5-5 信濃 佐久前山集落3
叔父は、更に幸松に話しかけようとして、ぎょっとした様子でこちらを見た。
目が合った。
カッと見開かれた双眸と、その表情に、福島家長兄である父の面影を感じた。
なんだ? 直筆の書簡を渡したのに、孫九郎がここにいるとは思っていなかったのか?
孫九郎は軽くかぶりを振って制そうとしたのだが、それより早く叔父はずんずんと近づいて来た。
その時の、特に海野からの同行者たちの顔は見ものだった。
慌てふためいているのは、今川軍の総大将へすごい勢いで接近していったからだろう。
その心配そうな表情を見て、必ずしも叔父が彼らに受け入れられていないわけでもないのがわかった。
孫九郎らの前に出て立ち塞がったのは、谷だ。
巨漢の叔父に対するには小柄で、視覚的には半分ほどしかないようにも見える。
だが、矢まみれ血まみれの猛々しい叔父も、谷が刀の柄に手を当てているのを見て、頭が冷えた様子で足を止めた。
さっと周囲を見回して、二木を見つけて睨みつける。
「これはどういうことだ」
「……御下知をお断りできると思います?」
二木は通常運転の、非礼と言われかねないギリギリの口調でそう答え、肩を竦めた。
叔父はむっと険しい表情をしていたが、しばらくして「ふう」と肩を落とした。
二木の口調も何だが、それで納得する叔父もどうなんだ。
二人は気を取り直した風に、すぐに実務的な話に移った。
「急ぎ火を消しましょう」
「怪我人の面倒をみてくれないか、負傷者が多いのだ」
「わかりました」
叔父は丁寧に幸松に向かって頭を下げた。
いや正確には、幸松のそばにいる孫九郎に対してだったが、周囲は気づかないだろう。
孫九郎は、まだ刀の柄に手を置いている谷の腕に手をかけた。
叔父には警戒する必要はないだろうと、そういう意味を込めたのだが、触れた谷の腕の筋肉がいまだ固く張っているのに気づく。
どうした、と聞くまでもなかった。
山の方から、大勢の兵が近づいていた。
孫九郎の位置から光源が近いので、暗い方角はよく見えない。
だが、いくつもの松明のあかりは、降りてくる人数の多さを示している。
それ以上見えなくなったのは、叔父が子供たちの前に立ちふさがったからだ。
父ほどではないが、源九郎叔父も巨漢だ。……だから見えないって!
退いてほしい。そう口にする前に、谷だけではなくそのほかの側付きたちもが一斉に子供たちを取り囲んだ。
いや、刀は抜くなよ。まだ敵だと決まったわけではない。
「陣幕内へ」
二木が彼らに向かって指示を出す。
仕方がないので、孫九郎も流れに従って移動をする。
今川……いや福島本陣と化した陣幕内には子供だけが押し込まれた。
大人たちは周囲を守って警戒しているのだろう。
だが、状況がつかめないのは良くない。
「兄上」
耳を澄ませて周囲の様子を把握しようとしていると、幸松に呼ばれた。
振り返ると、やけに真剣な表情の幸松がこちらを見ていた。
「叔父上は怪我をしておられます」
はっとして、陣幕の入り口の方を見る。
完全にふさがれてしまって見えないが、戦闘が起こっている気配は感じられない。
あれだけの矢を受けているのに無傷なら、それはそれで恐ろしい。だが、実際に負傷しているかまでは考えが及ばなかった。
急にその事がひどく不安になってきて、幸松が「兄」と呼んだことにも気づかず歯噛みした。
この時代では、些細な手傷でも取り返しがつかない事になりかねない。
あれだけ動き回っているのだから今のところは良くても、感染症という恐ろしい敵に対抗できるかはまた別問題だ。
「失礼いたします」
そう言ってから、さっと陣幕を捲ったのは土井だ。
三郎を手招いて、何事かを囁く。三郎は露骨にほっとした様子で肩から力を抜き、「では移動ですか」と言った。
土井が幸松の前で片膝をつき、報告の姿勢を取る。
「伴野殿の兵五十下山して参りました。被災した村人と我らを城へ案内すると申しております」
つまりは、張ったばかりの陣幕を撤去する指示か。
だがちょっと待て。伴野は信用できるのか? そのあたりを二木が考えないとも思えないが。
「まずは消火だと二木が言うておったぞ」
孫九郎が口を開く前に、幸松が言った。
「火が燃え広がる前に消した方がよかろう」
「雨が降りそうだとの事です」
幸松の目がちらりとこちらを見てから、首を真横に振った。
「雨など今更だ。濡れるからという理由ならば移動は必要ない」
「しかし」
土井の目もちらちらとこちらを見る。陣幕で周囲からの視線が防がれているからと言って、二人ともこっちを見過ぎ。
孫九郎はため息をついた。
今の状況下で、どちらの道を選ぶのが正しいかなどわかるはずもない。むしろ、最悪の状況を考えた場合、どちらがより被害が少ないかで選ぶなら、断然ここに残るのが正しい。
二木がどうしても移動させたいというのなら、それなりの理由があるはずだ。
「二木様は」
孫九郎がそう言うと、二人の会話がぴたりと止まった。
何故そこまで驚愕の表情をしているのかわからず、小首をかしげる。
「何かこちらに伝え損ねたことがおありなのでは?」
そこで初めて、土井がはっとしたように息を飲んだ。
「も、申し訳ございませぬ。散り散りになっていった武田兵ですが、どうやらあらかじめ一か所で集結するようにと指示がでていたようで、遠からぬ場所に集結しているそうにございます」
陣幕の向こう側で誰かが聞き耳をたてていたとしても、土井がこちらを向いて両膝をついたことはわからないだろう。
「数は」
「報告によるとその時で百。ですがおそらく今も増え続けています」
孫九郎は頷いた。
「つまり、再び前山集落に襲撃があるかもしれないとお考えなのですね?」
反撃あるいは、置いて行った兵糧や女子供を取り返しに来ると?
……いや、そんなことにはならないはずだ。
百、二百では、集結している今の兵数に対抗できない。
仮に兵をまとめ引き返してきて、戦端が開かれる可能性があるとしても、最も敵兵が多いこの時この場は選ばないだろう。
それよりもむしろ、足りなくなった兵糧目的で、まだ未襲撃の村を狙うのではないか。
あるいはそうすると見せかけ、前山集落にいる兵を分散させ、それから個別に撃破することを狙っている?
武田の狙いなど、頭の中を覗いてみることなどできないのだからわかるはずもないが、少なくとも幸松が言うように、兵を分けるより先に消火だろう。
人道問題や雨が降るか否かはさておき、少なくとも夜が明けて武田の動きがはっきりわかるまでは、兵を分けない方が無難だ。
消火と、負傷者の手当て。
前山城に向かうのは、それを済ませてからでも遅くはない。
孫九郎の気がかりは、やはり源九郎叔父の矢傷だった。




