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春暁記  作者: 槐
信濃編

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5-4 信濃 佐久前山集落2

 兵を退く選択をした武田兵は、現在半分ほどになっているそうだ。

 一割削られたら多いと感じる。二割で危機感を覚える。三割で兵の士気が保てず撤退しなければならなくなる。……それなのに半減だ。内情は察して余りある。

 それでも武田は崩れなかった。

 高い士気を保っているとみるべきか、兵の士気など気にしないパワハラ大将なのだと思うべきか。

 どちらにせよ、敗走には違いないものの丁寧な撤退ぶりだった。どうすれば被害少なく退けるのか、よく知っている者たちの動きだ。

 こちらの被害は、重篤な負傷者を含めると五十名を超える。奇襲が成功したという割には多い。

 厳粛に受け止めるべき痛手だった。

 子供たちが、自軍の兵の死体にショックを受けているのが伝わってくる。

 そうだ。将の行動ひとつで兵は死ぬ。孫九郎が「やれ」と言ったから、彼らは死んだ。

 この事実を胸に刻み、忘れてはいけない。


 二木の指示で、陣幕が引かれ、旗が建てられた。

 今川軍の権威を示すためというよりも、子供たちの無防備な姿を隠すのが目的だろう。

 陣幕の色は福島の紺。夜に見ると異様なほどの地味さだ。

 だがところどころに立つ今川の白い旗はひどく目を引いた。

「幸松」

 孫九郎は、握りしめていた扇子を腰に戻した。

 年少組の他の子ですら刀の柄を握っている。その不安そうな目が、縋るように孫九郎を見る。

 確かに、大人に比べると子供は非力だ。純粋な力での勝負で勝てるわけもない。

 だが、大人であっても条件は同じだ。

 大将クラスが本陣で直々に刀を振るう状況は『負け』だ。

 孫九郎がいまだに刀ではなく扇子を握るのは、自身が決してそれを抜く状況にはならないという自信からだ。

 孫九郎は、こわばった幸松の顔を真正面から見た。この旅路に出て初めてのことかもしれない。

「顔を上げろ。何があろうとも、腹の底に力を入れて立ち続けろ」

 それが、全軍を率いる総大将の一番重要な仕事だ。

 観察した幸松の顔は、ひどく緊張しているし、怯えてもいるようだった。

 だが震えてはいない。逃げ出そうともしていない。

「……できるな?」

 目を見てそう問いかけると、さっとその背筋が伸びた。

 そうだ。お前が今川軍の総大将だ。胸を張り、堂々としていろ。

「はい」

 やがて毅然とした声で幸松は答えた。


 天野殿が武田を追うのをやめて戻ってきた。今も参戦が続く佐久衆の動きを心配したのだと思う。

 孫九郎的には、前山城に引きこもっている伴野殿の方が気になる。

 弥太郎によると、武田を集落に入れまいと奮戦したそうだが、かなりの被害を負っての撤退になったようだ。

 自領の民らを守る事ができず忸怩たる思いでいるだろうか。武田に首を取られずに済んでほっとしているだろうか。


「叔父上!」

 不意に幸松が大きな声を上げた。

 孫九郎も、その方向に目をこらした。

 ゆらゆらと揺れる炎のオレンジが、特徴的なつるりとした頭を映し出す。

 兜をかぶれよ。僧侶じゃないんだから。

 前から思っていた事が、安堵と同時に込み上げてきた。

 源九郎叔父は、懐かしい長槍を持っていた。父の槍と双子のサイズで、常人には持ち上げることが難しい重量のあるやつだ。

 その頼もしい姿を目にして、胸につっかえていたものがすっと溶けた。

 ………駄目だ、泣きそう。

 孫九郎は息を止めて、唇を引き結んだ。

 幸松に顔を上げろと言ったばかりじゃないか。ここで泣くのは駄目だ。

だが……無事で本当に良かった。

 近づいてくるにつれ、叔父の鎧には無数の矢が突き刺さっているのが分かった。

 見るからに激戦区帰りだ。

 怪我はないのか? しっかりした足取りで歩いているから大丈夫か?

 不安を感じながら見守っていると、叔父は十メートルほど手前でいったん足を止めた。

 付き従う者たちに、この場に残るように手で合図をしてから、一人更に歩を進める。

 息を飲んだのは幸松だった。昔から叔父を知る福島家の者たちも、険しい表情を隠さない。

「……叔父上。お怪我を?」

 幸松の声が、殺伐としたその空間に一瞬の間をもたらした。

 少し間を置いて、懐かしい叔父の声が返ってくる。

「いや。幸松殿も御健勝か」

「御無事なら良いのです」

 幸松は、怒りを無邪気さで覆い隠して元気よく言った。

「よもや、海野は鎧も誂えられないほど困窮しているのでしょうか」

 やけに大きくやけに明朗な声だった。

 ……え? 皮肉?

 誰もが一瞬、子供の口からこぼれた言葉だとスルーしかけ、そのあとすぐに強烈な嫌味に気づいて顔をひきつらせた。

 大声で言うのはどうかと思う。だが、孫九郎もまったくもって同意見だった。

 源九郎叔父は、見れば見るほど血まみれ。しかも、鎧もボロボロだった。

 父の弟である源九郎叔父が、今川家当主孫九郎の叔父が、そんな粗末な鎧を着て戦場に出るなどありえない。

 福島家にいるときよりも格段に装備が悪い。下手をしたら足軽頭レベルのものだ。槍はさすがに自前だが、それ以外は海野家であつらえたものだろう。

 叔父は苦笑していた。

 苦笑するしかなかったのか、実情はもっとひどいのか。

 懐かしい叔父の困ったような表情に、なんで怒らないのかとますます腹が立ってくる。

 これはあれだ。戻ってくるように説得するの一択だな。

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― 新着の感想 ―
[一言] 叔父上に対する仕打ちがこのタイミングで今川方にバレてしまったのは、海野家としてはかなり痛いだろうなあ。 いや、それでもパパ上が此処に居ないだけまだマシなのか。 叔父上の有様を見たらブチキレて…
[良い点] 毎日更新嬉しいです。 [一言] 家族大好き兄弟、激おこ案件。 事情次第では本当に叔父さんを引っ張って帰りそうな。
[良い点] 源九郎叔父が無事で何より これ以上、肉親が誰かの謀略や都合で殺されるのは真っ平ですから [気になる点] 孫九郎くんや孫九郎母、そして二人の叔父達、福島家の人間って酷い扱い受ける星の元に生…
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