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第7章 王位継承者争い-6

 フロステン領都ノルヴィクで行われたイザリスの葬儀を終え、ルクスは王都へと戻ってきた。


 王城の塔が見え始める頃、彼は曇天の空を仰ぎ見る。白く凍てついた雲の隙間から、わずかな陽光が差し込み、王都の屋根を覆う雪を淡く照らしていた。


 冬の王都は、静寂に包まれていた。


 彼女の死因は「急性心臓発作」とされた。王族が毒殺されたなど、公にできるはずもない。しかし、王位を巡る争いの最中で命を落としたという事実に、多くの者が疑念を抱いた。

 フロステンの貴族の中には、ルクスがイザリスを暗殺したのではないかと囁く者もいた。だが、毒を仕込んだ者が北方の貴族に連なる存在であると判明すると、その声は次第にかき消されていった。


 おそらく、犯人もまた操られていたのだろう。そのイザリスの侍女は、毒が発覚した翌朝、自室で首を吊っているのが発見された。


 王城へと続く石畳の街路は、降り積もった雪に埋もれ、踏みしめられる足音すらも静かに吸い込んでいく。屋根の上に降り積もった雪が、わずかな陽光を受けてきらめき、まるで宝石のように淡く光を放っていた。


 しかし、その美しさとは裏腹に、ルクスの心には冷え冷えとした警戒が渦巻いていた。


*


 サンクタス城の執務室。ルクスは、机上に広げられた書類を睨みながら、ヴァルターに向けて言った。

 「イザリス姉上は、二年前から言動がおかしくなったと言う。まずはその時期に彼女がどこに行き、誰と接触していたかを徹底的に洗い出せ。」


 ヴァルターが頷き、すでに用意していた資料をめくる。

 「王女殿下が定期的に訪れていたのは、王都周辺の孤児院、老人施設、そして軍の退役兵舎。しかし、そのどれもが公的な施設であり、表向きには問題はないものです。」


 ルクスは静かに地図を広げ、イザリスが訪れていた施設の場所を指でなぞる。

 「調査員を派遣しろ。すべての施設について、教団との関与がなかったか聞き出せ。」


 そして、一週間後——


 派遣した調査員のうち、三人が戻らなかった。

 行方が途絶えたのは、王都の片隅にある「聖レアナ孤児院」。他の施設の調査は順調に進んだにもかかわらず、そこに送った三名だけが消息を絶った。


 そして、事態はさらに不穏な方向へと進む。


 サンクタス城に匿名で届いた箱。

 封を解くと、中から転がり出たのは——血に濡れた爪と、調査員の身分証だった。

 それだけではない。爪とともに、一枚の羊皮紙が入っていた。


 ルクスはその紙を手に取り、目を細める。


 そこには、黒いインクで教団の紋章ー日蝕の太陽ーが描かれ、短い言葉が記されていた。


 ーー王とならんとする者へ。光は闇によって必ず裁かれるーー


 ヴァルターがそれを覗き込み、低く呟いた。

 「……挑発か。」


 ルクスは無言のまま、羊皮紙を握りしめた。


 王族の一人を利用し殺され、今度は公然と挑発を受けた。


 「教団は、俺が王になることを阻もうとしている。」

 彼の琥珀色の瞳が、冬の氷よりも冷たく光る。


 「ならば、迎え撃つまでだ。」


*


 雪が静かに降り続く王都ミナス。


 ルクスとヴァルターは、調査員の安否確認のため聖レアナ孤児院への武力派遣を行なった。


 しかし——


 訪れたそこに人の気配はなくーー王都の一角、寂れた通りに佇むその孤児院は、まるで最初から存在していなかったかのように、がらんとした廃墟と化していたという。


 調査隊は徹底的に屋敷を洗った。

 だが、発見されたのは壁に刻まれた一つの紋章だけだった。


 ——日蝕の紋章。


 それから、王宮にはルクスを狙う刺客が現れ始めた。


*


 ルクスの周囲には、かつてないほど厳重な警備が敷かれた。

 護衛兵の増員、定期的な光魔法による洗脳解除、入城者の監視。


 しかし、それでも刺客は現れ続けた。


 ルクスの元へ送られる刺客の多くは、護衛に阻まれる。

 だが、中には王宮の隠し通路を通り、ルクスの私室やヴァルターの執務室にまで忍び込んでくる者もいた。


 ——ある夜。


 ルクスは宰相の執務室でヴァルターと教団の対策について話し合っていた。こういう事態になっては、アルヴェオン王国として教団に対する対策を考えなくてはならない、そう議論していた。


 そのときだった。


 シュッ——!


 背後の闇から刃が襲いかかる。


 「動くな!」

 咄嗟に身を翻し、ルクスはすんでのところで刺客にレーザー光を放ち刃を破壊するとともに、刺客の網膜に入る可視光を赤外線に変更し、視覚を奪う。


 ヴァルターの護衛が駆けつけ、刺客を押さえ込んだその瞬間——


 「……主よ……」

 刺客の目が虚ろになり、口元が微かに動く。


 そして、次の瞬間。

 己の喉を掻き切った。


 「……!」


 床に広がる鮮血。


 「……洗脳ですか。」

 ヴァルターが眉を寄せる。


 「これでは、尋問もできん。」

 ルクスは拳を握りしめ、わずかに唇を噛んだ。


 (教団は、この城の構造を知り尽くし、あらゆるところに潜んでいる。こちらは、教団について何も知らないに等しいのに......情報が必要だ。)


*


 ルクスとヴァルターは、捕えた刺客から情報を引き出した。


 「教団は、王国各地の孤児院、慈善団体、福祉施設を隠れ蓑にして活動している。」

 王都だけではない。


 西のルヴェラン、南のラディアス、東のエルヴァイン——

 驚くべきことに、王国全土に、教団の息のかかった施設が点在していた。


 「信じられん......これほどの規模で教団の組織がわが国に食い込んでいるとは......。」

 ヴァルターは、静かに地図の上に手を置いた。


 「……教団の最高指導者は、どこにいる?」

 刺客は、虚ろな目で答えた。


 「.......アンブリス」


 忘れられた不毛の地。

 フロステンとノルデンの間に位置する、誰も住むことのできない、永久凍土の荒野。


 ルクスは地図を睨みながら、静かに息を吐いた。

 「……そこが、“闇の巣”か。」


*


 サンクタス城の一室。


 窓の外では、しんしんと雪が降り続いていた。

 厚い雲に覆われた夜空から舞い落ちる白い粒は、王都を静寂の帳で包み込むかのように、積もるたびに音を吸い込んでいく。暖炉の炎だけが、ゆらめきながら赤い光を落とし、広々とした部屋の中をわずかに暖めていた。


 ルクスは、重厚な木製の机を挟み、ヴァルター・カイムと向き合っていた。


 「覚えていますか。」


 ヴァルターが、暖炉の炎をちらと見やりながら口を開いた。


 「あなたが私のもとに来てから、今日でちょうど一年になります。」


 指先でペンを転がしながら、ヴァルターは続ける。

 「たった一年で、あなたは私との第一の約束を果たそうとしている。間もなく、国王に命じ、あなたを正式に王太子として任ずる布告を出させます。」


 言葉は淡々としたものだったが、その瞳には計算と確信が静かに宿っていた。

 ルクスは微かに目を伏せ、雪が静かに降り積もる窓の外へ視線を移す。


 「王太子としての地位を得ることで、俺は名目上王に次ぐ権限を手にする。」


 「そうです。そして、それはあなたが望んだこと——教団を潰すための第一歩でもある。」

 ヴァルターの声音は低く、しかしどこか楽しげでもあった。


 「しかし、思った以上に厄介でした。王の名で教団の活動を禁じれば、それで済むと思っていたのですが……これほどまでに根深く、国中に根を張っているとなると、一つの拠点を潰したところで終わる相手ではない。アンブリスを焼き払ったところで、奴らは新たな伝説を作り、殉教者を生み、また別の形で国民の心を縛りつけるでしょう。」


 ルクスは静かに目を閉じ、一つ深く息を吐いた。

 「……言いたいことはわかっている。」


 再び目を開くと、その琥珀色の瞳には確固たる決意が宿っていた。


 「俺が光魔法使いの王として立ち、国民に光魔法の有用性を示し続ければいいのだろう。」


 ヴァルターはわずかに目を細め、唇の端を持ち上げた。

 「……話が早くて助かります。」


 ルクスは、窓の外を見つめた。


 降り積もる雪が王都の屋根を覆い尽くし、街灯の明かりがぼんやりと光をにじませている。


 この白き王都に、俺は光を灯さなければならないのだ。


 アストリアが信じた光魔法の未来を、決して闇に呑ませないために——。


*


 アルヴェオン王国歴一四一年、春。


 ルクスが大広間の扉をくぐった瞬間、春の柔らかな日差しがステンドグラスを透過し、七色の光となって空間を染め上げた。赤、青、緑、金——無数の色彩が大理石の床に揺れ、まるで王国の未来を象徴するかのように輝いている。だが、その美しさとは裏腹に、広間の空気は重く、沈黙が場を支配していた。


 壁には歴代の王の肖像画がずらりと並び、彼の歩みを見下ろしている。幾多の戦乱を生き抜いた王たち、その威厳に満ちた視線が、「お前に王の資格はあるのか」と問いかけているようだった。


 金細工が施された円卓の中央には、ヴァルターをはじめ、各派閥の代表者たちが厳かに座している。カイオス派の水魔法使いの将軍たち、南部ラディアス領の貴族たち、北部フロステン領の重鎮たち——誰もが静かに、しかし鋭い眼差しで彼を見つめていた。


 「異論は?」


 ヴァルターの低く響く声が、広間の静寂を震わせる。


 ルクスはゆっくりと視線を巡らせた。


 長い沈黙が広間に満ちる。


 やがて、老獪な南部貴族が静かに頷いた。

 「……異存はない。アルヴェオン王国は、次代の王を迎えねばならぬ。」


 それを合図に、他の代表者たちも次々に同意の意を示す。


 「では、本日をもって、ルクス・アルヴェオンを王太子として正式に認定する。」


 ヴァルターの宣言が、大広間の天井に響き渡る。


 ルクスはゆっくりと歩みを進め、ステンドグラスの光が最も強く差し込む玉座の前で立ち止まる。七色の光が彼の肩を照らし、影を深く落としていた。


 (……これが、俺の選んだ道。)

 彼は拳を握りしめる。


 復讐ではない。この形でしか、アストリアの愛した光魔法を守れないのだ。

 何度も自分に言い聞かせる。だが、それでも、胸の奥に広がる空虚さは、なおも彼の心を埋め尽くしていた。


*


 アルヴェオン王国歴一四一年、秋。


 王の死は、まるで秋の終わりを告げる風のように静かに訪れた。享年四十五。病に蝕まれ、王宮の奥深くで衰弱していく姿を、誰も振り返ることはなかった。


 彼の死に、王都の人々はほとんど関心を示さなかった。


 王宮の大広間は黒い絹の幕で覆われ、外の世界から切り離されたように沈黙が支配していた。重厚な扉が閉ざされ、窓には雲が垂れ込め、ステンドグラスに光は差し込まない。香炉から立ち上る煙が、冷え切った空気に薄く揺らめき、木の葉が風に吹かれて散る音だけがかすかに響く。


 長い赤絨毯の先、棺の中に王の亡骸が横たえられていた。王冠を外され、威厳も力も失った男——皺の刻まれた額、干からびた唇、かつて国を統べた者の面影はどこにもない。


 参列者たちは黒の喪服に身を包み、形式的な弔辞を述べていた。だが、その声には悲しみも敬意もなく、ただ儀礼としての言葉が淡々と交わされるだけだった。


 ルクスは、大広間の一角から棺を見つめていた。


 (この男が……俺を捨て、国を荒らし、アストリアの死の遠因を作った。)

 (この男が……王として国を見捨てた……しかし、王になった俺も、そうならないとどうして言える?)


 ルクスはそっと拳を握りしめた。


 怒りでも、悲しみでもない。


 胸の奥に広がるのは、戸惑いと恐れ、そして冷たい闇だった。


*


 アルヴェオン王国歴一四一年、秋。


 黄金色に染まった並木道を、穏やかな風が吹き抜ける。収穫を終えた畑が遠くに広がり、豊かな実りの季節が訪れたことを告げていた。王都の空は雲一つなく澄み渡り、柔らかな日差しが王宮の白亜の石壁を温かく照らしている。


 王宮前の広場には、無数の人々が押し寄せていた。

 貴族、商人、兵士、農民——誰もが新たな若き王の即位を見届けようと、玉座の間へと続く大階段を見上げている。人々の熱気が大気を満たし、ざわめきはまるで潮騒のように広がっていた。


 広場の中央には、歴代の王が即位の際に立った石造りの祭壇が置かれ、その上に王冠が静かに鎮座していた。金の細工が施された冠には、王家の象徴である七色の宝石が埋め込まれ、秋の陽光を浴びて鈍く輝いている。


 その煌めきを見つめながら、ルクス・アルヴェオンは一歩、また一歩と前へ進んだ。


 人々の視線が、彼に注がれる。


 その瞬間、ルクスの胸の奥に冷たい迷いが生じた。


 (これが、本当に俺に相応しいものなのか……?)


 王として即位することが、自分の望みだったわけではない。

 彼が求めたのは、アストリアの遺志を継ぎ、光魔法の未来を守ること。教団を打倒し、光の力が正しく認められる世界を築くこと。そのために、ヴァルターと手を組み、この王座へと至った。


 しかし——


 (俺は、この国の王になっていいのか?)


 ほんの一瞬の逡巡を振り払うように、ルクスは短く息を吐き、膝をついた。


 ヴァルターが祭壇の前へと進み、荘厳な声で告げる。


 「——ルクス・アルヴェオン。」


 ルクスは静かに顔を上げた。


 「今ここに、新しき王、ルクス・アルヴェオンが即位する。」


 ヴァルターが王冠を掲げ、ゆっくりとルクスの頭上へとかざす。その瞬間、光が空から降り注ぎ、七色の輝きが王冠の宝石に反射して周囲に広がった。


 光が降りる。


 それは、まるでこの国の未来を祝福するかのようだった。


 ルクスが立ち上がる。


 静寂の中で、彼の姿だけが確かにそこにあった。


 彼は、広場に集まった人々を見渡し、一歩ずつ階段を下りる。


 ヴァルターがわずかに頷いた。


 ルクスは、それを合図にするように口を開いた。


 「——俺は、光魔法使いだ。」


 静かな宣言だった。しかし、それだけで広場の人々の間にざわめきが広がる。


 「光魔法は、決して邪悪で無用なものではない。」


 陽の光が、ルクスの背後から差し込み、彼の輪郭を柔らかく縁取る。


 「俺が即位し続ける限り、それを証明し続けよう。」


 そして、ルクスは一度、短く息を吐くと、迷いのない声で続けた。


 「そして——この王国から、光魔法を迫害する教団を追放する。」


 その瞬間、広場はどよめいた。


 ざわめきの中、ルクスの言葉は鮮烈に響き渡る。


 「教団は、この国から立ち去れ!」


 静寂を打ち破るように、人々の声が高まった。


 陽光が降り注ぐ秋の王宮の前で、新たな時代が始まろうとしていた。


*


 ルクスが即位して、数ヶ月が経った。


 冬の冷たい風が王宮の回廊を吹き抜けるなか、ヴァルターが静かに報告を告げる。

 「教団が関与していたすべての施設の国外退去を確認しました。」


 長年、王国の各地に根を張っていた教団の影が、一旦は払われた。


 ルクスはゆっくりと目を閉じる。


 表向きの勝利。


 しかし、それがすべてではないことを、彼は誰よりも理解していた。


 (これで終わりではない。)


 この国の中から教団の表向きの活動が消えたところで、その思想や信仰が消えたわけではない。教団の真の本拠地、アンブリスは未だ健在であり、彼らは必ず別の形で影を伸ばしてくるだろう。


 (教団の根は、もっと深いところに残っている。)


 だが、それでいい。


 彼は、王としてある限り、戦い続ける。


 光魔法が「忌むべきもの」などではないことを、自らの存在で示し続ける。


 それこそが、教団を本当に打倒する唯一の方法なのだから。


*


 アルヴェオン王国歴一四六年。ルクスが即位して五年。王国は、かつてないほどの繁栄を迎えていた。


 ヴァルターの構想による技術革新と投資、そして労働力の確保を三本柱とした商業国家への転換。その中核にあったのは、ルクスという光魔法使いからの技術提供だった。


 東方エルヴァイン領の港からは、かつての帆船とは比較にならないほどの速度で進む黒鉄の蒸気船が、波を切り裂きながら出航していく。その煙突からは白い蒸気が立ち昇り、遠くの水平線へと消えていく。その姿は、この国の未来を象徴するかのようだった。

 蒸気船の導入により、これまで長い時間を要した交易路は格段に短縮され、商業の流通は加速し、海軍の機動力は飛躍的に向上した。


 王国の将官たちが、広げられた地図の上に印をつけながらルクスの前で報告する。

 「陛下、レーダー技術の試験運用は順調です。霧の深い海域でも敵艦の位置を正確に補足できるため、これまで不可能とされていた夜間迎撃作戦が可能となりました。」


 ルクスは地図を見つめながら、淡々と答えた。

 「そうだな。東方の海軍は、この国の防衛の要だ。改良を急げ。」


 将官たちは神妙な面持ちで頷く。


 だが、ルクスの心には何の感慨もなかった。


 それはただ、ヴァルターの計算された一手にすぎない。


 南部ラディアス領の濃厚地帯では、果てしなく広がる麦畑の中を、新たに導入された蒸気機関の農耕機械が進んでいく。

 鉄製の巨大な機械が、土魔法によって土壌を整え、実った麦を刈り取り、同時に脱穀までを行う。これにより、農作業の時間は大幅に短縮され、従来の倍の収穫量が確保されるようになった。

 収穫された小麦は、敷設された蒸気機関車の交通網によって王都をはじめ各地へと運ばれ、かつて飢えに苦しんでいた人々の数は急激に減少していった。

 さらに、ロマス帝国との国境付近にまで延びた鉄道網は、有事の際には迅速に兵力を送り込むことができる。


 北部フロステン領の市場では、闇石を利用した写真技術が話題となり、各国の貴族たちが競うように肖像写真を求めていた。

 同時に、風魔法を利用した飛び杼が開発され、織布の生産効率は飛躍的に向上した。新たな市場の可能性に歓喜する商人たちが、北方に投資を拡大していく。


 一見すると、光魔法はこの流れに関わっていないようにも見えた。しかし、実際にはすべての魔道具の小型化の基盤にあるのは、光魔法によるリソグラフィ技術だった。


 ヴァルターは商人たちに株式会社の設立を奨励し、資本の流動性を高める施策を推し進めた。もはや財は蓄えるものではなく、投資されるものへと変わりつつあった。


 ──アルヴェオン王国は、新たな時代を迎えていた。


 だが、それはルクスにとって、単なる手段にすぎなかった。


 教団の否定のため、国民に光魔法の有用性を示すこと。それ以上の意味はなかった。


*


 「陛下、新単位系への移行は王国工学研究院主導で順調に進んでおります。新たに制定した特許制度により、アルヴェオン王室の財政はさらに確固たるものとなるでしょう。多くの技術が王室の庇護のもとで発展し、その恩恵を受けた技術者や商人たちは、いずれ王室への忠誠を深めることになります。将来的には、国外との協定も視野に入れるべきかと。」


 王宮の執務室。


 書類の山を前に、ヴァルターは手際よく紙を捲りながら報告を続けていた。額にかかる前髪を無造作に払いながら、忙しげに筆を走らせる姿は、国の実権を握る者そのものだった。


 ルクスは無言のまま、その報告書を手に取る。僅かに視線を落とし、書かれた内容を淡々と追った後、静かに印を押す。


 「……それでいい。」

 自らの声が、他人のもののように響く。


 ヴァルターの傀儡として、国の発展に寄与している。民は、光魔法の恩恵を享受している。教団の影響力は日に日に衰え、表面的には国内から排除された。この結果こそが、ルクスの望んだものだったはずだった。


 しかし——


 なぜだろう。この胸を満たすはずの達成感は、まるで霧のように消えてしまう。


 彼はこの国を、教団を潰すための道具として利用した。だが、教団が弱体化し、王国が繁栄しても、その空虚は埋まることなく、むしろ深まるばかりだった。


 王座に留まること。それが、唯一自分に残された役割なのだと理解していても——。


*


 次第に、ルクスは王宮の奥深くの高い物見の塔を研究塔として、そこに引きこもるようになった。


 そこで、新たな光魔法の研究を進める。やがて、工学研究院との交流さえも、拒むようになった。


 光の波長と振幅を操作し、さらなるレーザー技術の精度向上を図る実験。


 魔石に蓄積した光を通信手段として利用する、新たな魔法技術の開発。


 闇と光をデジタル信号として使った、コンピュータの実現の研究。


 そして、光速に迫り、時間と空間に干渉する理論の探求——。


 それは、もはや王としてではなく、ただの研究者としての生だった。


 彼の研究室には、無数の魔導書が積み上げられ、試験管の中では淡い光が脈打っていた。書きかけの論文が散乱する机の片隅には、一輪のすみれの押し花が静かに置かれている。


 色褪せた花びら。


 それでも、彼はそれを捨てることができなかった。


*


 研究塔の周囲には、知らぬ間に茨が生い茂っていた。

 鋭く絡み合った棘は、まるでこの場所を外界から隔絶しようとしているかのようだった。

 庭師たちがそれを取り除こうとするたびに、ルクスは「そのままにしろ」と命じた。


 その理由を尋ねる者はいなかった。


 この国の王としての義務は果たしている。


 だが、王としての意味を、彼は見出せずにいた。


 茨と静寂に閉ざされた研究棟の扉の向こうで、ルクスはひとり、研究を続けた。


*


 アルヴェオン王国歴一四七年、春——雪解けの季節。


 王都の石畳は、残雪と溶けた水が織りなす薄い光を帯び、そこを行き交う人々の足元を湿らせている。屋根の軒先からは透明な滴が垂れ、春の訪れを静かに告げていた。


 ルクスは研究棟の窓辺に佇み、静かに外の景色を眺めていた。

 机の上には、新たな魔法技術に関する論文の草稿が広げられている。筆記用具は整然と並び、端には彼が試作した光魔法を応用した装置の試験結果が記された羊皮紙が積まれていた。しかし、ルクスの手はペンを取ることなく、ただぼんやりと風がカーテンを揺らすのを見つめていた。


 ——コツ、コツ。


 扉が軽く叩かれた音が静寂を破る。


 「陛下、ノルデン皇国皇太子セレナ殿下が城にお着きになりました。」

 報せを持ってきた侍従の声には、どこか抑えきれない興奮が滲んでいた。


 ルクスは微かに眉を寄せた。


 ノルデン皇国——この大陸の最北に位置し、厳しい寒さと雪に閉ざされた国。火魔法が最も尊ばれ、光魔法が顧みられることのない地。


 そして、その皇太子が、学びのためにアルヴェオンへとやって来たという。


 机に置かれた報告書には、彼の年齢がわずか十歳であること、ノルデンでは珍しく強い光魔法の魔力を持つこと、しかしその国には彼を指導できる者がいないこと——そして、彼自身がルクスに師事を願い出たことが記されていた。


 ルクスは、苦々しく小さく息を吐く。


 彼が受け入れを許可した覚えはない。どうせまた、宰相ヴァルターの外交戦略の一環なのだろう。地形的に隔てられ、長らく関係の薄かったノルデン皇国との新たな外交の足掛かりとして、皇太子を迎え入れる。それが彼の思惑か。


 「……好きにさせろ。」

 淡々と告げると、ルクスは再び机に視線を落とし、静かにペンを取った。


 光魔法の素質を持つ皇太子が何を望もうと、彼には関係のないことだった。


*


 数日後、研究塔の静寂を打ち破るように、重厚な扉が大きな音を立てて開かれた。


 春の風が、茨の絡む古びた石壁の隙間をすり抜け、ひんやりとした室内に流れ込む。燭台の炎が揺らぎ、積み上げられた書物の影が微かに動いた。


 「ルクス陛下! 突然の訪問をお許しください!」

 澄んだ少年の声が、冷たい空気を震わせる。


 ルクスが振り返ると、開かれた扉の向こうに小柄な少年が立っていた。


 金色の髪が窓から差し込む光を受けて煌めき、深い青の瞳はどこまでも澄んでいた。その純粋な眼差しは、まるで初めて世界を知る子供のようでありながら、意志の強さを秘めていた。


 セレナ・ノルデン皇太子——雪に閉ざされた北の国からやってきた、光属性の子供。


 彼は胸に小さな手を当て、深く一礼すると、そのまま拳を握りしめ、まるで全身の力を込めるように叫んだ。

 「どうか、私に陛下の光魔法をお教えください!」


 ルクスはゆっくりと椅子から立ち上がり、少年を見下ろした。


 「……どうぞ、お好きに学んでいただければ。」

 その声音は、雪解けを拒む冬の氷のように冷たい。


 セレナの瞳が、大きく揺れる。

 「でも……!」

 「私は教師ではない。あなたの国にも、優秀な魔法使いはいたでしょう。」

 「違います!」


 セレナは一歩前に踏み出した。その足取りには、迷いがなかった。


 「僕は——僕は、あなたの光魔法を学びたいんです!」


 まっすぐにルクスを見上げる瞳の奥に、覗くもの。


 それは、かつてアストリアが持っていた光と、同じものだった。


*


 (いい、ルクス。学ぶことは、世界を広げるんですよ。)

 ふと、頭の奥で響いた声。

 それは、もう二度と聞けないはずの言葉だった。


 学ぶことは、世界を広げる。


 そう信じていた人がいた。

 孤独の中で研究に没頭し、誰にも頼らず、自らの力だけで光魔法の未来を切り拓いた人がいた。


 そして、自分はその光に照らされて、生きてきた。


 ルクスは、目の前の少年を見つめる。


 どこまでも純粋で、何の打算もなく、ただ知りたいと願う瞳。


 (ああ、これは——。)


 胸の奥が、かすかに疼く。


 自分は、空虚な傀儡の王だ。世界を広げるためではなく、ただその穴を埋めるために、アストリアの遺したものを研究しているに過ぎない。


 だが、この少年は——。


 「……しょうがない。」

 小さく息を吐き、ルクスは椅子から立ち上がった。


 棚の奥から、一冊の古びたノートを取り出す。革の表紙はすり減り、長年の使用を物語るかのように端が擦り切れていた。それを無造作にセレナへと放る。


 「俺が師匠から教わった、光魔法の基礎だ。まずは先入観を持たずに読め。読み終えたら、また話を聞いてやる。」


 セレナは驚いたようにノートを受け取り、次の瞬間、ぱっと顔を輝かせた。


 「ありがとうございます!」

 少年は本を大事そうに抱きしめると、勢いよく踵を返し、喜びを隠しきれない様子で研究塔を駆け出していった。


 ルクスは、その背中を見送りながら、微かに目を伏せる。


 ——これは、ただの気まぐれだ。


 けれど、あの小さな王子にも、アストリアの愛した光を見せることができるのなら——。

本日2話投稿です。

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