表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春暁記  作者: 槐
信濃編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/301

4-11 信濃 塩尻峠6

 雨が降り続けている。

 ざあざあという感じではなく、シトシトと。

 この状況で山越えは出来るのかと不安になってきた。

 山深い道は視界も悪い。足元も悪い。今の諏訪軍と今川軍のように、優位な地点で待ち伏せされていたら……いや、今回は大量の忍び衆を連れてきているし、レンジら山の民がいるから大丈夫だろうけど。

 雨で雲が多くても、山で地平線が見えなくとも、夜明けはわかる。

 明るくなった東の空に、ほんのわずかに朱色が混じっているのが見える。

 今川軍は、陣払いの為に明け方前から始動していた。もとよりそんなに時間が掛かるものではないので、夜明け頃にはすぐにも発てる状態になっており、今は一仕事終えた者たちが朝飯にありついている。

 孫九郎は、木々の枝先から滴る雨を眺めながら、もぐもぐと握り飯を頬張った。

 小姓組の仲間らと、雨除けの板が張られた下に並んで座り、足をぶらぶらさせている。

 周囲からは息抜きの小休息のように見えるだろう。

 年少の小姓とはいえ、ここに連れてくるぐらいだから福島家重臣の子息であり、よくしつけられた子供たちだ。

 幼くとも己の役割をよく理解している子らで、必要な時には孫九郎の傍らを離れようとはしない。

 今回も、諏訪軍を眺めながらの朝飯に付き合ってくれている。

 陣中食とはいえ温かいもののほうがいいと思うのだが、こぶし大の握り飯三つだけだ。成長期なんだからもっと食べないと……いや、人のことは言えないな。

「……近づいてきてませんか?」

 そんな声が聞こえてきたのは、最後の握り飯を口の中に放り込んだ直後だ。

 四人でじっと雨に目をこらし、どうやら諏訪軍が動き始めたようだと確信した。

 慌てて立ち上がろうとした子を制し、孫九郎は竹筒の白湯を飲んだ。

 子供の目にわかるほどだから、すでに今川本陣も察知しているだろう。

 その証拠に、しばらくして二木が建屋から出てきた。

 鬱陶しそうに降り注ぐ雨を見上げて、一瞬その目が近い場所にいる子供らの方を向き、さりげなく諏訪軍に巡らされる。

 前夜までの小具足姿ではなく、きっちりとした鎧兜で武装済みだ。


 孫九郎は二木から諏訪軍に目を戻した。

 用心深く近づいてくる様子から、こちらの「攻撃する気はない」という言い分を信じてはいないのがわかる。

 夜間、しきりと諏訪盆地のほうから諏訪軍に人が移動していた。

 それを止める必要はないので、書簡のやり取りを覗き見るだけで通してやった。

 確かめたかったのは、その文面に孫九郎の名がないことだ。

 まだ悟られていないのなら、このままの「年少組の小姓」のままで行きたい。

 千五百という兵数は、少なすぎはしないが多くもない。

 孫九郎がここにいると知られてしまえば、おそらく武田の標的は佐久ではなくこちらに向く。それはかなり面倒なことになるので避けたい。

 佐久から諏訪への書簡も見させてもらった。

 必死に援軍を求めているのが哀れだ。

 諏訪は動かない。きっと今川軍がここにいる事を言い訳にするだろう。

 ……ただの参拝客なのに。


 もとより、佐久郡の国人衆は武田軍を通すことに乗り気ではなかったと思う。

 それは、諏訪が本領がら空き状態で武田軍を通過させたくなかったのと、まったく同じ理由だ。

 だが、弱小国人領主たちは、弱いが故にどこかに従属しないわけにはいかず、諏訪や村上に逆らうことができない。

 武田軍は、やすやすと佐久郡に踏み入り、街道を移動しているそうだ。

 既にもういくつかの村が襲われ、被害が拡大している。

 佐久郡は小さな城を保有する国人領主が、その周辺への支配権を有している。いわゆる、古い時代の統治形態のままのところが多い。

 大きくなれないのは、そうなる前に周辺に巨大な勢力が起こり、それぞれが違う勢力についたが故に、機会を逸したのだろう。

 つまり大抵のところは諏訪あるいは村上、海野や武田の影響下にある。

 彼らが国境の難所を通してしまったのは、それらの事情によるものだ。

 今回武田は、よほどこの状況が気に入らなかったのか、端から容赦なく略奪しはじめているらしい。

 佐久の入り口の甲斐国境付近は、随分と武田に下手に出ていたらしいのに、さっくり略奪対象にされ米蔵を荒らされたそうだ。

「伴野が武田に抗議しているそうです」

 雨の中、二木が天野殿にそう言って鼻を鳴らす。

「武田なんぞを信用するから裏切られるんですよ」

 二木にとって……いや、今川家中のほとんどが、武田に対していい感情を持っていない。

 いまだに、定期便のように国境を刺激してくる完全敵国なので、当然ともいえる。

 だが孫九郎の見方は少し違う。

 武田の動きは示威行為だ。敵対者は許さぬという姿勢だ。

 今川の国境を刺激してくるのも、今回の佐久攻めも。

 乱取りで懐が潤うというのは外せない利点だろうが、目的はそれだけではない。今は乱取りで根こそぎ荒らし、次は降伏を呼びかけるつもりではないか。

 武田軍が強壮で、侮れないというのは誰もが知っている。

 この示威行為に怯んで対抗できないようでは、食ってくれと言っているようなものだ。


 最後の焚火が始末される。

 すでに陣幕は畳まれ、翻っているのは鮮やかに青い旗印と旗指物だ。

 その白と青が峠を埋め尽くす様は、雨の中でも見ごたえのある威容だった。

 諏訪軍の、ただでさえ緩い足取りが、遠目にわかるほど鈍る。

 幸松が雨の中、胸を張って陣頭に立った。

 その手には、房の付いた采配。

 さっと一振りすると、怒涛の地響きがした。

 足を踏み鳴らし、怒声を上げ、腕を振り上げる。

 それに怯んだ諏訪軍は、数だけではなく意気でも今川軍に劣る。

―――示威ってのはこうやるんだよ。

 孫九郎は、たのもしい弟の背中を眺めながら、武田軍に向けてそう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

i000000 i000000 i000000
― 新着の感想 ―
[一言] 孫九郎&幸松「……ただの参拝客なのに」 今川家&福島家の家臣の皆さん「・・・御館様たち、まだ言ってるよ。さすがに厳しいって、その言い訳は」 諏訪家の皆さん「完全武装の1500人の参拝客が…
[気になる点] 余計な事かもしれませんが、お勝殿をやっている間今川館はどうなっているのでしょう?影武者?それとも体調不良でふせっていて面会謝絶?どちらにせよ奥平さんは毎日泣いてるのでしょうね。迎えに行…
[良い点] かっこええぞー今川軍!! 精強で、道義正しく,狡猾で。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ