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春暁記  作者: 槐
信濃編

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8-7 信濃 小県 太平寺城7

「お待ちを。いったいこれはどういうことか」

 今口を挟まずいつ挟むと、意気込んで声を上げたのは根津殿だ。

 不服を感じたのは彼だけではないようで、後続の鎧兜を身にまとった武士たちが、その武威を誇示するかのように足を踏み出す。

 根津殿の背後にいる鎧武者たちは、海野方についた近隣の有力者たちだろうか。進退を勝手に決められてはたまらないと感じたのは理解できる。

 しかも孫九郎の外見は、小柄で幼げな少年なのだ。

 己らの半分ほどしかない背丈の子供相手に、大の大人が引くわけにはいかないと思ったか。

 だが、威勢が良かったのは初動だけだった。ガシャンと鎧が鳴ったのも一瞬だ。

 鎧武者たちは、一歩踏み出した姿勢のまま凍り付いた。

 重そうな鎧の隙間に向けて、抜き身の刀が突き付けられていたからだ。

 うちの護衛たちも、非武装の女性が相手とは違って対処しやすかったようだ。

「下がられよ」

 そう言ったのは、胡坐をかいて座っている二木だ。

 ……嫌な予感がした。

 おい、頼むから場をかき回さないでくれよ。

 二木は孫九郎のそんな願いをするっと無視して、いつものあの、味方でも非常に腹が立つ表情で鼻を鳴らした。

「弱い犬ほどよう吠える」

「……っ!」

「村上軍を相手に日和見をして、結局一戦も交えなかった軟弱者らは黙って頂こう」

 頼むよ二木。煽ってどうするんだよ。

 当然のように、導火線に火のついた鎧武者たちだが、その真っ赤な顔は怒鳴り声を上げる寸前で冷や水を浴びせかけられたように強張った。

「申し上げます! も、申し上げますっ」

 再び伝令が大広間に駆けこんできて、それと同時に、どこからか鬨の声が聞こえてきたからだ。

「本丸奥の丸が今川軍により占拠されました!」

「ふはははははは!」

 二木が、声高々に哄笑した。

「間抜け面よ!」

 ……いや、台詞が悪役すぎるだろ。

 孫九郎は懐に差していた予備の予備の扇子を抜いた。二木までの距離は数歩だ。

 はっとしたように高笑いをやめた二木が、孫九郎を見た。

 ぱっとかばうように頭を手で覆ったが、構わずペシリと一撃した。結構容赦なく。

「……痛いです」

 痛くなかったら意味ないだろうが。馬鹿。

 小手越しの腕を叩いても意味はないので、そのまま扇子の先でぐりぐりと無防備な頬を突いた。

 そうこうしているうちに、ガチャガチャと鎧が擦れる音が聞こえてきた。

 かなり大勢だ。

 先頭にいるのは、なんと幸松だった。

 その背後に付き従うように天野殿と、その麾下の将らが続く。

 小柄な子供組がひとりもおらず、周囲を武骨な鎧武者に囲まれてしまえば、鎧兜に覆われ容姿の伺えない幸松は小柄な大人のように見えた。

 幸松は大広間の入り口のところで立ち止まり、こちらを見て首を傾けた。

「……お手伝いいたしましょうか?」

 その声が、幼げな子供のものだということに、居並ぶ者たちは衝撃を受けた様子だった。

「手伝い? ……ああ」

 孫九郎は何事もなかったかのように扇子を腰に戻した。

 恨みがまし気な二木の視線は無視した。


 叔父上の妻子と、拘束されていた真田の一族を保護した。

 もともと天野殿を別動隊にして救出に当たらせていたのだ。

 いやどちらかというと、そちらの方が本命だったといってもいい。

 人質さえなければ、海野の言い分を聞いてやる謂れなどまったくない。

 思いのほか大事になり、大広間中が酷い騒ぎになったが、有能天野殿がテキパキと事を納めてくれた。

 本丸奥の丸だけではなく、ここ二の丸にも今川軍の軍旗が翻っている。

 とはいえ城を落とすつもりは全くなく、あくまでも「そう見える」だけだ。

 侵入後真っ先に旗を掲げるようにと命じただけで、実質的に太平寺城内の兵力はまだ保持されたまま。おそらく、全軍で掛かってこられたら相応に手間取る。

 だからこその軍旗。海野の将兵に、降伏したのだと錯覚させるためのシンボルだ。

「な、なんということを」

 震えながらそういう海野家嫡男。

 真っ青な顔で、ぐらぐらと上半身をゆらしている海野殿と、それを支えている三輪御前。

 何とかしてこの場から抜け出そうとする海野家の重臣たちも含め、誰もそのことに気づいていないのは「うまく策が発動した」と思うべきだろう。

 当主一族の身柄も押さえ、これで実質的にも城を落としたことになるのか? ……随分とあっさり行ったな。 

 海野衆以外の鎧兜の者たちからも容赦なく武器を取り上げ、厳重な見張り付きで大広間に留め置いた。

 望月殿も、根津殿もだ。

「卑怯であろう!」

 根津殿の非難に、改めて最上座に座った孫九郎は首を傾げた。

 卑怯とは? 人質を取って、叔父を思うが儘に動かそうとした海野の連中は卑怯ではないと? こちらはただ旗を付け替えただけだけどな。

「口には気をつけなされよ」

 ひやりとする口調でそう言ったのは幸松だ。

 孫九郎と同じ程度に子供っぽいボーイソプラノだが、やけにドスの利いた声だ。

 大広間を見回し、仁王立ちになっている様などは、まるっきり身体の容積は違うが父を彷彿とさせる頼もしさだった。

 あっさりさっくり太平寺城を制圧してしまった天野殿が、広く開けられた孫九郎の真正面までやってきて座った。

「終わったようにございます」

 相変わらずの、のんびりと間延びした声色だった。

 むしろそれが恐ろしいと感じるのは、孫九郎だけではないだろう。

 「旗を掲げる作業が終わった」と言っているだけなのに、命じた当の本人ですら、そこに別の意味があるのではと疑ってしまう。

 気を取り直して、頷き返した。

「話してくれましたか?」

「はい。この城にはいたくないそうです。駿河に行くと同意しました」

 どちらも海野殿の娘かそれに近い存在のはずだが、見限られたな。

 それはそうか、婚姻の自由がないのはさておき、嫁がされた後もまるで都合のいい駒のような扱いを受けたのだ。

 海野家を選ぶか、夫を選ぶか。子供の未来を選ぶかの選択は彼女らに任せた。

 今のこの状況からでも海野を選ぶというのであれば、その意思を尊重するつもりではいたが、やはり望まず人質にされていたという認識で間違いないのだろう。

「叔父上」

 妻子のことと察して腰を浮かせかけていた源九郎叔父に、にっこりと笑いかける。

「行ってあげてください」

 躊躇う叔父に笑顔の後押しをして大広間から遠ざけ、さて仕上げかと、凍り付いている大広間を見回した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 御屋形様の扇子ビシバシおでこグリグリ、 一部界隈ではご褒美でしょう…w
[気になる点] さて次回で評定というかお裁きか まぁ親族と真田を引き連れて撤収して海野のゴタゴタは望月氏にほぼ丸投げかな? 真田の小倅の希望の通りに海野上層部に詰め腹まで切らせられる?面倒は望月氏でい…
[気になる点] 飯富にやった扇子に握り潰した予備、さらに懐に予備の予備──きっと下賜したり脳筋供を叩いて折れたり日頃から消耗品なんですね。今川相続までお守りだった菊の御紋の扇子を寒月様にお返ししに土佐…
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