5-7 信濃 佐久前山集落5
固まってしまった小姓組とは違い、若い側付きたちは素早く動いた。
さっと木襖に駆け寄って、勢いよくバン! と開け放ち……
「……叔父上」
そこに広がった光景を見て取り、こわばった表情でそう言ったのは三郎だ。
治療中の為に半裸の叔父が、傍らの男の首を腕で締め付けていた。力が入らないのか、体重をかけてまでの切羽詰まった表情だ。
「傷に障ります」
三郎はさりげなくこちらに目をやってから、潜めた声で言った。
南が素早く廊下に面した襖を閉じていく。
他の側付きや小姓たちが弾かれたように動いて、出入りできないよう、その前に立つ。
幸松の護衛のような顔をしている谷らと、叔父のいた部屋で控えていた弥太郎は、特に動きを見せなかった。
叔父はもとより、この場にいる海野衆は、深手を負っていてまともに動ける容体ではないのだ。
幸松の、「やってしまった!」という表情に笑いそうになった。
確かに大きなミスではあるが、そろそろ構わないかとも思っていたので、そこまで気に病む事はない。
誰も孫九郎の方は見ない。不自然なぐらい誰もだ。
叔父に押さえつけられている者も、そうではない海野衆も、特に抵抗しているわけでも大声で叫んでいるわけでもない。
そんな彼らまでもがこちらを見ない事が、なお笑いを誘った。
「……っふ」
抑えきれずに声を漏らすと、蛇を前にしたネズミのように固まっていた海野衆が、ビクリと飛び上がった。
「まあよい」
孫九郎がそう言うと、その場にいた全員が一斉にこちらを見た。
その息の合った動きに、「はははは」と笑い声がこぼれた。
さながら、だるまさんが転んだ? 皆真剣な顔なのがなおの事妙だ。
ひとしきり笑っているうちに、まず源九郎叔父が。次いで南が肩から力を抜いた。
「叔父上、まだ熱っぽい顔をしておいでですよ。急に動いては傷に障ります」
にっこり笑ってそう言うと、誰かがごくりと唾を飲みこむ音がした。
―――駿河の竜
小声でささやかれて、今度は苦笑寄りの笑みをこぼす。
やめてよそれ。ヤクザか半グレの通り名みたいで恥ずかしいんだよ。
「も、申し訳ございませぬ」
特に口止めもせず、「お大事に」と、病室との間の襖を閉ざし、身内だけになったとたんに、幸松が青ざめた表情で言った。
「よいと申した。遅かれ早かれ気づかれた」
孫九郎はパタパタと手を振って、笑みで返した。
おそらく海野衆は口外しないだろう。だがあの態度では、絶対に誰かが疑問に思う。
「伴野の家老が挨拶に来ていると申したな」
「……あっ、はい」
忘れていたのだろう、南が慌てた様子で頷いた。
「五名ほどの少人数ですが」
今川本陣が狭いんだから、大勢で詰め掛けられても困る。
伴野にしてみても、気を使った人数なのだろう。
「会おう」
「ではお支度を」
「いや、このままでよい」
感心しないという顔をしたのは南だけだ。
何も言わずとも、幸松の側付きや小姓らが動き始めた。幸松が、これまで使っていた敷物を上座に置き、「どうぞ」という風に孫九郎を上座に導く。
事態を聞きつけてきたのか、藤次郎が着替えを持ってやってきた。こいつ、長旅の間中もずっと、孫九郎の一張羅を運んで来たんだぞ。だがそれは今はいい。
あっという間に、場が整えられていった。
そもそも武家屋敷ではなく田舎の庄屋の家なので、格が高い造りをしているわけではない。雨風はしのげるが、今川軍の主だった者を収容できる部屋数もなく、その一部は怪我人の治療場所として明け渡してもいた。
客人を迎えるのは、庄屋の家の中で唯一広さが取れる部屋だ。
小姓組が濡れ布巾で床を拭き始めた。こんな時なのだから、多少埃っぽくてもいいのにとは思うが、彼らなりのこだわりというか考えがあるのだろうから、口は挟まない。
一通りの片付けが終わり、子供たちがそれぞれの定位置についたところで、天野殿が到着した。連れ立ってきたのは二木だ。
そしてその背後には、恐縮した様子の小具足姿の集団が続いていた。
先頭を歩くのは、屈強な体格の三十歳ほどの男。
その真後ろに小柄な少年が、更に後ろには二人ずつ、こちらはちょっと年齢が上の、白髪交じりの男たち。
少年を入れて、計六人だ。
どの者も煤や血で汚れた身なりをしていて、やはり着替えずにいて正解だったと思う。
彼らは礼儀正しく視線を伏せたまま部屋に入ってきて、天野殿が勧めた位置に座った。
驚いたことに、孫九郎と正対する位置に座ったのは、年の頃もそれほど変わらない二番目にいた少年だった。
引き立て烏帽子をかぶっているので、一応は元服はしているようだ。
「お初にお目にかかります。伴野家家老、望月三四郎と申します」
見た目は小柄だが、力強い声だった。
「この度はご助力頂き、誠にありがとうございます」
額を床に擦るほどに低く下げると、ますますその痩せた首筋が露わになり、病気なのではないかと不安になってくる。
……いや、身体の大きさや年齢については人の事は言えないんだけど。
何故彼のような若者が家老と名乗るのか。まさかこちらを下に見て、その程度の対応ですませようとしたわけではあるまい。
左右に控える男たちは身なりも年齢もそれなりだから、取り次いだ者たちはそちらが家老だと思っていたようで、いざ対面となったときに彼らの中で一番上座に座ったのが子供だったことに驚いた表情をしている。
だが二木も、天野殿も、表情は変えなかった。
……それはそうか。
若輩者が最上位という状況に、彼らほど慣れている者はいない。
天野殿がちらりとこちらを見てきたので、頷き返す。
「御顔を上げられよ」
人当たりの良いその声色に、若干表情を緩めて顔を上げた伴野家の者たちは、最上座にいる孫九郎を見て唖然とした顔になった。
その目がさっと警戒の色を浮かべたのは、罠だとでも思ったのだろうか。
彼らは広くはない部屋を見回し、幸松が孫九郎よりも下座に座っているのを見て、さらに混乱した表情になった。




