24-7 甲斐 躑躅ヶ崎館12
丁寧なあいさつの口上の後、村上殿が大切そうに懐から取り出したのは、分厚い高級なそうな紙を用いた封書だった。
改まって何だろうといぶかったが、きっと口約束を書面化したのだろうと納得した。確かに、こういうことは文書にしておいた方が後々間違いがなくていい。
さすがだと感心していたのに、なかなかその書簡を手放そうとしないので、内容に不備あるいは不満があるのだろうかと首を傾けた。
村上殿はしばらくよそを向いて何やら思案していたが、やがてその書簡を再び懐に戻してしまった。
「村上殿?」
「治部大輔殿ならばやんごとなきところからのお申し入れもおありでしょう」
「……は?」
何かをもごもご言われたが、かろうじて聞き取れたのはその部分だけだった。
何と返すべきかわからずにいるうちに、村上殿の視線が孫九郎の元へと戻てくる。
「いや忘れてくだされ」
気を悪くしたのか若干の早口、目線は落ち着か投げに右へ左へ動いている。
「何をですか?」
「娘は某に似ておりまして」
「……はあ」
話の流れが読めない。
「好みも非常によく似ておりまして」
急に父が咳ばらいをした。わざとらしすぎる空咳だ。
「あーあー、京からのお話がいくつか」
「それはそうでしょうな」
数呼吸ののち、孫九郎はようやく察した。
なるほど、釣書か。
笑うのは失礼だと思いつつ、村上殿に似ているという少女を想像してみる。子熊のような女の子だろうか。
さらっと何事もなかった風に、釣書の話は流された。
躑躅ヶ崎館はまだ敵地と考えるべき場所で、暢気に見合い話をしている場合ではないからだ。
村上軍も今川軍もいる今なら、甲斐国人衆が全員敵に回って掛かってきてもどうということはない。だがずっと派兵し続けるわけにはいかない。
特に飛び地になる村上家にとっては、いろいろとやりにくいだろう。
支配を確実なものにするために、周辺の国人領主たちへの根回しも必要になってくる。
その兼ね合いもあって、諏訪国境戦で投降してきた武田家の者たちは、全員まだ捕縛中だそうだ。ぶっちゃけ食費がかさむので大変だとのこと。……わかる。
村上殿が新たに勢力下においた地域の者たちについては、その領地を接収するなり土地を安堵して家臣にするなりやりようがあるが、問題はそれ以外だ。
甲斐の広範囲からかき集められた軍勢だったので、甲斐盆地の南や東から派兵した者もいるのだ。
彼らの扱いをどうするかが、今回の村上殿の相談だった。
こういう場合は敵との交渉の材料にするのがセオリーだが、そもそも交渉するほどの価値がない者も多い。
うち? そもそも巨摩から出ている者は少なかったし、甲府盆地は武田家の手にゆだねる予定だし。
そう答えると、今川が甲斐をとらない理由をストレートに尋ねられた。
いらんもん。ややこしそうだし……とはもちん口にせず、意味深に微笑んでおいた。
今川家の先代が井伊谷でやったように、数世代を経て同化、あるいは従属状態に持っていく。そういう遠謀だと思ってくれるだろう。
間違っても、村上殿含む強大な他国との緩衝地にする予定だとは言わない。
話し合いの結果、諏訪国境戦で投降してきた者たちの、半数の食費を今川家で持つことになった。連中の身柄は引き続き村上家で管理してくれるそうだから、取引としては悪くはない。
村上殿が退室してしばらくして、大井殿が現れた。
はちあわせしないよう、少し時間をずらせての案内だった。
だが村上殿がここに挨拶に来たことは、おそらくもう知られている。
「治部大輔様ご挨拶を申し上げます」
床に擦れるほど深く下げられた頭を見下ろして、孫九郎は頷きを返した。
慇懃に見えそうで見えないギリギリのラインをつくのがうまい。
先ほど小耳にはさんだちょっとした報告に、この男をどう扱うべきか心証が定まらない。
なんにせよ戦国の老練な領主であり、注意を払っておくべき相手だ。
大井殿は懐からずっしりと重そうな書簡を取り出した。どこかで見た仕草だ。
寸前まだここにいた村上殿のことがあったので、すぐにそれが釣り書だと察しがついた。
「このたびの戦では、我が武田家は御軍の御威光の前に屈し、若君はじめ一門がただ御慈悲にすがるばかりの身となりました。御厚情により家名の存続をお許しいただきましたこと、誠に感謝申し上げます」
御大層な口上から入ったな。……うん。わかったから早く済ませてほしい。釣り書だろう? 今度は誰を引き合わせようと?
実は太郎殿に諏訪姉妹を斡旋しようとしたのは祖父たるこの男だった。
いや本当は、山内上杉家の姫君のほうと縁づかせたかったようだが、武田殿が直前で入れ替えたのだそうだ。
どちらにしても太郎殿にとってはかなりの年上女房になるが、元服するころには年増も年増だから、子がなくても文句は言われまいと、そういう打算があって了承した縁組だと思う。
いや待てよ、この男が単に年上好きという嗜好があるだけかも……。
「内々ながら、一つお願い申し上げたく存じます。我が主君は武田家嫡男として生を受けたものの、未だ幼少にございます。そのため家を守り将来に備えるには、確かな御縁が必要にございます。つきましては、治部大輔様の御縁者様のどなたかをご正室してお迎えすることをお許しいただければ、この上ない御恩と存じます」
よかった。孫九郎に三十路の姫君を引き合わせようという話ではなかった。
良かれと思ってそんなことをされるのが一番困る。
「こちらに釣書を持参しております。わが主君は甲斐源氏の正統に連なる血筋を受け継ぐ武田家の嫡男にございます。幼少ながらも名僧の教えを受け、学問や礼節を修めております。弓術や騎馬にも励み、その将来を嘱望されておりますが、未熟な身ゆえ家を守るには御助力が必要でございます」
大井殿は釣書を前に置き深々と頭を下げた。孫九郎の座っている位置からは、その額が床に当たっているのが見える。
「この御縁が叶いましたならば、武田家は御家とさらに深く結びつき、乱世を乗り越える礎となりましょう。またわが主君も御縁者様の御教導を得て、将来は御家の一助となる武将に成長してまいります」
老臣の懇願には、どうにも胸に刺さる真摯さがうかがえた。ここ十年、武田家が大きくなるのを見てきたはずのこの男が、敵国の国主、しかも子供に対して内心どんな思いでそんなことを言っているのだろう。
「非公式の場においてこのようなお願いを申し上げること、大変失礼と存じますが、何卒お心に留め置いていただけますよう、伏してお願い申し上げます」
明日からの評定を前にして、老練な忠臣、いや祖父としての動きとしては納得だ。悪い考えではないと思う。
敗戦国と化してしまった武田家だが、そこに今川の血が入れば、これ以上ない強固な後ろ盾を得ることになる。
半面、同化政策とみなされ、臣従したともとられかねないが。
孫九郎は運ばれてきた釣書を黙って開き、一読した。
内容はともかくとして、言い回しや文字で伝わってくるものもある。
孫九郎が見た感じ、文面以上の意図はないように思えた。
返事をしようと顔を上げて、白髪交じりの大井殿の頭をしばらく眺めた。
……もしこの男が真正の年上好きで、妻は十歳以上年上が絶対という信条があったらどうしよう。
うちの異母姉妹の誰かを嫁がせるにしても、え? もしかして三十路を探さなければいけないとか?
後半の口上を書くのに手間取ってしまいました
敬語やら言い回しやら、難しいですね




