#3 『光に影はつきもの:後編』
木材や石材その他の瓦礫が周囲へと撒き散らされ、同時にカールツァイスも地面を転がる。そのカールツァイスは飛んできた物体を弾き飛ばしたために致命傷こそ負っていないが、触れた瞬間の衝撃だけで骨が何本も持っていかれた。
カメラは瞬時に警戒の体制を取る。……が、その後は何も起きなかった。その物体を投げた者が追撃してくるわけでもなく、物体が自立して破壊活動を継続するわけでもない。残ったのは、赤色の刀身を持つフランベルジュ、フラクティアリヴァHDのみだった。死という概念が持つ、特有の一種の美しさのようなものを纏っている。下手に触れると命を吸い取られてしまいそうだ。
そしてカールツァイスを助け起こすと、カメラはひとつの違和感に気が付いた。アカシアの家が粉砕されたにもかかわらず、あの怒りの声が聞こえないのだ。
サクが、いつの間にか姿を消していた。
付近には生命反応はない。それに、すぐそこには具現化の半ばで停止し、複雑なグリッチを撒き散らす漆黒の鎌が落ちていた。つまり、サクは剣の衝撃を受けようとしたその時、どこかへ飛ばされてしまったのだろう。その原因は、十中八九その剣にあるはずだ。
……意を決してカールツァイスがフラクティアリヴァHDに触れる。すると、そこから赤色のオーラが巻き上がり、周囲を血色のオーロラのように包み込む!
それと同時に激しい頭痛を覚えると、カールツァイスとカメラは意識を失ってしまった。
* * *
カメラは夢を見た。
どこまでも続く奈落の夜空の上、ひとつの浮島に自分は立っている。奈落を見下ろせば美しい星々が輝き、真上を見れば反転した満月が浮かんでいる。月は手を伸ばせばすぐに届きそうにも思えたが、試しても静かに空を切るだけだった。
浮島には青々とした草原が広がり、少しだけ青色の花を咲かす低木がある。とても優美な景色だ。
しかし、どうやらこの景色を堪能するのは難しいらしい。突如、離れた位置に人型の影――アハトゥント・ツヴァンツィヒが出現したのだ!
ツヴァンツィヒは声なき叫びを上げ、人間で見れば腕に当たる部位を大きく振り回す。それだけで周囲の空間は抉り取られ、消滅する! それによって弓で弾かれたように引き寄せられ吹っ飛ぶカメラ。
さらに、周囲にはツヴァンツィヒの一回り小さい別の影もいくつも出現する。それらはただ立ち尽くしているだけだったが、もし指先が触れでもしたらまずいことになるのは明らかだ。
次々と空間は抉られてゆき、カメラはまるでスーパーボールのように周囲を投げ回されてしまう! 浮島が小さいために重力が少ないのもあり、もともと体の軽いカメラはまったく抵抗ができずにいた。
だが、猛攻は突然ツヴァンツィヒが動きを止めたことで停止する。大地に強く投げ出され、衝突の痛みがやってきた。
ツヴァンツィヒはまるで溶けるように消えていったが……しかし、瞬きをするとそこにはもう、その何十倍もの威圧感を持つ影が無数に並んでいた……。
* * *
カールツァイスも夢を見た。
ここは底なしの海だろうか。八方全てが水であるため方向感覚など皆無だったが、かろうじて光の強い方が水面だろうと分かった。
肺の中の空気はそうない。彼女が泳ぎ続けたとすれば、もって三十分。服がずぶぬれで重さを増しているため、泳ぐのも一苦労になりそうだ。
握っていたはずの刀も見当たらず、仕方がないので上に向かって泳ぎ出そうとした、その時。突然、その右足に強い力を感じ、カールツァイスは水底へと一気に引き込まれてしまう!
見るとカールツァイスの右足には、錆びた鋼の重い枷が何重にも括り付けられている。その先には無数の重りがあった。
さらに、それだけではない! 重りを伝い、梯子を這いあがるようにいくつもの影が近づいてきているのだ!
思い切りカールツァイスは右腕を振り、手刀のようにして衝撃波を飛ばすことで足枷を斬り飛ばす。僅かな時間だけ体が軽くなったかと思うと、すぐさまより多くの枷が出現する。
そう、まるで、いくら足掻いても藻掻いても、真綿で首を絞められるような苦しみが振り払えない、孤独の溺死のようだ。むしろ暴れればそれだけ苦しみは増してゆく。
あのフランベルジュは、いったいどれだけの苦しみを蓄積しているのだろう? カールツァイスにも逃れがたいほどの苦痛へと、一瞬にして引きずり込むほどである。
そして、いよいよ這い上がってきた影がカールツァイスの体にも手を伸ばそうとした、その時だった!
体を大きくねじるようにして無数の衝撃波を生み出し、カールツァイスの枷と影はすべて斬り刻まれる! その一瞬の隙を突いてかなりの距離を上昇すると、再び生まれた枷をまた細切れにして上昇。勢いよく水中がかき混ぜられたことによって生まれた気泡を吸い込み、少し息継ぎができた。
どれだけ昇ればいいのか分からないし、これが『苦しみ』のみの再現であるならば、水面などはなから無いのかもしれないが……とりあえず、疲れるまではこれを繰り返すことに決めた。
* * *
カメラはとにかく逃げていた!
アカシアでも、プラスチックでもいいので、とにかく物質が映った写真を焼き切りまくって足場とし、ただひたすらに影から逃げ続ける。
最初はもうパニックになるほどだったが、この極限状態に長く身を置いているうち、もう慣れた。むしろスリリングで楽しいかもしれない、とカメラは考える。
倒しても倒しても、減るどころか増え続ける影たち。封じ込める手段がないのなら、もう逃げるしかないわけである。
カメラの考察でしかないが、おそらくこの影はなんらかの苦痛が擬人化されたモノであろう。どうにかこうにか対処しようにもうまくいかず、ストレスは増すばかり。先ほどのツヴァンツィヒは空間を抉り、消し去っていったが、これももしかすれば何かを表しているのかもしれない。
とにかく、イヤなことはとりあえず逃げるに限るのだ! そう、とにかく走って逃げるべし!
タッタッタッ、とテンポよくさまざまな足場の上をカメラが飛び跳ね、浮島から一直線に離れ続ける! 影たちは足場などガン無視で飛びながら追ってくるが、カメラのほうがスピードは上だ!
しばらく走り、逃亡を続けたところで、ようやく遠くに、もうひとつの明るい光が見えてきた。
* * *
いったいどれだけ藻掻き続けただろう。
カールツァイスは気が遠くなるほどスピンと上昇を繰り返し、久方ぶりの筋肉痛になる予感がした。とはいえ、それを考えるくらいの余裕はあるわけだ。
途中から、斬り刻んだ足枷の破片を使って妙な工芸品を作ったりもしている。カジノにありそうな高級椅子のミニチュアとか、両側で書けるボールペンとか、必要性はあまりなさそうだが、まあ悪くないものである。光の者たちとしてのスピードや手先の器用さをやや無駄に活かしていた。
先ほどから延々と影を倒し続けているが、その倒れるほど増える性質によって、もはや数えるの「か」の字も馬鹿らしくなるほどの数が存在している。
だが、ずっとめげずに動き続けた甲斐はあったようだ!
水面と、その向こうの明るい太陽はいつのまにかすぐそこまで来ていて、カールツァイスはそれに向けて力強く手を伸ばした。
* * *
……ガタガタ、とフラクティアリヴァHDが痙攣するように揺れた。
そして――その真上から、勢いよく巨大なハンマーが降り下ろされる!!
すぐそこで地震が起きたかのような爆音が響き、激しく砂埃が巻き上がった! 埃はすぐに風に吹かれて消えると、そこに立っていたのはサクである!
このフラクティアリヴァHDはとある名高い鍛冶師の失敗作の剣だった。余りにも強い力を持たせ、余りにも多くの命を奪ってしまったがために変質し、次元をも超えてただ命を喰らい続けるだけの自立魔道具と化していたのである。
サクはこのフラクティアリヴァHDの気配を察知した瞬間、その作者を引っ張ってきてこの対処に当たらせよう、と考えたのだが、それは難しかった。
そのため、仕方がなくサク単身でフラクティアリヴァHDを、今ここで鉄くずに変えることにしたのである!
若干だけ刀身が歪んだフラクティアリヴァHDから、先ほどカールツァイスたちが触れた時よりも濃い血色の霧が周囲に立ち込める。そしてそれは徐々に巨大な人型を成し始め――フラクティアリヴァHDの核となる異常存在、『幾星霜の冥日』へと変化した!!
サクはすぐさま鎌を作り直し、幾星霜の冥日と相対する! 今も敵はフラクティアリヴァHDからエネルギーを吸収し続けており、早く鎮圧しなければその中に囚われたカメラたちの命も危うい。
赤い刀身が振るわれ、一瞬にして地平線までの地を大きく裂く。だが、サクの鎌も一振りで空間を歪ませ、蒼黒のひずみが天地を陽炎のように揺るがせた!
まるで神話の再演と注釈を付けてもおかしくないような、到底この世で行われている戦いとは信じられないような光景が広がる! 見る間に大地が創り変えられ、空は激しく日を廻す。どちらかが一度腕を動かすだけで、ここが別の世界へと移り変わってしまったかのようだった!!
そして――その死闘を制したのはサクだった! 最後に振るった鎌の攻撃は幾星霜の冥日をまっすぐ斬り裂き、水蒸気の如く霧散させてしまう!
……後に残ったフラクティアリヴァHDはいつの間にか光を失っており、目を回しているカメラとカールツァイスが吐き出されたのだった。
* * *
それからしばらくして。
サクは再びハウジングをした後、この世界を離れた。目的であるシルマ・ニアイレの気配が、この世界から途絶えたためだ。
カメラはもう少しだけこちらに滞在することにしている。何百枚も使いすぎてしまった写真を補充する必要があり、それも兼ねつつ観光を続けている。
そしてカールツァイスは……少し寝過ぎている。暇すぎるのと、日差しが心地よすぎたのだ。サクは去る前に、二匹の賑やかなオセロットをここに置いていった。
短期間に二つも訪れた災いはとりあえず過ぎてくれた。三度ないことを祈るしかないな、とカールツァイスはため息をつくのだった。
五月二十二日執筆。