1-9 遠江 掛川城6
想像していたよりもずっとマシだった。
二木の事だから、諏訪か村上を海野に攻め込ませるぐらいしそうな気がしていた。
その気になればできる事でも、父の迷惑になるような真似はするなと、散々言い聞かせたのが効いたか。
むしろ逆に、海野の正室側が意外とやる。
源九郎叔父を排除しようとしたのだろう、武田と手を組む気か。
武田と今川は、現行で戦の真っ最中とも言ってもいい関係性だから、そこと手を組まれたら源九郎叔父の立場は難しくなる。
父が信濃に飛んで行こうとしたのは、叔父に戻ってくるよう説得するためか。
いくら今は優遇されていたとしても、今川の宿敵武田と組まれてしまえば、海野家は叔父とその子らを跡継ぎ候補から外すだろう。
叔父の子たちが問題ではなく、あとどれぐらいかで生まれてくる側室腹の子が問題だったのか。
ガミガミと叱られて、ふてくされた表情の二木を横目で見る。
この男が、嫡男の側室の素性を調べていないわけがない。
いくら側室を入れても子は出来ないと楽観していたのか? あるいは。
「ですが、あの腹の子が誰の子かわかったもんじゃないですよ」
唇をへの字に結んだ二木の悪態に、志郎衛門叔父のお小言が止まった。
何を考えているか、何を疑っているのか、察しがつかなくもないが……
「どんな疑いがあるのだとしても、海野の嫡男の長子としてうまれたのなら、そう扱われるだろう」
孫九郎は、煮え切らない表情の叔父を見上げ、静かに言った。
「証明のしようがないことをあれやこれや言っても、真実など誰にもわかりませんよ」
志郎衛門叔父がお葉殿のどこに不審を抱いているのかわからないが、あれだけ父に似た幸松が別の……たとえば兵庫介叔父の子なのではと疑ってかかるのはよくない。
「重要なのは定かになりようもない真実ではなく、その事を利用して暗躍する者が出てくることです」
志郎衛門叔父の態度から、何かを察する者も出てくるだろう。
そうすれば、福島家が揺らぐ。
父がもう少し家の中の事に関心を持ってさえいれば、兵庫介叔父のような有象無象の増長を防ぐこともできるだろう。
結局のところ、すべてがそれに尽きる。
「逆を言えば、誰の子であろうとも、しっかりと家をおさめることができるのなら、海野の側室が生んだ子が跡継ぎになってもいい」
「……ですが」
二木は黙り込んだ志郎衛門叔父を横目で見てから、孫九郎に向き直った。
「せっかく信濃に勢力を伸ばせそうなのに、武田にしてやられるのは」
いったん、幸松も源九郎叔父の事も脇に置いておく。
武田が海野家に手を伸ばしているのは、海野の正室からの要請があったからだけではないだろう。
冷静に考えてみよう。
武田にとって、駿河への定期侵攻はただの消耗戦だ。
いや、略奪をして領民の食い扶持を稼いでいるのかもしれないが、実入りよりも支出の方がおそらく多い。
今の甲斐を取り囲む環境は、強豪ぞろいだ。
一番弱い部分だった今川が勢いを増し、城を奪うどころか、思うような略奪もできなくなっている。
ならばどうする? おとなしく盆地に閉じこもって、領民が飢えるに任せるのか?
史実ではどうだったのだろう。
御屋形様の死後、今川が立て直すまではせっせと略奪を繰り返したのだろうか。
乏しい知識だが、今川家は桶狭間までに三国を支配していた。
ならば、孫九郎がいようがいまいが、今川家は勢力を増したという事だ。
有名どころの武田信玄が、もう生まれたのかどうかはわからないが、史実であれだけ強壮と言われた甲斐武田家だ。
勢力を増す今川家に張り合って、あちらも勢力を伸ばしたのだろう。
だとすれば、どちらの方面に?
「……やっぱり信濃だろうな」
孫九郎のつぶやきに、二木が真顔になる。
「そうか、甲斐は信濃を狙っているのか」
「ええはい。海野を糸口に、攻め入るつもりではないかと」
なるほど、それで父はどうあっても源九郎叔父を引き取りに行きたいのだ。
近い将来、武田の侵攻があるのだとして、国境に近い海野は真っ先に狙われるだろう。
だから海野の正室は、武田の血筋を入れようと思ったのか。
孫九郎は、月代にタンコブをこしらえた二木を見下ろし、頷き返した。
「父上を送るわけにはいかない」
居住まいを正して真剣な顔をしても、タンコブで台無しだ。
孫九郎の視線の先を察し、二木が手を額に置くが、かなり痛かったのだろう顔をしかめている。
「わかっておりますよ、某に行けというのですね」
いや、二木だけでは使者として少し軽い。
高遠相手に大暴れした父が行けば、反感を買うだろうから却下。
万が一武田の勢力が幾らかでも入っていた場合、すぐに血が流れてしまう可能性がある。
源九郎叔父の進退が決まらないうちに、それは避けたい。
できれば志郎衛門叔父に頼みたいところだが、叔父がいなくなれば掛川城が回らないのだ。いっそ今川館から文官を呼ぶか?
「幸松殿に行かせましょう」
志郎衛門叔父が、淡々とした口調で言った。
孫九郎はぎょっとした。
「幸松は元服もまだですよ!」
「同じ年頃のどなたかは何をなさっておいででしたか」
即答されて口ごもる。
孫九郎と比べるのは酷だと思うのは、幸松にとって良くない考え方だろうか。
「福島家の嫡男として、お使いぐらいはしてもらわねば」
幸松が使者に? 本気で言っているのか?
叔父の口調は厳しく、隔意があるのが露骨だった。
「叔父上」
思わず窘めると、ちらりとこちらを見下ろしてきた視線が、「わかっております」と告げている。
幸松はいい子だ。
父の背中を追って、立派な武士になるだろう。
雑音があるのだとすれば、それを排除すればいいだけだ。
叔父にもそれはわかっているのだろう。
「幸松の側付きを入れ替えたのは叔父上ですか」
「あの子に見どころがあるのは確かです」
だからこそ、お葉殿とその親族からは切り離そうとしている。
理解はできる。
実に気が重い方針だが。
「幸松の側付きの筆頭は、三郎ですよね」
「はい」
三郎というのは志郎衛門叔父の嫡男だ。
「信濃へは同行するのですか?」
「幸松殿が向かうのなら、付き従うのが側付きです」
いやまだ十五にもならない若さだろう。
筆頭ですらその歳というのは危ないんじゃないのか?
「今川家当主からの祝いの品を送るという名目があります。おいそれと手出しは出来ますまい」
孫九郎は、意見を変えてくれそうにない志郎衛門叔父を見上げ、唇を引き結んだ。




