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春暁記  作者: 槐
信濃編

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4-5 信濃山中2

 快適な、トレッキングとしか言いようがない道中だった。ハイキングというにはハードだが、山道行軍というには穏やかな。

 やはり土地勘のない場所でのガイドは必須だな。そんなことを思いながら、山の中に唐突に広がる大きな湖を見下ろした。

 盆地の中央にドン! と広がり、威容を誇示するかのように、滔々と水をたたえている。

「あそこが諏訪ですよ」

 やはりハイキング感のある楽し気な口調でそういうのはレンジだ。

 その指さす先の湖は……諏訪湖。

 これまで今川軍は、街道は通らずに来ていた。

 山の中を縦断するような形で、北へと向かっていたのだが、伊那から行きつく先は諏訪領だ。本当はここを避けてもっと西ルートを取り、北側から海野荘へ入る予定だった。

 街道を通らず、苦労して山道を歩いてきたのには理由がある。


 当面は、諏訪と武田は協力し合うと思う。たとえ振りだけにせよ。

 いったんでも海野を攻めてくれれば展開が読みやすいが、そこまではいかないだろう。

 何しろ武田軍はまだ、諏訪領に入っていない。

 佐久経由か諏訪経由かで話は変わってくるのだが、どちらにしても、海野荘攻略が彼ら自身の戦でない以上、先陣を切る事はないだろう。

 純粋な増援目的でも、佐久を狙っているとしても、諏訪軍を先に海野荘へ向かわせたいはずだ。

 諏訪は果たして、武田に背後をみせるだろうか。

 がら空きの領地を、乱取り上等の武田軍に自由に横行させるとは思えない。

 おそらく諏訪の主力はまだ諏訪領にいて、武田が無事に領内を、あるいは佐久を抜けるまでそこに居ようとするだろう。

 つまり、武田が動かなければ、諏訪も動かない。諏訪が動かなければ、武田も動かない。

 今川軍は、彼らが行動を決めるよりも早く、諏訪盆地の出入り口である塩尻峠を押さえようとしていた。

 いや、押さえると言うのは物騒な言い方だな。

 叔父の双子の息子の誕生を祝いに行く道中、諏訪神社に詣でに行くのだ。

 居座る? 違うな、申し訳ないが場所をお借りする……うん、それがマイルドな表現だろう。

 だって諏訪家とは不穏な仲だから、領内の大事な部分に陣を張るのは申し訳ないし? 領民を怯えさせたいわけではないし? もちろん諏訪を攻める気もないよ。

 どこかと戦をしようとしている? どうぞどうぞ。邪魔はしない。でも塩尻峠を通るのはちょっと待ってね。……そんな感じだ。

 武田の事もあるし、今川軍千五百が目の前にいるというのもある。諏訪の主力軍は絶対に動けない。

 そこで戦にならないだろうと楽観できるのは、諏訪神社に参るために来た、という大義名分があるからでもある。

 しっかり奉納物をもって参拝に来た者を攻撃するというのは、諏訪の権威を高めたい者にとってはやりにくいだろう。

 一番の懸念事項は、諏訪と武田が合力して、なりふり構わず今川軍に向かってくる事だ。

 それを払拭するためにも、ここに陣を張るのを気づかれたくなかった。

 諏訪の兵力がどれぐらい本領に残っているのかわからないが、武田のおそらく三千余りの兵と合わさったとしても、峠に陣を張りさえすれば、大きく兵を削られる事無く軍を保持できると考えていた。

 父が戦線復帰するまでにはまだ少し時間がかかる。

 武田軍もそれを予想して、早く事を進めたいはずだが、なかなか先に進めないとなると焦れるだろう。

 峠の攻略は時間も手間もかかるのだ。武田は避けるだろうと踏んでいる。

 だったら佐久から攻め上る? あくまでも武田は援軍だ。諏訪が本領に足止めになっているのに海野までは行かないだろう。

 佐久を荒らすか否かはわからない。

 

 レンジら山の民の案内により、今川軍は無事に山を抜けた。

 諏訪軍の動きともかぶらず、誰もいない時間帯に塩尻峠に千五百。

 恐ろしいほどうまくいった。

 街道沿いを進んでいたら、おそらく塩尻峠に到着する手前で待ち伏せされていた。

 最悪のケースだと、武田軍と諏訪軍の合同で。

 おそらく彼らは、今川軍を見失って大騒ぎだろう。どのルートを通っているのかわからず、探している最中かもしれない。

 だが二日だ。探している者が行ったり来たり報告したりしている間に、諏訪盆地に到着してしまった。

 曲がりくねった山道が、街道を行くよりも早いというのはどういうことか。

 見事なガイドだと感心するのもわかるだろう?

「見えますか、あそこが諏訪神社です。ここからは見えませんけど、湖の向こうの……あのあたりに上原城があります」

 ベテランレンジャーのように、水場から何から面倒を見てくれたレンジは、当初警戒していた天野殿の隣に立っている。

 行軍中にすっかり気に入られ、信頼を得たようだ。

 天野殿は頷きながら、携帯用の地図に印をつけている。

「その地図、ちょっと見せて頂いても?」

 レンジは無言で差し出された地図を受け取って、しばらく実際の風景と見比べていたが、やがて筆も借りて四か所に×印をつけた。

「何の印だ?」

 興味津々でそう問いかけたのは二木だ。

 その顔を見下ろして、レンジはニイっと不遜に笑った。

「いつも伏兵がいる位置でさ」

 そこまでぶっちゃけて大丈夫なのか。

 二木は孫九郎と同じことを思ったらしく、疑わしげな顔をしている。

「とりあえず、あっしはここまで。御武運をお祈りしておりますよ。海野荘に向かう時にまた来ます」

 言いたいことだけ言って、レンジはまるで、ちょっと用を足しに行くような雰囲気で木々の間に消えていった。

 なんだあの、最後は特別サービス! とでも言いたげな口ぶりは。

 全員が、あっけにとられていたと言ってもいい。

 気づけば、同行していた山の民は全員いなくなっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] この時のサンカ衆との出会いが、後の今川軍特殊作戦群山岳隊へと続いていたと言えよう。 だが、今は誰もそのことを知らなかった(続く) とかどうですか?(^^) あ、海賊的な漁師たちと出会って、…
[気になる点] レンジ殿の案内であっても誰かさんに鍛えられた福島軍と 国境を守る天野殿軍なら山岳縦走もこなせそうですね [一言] ・・・1「ええぃ今川の軍は魑魅魍魎か!」 ・・・2「麒麟殿が何やら妖術…
[一言] 塩尻峠は見晴らしがいいので、天気が良いと富士山も見えます。良い所です。
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