29-8 遠江 掛川城14
勘助からの返書は、丸一日も掛からず薄闇が広がりなじめた刻限に戻ってきた。
しかも、若干くたびれた旅装で持って帰ってきたのは八雲だ。一人で運んだのか? いやさすがに駅伝方式だよな?
「ご苦労さま。ゆっくり休め」
八雲は暗がりに平伏したままで返答はなく、代わりに部屋の片隅にいる弥太郎が頭を下げる。
そういえばこいつらの扶持の見直しをしようと思っていたのだ。よく働いてくれているし、こういうところに銭は使うべきだと思う。
これも要相談だなと、心の中の「やるべきリスト」に加える。
最近スクロールが必要なほどリストが長くなってしまった。ひとつずつ片付けていかないと結局埋もれてくるものが出てきそうだ。
勘助の独特の文字を読み終えて、つい目頭を揉む。
おかしいな、老眼にはまだほど遠い年なのに。眼精疲労か? 視力が落ちているのか?
「……あの二人はどうしている」
孫九郎の問いかけに、ゆっくりと顔を上げながら弥太郎が答える。
「二木様のことでしょうか? それでしたら」
しかしその言葉は、ドスドスと荒い足音で途切れた。
「失礼いたします」
はっきりとした丁寧な声は次郎三郎のものだが、あの足音は違う。
「御屋形様!」
トワイライトに染まる中庭を背景に部屋に駆け込んできたのは、二木と彦次郎だ。
部屋の前で折り目正しく頭を下げた次郎三郎を追い越して、いい年をした二木と、もみ合いでもしたのか合わせを乱した彦次郎とが、肩を並べて続き部屋の敷居をまたいだ。
なんだよ、仲良くなったのか? そう期待したのは一瞬だった。
二人同時にものすごい形相で声を上げようとしたので、とっさに両手で耳をふさぐ。……ふさいだところで、この二人の声量が防げるわけがないのだが。
「このガキを何とかしてください!」
「なんだと! そちらが先に手を出したんだろうが!」
昼間引き離したはずなのに、結局は顔を突き合わせて揉めている。仲良しか。
ちらりと次郎三郎を見ると、申し訳なさそうな顔をされた。
いや、どう考えても年長者の二木が悪い。次点で彦次郎だ。血気盛んな若者である彦次郎はともかく、そろそろ落ち着けよ二木。
口論の内容も実にくだらない。どこの厩舎で飼い葉を食わせるかなど、心底どうでもいい。
誰か志郎衛門叔父を呼んできてくれないかな。今こそあの拳骨が必要だ。
孫九郎に直接詰め寄るのはまずいと思っているのだろう、続き部屋の境のところで立ち止まり、そこでまた揉め始めた二人に呆れた目を向ける。
「……ちょうどよいところに来た」
二人の口論の一瞬の間をついて、声を張った。
頑張ったが、危うく半分以上かき消されるところだった。言葉を遮られたとかではなく、そもそもの声量の問題だ。
「彦次郎、井伊殿と勘助に返書を持って行ってくれ。急ぎだ」
しゅっと背筋を伸ばした彦次郎が、頭半分ほど背が低い二木に自慢気な顔をする。
ピキリと額に筋を浮かべた二木が、大人げなくもまた何か喚こうとしたので、孫九郎はパチパチと扇子を鳴らした。……しまった、いつもより多めに鳴らしてしまった。
「二木……仕事だ」
二木の顔から表情が抜けた。それまでは頭から湯気が立ちそうなほど怒っていたのに、瞬き数回ほどでその勢いが消え、代わりにあるのは何を考えているのかわからない無表情だ。
よく見ていろよ、次郎三郎。
勘助も承菊も参考にしてはいけない類の奴らだが、この男は違う。
気質はともかくとして、思考の組み立て方は論理的で非常に優秀だ。
人払いの際、残るようにと命じた次郎三郎と彦次郎は、続く孫九郎らの会話を空気と化して聞いていた。
そうそう、見て学び聞いて学べ。
ただし、性格は真似しないように。
夜が明ける前に彦次郎は出立した。
同時に、志郎衛門叔父の仕掛けが無事発動した。
巧妙に開けられた穴から松平の翁が逃亡し、残された間者らは榊原を除いて毒殺された。
田所家が手にかけたわけではない。松平の翁と、侵入してきた忍びがそうしたのだ。
榊原については、まだ酔っぱらっている。
ずっと尋問中(酒盛り中)で、常に五人ほどが牢屋に詰めていたので、手が出せなかったようだ。……まあ、実際には守らせたのだけれど。
ほかにも何名か同じように手出しできない場所に隠していたが、彼らがそれに気づいたかどうかはわからない。
ともあれ、松平の翁は大勢の間者を処分してから掛川城を抜け出した。
誰も拷問などしていないし、厳しい尋問もしていない。むしろ十分すぎるほど歓待した。それなのに、疑いに対して申し開きもせず、後ろ足で砂を掛けながら逃げ出したのだ。
逃げたという事は、罪を認めたという事だろう?
当り前だが、松平宗家に苦情の書簡を送った。
うちの城を燃やして逃げ出すなんて……間違いなく開戦案件だ。
同時に分家たちに、領地を安堵してやるから、今川に喧嘩を売ってくる老人を何とかしろとも言っておいた。
さあ、どうなると思う?
ちなみに、これらの策を立てたのは勘助だが、松平の翁を巧妙に逃がしたのは現場監督二木と現場作業員田所家の仕事だ。
松平の翁も、その忍びたちも、おそらく何の疑いもなく「自力で脱出した!」と思っているだろう。こいつらはこういう細かな作業が得意なのだ。
続いて二木は、孫九郎が次にどう動くべきかの案も出してくれた。
おもいっきり自己都合満載な気もするが、まあいいだろう。
次郎三郎、二木を見て学べとは言ったが、そんなキラキラした目で見るんじゃない。
参考にしていいのは思考法だけだぞ。考え方を学んだからといって、気質まで真似る必要はないんだからな!




