#2 『光に影はつきもの:前編』
その世界で最も大きく、最も強い国『クレーヴァルタ公国』。
その国を支配しているのは『武力』である。さらに言うならば、単純な力のみではなく、『速度』が最も重視されている。
いくら賢くても、剣技で敗れれば何の意味も持たない。いくら美しくても、あまりに遅ければだれも見向きすらしない。
そんな国を束ねるのも、当然最も早い者たち。『光の者たち』と称される八人の戦士たちが、その国を長らく統治していた。
しかし、突如事件は起きた。『光の者たち』最速と名高い『「星」斬リ』のエビデントが謎の死を遂げたのである。
それを境に『光の者たち』は分断された――誰が次の最速で、この国の王者となるのかと……。
光をも超える者たちの戦争が、始まろうとしていた。
* * *
『「世」斬リ』カールツァイスは、『光の者たち』内の分断に嫌気がさし、自らその座を降りて僻地へ隠遁した。持ってきたものは刀ひとつだけ。
そんなカールツァイスと偶然に出くわした旅人カメラとサクは、目的の一致から、分断が落ち着くまで同行して協力することを決めた。カールツァイスはいずれやってくるであろう『光の者たち』を撃退するため、サクは現在追っている謎の存在『シルマ・ニアイレ』の居所を掴むためだ! カメラはまあ、友達についていく。
隠れるために向かう地は、人はまったく住んでいないサバンナだ。そこには十分な食料――ほぼ果実だが――も水もあるし、そこにいる魔物もカールツァイスにとっては蟻にも等しい。
屋根はないが、これまでも修行の日々を送っていたカールツァイスである。そこは、特に気にしなくともよいだろう。
* * *
『光の者たち』のひとり、『「空」斬リ』ヴィクセンは逃げたカールツァイスの行方を追っていた。
もとよりヴィクセンは、『光の者たち』の座に就いたにもかかわらず、力をろくに振るわないカールツァイスとそりが合わなかったのである。他の『光の者たち』たちも仲間同士で斬りあっている中、ヴィクセンは今こそがカールツァイスを始末する最高の機会だと判断していた。
既にどのような経路を使い、どこへ逃げるのかをおおよそ把握していたヴィクセンは、すぐさま刀を取った。邪魔をするのであれば、敵の同行者たちにも容赦はしないつもりだ。
静かな夜に、二つの光が動きだす……!
* * *
さすがにまだ追跡してくることはないだろう、と思っていたカールツァイスの予想はすぐに裏切られた。ヴィクセンが前触れもなく襲来したのだ!
すぐさま迎撃を行い、両者が刀を持って睨み合う。いや、ヴィクセンは確かに相手を睨みつけていたが、カールツァイスはどこか相手を小ばかにしたような態度を崩さない。
「同じ『光の者たち』を襲うなんて、さすがはとても速いと評判のヴィクセンじゃないか⸮ 俺のようなのじゃ太刀打ちできないね」
光と称されるだけある、まるで目で捉えきれないスピードの戦いが繰り広げられる。カメラはその様子を写真に収め、フィルムを焼いた。
相変わらずカールツァイスは飄々とした様子で対等に渡り合っていたが、とつぜんヴィクセンの周囲の空間がまるでガラスのように砕け、黒い謎の空間『リバートペイジ』が姿を見せる! これがヴィクセンの力、この世界の裏側とでも言うべき空間を接続し、どこから攻撃するか予想もさせない縦横無尽の戦いを行うのだ! だから『空斬リ』と呼ばれている。
バキバキと、次から次に空間が砕けていく。ヴィクセンはそちらの空間へと潜り込み、四方八方からカールツァイスを斬りつけた。
いかに速度で拮抗していようと、位置が目で追えなくなれば対処のしようが無い。痛みを感じるたびにすぐ回避を行っているが、カールツァイスには次々に傷が増えていく。
このままなす術もなく、ジリ貧でカールツァイスは倒れてしまうのだろうか? そう思われた次の瞬間、これまで戦いを見守っていたカメラが動き出した! 先ほど撮影した写真を焼き切り、『光の者たち』並みのスピードを一時的に獲得したのだ!
カメラは銀色の風となって砂埃を巻き上げながら、ヴィクセンのいる『リバートペイジ』へと飛び込んでいく。取り残されたカールツァイスとサクは静かに顔を見合わせた。
突如として乱入者が来た『リバートペイジ』内にて、ヴィクセンとカメラはそれぞれの武器を握り、敵の隙を窺っていた。さすがは『光の者たち』、さきほどカメラがいきなり奇襲を仕掛けたにもかかわらず、一切の平静を崩さずに躱したのだ。
痺れを切らしたヴィクセンが刀を持って飛びかかろうとすると――ザンッ! その心臓を、赤色の刀が貫いた。カールツァイスだ!
カメラが敵の注意を逸らし、この『リバートペイジ』の管理をほったらかしにさせていたため、カールツァイスが背後から侵入してきていてもまったく気づけなかったのである。
静かに崩れゆく『リバートペイジ』。カメラとカールツァイスは急いでその空間から脱出すると、『リバートペイジ』は完全に崩落し、もう訪れることができなくなってしまった。
* * *
いっぽうその頃、『「夢」斬リ』ニコンは『「天」斬リ』ミザールを殺害していた。そして所持していた簡易端末を覗くと、ミザールのみならず、いつの間にかヴィクセンの生命のランプも消えてしまっている。
方向はわからないものの、あの男の性格からして、やりそうなことはカールツァイスとの戦闘くらいしかない。おそらく無謀にも挑んで負けたのだろう、とニコンは推測した。
正直言って、ニコンも――おそらく『光の者たち』全員もだろう――あのカールツァイスの本気がどれほどかは分からない。あの人を食ったような態度は余裕の表れだろうが、一瞬たりとも焦りや驚きを見せたことがない。
ただ、そこまで強くはない。ニコンの目には、どうしてもカールツァイスはエビデント以上の実力者には映らなかった。そのエビデント亡き今、『光の者たち』で最強なのはニコンだ。
簡易端末とにらめっこしながら、ニコンは次に誰を狩るのか、少し思案した。
* * *
ジャジャーン! サバンナに、いきなり小さな家が出現した。
近くのアカシアの木を使った、伝統的な作りの豆腐ハウスだ! 内部にはベッドにかまどに作業台がある。カールツァイスとカメラは正直微妙そうだが、サク自身はその出来栄えに満足しているらしい。
余った木材でドアの前に道を作ったり、花壇で少し飾り付けたりすれば、ただの四角よりは見栄えが良くなった。少なくともカメラは頷いた。
……だが! 次の瞬間、その豆腐ハウスになにかが着弾し、せっかくの努力の賜物は一瞬にして四散爆裂してしまった!
瞬く間にズタボロの瓦礫山と化してしまった跡地に立っていたのは、『光の者たち』がひとり、『「罪」斬リ』ライカだ! 濃紫の水晶の刀は、見るだけで人の魂を蝕むような毒々しい炎を帯びている。
せっかくの建築を破壊されたことに憤慨したサクが、漆黒の鎌を実体化しながら前に足を踏み出した。
しかし、その時である! サクの体に、黒い鋼の鎖がいくつも巻き付き、頑丈にその体を縛り上げた! せっかく取り出した大鎌も手を離れ、遠くへ弾き飛ばされてしまう。あやうくカメラが斬られるところだった。
ライカは『罪』を斬る者。これまでサクの犯した重罪の数々が鎖として具現化し、その自由を奪ったのだ――それが本当の罪であるのか、それともライカの妄念の産物なのかは、当人たちのみが知っている。
同時にカールツァイスにも、カメラにも数多の鎖が襲い掛かる! カールツァイスは刀を振るっていくつかを斬り裂いたが、いかんせん数が多く、すぐに囚われてしまった。
「ずいぶんと正しい行いを心がけてるみたいだな⸮ 尊敬しちまうぜ、なぁ」
お得意の皮肉をいくら言われようが、その刀は鎖に縛られて動かせない。ライカは愉悦に満ちた表情を浮かべると、水晶の刀をゆっくり振り上げる。
そしてついに、その刀がカールツァイスに向かって真っ直ぐ下ろされようとしたその時! その刀は、飛んできた物体に横からへし折られてしまう!
それはサクの鎌だ! ちょうどカメラの近くに飛んできていたため、彼女のしっぽで引っ張り、うまく投げ飛ばしたのだ!
刀をへし折るだけでなく、鎌は精密なコントロールによってカールツァイスの鎖をも斬り裂いた。カールツァイスは黒い鎌を手に取ると、大きくそれを振るってライカを吹き飛ばす。
素早くライカも鎖を再生成するが、その時には既にサクとカメラの鎖が斬り裂かれている! ライカの顔面にサクの飛び蹴りが命中し、カールツァイスがぶん投げた鎌が勢い良く、その胴体を一刀両断にしてみせた!!
――ここにアカシアの豆腐ハウスの仇討ちは為ったのである!!
* * *
『「明」斬リ』メイジテクノは一太刀の元に海へ墜ち、『「語」斬リ』ヤシマは割れた大地に飲まれて消えた。
『光の者たち』において、もともとニコンは強かった。そして今、三人もの『夢』を斬り捨て、喰らったことでその力はさらに増している。エビデントと戦っても十中八九勝てると自負するほどに。
ライカもまたカールツァイスによって倒され、生命の灯は消えている。残る『光の者たち』は自分と、カールツァイスのみ。自分の地位を完全なものにするため、どこに逃げようと斬らねばならない。
これまでエビデントという最大の障害のせいで掴み取れなかった、最強の地位。それはもう、目の前にある。
* * *
カールツァイスはニコンのことをよく知っていた。たぶん、本人よりも。それは過去を知っているとか、人にも言っていない秘密を知っているとかいう訳ではないが、ニコンの実に『聡明』かつ『複雑』な思考回路の弾く結果は、ほぼほぼ推測できる。
再建されたアカシアハウスを出ると、カールツァイスは空を見上げた。
各地に散らばっているカメラの特殊な道具が、一週間ほどの期間付きながら『光の者たち』の面々の状況を伝えてくれている。自分が二人、ニコンが三人倒した。残るは自分たちだけだ。
ニコンは夜を好む、ゆえに来るならば今。しかしニコンはカールツァイスの事を本当はよく知らない、だからここの場所を調べるにはまだ時間がかかる。とすれば、刀を交えるのは明日か、明後日か……。
面倒事は先に片づけたい。だから、カールツァイスは元の地へ戻ることにした。もともと『光の者たち』の六人で潰しあってもらって、こちらに手を出す余力がないほど疲弊してもらえれば大助かりだったが、どうやら現実はそう甘くないようだ。
* * *
夜はまだ明けていない。
ニコンは公国の中心たる高塔から、夜景をすべて見下ろしていた。
「よう……迎えに来たぜ。お坊ちゃま」
きっちり十一メートルの距離を取り、ニコンの背後に出現したカールツァイス。すぐさまニコンは握っていた刀の切っ先を向けたものの、まるで戦う意思は無い、とでも言わんばかりに両手を上げた。
そしてカールツァイスは自分が来た目的を話す。こちらは戦争をしたい訳ではないし、そちらも手を出さないでもらえれば助かる、と。
当然ながらニコンは聞き入れなかった。もちろんカールツァイスも合意されるとは思っておらず、刀を抜こうとした、その瞬間!
ガキン! とまるで鉄球同士を激突させたような激しい音とともに、カールツァイスの刀はそれだけ重力が増幅したかのように地に落ちた! 狭い塔の屋上から離れ、落下した刀は塔の下の道に巨大なクレーターを作り出す。
そして間髪入れず、ニコンの斬撃が無数に飛来した。以前とは比較にならない速度の攻撃に、カールツァイスは一瞬で深い傷をいくつも貰ってしまう!
対してカールツァイスは無手だ。速度でも追いつけないほどなのに、攻撃も防御さえもできるはずがない。
とどめを刺さんと迫りくるニコンの刀。
しかし――カールツァイスは、塔の上から真っ逆さまに身を翻した!!
ひゅうう……と風を切るまでに重力で加速する。ニコンも逃がすまいと追跡してくるが、落下による重傷は避けたいため、距離は開いていく一方だ。
地面にもうすぐ着く。だが、その時! 大きく展開された白いトランポリンがカールツァイスを受け止め、高く跳ね返したのだ!!
トランポリンを展開したのはカメラだった! 反転した重力もあって、完全に不意打ちの一撃を叩き込まれるニコン。
そしてそれだけではない! カールツァイスによる追撃を躱したが、その上空に迫っていたサクが漆黒の鎌を振り下ろし――
「俺のことは、俺がキッチリとカタを付けよう。それに、その鎌はギリ通用しないしな」
なぜか、カールツァイスとニコンが立っていたのは『リバートペイジ』に酷似した空間――いや、『リバートペイジ』そのものだった!
カールツァイスの力は『世』を斬り、『現実』を斬ること。ありとあらゆる理は成り立たず、不道理が思うままに実現する。多少の制約こそあれど、自分のペースへと持ち込めば敵などいない。
直前にカメラからパスされた刀、そしてサクの鎌を重ね、ひとつの武器のように握りしめる。徹底的に計算され尽くしたような、人を斬ることに特化した武器。偶然か否か、それは一種の美しさも備えていた。どこまでも暗い空間の中、見る者に恒星のような明るささえも錯覚させる。
『空』を斬れば、まるでそこだけ平面のように砕け散る。『罪』を見据えれば、現実は何よりも堅牢な鉄鎖へと変化する!
カールツァイスにとってもこれは賭けだった。この力が上振れるかどうか……しかし、天の幸運は彼女に降り注いだのだ!
今更作戦を練ったところで遅い。ニコンは既に、カールツァイスの掌の上だ。
もはや何も語るまい。両者には、すべて同じ未来が見えている。カールツァイスは静かに、その武器を振り上げた!
――『光の者たち』の分断は、これで決着がついたのだった!!
* * *
結局、カールツァイスはサバンナにできた小さな家に戻ってきた。
もとよりカールツァイスは国の長など御免なのである。もともと『光の者たち』に入ったのは理由があるが、しかし巨大な一国を統治するような面倒は被りたくなかった。
だからニコンは殺さなかった。ニコンにとっては、温情で譲られた玉座など滑稽なイミテーションにも思えるかもしれない。それとも、地位と力を手にしたと前を向くかもしれない。とりあえず、公にはカールツァイスも死んだものとして、面倒をすべて置いてきた形になる。
カメラとサクは、まだしばらくこちらに滞在することにしている。追跡中であるシルマ・ニアイレはまだ見つけていないし、せっかくだからしばらくハウジングに取り組むつもりだ。
自分が住みやすいよう、次から次に拡張されていくアカシアの家だが……外見は未だに豆腐のままなのは、ややカールツァイスにとって頭の痛いところである。
そんなこんなで、カールツァイスは豆腐の屋上にて日向ぼっこをするのが日課になっている。
しばらくは平穏な日々が続くだろう。
……そう思われた、その時だった! はるか遠くの暗雲から飛来した、一振りの『フランベルジュ』が、カールツァイスごとアカシアの家を粉砕したのであった――!
五月十九日執筆。
この世界でのたびはもう少しだけ続きます。