7-1 信濃 芦田城
芦田城大広間。
何度もいうがこの時代に天守閣はなく、城と言っても屋敷を大きくしたものだ。いや違う、屋敷というには小さい造りの場合が多い。
大抵は平地にある町からほどよく距離をあけた、山の上などの訪問しにくい場所に建っている。狭いのは、城は防衛施設なので、攻め込みにくい構造に作るからだ。
つまり、いったん内側に入るとおいそれと逃れられない、という反面も持つ。
……芦田城で待ち伏せされてしまった。
ちなみに襲撃ではない。
「……えええ」
周囲に聞こえないよう、思わずこぼれた声を飲み込む。大声は堪えたが息は漏れたし、足が止まるのは防げなかった。
見知らぬ男たちの下げられた頭がずらりと並び、本来城主が座るであろう場所まで、まっすぐ道が空いていた。
これは、どういう状況?
……いや、初めてではない。今川家という超マンモス国家を率いているわけだから、大勢に頭を下げられ迎え入れられることは、むしろ多い。
だがここは信濃だ。百歩譲って、芦田城を落とした立役者として上座を勧められるのはまあアリとしよう。
だが全員で平伏して出迎えると言うのは、ちょっと違うんじゃないかな。
信濃に家臣を持った覚えはないぞ。
「望月殿」
上座の方に見覚えのある姿を見つけ、その名を呼ぶと、下げられていた頭がさらに深く木の床に押し付けられた。
これはあれだ、何かお願い事がある感じ?
孫九郎はため息を飲み込んで、むさくるしい男たちがひしめいている大広間に足を踏み入れた。
はっきり言えば、身の危険を感じる。怪我や命の心配ではなく、別の意味でだ。
歩きながら、どういう意味だと自分で突っ込んだ。
オヤジども相手に身の危険を感じる? 暴力的な意味合いではなく? では何だろう。
言語化するなら、よくわからない場所に踏み込む不安だろうか。
それにしても、こいつら大きいな。信濃の男は大柄なのか?
座ったら絶対小さいのが際立つ。
「頭をあげられよ」
せめてもの抵抗と、空席の最上座に座る前に、立ったまま言った。
今川館だとそこで一斉に頭が上がるのだ。まるで練習したかのように。
だがここではおずおずと、それぞれのタイミングでだった。
顔を上げた佐久衆たちは、皆ことごとく緊張した表情だ。しかも、誰とも目線が合わない。
一番最後に顔を上げた望月殿ですら、微妙に視線は床に据えられたままだった。
「どうぞお座りください」
ここで「嫌です」と言えばどうなる? そんな誘惑を弄びながら、用意された場所に座った。
続いて逢坂と二木が、土井ら側付きたちが孫九郎の身辺を守る位置に座るが、信濃衆は誰も文句を言わなかった。
ちなみに源九郎叔父と天野殿は、芦田城外で兵を率いて待機している。万が一があった場合の備えだ。
「……随分と物々しいですね」
お子様相手に大勢で囲むというのはどうなんだ。虐めか?
「もうしわけございませぬ。皆が治部大輔様に御目通り願いたいと申しましたもので」
ここでは「お勝」と呼んでくれと頼んだのに。……今更だけどな。
孫九郎は落ち着けと自身に言い聞かせながら、側の脇息に肘を置いた。大人用なので若干高い。
望月殿が咳払いをした。
やはり何か話があるようだ。場の雰囲気からいって悪い話ではないと思うのだが、厄介事の臭いがプンプンする。
「治部大輔様はこれより海野荘に向かわれるとか」
「……ええまあ」
「海野荘へは村上が兵を迫らせ、油断ならぬ状況だと聞いております」
そうだな。言われるまでもなく。
千五百の兵では心もとないと思っていたが、援軍してくれるということは……あるはずがないか。
佐久衆にとって村上は怖い相手だろう。武田と並ぶ、いやそれ以上の脅威かもしれない。
「我らの一部に、村上より書簡が届いております」
言いにくそうに、しかしはっきりとそう口にした望月殿の表情は、思い切ったことをしたとばかりに強張っていた。
つまりはなんだ? 村上は既に今川と敵対する構えでいるのか?
「それは……我らを後方から突けと?」
面白い事を言う。
佐久衆は単独では小規模の国人領主ばかりだ。たまたまここには大勢集まってきているし、まとまれば二千という兵数をかき集めてきているが、最大手の望月殿とて相当無理をして五百がせいぜいだろう。
かくいう村上家も、いうなれば信濃の一国人領主、信濃の中では最大規模の勢力を持ってはいるが、千五百の今川軍と真正面から戦って無傷とはならないはずだ。
「佐久衆に死ねと言うているわけですか」
まさか今川軍に襲い掛かって、佐久衆に勝ち目があるとは思っていないだろうに。
孫九郎は、深刻な男たちの表情をぐるりと見まわした。
なるほど? わかってきた。
彼らは口裏を合わせたいのだ。
例えば、動かなかったことを村上に知られたくない。指示に従えなかったのもやむを得なかったという事にしたい。
武田の襲撃があったのは事実だし、その被害が甚大だという言い訳はできなくもない。
だが、佐久衆のすべてからそういう返答があったら、さすがの村上も気づくだろうし、それは避けたい。そんなところか。
「……面白い」
個人的に言わせてもらえば、既に村上も状況を分かっているはずだ。
今川軍の動向を見張っているに違いなく、ここ芦田城での話の内容すら察知しているかもしれない。
孫九郎は軽く顎に手を当てた。
佐久衆のむさくるしいオヤジどもをぐるりと一周見回してから、小さく首を上下させる。
「いいでしょう。攻めてみてください」
「いえ、お待ちを。我らは」
慌てて違うのだと言おうとした望月殿を、手を上げて制した。
「わかっています。実際に戦う必要はない」
訳が分からないという表情をした望月殿に、にっこりと笑みを向けた。
露骨に怯んだ表情をされたのは心外だ。
「……二木」
「はい」
普段の胡乱気なものではなく、普通に普通の返答があったことに少し驚いた。
ちらりと二木の顔を見ると、二木はじっと佐久衆の動きを観察していた。
常にも増して、蛇のようにじっとりとした目つきだ。
「駒がこれだけあれば、策も立てやすかろう」
「ですが、実際は味方として戦ってくれるわけではないのでしょう?」
「その必要はない。村上の兵が二千を越える事はあるまい」
「佐久衆が本当に敵対しないと確証がないうちに、背中を向けるわけには参りません」
「二木」
孫九郎は今度こそ明確に、声を出して笑った。
「うまく今川軍を囲めたと思うた村上はどうすると思う?」
うわさに聞く村上殿は、戦国時代にふさわしい尚武の男だ。武勲も戦歴もどこか父に似ていて、策を講じるというよりも力業を好む気質だと思う。
二木の視線がこちらを向いて、その眉間にぎゅうと皺が寄る。
「……策をここで公言して、村上に伝わらぬとどうして言い切れますか」
「何も言うておらぬではないか」
「言うているも同じではありませんか。囲まれたと見せかけ、おびき出すおつもりで?」
孫九郎がくすくすと笑うと、佐久衆たちは居心地悪げに身じろいだ。
「望月殿」
「……は」
何を言われるのかと身構えている望月殿を見て、内緒話をするように口元に手を添えた。
「死ねと言うてくる村上など、適当にいなしておけばよい」
おもしろくなってきたぞ。
「今川に味方する必要はありません。多少手間取って出遅れ、攻め切れぬふりをしてくれるだけでよい」
戦は将棋や碁と似ている。
ただ、決まったルールに従って動くという固定概念のようなものがあり、その裏を突くのは難しい事ではない。
裏の裏をかくことを考えはじめると厄介だが、相手にそのような策士がいるなら、そもそも戦う気のない今川と敵対しようとはしないだろう。
「おびき出すことができれば」
孫九郎はゆっくりと言葉を発し、「ふふふ」と笑った。
「大将を狙えばよいだけだ」
武田殿が考えた事も、あながち間違ってはいない。
総大将の首さえとれば、兵は崩れる。




