5-6 信濃 佐久前山集落4
それほど待たず、雨が降り始めた。
いまだ集落を燃やし続けていた炎が下火になり、くすぶり始める。
この時代に多少の雨に濡れる事を厭うのは、身分が高い方々ぐらいなものだ。
武士たちは雨の中、せっせと火の処理をして、これ以上燃え広がらないよう建屋を壊すなどの作業にいそしんだ。
濡れすぎるとさすがに問題になるのは負傷者だ。
雨の中では治療もできないし、衛生面から回復の見込みも大きく下がる。
何とか燃えずに残った古い寺があって、そこを仮の治療所にした。
幸松ら少年組も、もっと幼い年少組も、蓑をつけたり笠をかぶったりと雨除けをしているので全く問題はないのだが、屋根のある建物がいくつか確保されたことでそこを今川の本陣にと勧められた。
まあ、見るからにお育ちの良さそうなお子様がいたら気になるよね。
周囲からの視線がこちらに集中するぐらいには、荒くれ武者どものただ中に子供というのは目を引いた。
この時代、戦に出るのは元服を済ませた者がほとんどだ。故に、小具足姿であろうとも烏帽子をつけていない集団は目立つのだ。
幸松が意図して派手な装いをしてくれているのは助かった。上背のある子なので、金糸織り交ぜた派手色の小具足がよく似合う。
もちろん孫九郎は、その他小姓組と同じで、紺色メインの地味装束だ。小具足姿ですらない。さすがに直垂ではなく、動きやすい小袖に袴だけど。ついでに言えば、容姿がわからないよう蓑をたっぷり被せられているけど。
忙しく働く大人たちの邪魔にならないよう、こまごまとした仕事をしつつも、気になるのはやはり源九郎叔父の負傷だ。
やがて火が消えた後に広がったのは、月のない真っ暗な夜だった。
武田が残していった篝火台を再利用して、中の濡れた薪だけを新しいものにした。薪入れは鉄製なので、何度でも使えるのだ。
最終的にはっきりとした村の被害は、目を覆いたくなるようなものだった。
建屋が燃えただけならまだしも、村の担い手である男たちへの仕打ちが容赦なく、徹底的に潰すというそのやり方に、怒りよりも怖気が立つ。
生き残った者の大半が非力な女子供だけだというと、どういう惨状か伝わるだろうか。
武田が他の村から攫ってきた女子供らもいた。結構な数だ。
男手を失くした彼女たちは、この先どうなるのだろう。
命が助かったその次に待っているのは、生活苦や飢えになるのだろうか。
それは佐久衆が気を配るところであり、孫九郎が心配しても仕方がないことなのだが、大勢の遺体に土をかぶせる様子を無表情に見ている女子供の姿に、なんともいえない気持ちになった。
叔父の熱が高いらしいと聞いたのは、弥太郎からだ。
そんな事だろうと思った。合流してからの叔父は配下の傷の手当と火災の収拾を率先してやっていたが、落ち着いたころに話があると呼び寄せ、治療に専念するようにとお願いした。
小姓組の隣の部屋に床を作り、孫九郎がいない時にも福島家の家臣の誰かがいる状況を作った。
寝込んですぐは良かったが、やはり疲労がたまっていたのだろう、ひと眠りした後から熱が上がり始めたそうだ。
「安静にさせよ」
そう言ったのは、寝間を覗き込んで横たわる叔父を見た幸松だ。
枕元に、海野から付いてきた副将らしき男。
聞くところによると、塩尻峠の手前で別れた新之助殿の乳兄弟らしい。
「矢田源四郎と申します」
幸松に向かって丁寧に頭を下げる濃い眉毛のその男も、浅手とは言えない怪我をしているようなので、改めて弥太郎に治療をさせた。
叔父が連れてきた海野軍は、死者はそれほど多くはないが、負傷者が看過できないほどの数らしい。
あんな装備で武田の本陣に特攻をかけて、多くが負傷で済んだというだけでも相当の猛者連中だとわかる。
他ならぬ叔父の配下の者たちだ。特に目をかけて手当てをするよう指示しておいた。
夜明けが近づくにつれ、生きている者たちの腹も空く。
だが、兵糧と分断されている今川軍に、飢えている者たちに手を差し伸べる余裕はない。
取り急ぎ駆けつけてきた佐久衆も、こちらと似たような状況だった。
申し訳ないが、武田が『落としていった』かなりの量の兵糧を使わせてもらうことにした。
本来ならば、被害に遭った村々に返還すべきものなのだが……これだけ大勢が空腹状態だというのは、いろいろと良くない。
もちろん、今川軍がそれに手を付けるのも後々問題になりそうなので、判断はこの地の領主である伴野家に任せた。
彼らがどうするか観察していたのだが、ちゃんと被害にあった村人たちにも、攫われてきた者たちにも平等に食料を配給しているのを見て、わずかながら安心したとだけは言っておく。
「失礼いたします。伴野家の家老がご挨拶をと申しております」
幸松の側付き(少年組)と、小姓(年少組)とで、おとなしく握り飯を食べている最中、南が廊下からそう声を掛けてきた。
そういえば、城に案内されたのを断ったのはどう伝わっているのだろう。
すでに食べ終わっていた小姓たちが、上座に向かって丁寧に頭を下げてから車座になっていた一角を開けた。
南は折り目正しい所作で礼を取ってから、いったん立ち上がり部屋に入ってくる。
「二木が、これからどうされますかと」
これは孫九郎への問いかけだろうな。
武田を追い返すまでは、「お勝」でいると言っている。今の状況をどうとらえるべきかと聞いてきたのだろう。
いやもちろん、佐久兵がこれだけ多い状況下では秘匿一択だ。
そう言おうとしたのだが、南の表情は微妙だった。
「天野様は、そろそろよろしいのではと」
まあ確かに、いつかは知られてしまう事なら、これだけの佐久衆が集まっている中で明らかにするのも悪くはない。
秘密にしていたことを、後々変に勘ぐられても困るし。
だが孫九郎の本心としては、今回の戦をきちんと幸松の白星にしてやりたかった。
ここで孫九郎が出てくると、すべてかっさらう事になるだろう。
「某は賛成です」
不意に、これまでは黙々と握り飯を食べていた幸松が口を開いた。
「いつまでも兄上に小姓役をさせておくのは気が引けます」
それほど大きな声だったわけではない。
だがガタリと、隣室で音がした。
海野衆の一部がそこにいるのだと思い出したのは、数秒後だった。




