7-2 信濃 立科
二木はしきりと背後を突かれることを気にした。
むしろ、絶対に襲い掛かられるだろうと確信しているようだった。
孫九郎とて考えなかったわけではない。
だから密かに見張らせてもいたし、備えてもいた。
具体的には配置の調整だな。確かに佐久衆は今川軍を追っている風を装っていたが、距離を詰めさせなかった。
佐久衆のほうも、完全に信頼されているわけではないという認識はあっただろうから、特に苦情や不服も出なかった。
というよりも、今川軍にはあまり近づきたくない様子だった。
まあ、状況を考えるとわからなくはない。
二木は念には念を入れ、忍びを監視につけた。
孫九郎は、どちらかというとそのリソースは別方向へ向けたかったが、心配がわからなくもなかったので、やりたいようにさせた。
信濃の守護は小笠原家だ。勢力としてはさほどでもないと前にも言ったが、信濃の各家門と複雑な姻族関係にある。
海野家にも、村上家にも、そのほかの多くの家に小笠原の血が流れている。
守護としての力は不足しているのかもしれないが、調停役としてのポテンシャルは十分にある。
ここで、今川軍に停戦の使者が来ないというのが、小笠原家の守護としての自覚のなさなのか、わざとそうしているのか不明だが、もしこういう対応をすべての場合で通しているのなら、結局のところは小笠原家の存在感の低下を招いているし、他国の者の「付け入る隙」になっているとも思う。
―――村上を叩くことはできるだろうが、この兵数では潰せない。
孫九郎の率直な認識はこうだ。
であるならば、「戦わない」という選択が本当はベストだろう。
もちろん「戦わない」にしても、下手に出る必要はないし、逆に仲良くする必要もない。
村上家はあまりにも駿河遠江から遠いので、良くも悪くも、わざわざ関係を築く必要もない相手なのだ。
たとえば今川軍を村上にぶつけたいのだとするなら、そう画策するのは海野だろう。
冷静に趨勢を見れば、誰にでもわかるだろうことを、小笠原家が見誤っているとは思えない。
つまりは、勢いのある村上を鎮めるために、パワーバランスの一環として今川軍をぶつけようとしているのかもしれない。
そう穿ってみてしまうぐらいには、小笠原家の動きがなさすぎる。
「お勝様」
そう言って丁寧に頭を下げたのは、孫九郎の夜番の側付き浅羽弥彦だ。
本来なら小笠原の嫡流である彼にとっても、考えさせられる状況だと思う。
「問題なく進んでおります。少し遅れている者もおりますが、許容範囲内かと」
「負傷者に無理はさせるな」
「はい」
もう少しで再び千曲川が見えてくる。
そこまでくれば、海野荘まですぐだ。
村上軍がその手前まで迫っている事はわかっているが、まだ距離はある。
「弥彦」
ふと、浅羽家は信濃に戻りたいのかもしれないという考えが頭をかすめた。
今なら可能だ。
そんな事を思い声を掛けたが、顔を上げた弥彦の表情を見て余計なことだと口にはしなかった。
すでに彼らは今川家でそれなりに上手くやっている。
弥彦以外の、嫡男も三男も、遠江と駿河で大いに力量を発揮してくれている。
だが、己のルーツとしての信濃を気には掛けているだろう。
孫九郎がいまだに高天神城をホームだと感じているのと同様だ。
「どうしてもついてくることができないようなら、別動隊を作るがどうか」
「負傷と申しましても浅手の者ばかりです。むしろ本隊に置いて行かれるより無理を通したいでしょう」
こういった長距離の遠征では、負傷兵を国元に送り返すこともできないのが辛い所だ。
「よく見てやってくれ」
「はい」
今川軍の構成は、天野軍と福島軍に二分され、それぞれに将がいるので孫九郎が口出しすることもないのだが、負傷兵の扱いについては彼らも迷っていたので、手が空いている孫九郎の側付きに交代で面倒を見させている。
孫九郎はふと、遠くに見える丘のような尾根に目を向けた。
あそこを越えると、また一戦構えなければならない。
「村上殿は好戦的だな」
弥太郎ら忍び衆の調べによると、今川軍を迎え撃つ気満々で待ち構えているらしい。
いくらこちらが戦いたくないと思っていても、相手から仕掛けられたら応じないわけにはいかない。
「恐ろしいのでは」
弥彦の思慮深げな返答に、再び視線を戻す。
「恐ろしい?」
「お勝様は、たった千五百の兵で、猛威を振るっていた武田を退けました。そんな軍勢が村上が兵を構える場所に来るのだと思えば……」
いや、武田の場合はほぼ自爆だろう。
前山集落から敗走した時には、まだ兵数はいた。
負けに納得できなかったのだろう、あんなにもわかりやすく突撃してくるから返り討ちに合うのだ。
孫九郎は、軽く顎をさすって「ふむ」と呟いた。
村上殿は父に似たタイプの武将だと思っていたが、まだ数え十二の小僧相手に「怖い」と思うものか?
むしろ武田殿は子供が相手だと甘く見て自爆した気がする。村上殿も恐れているというよりも甘く見ているのではないか?
「武田が本陣を狙って突撃してきたのは、お勝様の首を取れば勝てると考えたからです。間違ってはおりませぬ。お勝様はそれほど恐れられております」
……こんな非力な小僧ひとりを?
孫九郎は心底訝しく思ったが、芦田城で床に額をこすりつけていた佐久衆のオヤジどもを思い出して口を噤んだ。
「我ら側付きが御身に指一本触れさせは致しませぬ。思うがままに御動き下さい」
弥彦の丁寧な言葉にも今ひとつ納得できなかったが、反論はしなかった。




