10-7 駿河 清水湊4
承菊を前にすると、僧侶って何だっけ? と首を傾げたくなる。
いわゆる聖職者の分類に入るのだろうが、孫九郎が知己を得た僧侶の多くが、血なまぐさい俗世にどっぷりつかっている。
僧侶なら寺で徳を積め、衆生のために生きろ。
そう思ってしまうのは偏見か? いや少なくとも、武家を好き勝手引っ掻き回して楽しむような男を、「聖職者」とは呼びたくない。
荒い息をつぎながら平伏する松之助殿に、同情したくなってきた。
こんな兄貴がいるというのも大変だな……うん、気持ちはわかるぞ。
どちらかというと承菊ではなく松之助殿サイドに立ちたいぐらいだが、この男が告発してきた内容は重い。
瀬名も庵原も、直轄領に手を出すリスクを考えなかったのだろうか。
これまでそれが許されてきたから、この先も許されると思ったのだろうか。
「……なるほど、よくわかった」
しばらく時間を置いてからの孫九郎の返答に、松之助殿がはっと顔を上げた。
「だが其の方は若年とはいえ庵原の当主だ。実の母の行いを、止めることができなかった責はある」
「……はい」
「それで、如何する?」
孫九郎がそう問うた時の、二人の表情は対照的だった。
真っ青な顔をして、まるで鉛の塊を飲み込んだかのような松之助殿。
表情は神妙だが、目だけが露骨に愉悦を浮かべている承菊。
異母弟を支える兄の手は、しっかりその背中に回っているが、孫九郎の目からは拘束しているようにしか見えなかった。
「承菊」
答えることができない松之助殿にではなく、その隣の僧形に声を掛ける。
「其の方の意見は」
「拙僧は出家した身にございます故……」
よく言う。だったら伊豆でお前がやっている事は何だ。
「構わぬから申せ。もとよりそのつもりで付き添ってきたのだろう」
うっすらと、赤味の強い唇が弧を描いた。
よかったな承菊。お前のその表情を、松之助殿は見ていないぞ。
代わりに被害を被ったのは、うちの側付きたちだった。可哀そうに、妖怪もかくや、トラウマ級のおどろおどろしさだ。
パチン、と孫九郎は扇子を閉じた。
承菊の存在感に呑まれていた者たちが、はっとしたように背筋を伸ばす。
「御屋形様の御存念をお伺いいたしたく存じます。我らが何かを申し上げる立場ではございません」
承菊の、やけに力なく聞こえる声に反応したのは松之助殿だ。
それまで青ざめた顔で細かく震えていたのに、急に責任を思い出したかのように毅然とした表情でこちらを見る。
「実の母ではございますが、御屋形様に従わぬとあらば、処罰もやむを得ぬと思うております」
松之助殿は薄い唇をぐっと引き締め、数秒間言葉を選んでから続けた。
「諫めはしたのです。家老を含め古参の者が母と同意見で、聞く耳を持たず」
一瞬、承菊の伏せられた目の奥が意味深に光った。
なるほど、と思ったのは孫九郎だけだろう。
自身は直接動かず、周囲を思うように操り行動させる。承菊のやり口は相変わらず如才ない。
おそらく孫九郎が大鉈をふるうことを期待しているのだろうし、今の今まで、孫九郎自身もそうするつもりでいたのだが……
「庵原の事は庵原で片をつけよ」
丁度いい所に来てくれたのだから、後始末は兄弟でしてもらおう。
「瀬名の件を含め、うまく始末をつけよ。きれいに幕を引くことができれば、それ以上庵原に罪は問わぬ」
そんな顔をするなよ、承菊。怖くて漏らしてしまうじゃないか。
松之助殿の母親は、この男にとっての怨敵のひとりだ。想像するだけだが、四肢をもぐレベルの復讐を考えていたのだろう。
だが松之助殿が処罰を担当すれば、厳しい仕置きにはならない可能性はある。
せいぜい権限をはく奪して幽閉か? 桃源院様と同じだな。
それが不服なら、自ら手を下すことだ。
いやあ、余計な手間が省けて良かった。あとは高みの見物で済ませられるか?
「今現在駿府にいる兵は千だ」
孫九郎は手にした扇子を弄びながら続けた。
もともとの防衛兵が五百に、孫九郎を今川館まで送ってきてくれた福島兵が五百だ。
とんぼ返りさせるのも悪いので、十日ほど駿府で休息してからの帰還を命じてあった。
「明後日には、堀越の当主が甥の顔を見るついでに挨拶に来る。ニ、三百は同行するだろう」
他にも、この近辺の兵をかき集めると、更に五百は集まる。
つまり、最大限使うとするなら、二千弱。
不服そうだった顔が、孫九郎が徴用できる兵数を上げていくにしたがって何かを考えるようなものになった。
「承菊」
「……はい」
「この孫九郎の代わりに、采配を振るってみるか?」
孫九郎は松之助殿ではなく、真正面から承菊を見て言った。
もちろん、悪い方向に進むようなら止める。独断ではなく、孫九郎の意に沿うような結末に導けという意味だ。
重なった視線は相変わらずの強烈な目力で、思わず引いてしまいそうだったが、そこは根性で踏ん張った。
前々から思っていたのだが、有能ではあるが勝手気ままなこの男の手綱を、一度しっかりと締めておかなければならない。
扱えないなら、いずれ敵に回る可能性を考慮しておく必要がある。
「きれいに始末をつけよ。其の方の思いはわかっているが、限度はある」
つまり、やりすぎは駄目ということだぞ。
「この手を取るなら程度を学べ。足りぬならまた機会はやる。個人的意見だが……一気に刈り取るよりじわじわ締め上げる方が効くだろう」
死んでしまえば、苦しみはそこまでで終わる。……そうだろう?
承菊の大きな二重の目が、ギラギラと判別が難しい色合いで輝き始める。
それの意味を計るのが恐ろしくて、孫九郎はすっと視線を逸らせた。
「御屋形様」
承菊は松之助殿を支えていた手を外し、改まった態度でこちらに向き直った。
その口調は歌うように滑らかなものだったが、すっと膝を進めてくる迫力たるや、その身なりが僧形だというのを忘れてしまいそうだ。
え、いやちょっと待て。なんでそんなに近づいてくる⁈
護衛が刀の柄に手を当てるほどの距離まで、すすすっと寄ってきた。
「お任せください。必ずやご期待にお応えしいたします」
そう言って、きれいに剃りあげられた頭を触れそうな距離で低く垂れた。
なんでこいつはいちいち、肝が冷えるような事をするのだ。
「お手並み拝見と行こう」
やっぱり苦手だと思いながら、孫九郎はひとつ頷いた。




