27-5 駿河 駿府 福島屋敷5
「……榊原?」
田所老の口から出てきたその名に、孫九郎は眉を寄せた。
「間違いなく」
想像した相手は間違いではなかったらしく、得たりと頷きが返ってくる。
「かつて奥平様の家臣として潜り込み、引馬城攻略時に逃した男です。今は岡崎と名乗って中村家に仕官しています」
偶然にも、榊原の顔を知っている者が田所のところにいたそうだ。
「似ていると怪しみ動きを見張っていたところ、三河訛りの武士と接触しました」
そして気づかれたと察した岡崎(榊原)は、接触した武士ともども闇に紛れて掛川を離れた。
腕のいい忍び衆が遠巻きに後を追い、彼らが帰り着いた巣穴は松平の翁のもとだった。
その名前から連想する「夏のお嬢さん」ではもちろんなく、やはり徳川四天王の榊原か。松平の間者で間違いなかったようだ。
まさか今度は福島家に潜り込んでいたのか? 何の情報を探り、三河に送ったのだろう。
今回はその内容よりも、どこのひも付きかを突き止めることを優先させたそうだ。それでいい。
田所家が捕獲したのは榊原の同輩で、当人たちは気づかれていないと思っていたのだろうが、内偵をしている間に二度ほど接触したのを見ていた。
こちらはまだ居座るつもりだったようだが、中村家から出てきたところを捕縛した。江坂屋敷に連行さてからの報告はまだだが、田所一族が手ぐすね引いて待っていたそうだから、今頃は何もかも白状していてもおかしくはない。
「……つまり、六年前からの暗躍か」
松平は何を目的に動いているのだろう。今川の動向を探りたいのは確かだろうが、それとはまた別にも狙いがあるような気がする。
「その時とは状況が違います」
口を挟んできたのは二木だ。まだ許していなかったので「お前は黙っていろ」と言ってやりたかったが、この手のことに向く男ではある。
「奥平様のもとにいたのは、引馬城をどうするか知るためでしょう」
「そのずっと前から、長く今川に潜り込んでいる」
孫九郎はふと、違和感を覚えた。
そうなのだ。松平の翁は、少なくとも十五年は前から今川に榊原を潜入させ、諜報活動をさせていた。忍びの中には、そういう役目をする者もいるというのは知っているが、榊原は武士だ。
いや佐吉が商人であると同時に忍びでもあるように、榊原がそうではないとは言えない。
ただ、代々の名家でもないのに陣代を務めるほどの出世をしたということは、それなりにできる奴だということだろう。
そんな有能な男を、遠い今川家に潜入させるか?
今川家の先代が三河に手を伸ばし始めたのはそれより前のことだが、その当時まだ松平と今川との間には数多くの三河の国人領主たちがいた。
彼らをすべて飛び越えて、大国今川を警戒したのか? 必ず松平に害を及ぼす日が来ると?
当時も今もだが、松平宗家はそれほど大きいわけではない。松平家をまとめるとそこそこだが、分家が多く、統一されているとはいえないし。
そんな状況で、遠い今川に有能な男を送り込むほど人材が余っているとは思えないのだが……
「父上はどう思われますか?」
孫九郎は隣に座る父に目を向けた。父は「む」と唸ってから考え込み、しばらくして口を開く。
「六年前はともかくとして、今ならわかる」
「それはそうですね」
深読みをしすぎてはいけない。単純に、敵に囲まれた松平が、隣国尾張の脅威から身を守るべく同盟を……ちょっとまて、最近どこかで聞いた話だ。
「甲斐と同じだな」
父が顎をさすりながらそう言うと、二木が思わずというように噴き出した。
「その通りにございます。武田の顛末を聞き慌てておりましょう」
父になら喜んで追従する二木は、甲斐での父の武勇を褒めたたえ、手を叩いた。
「殿の武勇に恐れをなし、是非とも取り込みたいと思うておるのでしょう」
六年前はともかく、今や福島家は今川の一門衆にも等しい。松平宗家よりも大きな領地をおさめ、武勇も銭も持つ父を取り込むのは難しい。
ここはやはり、後ろ盾としての結びつきが欲しいのだろう。
やり方がどうにも悪辣で好感が持てないが、同盟を結ぶために画策するのはよくあることだ。
孫九郎とて、実際に幸を嫁に出すときには相手方をじっくりたっぷり調べ、不都合があるなら先に手を打とうとするだろう。もちろん、先方の嫡男を失脚させようとは思わないだろうが。
「二木」
「……はい」
父への追従が嘘だったかのように、嫌々そうな表情で返事をしたこの男は、悪辣でひねくれものだ。だが非常に有能ではある。
「その方が松平の翁なら、どう動く」
「某はジジイではありませんのでわかりません」
「まじめに考えよ」
二木はむっつりと唇を引き結び、まだ頭を叩かれたことを根に持っている風に睨んできた。
それでも渋々と考えてくれるあたり、本心から嫌われているわけではないのだろう。本人は絶対に認めないだろうけど。
しばらく思案してから、二木は答えた。
「まずは松平をひとつにまとめます」
「どうやって」
「相手が同程度の勢力がある場合、婚姻同盟だとかえって不利かもしれませぬ。正室に送り込み、孫子の代での統一を根気強く推し進める、あるいは……」
二木はつらつらとそう続けてから、何を思いついたのか、にいっと唇をほころばせた。
「手っ取り早いのがよければ、敵に攻め込ませて分家を弱らせ、そのうちに平らげますね」
……ああ、きっとそれだ。




