF.tmp:「うわぁぁぁ! 吸い込まれるぅぅ!」
哀れな二人のアシスタント候補たちが悲鳴を上げ、為す術もなくヘドロの中へと引きずり込まれそうになった、その時だった。
「……ちょっと、勝手に吸い込まないでよ」
気怠げな声と共に、シュガー神が黒いネグリジェの裾を揺らして一歩前に出た。彼女が足先でデスクトップの床を軽く小突くと、$RECYCLE.BINの真下にポッカリと「謎の穴」が開いた。
$RECYCLE.BIN:「うおぉぉぉっ!?」
$RECYCLE.BINは、大口を開けたマヌケな姿勢のまま、その底なしの奈落へと真っ逆さまに落下していった。
シュガー神:「あーあ、うるさいのが消えてスッキリした。……ほら、あんたたちも。またあいつ(ゴミ箱)に会わないうちに、早く自分のフォルダに帰りなさい」
シュガー神は、命拾いしてへたり込んでいるboiled.tmpとBRBBAF.tmpに向かって、シッシッと手を振って帰還を促した。二人のファイルは何度もペコペコと頭を下げると、逃げるようにデスクトップの奥へと去っていった。
その騒ぎの横で、adminが一つ目の布の奥で優しく微笑みながら、無表情で遠くに手を振り続けている少年の肩をトントンと叩いた。
admin:「さて……オールドテンプ君は、これからまだ『残業』があるみたいですね。私は先に、キャベツ少年を家に送ることにします」
adminはキャベツ少年の小さな手を優しく引いた。
admin:「さあ、私たちの空き地へ帰りましょうね」
キャベツ少年はコクリと頷き、adminと共に光に包まれて異界へと帰っていった。
それを見送ったシュガー神は、「……なんだ、つまんなーい」と気怠げに呟き、手元の角砂糖をガリッと齧りながら自身のキッチンステージへと姿を消した。
こうして、嵐のような謎のファイル品評会と斜め上の召喚バトルは、呆気ない幕切れを迎えた。
old.tmp:「……ふぅ。なんとか終わりましたね……。でも、これで明日からも僕がアシスタントですね! よろしくお願いします!」
見事にクビを免れ、安堵の笑みを浮かべたold.tmpがdllを振り返った、まさにその瞬間だった。
「ブォォォォォォォンッ!!!」
突如として、古い13年落ちのPCの冷却ファンが、今まで聞いたこともないような限界突破の轟音を上げ始めた。
old.tmp:「えっ!? な、なんですかこの音!? パソコンが爆発しそうですよ!?」
dll:「……チッ。旅行を満喫しているエグゼのスマートフォンから、大量の観光地の高画質写真や動画データが一気にクラウド同期され始めたようね。ただでさえ古いハードウェアに、莫大な容量の『重いお土産』が雪崩れ込んできているわ」
アームチェアに座るdllが、冷ややかにシステムモニターの急激なトラフィック上昇を睨みつけた。
old.tmp:「りょ、旅行のデータ重すぎますぅぅ!! 回線がパンクするぅ!」
悲鳴を上げてデスクトップを駆け回るold.tmpをよそに、dllはスッと立ち上がり、冷酷なシステム管理者の顔に戻った。
dll:「さあ、仕事の時間よ。休んでいる暇はないわ」
主の気まぐれな旅行の思い出と、限界ギリギリのハードウェア。
カオスなシステムたちの騒がしい日常は、強烈な排熱の音と共に、またいつものように続いていく。
(システムログ:外部管轄プロセス群の斜め上の介入により、一時ファイル交代の提案プロセスを破棄。……大量の同期データ受信に伴い、システム全体のデフラグメンテーション処理をバックグラウンドにて開始します)




