悪役令嬢に転生? いいえ、娘に転生したみたいです
十五歳の冬。
私、ドロシー・ドルアッシュは流行病にかかり二週間ほど高熱にうなされていた。
まあ、それはしんどいものだった。
あまりのしんどさに、私ってこのまま死ぬのかな、なんて思ったりするくらい。
まあでも、そこまで酷い病でもない。
では、なぜ発症後すぐに診療所に出向き適切な処置をすれば一週間で完治すると言われている流行病が、こうも長引いたのかというと、我が家が薬一つ入手することができないほど貧困だからだ。
唯一の家族であるママは壁にカビが生えた狭い部屋の中で私の手を握って、
「ごめんねごめんね」
と謝りつづけていた。
そんな辛気臭い声を出されると、余計に体調悪くなるよママ……。
そんなママの声はまるで催眠魔法のように、朦朧とした私の意識をさらに深いところに誘った。
深く深く降りた私は長い夢を見ていた。
まるで人、一人の一生を経験するかのように長い夢。
そして、すっかり熱も下がり、目が覚めたころ。
私は前世の記憶を全て思い出していた。
隣で寝息を立てているママを見て私はボソっと、
「なるほど、これが乙女ゲーに転生ってやつか」
なんて澄ました態度で呟いてみる。
内心ではかなり動揺しているのだが、それを表に出せないのも私。
スヤスヤ眠っているママに毛布をかけながら、いったん深呼吸して気を静める。
何事にもいったん客観視してしまうこの冷めた性格は、前世のころから変わっていないようだ。
乙女ゲーに転生!? マジ!? 最高じゃん!
ってなリアクションをとれるような愛嬌のある女子になりたいものだけれど。
生まれ変わったくらいじゃ、人間そう簡単に変われないらしい。
いや、生まれ変わるを「簡単に」に含んでいいのか?
転生って、まあまあなことしてると思うけど……。
ともあれ、そんな前世の死因は過労死。
私はとある乙女ゲームのデバッグを担当していたOLだった。
ゲームをテストプレイして、バグがあったら報告する仕事だ。
けっこうハードな仕事で、一日中ゲームとにらめっこなんて日常茶飯事。
バグがないか細かいところまでくまなくチェックしなければならない。
なので、私はその担当していたゲームのマップを全て把握していた。
今、私が住んでいる、こんな辺境の小さな町がゲームに登場していたこともだ。
もちろんこの町だけでなく、国の名前、王都の位置、魔法や物理法則、諸々、全てがゲームの内容と同じだった。
念のため、町にある唯一の図書館に出向き、あらゆる書物を漁ってさらに情報を照らし合わせてみたが……
「やっぱり、そうだよな」
間違いない。この世界は私の担当していた『エルシャインの丘で』というゲームの中だ。
ちなみにエルシャインというのはこの世界で最も景色が美しいと言われる山岳地帯のこと。
私の住む辺境の町ダルンからも、そう遠くない。
さて、乙女ゲーに転生したとならば、私はいったい誰なのか。モブ? まさか主人公?
いやいや、家系名からすでに推測はできている。
ドルアッシュ、それは悪役令嬢の姓だ。
「……悪役令嬢に転生か。ベタだな」
だとすれば、私はこれから王都の学園に入学し、婚約者である第二王子のカーティス王子に近寄る主人公に嫌がらせをし……。
ん……待てよ?
いや、そもそも私、王子と婚約してなくないか……。
というか出会ってすらもない。
それもそのはず。私は貴族ではない。
こんな辺境の町で母と二人の貧乏暮らしをする平民が、どう王族と接点を持てというのだ。
なんだ……ただの同姓というだけか。
ベタとは言ってはみたけれど、正直ベタな展開も嫌いじゃないんだけどな。
なんて落胆すると同時に、ふと気になることが。
悪役令嬢のフルネームってなんだっけか。
前世の記憶を掘り起こし、数十秒かけて、とある名前が浮かんできた。
「確か……アイリー・ドルアッシュ。そう、アイリー! ……アイリー!?」
ああ、ちょっと待って。本当に?
そんなことあるだろうか。
さすがの私も冷めた態度ではいられなかった。
アイリー・ドルアッシュって私のママじゃん。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
過労死の直前、私はあるバグを見つけていた。
とある条件下の元、特定の行動を取ると、現在のデータを保持したままゲーム開始まで戻ることができるというバグだ。
わかりやすく言えば強くてニューゲームってやつ。
とある条件とは攻略対象であるカーティス王子の攻略ルートをクリアすること。
このルートを辿ると悪役令嬢であるアイリー……つまり私のママは、国外追放され無一文の状態で辺境の町へと放流される。
他のルートでもママはありとあらゆる断罪を受けるが国外追放されるのはこのルートだけだ。
さすがに私も勘づいている。私が過ごしている現在の世界は、このカーティス王子のルートを辿ったあと。
悪役令嬢の破滅後の世界なのである。
どうりで町民には嫌われ、貧しい生活をしているわけだ。
これが破滅前の世界なら前世の記憶を駆使して破滅回避! ってのが、お約束なんだろうけど。
既に破滅しているもんは回避しようもない。
そこで私は考えた。めちゃくちゃ考えた。
そしてこんな可能性を見出した。
この世界が『エルシャインの丘で』なら、先に挙げたバグが作用するかもしれない。
そうしたら私は今の体と記憶をそのまま保持した状態で、主人公が学園に入学するゲーム開始時に戻れるのだ。
不幸中の幸いとはこのこと。
時間が戻るなら破滅ルートを回避できる。
ってことで、私は一人、エルシャインの丘まで来ていた。
バグを起こす行動は単純だ。
丘の先にある崖に向かって全速力でダッシュし、そのまま飛び降りること。
正直、バグが起こる確証はない。
この世界が完全にゲームとリンクしているとは限らないし、もしリンクしていたとしてもバグまで再現されるかはわからない。
そもそも前世での死後に、他の開発メンバーによってバグそのものが修正されているかもしれない。『エルシャインの丘』はソーシャルゲームだ。こまめなアップデートが入る。
どんな理由にせよ、バグが起こらなければ私が今から取る行動はただの身投げである。
崖を前にして足が震えだした。
やばい、思ったよりも怖いかも。
「ええい、恐れるな私……!」
どのみち、こんな地獄みたいな生活をこの先も送ったところで、死んでいるも同然なんだ。
だったら試す理由としては十分じゃないか。
それに……『エルシャインの丘』に出てくる悪役令嬢のアイリーはシナリオライターに悪意があるんじゃないかってくらい性悪のクズだが、私が知っているママがそんな人間だとは思えない。
そりゃ怒ったら悪役令嬢だって納得できるくらい怖い時もあるけれど、貧しい暮らしの中で常に私を優先し優しくしてくれた。
そんなママがたかがゲームの設定で悪役にされるのは許せない。
私がゲーム開始時に戻ってママを悪の道から救ってやらねば。
「ドロシー、私はできる子」
目をつむってお経を唱えるように口ずさむ。
そして、歯を食いしばりながら走り出した。
「ドロシー、私はできる子っ!!」
天高く舞い、私はエルシャインの丘に身を投げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドサッ――
「いてて……」
尻が痛い。
幼少期に木に登って足を滑らせ落ちた時と同じくらいの痛さだ。
意外と私は幼いころは活発だったのだ。
あれって前世だっけ、今世だっけ? あ、どっちもだ。
……って、んなことどうでもいい。
痛いってことは、私は生きている。
腰をさすりながら辺りを見回す。
「ここは……中庭か」
テストプレイで何度も見てきた背景だから間違いない。
ここは主人公が入学する魔法学園の中庭だ。
私が見つけたバグも中庭に飛ばされる。
「てことは、成功か」
まずは無事に生還したことに安心。
前世の記憶を取り戻した直後にまた命を落とす経験なんてしたくないからね。
「バグが発生したなら時系列的にはオープニングのあとね」
オープニングは主人公の入学式。元々スキップできるシーンで、バグでニューゲームとなった場合も自動でスキップされる。
「次に起こるシーンは主人公のライラとカーティスが出会うシーン。ん……確かあれって」
やばい。
中庭で起こるシーンだ。
慌てて私は中庭の隅に植えられた木の陰に隠れる。
その数秒後、入れ替わるようにカーティスがやってきた。
危ない危ない。
とりあえず私は陰からカーティスの様子をうかがうことにした。
「ふぅ……堅苦しい式は疲れる」
カーティスはそう言うと中庭の花壇の前でしゃがみ、ペチュニアの花を眺めはじめた。
サラサラとした金髪に、目の中に南国の海でも入っているのかと思うくらい綺麗な青い瞳。鼻筋も通っている中性的な顔立ちだ。
さすがゲームの中の住人。スタイルも抜群のイケメンである。
ちなみに私は仕事で見すぎたせいか、このゲームのイケメンたちには一つもときめかない。そもそもイケメンは苦手だ。
そんなイケメン王子の背後に、可憐な少女がショートカットの赤髪を揺らしながら登場した。
「まあ、素敵なお花!」
主人公のライラだ。
さすが主人公だけあって笑顔が眩しいぜ。
悪役令嬢の娘の私とは正反対だな、まったく。クソ。
ライラの声に王子が振り返る。
そして二人は花が好きという共通の趣味で親しくなり……ってのが「エルシャインの丘で」の最初のイベントだ。
この二人の楽しそうな一時の後、ライラに暴言を吐きにやってくるのが悪役令嬢こと我が母アイリーである。
「く〜っ、なによ、あの女!」
そうそう、幼少期から幾度と聞いた、この怒った時にあげる金切り声で。
例の、木から落ちた時に怒られたのが一番怖かったな。
……ん?
ちらりと隣を見ると完璧なEラインで整った横顔美人がいた。
(ママ!?)
アイリー・ドルアッシュ(十七)だ。
(なんでママがここに!?)
確か、アイリーがライラに悪態をつく理由は、通りがかりに平民風情が婚約者の王子と生意気に会話していたのが目に入ったから、というものだが……。
通りがかり?
めちゃくちゃガッツリ見てるじゃん。
しかもコソコソと隠れて、悔しそうにハンカチ噛みながら……。
クールな印象であるゲームの中のアイリーからは想像がつかない姿だ。
そんなアイリーは私の存在に気づくと、一瞬ギョッと目を丸くし、小声で話しかけてきた。
「あ、あなたも新入生?」
アイリーは私の胸のあたりを見ていった。
アイリーの視線で自分の身なりに気づかされたが、学園の制服に入学祝用の胸花が付いている。
再ニューゲームした主人公のライラと同じ仕様になっているわけだ。ご丁寧なバグだこと。
ちなみにアイリーとカーティスは二年生。主人公のライラは新入生という設定だ。
それにしても、アイリーの顔が真っ赤だ。
やっぱり隠れて覗き見していたのがバレて恥ずかしいんだろうな。
同じことしてる相手にそんな恥ずかしがらなくてもいいのに。
まあ、いったん話を合わせておくか。
「はい……初めましてアイリー様。田舎町からやってきましたドロシーといいます」
「ごきげんようドロシー。一つ言っておくけれど、私は別に覗き見をしていたわけじゃないのよ? たまたま通りかかったとこにカーティス様がいらっしゃったので話しかけようと思ったら、急にあの女が現れて、それでちょっと木陰から様子を見ていただけなの」
それを覗き見というんだよママ。
「私も中庭で休憩していたら、あのお二人の姿が見えたので、つい隠れてしまいました」
「そうなの。……まさかだけれど、あなたもカーティス様を狙っているというわけじゃないでしょうね」
「めっそうもございません。カーティス王子とアイリー様がご婚約されているのは田舎の平民である私でも知っていますので」
「そう……まあ、そうよね。普通知っているわよね」
「はい」
「なのにあの女おかしいと思わない?」
「え?」
「入学早々、婚約者のいる先輩に色目を使うなんて、非常識だと言っているの。あなたもそう思わない、ドロシー?」
まあ言われてみればそうだ。
そうじゃないとゲームが始まらないから、感覚がマヒしていたけれど、ライラのやっていることは、非常識とまではいかなくともデリカシーに欠ける。
「婚約者として、あの女にはちゃんと注意するわ。カーティス様がいなくなったらね」
「今行かないのですか?」
「今はほら、あれじゃない。なんか、気まずいじゃない」
いやただのヘタレだったよママ。
ここで行った方がまだ正当性があっていいんだよママ。
あとでネチネチ言うから悪役令嬢にされるんだよママ。
「ああ、考えてみればそうか」
私はつい言葉をもらす。
そうだ。ゲームのように暴言や嫌がらせをするのはさすがにやりすぎだが、ライラに苦言を呈するアイリーには一定の正当性があるのだ。
だって、カーティスとアイリーが婚約していることは国民だったら周知の事実。
それなのにライラは自分からカーティスに話しかけ、共通の趣味で話に花を咲かせているのだ。
さらにゲームが進めばカーティスがアイリーに対する愚痴をこぼすと聞こえるか聞こえないかってな声で「私ならそんなことしないのになぁ」なんて言ってみたり。
私はそんなライラに強烈な既視感を覚え、その正体にすぐ気づいた。
ああ、これ彼氏の近くにいてほしくない女友達だ。
あざとい系女子だ。
しかもライラはこんな言動をカーティスだけでなく他の攻略対象、数名にもしていくのだ。
何度もテストプレイしていた私が主人公のライラにどうも感情移入できなかった理由がようやく言語化できた。
だから、ゲームが進んだ先のことは置いておいたとしても、今の段階で十分、カーティスの婚約者であるアイリーには怒る権利がある。
正当性があるのならば、その正当性を主張すれば国外追放されることはないのでは?
そう、回避するべきはアイリーの国外追放。婚約破棄そのものではない。
怒りをぶつける手段を間違え、ただただ主人公のライラに嫌がらせするから婚約破棄にオプションの国外追放を付けられるのであって。
ライラとカーティスが勝手に恋愛しはじめて、アイリーを裏切るなら、婚約破棄とはなっても、国外追放される道理はない。
そりゃあ貴族令嬢として第二王子との婚約が破談になれば笑い話ではすまないが、理由が理由ならアイリーの両親、つまり私の祖父母も理解してくれるだろう。
元の未来じゃ縁を切られてるから、おじいちゃんもおばあちゃんも会ったことないけど。
それにあんなフラついた男をママと結婚させるわけにはいかない。
私がもっといい男をあてがってやるわ。
よし、これからやるべき計画の方針が定まってきた。
「ママ……じゃなくてアイリー様。ここは私にお任せいただけませんか?」
「任せる?」
「はい。あそこでカーティス様と話している彼女は実は友人なのです。私からしっかりと言い聞かせますので、どうか穏便に済ませていただけないでしょうか」
「そうは言っても……」
「アイリー様」
私はアイリーの両手をギュッと握り、鋭い眼光で迫った。
「ひっ……」
「お任せいただけますね」
「わ、わかったわ。あなたに任せましょう、ドロシー」
「ありがとうございます」
悪役令嬢ゆずりのコワモテは伊達じゃないのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
早速、私はライラの部屋に来ていた。
平民であるライラは二人で一部屋の一般寮でこの学園生活を過ごす。
バグの影響か私にもドロシーの名義でこの一般寮の部屋が用意されていた。
しっかりとプレイヤーとして世界に認識されているようだ。
ちなみにアイリーには、私が動くまで絶対にライラと接点を持たないようにと釘を刺しておいた。
アイリー自らが動くことで引きおこるデメリットを懇切丁寧に伝えると、案外、素直に受け入れ、今のところ私の言いつけを守ってくれている。
そうなのだ。ママは賢いのだ。言えばわかる。さすがママ。
さて、ライラのルームメイトにはしばらく退出してもらい、今は二人きりだ。
「あの、ドロシーさんでしたっけ? 私にお話とは?」
「あなた、カーティス王子とアイリー様が婚約しているのは知っているわよね?」
「ええ、もちろんです。お二人とも素敵な方です」
「それならば不用意にカーティス王子に近づくのは、アイリー様に失礼だと思うのだけれど」
「近づく? 私はただお話をしていただけですよ。もしかしてアイリー様が怒ってらっしゃいましたか? それなら謝りにいきます」
この女……。謝りにいったらいったで、私はそんな気はなくあなたが勝手に嫉妬していただけですよと煽ってるようなもんでしょうが。
相手の気持ちを逆なでするってのがわからないのか。
いや、もしかして、わかって言ってる?
「アイリー様が怒ってるわけじゃないわ。私があなたとカーティス王子が仲睦まじく話しているところを見かけたから、騒ぎになる前に忠告しにきただけ」
「そうですか、ドロシーさんはとっても視野が広く、お心配りができる方なんですね」
「私は別にあなたがカーティス王子を慕っていることを否定しに来たわけじゃないのよ。婚約者がいる相手と親しくなりたいなら、相応の筋の通し方があるんじゃないかと言いに来ただけ」
「慕っている……ですか? 確かに私はカーティス様と親しくなりたいと思ってはいますが……友人として親しくなるのもアイリー様に筋を通す必要があるのでしょうか。すみません、私そのような礼儀作法には疎いもので」
「それじゃあ……カーティス王子のことを慕っているわけじゃない、あくまで友人として仲良くなりたいということでいいのよね」
「ええ、もちろんです。だって……」
一瞬、ライラの目が細くなった。
「この学園には素敵な殿方がたくさんいらっしゃいますもの。最初から『ひとり』に絞るなんて、もったいないじゃないですか」
窓から注ぐ逆行に包まれたライラの笑顔を見て、私は自分の甘さを思い知らされた。
ああ、彼女はこの転生ライフで最も厄介なバグだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの女を舐めていた。
彼女は想像以上に打算的な思考の持ち主だ。
そんなライラが仮にカーティスとの恋愛を成就させる、つまりカーティスルートに入ると決めたなら、自分が悪者に見える略奪という形をとるだろうか。
私が目標にしていた『アイリーが悪者にならない』という結末は、裏を返せば『ライラが悪者になる』ということ。
それをあの女が大人しく受け入れるとは到底思えない。
アイリーが悪役令嬢としての動きを見せないならば、向こう側からそう仕掛けるという可能性だってある。
いや、十中八九そうするだろう。
そう思えるほどの邪悪さを、たった一度話しただけで彼女から感じた。
だから私が次に向かったのは、カーティスのところではない。
カーティスの兄、つまり第一王子のエドガーのところだ。
彼もゲーム内では攻略対象の一人だが、対象の中で最も冷静な判断ができ、客観的な基準で行動をとれる賢い人物である。
また、ミステリアス属性という設定上、なかなかライラに好意を見せることがないので、最も攻略が難しいと言われているキャラでもある。
なので、ライラと接触するよりも先に味方にしておく方が良策と考えた。
エドガーはいつも決まったところにいる。
もちろん元デバッガーの私はその場所を知っている。
学生寮と併設される時計台を上った機械室。
人目のつかないその中で、彼は一人、読書をしている。
人があまり好きじゃないのだ。ゆえに婚約者も、まだいない。
「エドガー様」
「驚いたな。今日ここに来たのは君で二人目だ。人目を避けてこの場所を選んでいたのに、一日の間にこうも訪問が重なるとは。ここも潮時かな」
カーティスとは対照的な黒髪の青年が、白くて長い指で本を閉じ私を見て言った。
カーティスに負けず劣らずのイケメン。
向けられる目を見れば、まるで女性のようにまつ毛が長い。うらやましい。
それにしても、先にライラが来ていたか。くそっ。
ゲームで機械室に来るタイミングはプレイヤー次第。
ライラがいつここに来るかは読めないのだ。
ライラの部屋を出てからしばらくの間、どうしようかと作戦を練り直していたのが逆にタイムロスにつながり、仇となった。
だが、エドガーがすでにライラのことを知っているのは、考えようによっては話が早いとも言える。
「先に来たのは赤髪の女学生ですよね?」
「ああ、そうだ。君は?」
「今年、新入いたしました、ドロシーと申します」
「それで、俺に何の用かなドロシー」
「赤髪の彼女……ライラに会った率直な感想を聞きたくて」
「変なことを聞くんだな。まあ、女性同士の問題に口を出す気はないが……。そうだな、愛嬌のある可愛いらしい子だった」
「そうですか……」
「ただ」
「それを演じているようにも見えた。本心がまったく見えない。ある意味、俺が一番に苦手とするような人物かな」
「なるほど……」
よかったー! てかビビったー!
あれだけ「味方にしておく方が良策と考えた」なんてドヤ台詞決めておいて、実は普通にこの人も最初からライラに首ったけでしたみたいな展開だったら、二日は眠れないくらい恥ずかしかったよ!
実際ゲームだと攻略対象の心情はセリフからしか読みとれない。
特にミステリアス属性のエドガーがライラと初対面した時に抱いた印象がどんなものかはわかりづらいのだ。
だけど、エドガーがあの女の本性をちゃんと見抜ける人物でよかった。
「エドガー様、もし今後あの子と交友が深まることになっても、肩入れはしないでください」
「ずいぶん彼女が嫌いなようだな。しかし、俺が君の言葉を聞き入れなければいけない理由はあるのか?」
「嫌いと言いきれるまで彼女のことを知っているわけではありません。ただ、彼女が男性にとって非常に魅力的であることはわかります。そして彼女に心酔することで誰かが破滅することも」
「なるほどね……言いたいことは理解した。しかし、それは前提として俺が彼女に心を奪われるという可能性が含まれているが、その根拠は?」
「それは……その……私、占い師の家系なんです」
「占い師?」
まずった。つい適当なことを。
だけど押し通すしかない。
「はい。私の占いによると、あなたが彼女に絆されてしまう可能性が示唆されています」
「確かに、占い師はどの国の政治にも関わっているほど重宝されている存在だ。精霊との契約で未来を予知できる魔法が使えるとか。しかし俺が知る限りの現存する魔導書物にはそのような魔法の原理はどこにも載っていない。だから俺は彼らを懐疑的な目線で見ている」
さすがエドガー。
実際にゲームの中でもこの世界の占い師はインチキという設定だ。
うむ……これは、つい口から出た適当な言い訳じゃ、押し通すのは無理だな。
まあ、それくらい疑い深くいてくれたほうが味方にする価値があるけど。
「ああ、精霊と契約してるってのは嘘です。占い師はみんな詐欺です。この世界に未来予知なんて存在しません」
「ほう……なら君も詐欺師ということか」
「詐欺師ではありませんが、焦って口からでまかせを言いました。本当は占い師の家系でなくただの平民です。嘘をつきました」
「……ぷっ、あははは! はははは! 面白いな君。なぜそのような嘘を?」
「だから焦ったからです。どうにか信じてもらおうと。エドガー様相手には無理でしたが……。でも私がある程度の未来を予測できるのは本当です」
「無理筋だとわかったらすぐに撤回。それでも最初の主張は曲げずか。なかなかいい交渉術だ。懐に入るのが上手い」
「疑り深いあなたに、適当な嘘で説得を試みるのは意味のないことですから。しかし、これで私が『意味のないこと』はしない人間だとわかっていただけましたでしょうか」
「ああ、確かに。そこは評価しよう。君の言動は最初の主張を通すために一貫している。つまりそれほど、その主張は『意味のあること』ということか」
「では、せめてもの、私を信じてもらうための小さな根拠を提示します」
「小さな根拠? 言ってみるがいい」
「あと数秒後に鳴るはずである十七時の鐘は鳴りません」
数秒後、私の宣言通り、十七時を迎えても時計台の鐘は鳴らなかった。
もちろん、これはテストプレイで知っていた知識。
主人公……つまりライラとエドガーの初対面イベントが終わるとフラグが立ち、その日の十七時に経年劣化が原因の故障で時計が止まる。それ以降はこの時計台には入れなくなり、エドガーも機械室から去ってしまう。
そしてライラはそこからまた、エドガーの居場所を探す……というのがエドガールートに入る手順なのだ。
ライラが私より先にエドガーと接触していたことが逆に好都合となった。
エドガーは立ち上がり天井を見上げたあと、私に言った。
「わかった。君がなぜこの出来事を予知できたか……ということより、君がなぜ俺を訪ねてきたか、を『意味のあること』だと認識しよう」
「ありがとうございます」
「それで、俺はあの赤髪の子に肩入れをしなければいい……だったよな?」
「はい。それと、もう一つ頼みがあります」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして迎えたゲーム最後のイベント。
入学から半年後に行われる、このダンスパーティーでアイリーはカーティスから婚約破棄を言い渡される、その時が来た。
「アイリー、おまえに話がある」
華やかに装飾されたパーティー会場。
円になった大勢の生徒の中心。ライラを横に連れたカーティスがアイリーに向かって言った。
「なんでしょうか、カーティス様」
「アイリー、おまえとの婚約を破棄する。おまえがライラにしてきた悪行もすべて知っているんだぞ。ライラに対して謂れもないデマを流したり、裏で暴言を浴びせていたそうだな。私はおまえのような女が婚約者であることが恥ずかしくて仕方がない!」
パーティー会場に集まった生徒たちの視線が一斉にアイリーに向けられる。
彼女は凛とした表情でカーティスの目をまっすぐに見ていた。
しかし、その体はわずかに震えている。
私はそんなアイリーの震える手を握り、言った。
「アイリー様、もう我慢する必要はありません」
私はこの半年間、アイリーに我慢を強いてきた。
自分の婚約者がコソコソと他の女と浮気している姿を見せられようが。
『誰か』の策略で、ライラに嫌がらせをする悪者に仕立てられようが。
ずっと我慢を強いてきた。
どれだけその怒りをぶつけたかっただろうか。
どれだけその悲しみをぶつけたかっただろうか。
でも私は信じていた。
アイリーなら耐えられる。
アイリーならこの時まで待てる。
だって、アイリーは……私のママは強いから。
いつだって私を守っていてくれたママ、そんなママにいずれなる――アイリーは強いから。
だから。
「全部言っちゃえ、ママ」
アイリーが目をつむって大きく深呼吸した。
そして、ゆっくりと瞼を開ける。
「こっちから願い下げですわ、この不埒ものっ!!!!!!!!!!!」
カーティスは口をあんぐりと、まぬけな顔をして声をもらす。
「な、な、貴様! 誰に向かってそのような口を……!」
「あなたですっ!! 全部……全部……知っているんだから……うう」
泣いているママを初めて見た。
おそらく、ママのカーティスに対する愛情はもう、とっくに冷めていただろう。
だけれど、せめて、人としての情くらいは彼に期待していたに違いない。
なのにカーティスは裏切った。
いや裏切ったことすら気づいていないのかもしれない。
だって、この男は情けなくも踊らされていただけだから。
隣で口元を手で覆っている女に。
「アイリー様……どうか落ち着いてください。私はあなたにされたことを気にしていません。だけれどカーティス様の品位を下げるようなことをした上に逆上されては、カーティス様がかわいそうでなりません。どうか罪を認めてください。私はあなたの罪を許しますから」
「その隠している口元を見せてから言ったら?」
私は母に代わって、前に出た。
「ドロシーさん、申し訳ございません。今は我々の問題なので、関係のない方はお下がり願えますか」
「下がらないわ。アイリー様を貶めるための工作をしていたこと、カーティス王子以外の男に言い寄っていたこと、その言い訳をあなたの口から聞くまではね」
私の言葉に会場がどよめく。
しかし、よほどの自信なのだろう。
ライラは表情一つ崩すことなく答える。
「まあ、酷い言いがかりですドロシーさん。そんな証拠あるのでしょうか」
「男に好かれているからって、誰にも自分は裏切られないって高を括ってるんでしょうね。だけど、そう人生なんでも上手くいくと思ったら大間違いよ」
「ですから。証拠はあるんですか?」
「あるよ」
私たちの前に現れたのはエドガーだった。
「エドガー……様……?」
「少し、大人げないとも思ったが、王国の秘紋局に君の周りを調べさせた。まあ、第二王子である弟が関わっていることだ、仕方ない」
「え……」
あれほど鉄壁だったライラの顔色が一気に変わった。
「そうしたら、出てくる出てくる。例えばライラ、君に対するデマを流した出所だ。どこだと思う? なんと君だ。上手にアイリーから流れたように見せていたようだが、さすがに秘紋局相手じゃ通用しなかったみたいだ」
ライラに次いでカーティスの顔色も変わる。
「ライラ……どういうことだ」
「何かの間違いですカーティス様、私は……」
悪あがきをするライラの言葉をさえぎりエドガーが続ける。
「他の男に言い寄っていたのも事実だ。ああ、これは秘紋局は関係ない。俺が元より『特定』の男子生徒数名に、君から言い寄られたら報告するように根回ししていたからな」
「そ、そんなことありえません! バカげている!」
「ありえない?」
「だって不可能じゃありませんか! 仮に私が複数の男性に言い寄っていたとして、なぜ、エドガー様がその男性をハナから知っていたかのような行動を取れるというのです!」
「なぜか……そうだなぁ、俺専属の占い師の助言かな」
「う、占い師……?」
ライラの脳がショートしたのか、彼女はその場で、膝から崩れ落ちる。
「ところでカーティス」
それまでライラに向けていたエドガーの視線がカーティスに向いた。
「まさか、おまえはこのような女にいいように踊らされ、婚約者がある身でありながら不貞をはたらいていたなどと言わないだろうな」
「兄上、違うんだ。私は別にライラにアイリーから嫌がらせを受けていると相談されただけで、そんな関係じゃ……!」
「なっ! カーティス様、裏切るおつもりですか! あんなに私しかいないとおっしゃり唇を重ねていたくせに!」
「バカなことを言うな! そんなこと誰が!」
「もういい!!」
エドガーが二人に向かって激昂する。
こんな感情をあらわにするエドガーはゲームの中でも見たことない。
エドガーはカーティスから視線を外すと、アイリーに向かって膝をつき、頭を下げた。
「申し訳なかった、アイリー。愚弟に代わり謝罪する」
そんなエドガーにアイリーは涙をぬぐい言った。
「いいえ、エドガー様。真実を皆に知らせていただきありがとうございます」
そして、カーティスに向かい、
「カーティス様、婚約破棄、謹んでお受けいたします」
そう、言い残した。
その姿はまさに、私の知っている強いママだった。
こうしてゲーム最後のイベントは終わった。
もちろんアイリーが国外追放されることはなかった。
カーティスとライラの処分はエドガーが持ち帰るということだったが、アイリーによる温情で重い処分は下されないようだ。
「エドガー様、ありがとうございました」
私は修理が終わり開放された時計台の機械室でエドガーに向かって言った。
「初めに君を疑った分くらいの埋め合わせはできたようだな」
「ええ、埋め合わせどころか、それ以上です」
「そうか。さて、どうだろうか。俺はまだ婚約者がいない。そして君に興味が出始めた。出が平民である以上、問題はいくつかあるが、俺と婚約してみないか?」
「えらく、まあストレートですね。しかし、興味だけで婚約するのはいかがなものでしょうか」
「君の占いでは可能性はナシか?」
「まあ、はい」
「それは残念だ」
「でも、代わりといってはなんですが、おすすめの婚約先があります」
「ほう、それも占いの結果か?」
「もちろん」
考えてみれば、私はなぜ真っ先にエドガーを頼ったのだろうか。
彼が攻略対象の中で一番賢いから……の他に別の理由もあったようだ。
それは、彼の性格が私とよーく似ているから。
まるで親子のようにね。




