短期滞在
3年前、ジュアン兄さんがテレビに出た。私たちきょうだいは、それを狭いアパートの中で見ていた。生中継だったのだ。
その番組は、一般人がスタジオで自分のほしいものについて手を変え品を変え訴えるというものだった。番組の最後には、視聴者投票でそのほしいものがもらえるかもらえないか決まる。全体の7割以上が「プレゼント」を選べば、番組からそれがもらえるのだ。
私たちの「それ」は、宇宙船だった。8人乗りの、ファミリータイプのもの。いままでその番組でプレゼントに指定されたものの中では、だんとつに高額だった。
それでも、ジュアン兄さんは実に8割7分の「プレゼント」を勝ち取り、みごと宇宙船が私たちきょうだいのものになった。それが決まった瞬間、私たちはテレビの前で歓声をあげ、とびはね、抱き合い、まるでシュートを決めたサッカー選手のように喜んだ。実際、喜びはそれ以上だった。私はそのときまだ7歳で、宇宙船がどれだけ高額なのか、兄さんや姉さんがどれだけそれを必要としていたのか、またどれだけテレビのために練習を重ねたのか、細かいところはわかっていなかった。それでも、みんながあれほど喜びをあらわにしたのは初めてで、私も一緒になってとびはね、きゃあきゃあと声をあげ、ジュースを安カーペットにこぼした。
宇宙船が届けられるが早いか、私たちきょうだいはその日のうちに乗り込み、その惑星を後にした。あちこちに梱包財やテープが貼り付けられたままで、椅子に座るにもいちいちビニールをひっぺがさないといけなかったけれども、そんなことを言っているひまはなかった。
「僕たち7人の兄弟の両親は、ここから遠い惑星にいます」ジュアン兄さんはテレビでそうしゃべった。
「ねえ、なんでジュアン兄さん、変なしゃべり方してるの? いつもは『俺』っていうのに。あんな丁寧なしゃべり方もしないのに」
そう聞くと、私を抱いていたフェネラ姉さんは、「あのほうが視聴者をだませるのよ」と答えた。
「一番小さい妹、リリイは7歳です。物心ついてから、両親に会ったこともない。一度でいいから、会わせてあげたいのです。そして、リリイを両親に抱きしめてもらいたい。……いや、ごめんなさい」
そう言うと、ジュアン兄さんは涙をぬぐって見せた。
「あいつもよくやるなあ」トーマス兄さんが感心したように言った。実際、ジュアン兄さんはめったなことで泣いたりしない。私は今まで、ジュアン兄さんが目をうるませたところすら見たことがない。
「でもあーしたほうが受けがいいでしょ。今まで『プレゼント』もらった出演者は、みんな泣くだのなんだのしてるわ」フェネラ姉さんが、私を抱いたままで言った。
「でも、やっぱり俺が出たほうがよかったかな」
「いいのよこれで。だって兄さん緊張しいでしょう。生放送なのよ」
ヴァネッサ姉さんが言った。
「……そんなことはありません。たしかに苦労は多かったけど、その分僕たち兄弟は、お互いに助け合うということをしてきました。僕たちくらい仲のいい兄弟は、たぶんこの銀河系にはいないでしょう」
「うそつけ」とヒョウ兄さんが言った。ジュアン兄さんとヒョウ兄さんは、二日前にオレンジババロアのことでつかみ合いのけんかをしたばかりだった。
「僕たちがこうしていられるのは、すべて両親のおかげです。だから……会わなきゃ。会って……ありがとうって言いたい」
ここで、兄弟の全員がふきだした。ハーリク兄さんはテーブルをばんばんたたいたし、ヴァネッサ姉さんも笑いをおさめようとして顔を赤くしていた。
私たちきょうだいは、確かに宇宙船がほしかった。そしてそれは、確かに両親に会いたいがためだった。
しかし両親に会いたいのは、ありがとうと言うためではなかった。抱きしめてもらうためでも、握手をするためでもない。
育児放棄の報いを受けさせるためだった。
その日の勉強を終わらせて、私は船の外に出た。まだ12時だ。駐船場は風が強い。髪がばさばさとあっちこっちになびく。
この惑星には一週間前についた。空気の色がなんとなく青色がかっているけれども、それ以外はごく快適な惑星だ。物価も安いし、重力も標準にプラス1くらいだ。治安もいいから私が一人で外に出ることもできるし、働き口もたくさんあるらしく、兄さん姉さんたちのアルバイト先はすぐにみつかった。
今日はトーマス兄さんに会いに行くつもりだった。トーマス兄さんは、宙港のそばのショッピングモールで風船を売っている。
宙港の中はぴかぴかと清潔で、窓が大きく、あちこちにロボットがいる。そして色んな人がいる。髪の色も肌の色も、背の高さも服装も、引きずっているキャリーバッグまでてんでばらばらだ。それでも、宙港のぴかぴかの中では、みんななんとなく楽しそうに見える。宙港はいいところだと思う。
トーマス兄さんは、ショッピングモールの3階にいた。宇宙船や星や猫の柄の風船をいっぱい持ち、にこにこと笑っている。小さな子にはわざわざひざをついて、飛んでいかないように注意して風船を渡している。兄さんはやさしい。
私はうしろからそっと近づき、兄さんに後ろから身体ごとぶつかった。
「どーん」
「わ、なんだ、リリイか」
振り向いた兄さんは、一瞬びっくりしたようだったが、すぐにくしゃっと笑った。
「今日の勉強は終わったか?」
「うん。あんなのすぐ終わっちゃうもん」
「そうか、リリイは頭いいな」
兄さんは私の頭をなでた。大きい手だ。
トーマス兄さんの仕事が終わるまで、私はショッピングモールの中でぶらぶらした。本屋をのぞいて新しい電子書籍デバイスが出ているのを見たり、すてきな服がたくさん下がっているのを眺めたりした。私はまだ小さいけど、もう少し背が伸びたら着たいと思う服がたくさんあった。ふわふわっとしているスカートとか、ボタンにパールつきの上着とか。時々、すれ違った子供が手に風船を持っていた。兄さんが売っていた風船だ。私は別に風船はほしくないけど――もうそんな年じゃないから――兄さんの風船があちこちに浮かんでいるのを見るのはうれしかった。
仕事帰り、兄さんはアイスクリームを買ってくれた。
「いいの?」
「いいさ、アイスクリーム好きだろ?」
「うん。でもヴァネッサ姉さんは、宙港で物を買っちゃ駄目、観光客に合わせてぼったくってるんだから、って言ってたよ」
「うーん……ま、ここは宙港じゃない。宙港横のショッピングモールだし、いいだろ」
高い椅子に座り、私はプラネットブルー、トーマス兄さんはバニラのアイスを食べた。
「お金、たまった?」
「うーん、そうだなあ。もうちょっとかな。うん、いやリリイ、お前はそんなこと気にしなくていいんだよ」
「でも、お金ないと父さんと母さんは探せないんでしょう?」
父さんと母さんを探すのには、人探知システムというものを使う。その惑星中のオープンインフォメーションにアクセスし、その中から人物IDを見つけ出し、適合する人物がどのように行動し、今何をしているのかを割り出す。でも人探知システムを使うには、結構お金がかかるらしい。それでトーマス兄さんをはじめ、ヴァネッサ姉さんもジュアン兄さんもフェネラ姉さんも、ヒョウ兄さんでさえ働いている。働いていないのは、私とハーリク兄さんだけだ。まだ勉強しなきゃいけない年齢だから、という理由からだけど、私だって何かしたいなと思う。
帰り、私と兄さんは手をつないで歩いた。もう私は10歳にもなるのに、「迷子にならないように」と兄さんは必ずそうする。「誰も知ってる人のいない星で、迷子になったりしたら大変だ」
と、私がはずかしがっても一向に気にしない。
船に帰ると、もう夕ごはんのしたくができていた。ごはんはたいていヴァネッサ姉さんがつくり、みんなで丸いテーブルをかこんで食べる。今日姉さんがつくったのは、山盛りの肉煮込みと温野菜サラダだった。7人もきょうだいがいると、ごはんは山盛りにならざるをえない。
「これ、何の肉?」
ヒョウ兄さんが、煮込みをフォークに突き刺して言った。
「さあ。スーパーで安く売ってたから。この星の特産らしいわ」
きれいに化粧をすませて、エプロンをしたヴァネッサ姉さんが答えた。姉さんはこれから仕事だ。耳にピアスをしている。銀色のかざりがゆれていて、とてもヴァネッサ姉さんににあっている。
「やだよ、そんなわけのわからないもの。アレルギーでも出たらどうするんだ」
ヒョウ兄さんがそういってフォークを置く。
「そんないちいち気にしてたら、何も食えないだろ。ヒョウは神経質すぎるんだよ」
「ジュアン兄さんほど無神経じゃないからね」
「そんなこと言ってっからいつまでも細いままなんだろ」
ジュアン兄さんは、大口をあけてばくばくと食べている。「姉ちゃん、うまいねこれ」
「それはよかった。でも野菜も食べなさいよ」
「あーい」
夕ごはんは、たいていみんながそろう。にぎやかで楽しい。みんなが、仕事でおきたトラブルとか次に行く惑星とか新しいロボットの話とかをくちぐちにしゃべる。リビングは明るくて、天井では換気扇がゆっくり回っている。窓から夕日が沈むのが見える。地平線から上が、鮮やかな紫色にそまっている。その中を、一機の宇宙船がゆっくり宇宙へ向かって飛んでいた。
「正解です」とコンピュータが言った。課題を全部やり終えたので、筆記用具をしまって外に出る準備をした。上着を着て、帽子をかぶる。
「ヒョウ兄さん、外に行って来るね」
ヒョウ兄さんは、自分の部屋で細かい部品を組み立てていた。手にドライバーを持ち、目に拡大鏡をはめている。
「うん。どこに行くの?」
「うーんと……公園。白い滑り台がある」
「そっか。ちゃんと昼ごはんまでには帰ってくるんだよ」
ヒョウ兄さんは拡大鏡をはずして目を細めた。
「うん。じゃ、いってきます」
廊下を走り、私は外へ出た。途中、床掃除中のロボットをジャンプで飛び越え、タラップを駆け下りた。外は雲ひとつ無いいい天気で、日の光がたっぷりしていた。
白い滑り台のある公園は、この前ジュアン兄さんと一緒に見つけた。遊具は全部やわらかい素材でできていて、ブランコをこいでもぎこぎこと音がしない。花もたくさん植わっていて、いいにおいがする。それに人が少ない。だから、順番待ちやけんかにまきこまれる心配がなく好きなだけ遊べる。
公園への階段を上りきってから、私ははっと気づいた。公園のベンチに一人、先客がいたのだ。青い帽子をかぶり、緑色のパーカーを着て、足にごついブーツをはいている。
私が気づくのと同時に、相手もこちらに気づいたらしい。一瞬顔をあげて私を見た。
私は気がつかなかったふりをして、一直線に滑り台へ向かった。ベンチのほうを見ないように気をつけた。
それでも、その日は遊んでいてちっとも楽しくなかった。先客は、私と同じ年くらいの男の子だった。早くどこかへ行けばいいのに、と思っていたのだけれど、男の子はまったく出て行く気配がない。ベンチに座って足をぶらぶらさせて、ときどき携帯ゲームで遊んでいる。他人が一人いるだけで、公園の空気はたやすくはりつめた感じに変わってしまった。
結局、私は昼ごはんよりずいぶん前に船に帰った。去り際に一瞬振り返ると、男の子はまだ携帯ゲームに熱中していた。
「今日はずいぶん早かったね」
ヒョウ兄さんがそう言ったけど、私はあいまいにうなずくだけだった。午後も外には出ず、ハーリク兄さんの部屋で本を読んですごした。ヴァネッサ姉さんとヒョウ兄さんは、ハーリク兄さんの部屋は「散らかりすぎてる」し「くだらないものばかり置いてある」という。確かに床にはコミックばかり落ちているし、たんすには服がたたまれもせず詰め込まれているけど、私はそれがなんだか好きだ。ひとつの雰囲気だと思う。
「ねえ、兄さん」
昔の人たちが散歩しながら議論をしている本を読みながら、私は兄さんに話しかけた。
「何だ、リリイ」
兄さんは数学の問題を解くのに飽き飽きしていたようで、すぐにくるりと椅子を私の方へ向けてくれた。
「えーっと。兄さん、昼間何してる? その、勉強の終わった後」
「終わった後? このクソ課題が終わるとは思えないね。いくらページをめくっても延々と続くんだぞ。学習センターからは成績がどーたらこーたら言ってくるしさ」
「うーん、でも外に遊びにいくことはあるでしょ」
「そりゃ当たり前だよ。ずっとこんな船の中いたら体がくさる」
「どこに行くの?」
本当は今日のことについて話したかったのだけど、何だかうまく言葉に表すことができなかった。変に回りくどい話し方になってしまう。
「まあ、あっちこっちだよ。たいしたこたできないけどな。うち貧乏だし」
「あっちこっちって、例えば?」
「ま、服屋とかミュージック・ショップとかかな」
「その時、他の人に会ったりする?」
「他の人?」
「うん、知らない人」
「そりゃ当たり前だよ。外なんだから」
「そういうとき、どうしてる?」
「どうしてるも何も。特に何もしないよ、普通は。ま、何かきっかけで話すようなことはあるけどな」
「それで?」
「それでもないよ。俺たちはすぐ次の星いっちゃうしな」
兄さんはすごいな、と思った。緊張しないのだろうか。私はしてしまう。学校というものに行ったことのないせいか、同じくらいの年の子と話すのはなんだかこわい。相手が大人かもしくはずっと子供なら、別世界の人間だと思えてそんなに緊張しない。ちゃんと心の準備ができる。大変なのが同年代の子なのだ。どこまで同じで、どこまで別の人間なのか、判断がすごく難しい。
それでも次の日、私はやっぱり公園に行った。たった一人の他人がいるからといって、自分の行動範囲をせばめるのはいやだったし、あんなにいい公園はめったに無い。
半ばそうじゃないかと思い、半ばそうじゃなかったらいいなと思っていたけれど、昨日の男の子はやはりそこにいた。しかも同じベンチに昨日と同じ姿勢で座っている。私はやっぱり気がつかないふりをして、今度は木にのぼった。
今日もいい天気だった。かすかに甘いにおいのする風がそよそよと吹き、日の光が穏やかにしかし力強くふりそそぐ。そんな日なのに、男の子はベンチでゲーム機の画面ばかり見つめていた。
私はしばらく木の上でねばったが、やっぱり遊びに集中することができなかった。やっぱり私は一人のほうが好きだ。
昨日より10分長く公園にいたところで、私はあきらめて船へ戻ることにした。木の枝から地面に飛び降りたとき、頭に痛みが走った。
「あいたっ!」
髪の毛が、木の皮のはがれかけたところに挟まっていた。なんとか取ろうとしたが、高いところで挟まっているのでなかなかうまくいかない。手前にひっぱってみても抜けないし、挟まっている箇所には手があと少しのところで届かない。
「この、えい」
髪の毛がほんとうに外れないので、私はあせった。どうしよう。今はさみは持っていないし、最悪髪の毛をひきちぎらないといけないかもしれない。そんなのいやだ。
「ひっぱっちゃだめだ」
声がした。木の幹の向こう側に、あの男の子が立っていた。
「ちょっと待ってて。今上にあがるから」
男の子は枝に上ると、木の皮をべりっとはがした。髪の毛はあっけなくはらりと垂れ下がった。
見上げると、また目があった。男の子ははがした木の皮をぽいと捨てた。
「ヒョウ兄さん、行ってきます」
作業台の上で金具の曲がりを直していたヒョウ兄さんは、顔を上げてこちらをみた。
「また公園かい?」
「そう。だめ?」
「いや、かまわないよ。昼ごはんまでには帰ってくるようにね」
「兄さん、あの、私お弁当をつくったの」私は手に持った紙袋をふって見せた。「だから、お昼は外で食べてきていい?」
ヒョウ兄さんはしばしだまった。「ああ、そうか。じゃあ……夕ごはんまでには帰るんだよ。気をつけてね」
「はーい」といい返事をして、私は外へ出た。
男の子の名前はアイクといった。この惑星の人間ではなく、私と同じようにあちこちの惑星をわたっているのだという。
「へえ、じゃあ君も? 僕と同じで船で暮らしてるの?」
「そう。私はちょっと違うんだけど……父さんと母さんを探すために船に乗ってるの」
「へえ、すごいね。初めて会ったよ、僕の家族以外で船で暮らしてる人。っていうか、同い年で船で暮らしてる子」
「私も」
「だよね、周りは大人ばっかりだしさ。この前行った星もひどかったよ」
アイクと私は話をし、持ってきたピーナツバターサンドイッチを食べ、ゲームで遊んだ。気がつくと辺りは薄青く日が暮れかけていて、私たちは大急ぎで別れの挨拶をした。
「船、どっちに停めてあるの?」
「あっちの第五駐機場」
「そうか、残念だな、僕の船とは反対方向だ。それじゃあ、また」
「うん、また……明日」
「また明日」
私は走って船まで戻った。もう兄さん姉さんは全員戻っていて、私は急いで手を洗ってうがいをしてリビングに入った。
「今日は遅かったな、リリイ」トーマス兄さんがシチューを食べながら言った。
「うん、ごめんなさい。遊んでたらつい遅くなっちゃって」
「もっと早く帰ってこなきゃあ。変な人がいるかもしれないんだし、一人じゃ危ないぞ」
「うん」口の中でナッツをかみくだきながら、私はあいまいにうなずいた。
「それよりさー、にーちゃん。金は今いくらぐらい貯まった?」
ジュアン兄さんが話を変えた。
「えーと。どれくらいだっけ、ヴァネッサ」
「340。人探知システム使うまでは、あと60」
「おー。なかなか」
「来週私たちの給料が入るから、そうしたら400には届くと思う」
フェネラ姉さんが言う。
「おー、やっとこの星から出られるのか。やったぜ、今回長かったなあ」
ハーリク兄さんが両手を挙げて喜んだ。はずみに足ががんっとテーブルにぶつかる。
「バカ、足ぶつけんなって」
「うっせバーカ」
「うっせえのはおめーだよ、ハーリク。音立ててメシ食うな」
「はあ? そんなことしてねえし」
「してるよアホタレ」
「やめろ、ジュアン、ハーリク」とトーマス兄さんが言ったが、二人はそれを無視する。
「うぜーよジュアン、うせろ」
「うせろか、どこで覚えた? 数学の問題集に載ってたかな? ハーリクも悪い言葉を覚えちゃったなあ。コロスなんて言うなよ、お兄ちゃん泣いちゃう」
「ジュアン、ハーリク、やめなさい。それ以上何か言ったらお玉で殴るからね」ヴァネッサ姉さんが二人をはたいて口げんかをやめさせる。たぶん、きょうだいで一番強いのはヴァネッサ姉さんだと思う。
「ねえヴァネッサ姉さん、来週でここにいるの終わりなの?」
「いえ、そうじゃないわ。まだ燃料だの食料だのを買わなきゃいけないし、駐機場の使用料金も払わなきゃいけないから。あと少なくとも、3週間はいなきゃ」
「えーっ」
ハーリク兄さんが不満そうに声を上げたが、私は机の下で小さくガッツポーズをした。
「いってらっしゃーい」
朝ごはんを食べた後、私はいつものようにタラップの上からトーマス兄さんを見送ろうとした。だが、トーマス兄さんはいつものようにぽんぽんとタラップを降りず、私のそばにいて私の頭に手を置いていた。
「リリイ、今日は来るか? 仕事の後、ショッピングモールの中でも歩こうか」
「ううん、今日は公園にいくから」
トーマス兄さんの顔を見上げながら、私はそう言った。
「そうか? このごろ公園ばっかりで遊んでないか?」
「うん、友達ができたの」
「あ、そうか。それはよかった。……同い年の子?」
「そう」
「そうか。その子と一緒に、ショッピングモール来てもいいんだぞ。アイスクリームを一緒に食べてもいいし」
「ううん」私はかぶりを振った。「もう約束しちゃってるし。公園のほうがいいよ、木があるもん。船の中とかスペースコロニーの中にはないし」
「そっか」
トーマス兄さんは私の頭から手を離すと、とんとんとタラップを降りていった。「いってらっしゃーい」と私はもう一度その背中に言った。今日は早く勉強を終わらせなければ、と思っていた。
「まってよー」
「ほら、もうちょっと」
アイクと私は、公園の中で一番大きな木のてっぺんを目指していた。このために身軽な服装をし、髪の毛は後ろできっちり結んだ。
「あ、そこの枝は細いよ。こっちに体重かけたほうがいい」
「こう?」
「そうそう」
たっぷり20分かけて、私たちは木のてっぺんから顔を出した。空がぐるっと大きく広がり、宇宙船やロケットがすぐ近くに見える。たくさんの建物が光を反射してぴかぴか光っていた。
「すごいね、こういうふうに見えるんだ」とアイクが言う。
「船の中から見るのとはまた違うんだね」
私たちはそのまま、木の枝の上で隣り合って座った。葉っぱが服の中に何枚か入り込んでかさかさいっていたけれど、気にならなかった。
「はじめてだなあ」
「え?」
アイクは横を向いて私の顔を見た。
「兄さんとか姉さんのほかに、こんなにいっぱい人と話したことなかった」
そう言うと、なぜだかアイクは黙り込んでしまった。おかしなことを言ってしまったのかと思って、私は背中にいやな汗をかいた。前に、病院の待合室で隣り合った同い年の子に、同じくらいの友達がいないといったらとてもバカにされた覚えがあった。
「アイク、あの、さっきのはそういう意味じゃなくて」
「リリイ」
アイクが沈んだ声を出した。「僕たち、会ってから3週間たったよね」
「うん」
「それで……本当はもうちょっと早く言うつもりだったんだけど……」
「うん」
「ごめん、何度か伝えようとはしたんだけど」
「うん、えーと、何を?」
アイクがなかなか肝心のところを言おうとしないので、私は不治の病だの逃亡犯だの、最悪の事態まで想像してしまった。しかしアイクが言ったのはよほど現実的で、でも同じくらい絶望的なことだった。
「僕のうちの宇宙船、明日出発しなきゃいけないんだ」
アイクは今までで一番の親友だった。だから行ってほしくなかった。でも、私は今までの経験から、船に乗らなきゃいけないときは、どうしたって乗らなきゃいけないことを知っていた。そう自分に言い聞かせようとしたのだけれど、それでもどうしても理不尽だという思いは消えなかった。
しかも最悪なのは、私とアイクはどちらも船に乗っているというところだった。どちらか一方がずっとひとつの惑星の上にいるのだったら、再会は簡単だ。でもお互いが広い宇宙中をあちこち動き回っているのでは、相手をみつけるのはなまやさしいことではない。
今まで、私はいつも船に乗る側だった。だから、友達を見送るときにどうしたらいいのかわからなかった。アイクと暗くなるまで一緒にいた後、私はとぼとぼ歩いて船に戻った。どうしたらいいのだろう、どうしたらハッピーエンドの映画みたいに、友達を見送ることができるのだろうと考えたが、さっぱりいいアイデアは浮かばなかった。だいたい、私は第一にアイクを見送りたくなんてなかったのだ。
ずいぶんのろのろ歩いていたようで、船に帰ると兄さんと姉さんはみんなそろっていた。
「ただいま」と細く言うと、トーマス兄さんが椅子から立ち上がった。
「リリイ、こんな遅くまでどこで何してたんだ」
トーマス兄さんの声は低かった。トーマス兄さんはめったに声を荒げたりしないけど、そのぶん怒ったときはとてもこわい。泣いてしまうくらいこわい。
でもそのときの私は、トーマス兄さんの様子よりも明日のお別れの方で頭がいっぱいだったので、まったく不十分な答えしかできなかった。
「公園」
「そんなことを聞いてるんじゃない」兄さんは腕を組んだ。「どうしてこんなに遅くなったんだ。危ないだろう」
「危なくなかった」
「危なかったかもしれないだろう。心配するじゃないか、こんな知らない人ばっかりのところで」
「心配なんてしなくていい」
「何を言ってるんだ!」兄さんが大声を上げた。思わずびくっと身体が動く。それでも、アイクとの別れの理不尽さで、私はいつものようにいい子で謝ることができなかった。
「知らない人ばっかりなのは私のせいじゃない! なんでそんな怒り方するの!」
「リリイ、兄さん!」
ヴァネッサ姉さんの声と同時に、兄さんの手のひらが私の頭をたたいた。痛い。じわっと涙がうかんで、でも私は泣きたくなどなかったので、熱くなった喉で大声を出した。
「ばか! 兄さんのばか!」
兄さんと姉さん全員の視線が私に集まった。私はそのままきびすを返し、自分の部屋まで走ってベッドへ飛び込んだ。たたかれた痛みは走っている間に消えたくらいだけど、泣いてしまった自分がくやしくて、私は枕につっぷしていた。理不尽だ、ものすごく理不尽だ。
私はそのまま眠ってしまったらしい。ふと気がつくと、部屋の中は真っ暗になっていた。突っ伏して寝ていたせいで首がいたい。
喉が渇いて、私は部屋を出て台所へ向かった。間接灯だけの廊下は暗い。
リビングに入ると、がたっと物音が聞こえた。私は一瞬固まったが、ヒョウ兄さんの姿が見えたので安心した。
「ああ、リリイ」
ヒョウ兄さんはいつもの小さな、でも落ち着いた声で言った。
「喉がかわいたの」
「そう。水とお茶と、どっちがいい?」
「水」
ヒョウ兄さんの渡してくれた水を、私はごくごくと飲んだ。ずいぶんおいしかった。
「ねえ、兄さん」
「何?」
「トーマス兄さん……怒ってた?」
「ああ……。怒ってたというより、心配してたよ」
私は黙って下を向いた。
「兄さんは心配性だしね。それにリリイ、いつもなら帰ってくるはずの時間なのにまだいない、外はだんだん暗くなる、連絡をとろうにもとりようがない、勝手知らない星の上じゃね」
私はコップに残った水をちびちび飲んだ。それから「どうしたらいいのかな」とつぶやいた。
「明日の朝起きたら、兄さんの部屋に行って、ひとこと謝ればそれで済むよ」
「うん」と言って、私はこっくりうなずいた。そうしよう、とすなおに思った。
「ならいいね」
ヒョウ兄さんはしずかに笑った。そうしてもらって、なんとなく気持ちがすっきりした。
「あっ」
気持ちが静まったのと同時に、私は大事なことを思い出した。
「どうしたの」
「兄さん、あのね、ひとつ教えてほしいんだけど」
まだ日も昇っていない早朝、私は宙港の第3ロビーにいた。アイクはいつものトレーナー姿ではなく、帽子をかぶって手にバッグを持っていた。
「しんじられないな、もうさよならしなきゃいけないって」
朝が早いためか、アイクのまぶたは少しねむたげだった。私も信じられなかった。明日も一緒に遊んでいるところがありありと想像できた。でもそれと同時に、これでお別れだということもきちんと理解できていた。
「うん。でも、たぶん、いつかまた会えるよ」
いつかがいつなのか、そんなことはさっぱりわからなかった。先のことすぎた。それでも、そう言ったとたんにそれは本当らしく聞こえた。本当にいつか会えるのかもしれない、と私は思った。私とアイクは顔を見合わせて笑った。
「アイク、私、プレゼントがあるの」
私はアイクに紙包みを渡した。中身は私が大事にしている太陽系のビー球だった。
「うん……ありがとう」
アイクと私はお互いにだまっていた。しばらくたって、アイクがすっと右手を差し出した。私も手を出して、握手をした。アイクの手は思ったより小さかったけれど、手のひらはとてもあたたかかった。
「じゃあ」
アイクは手を離すと、ゲートの向こうへ歩いていった。私はその後ろ姿をじっと見ていた。アイクが最後に角を曲がったとき、目と目が合った。そのままアイクの姿は私の視界から消えた。そのままじっと立っていると、後ろから人が近づく気配がした。
「さよならは言った?」
ヒョウ兄さんだった。朝早く外に出るため、ヒョウ兄さんについてきてもらったのだった。
「うん」
宙港の外に出ると、朝もやが広がっていた。青っぽい霧に光が差し込み始めていた。
「うちに帰っても、多分誰も起きてないね」
「そうだね。二人で朝ごはんでも作ろうか。お腹すいたろう」
「フレンチトーストにする?」
フレンチトーストはトーマス兄さんの好物だ。たっぷりはちみつをかけよう、と私は思った。空を見上げると、一機の宇宙船が紫色の空へ向かって飛んでいった。