19-2 駿東 興国寺城8
証如は、もの凄く不思議そうな顔をして恵如を見上げた。
従弟らしいが似たところはまるでなく、気弱な質の恵如はさっと視線を泳がせている。
恵如に期待されているのはストッパー役に違いないが、この様子では荷が重そうだ。
証如は病人にも甲斐人にも興味がないらしい。
この子の目には、相模の門徒の苦難しか見えていないのだろう。
こういう、ゼロか百かの関心度合い……いいように言えばひたむきな姿勢は、若さゆえと微笑ましく思わなくもない。
だがそれは盲目さだ。特に大勢を率いる立場の者としては、困った資質としか言えない。
永興はおそらく、これ以上証如を東に向かわせたくはないはずだ。
この子の仕事は「門徒を救った」という実績を作ることであり、実際に命が危うい現場に係る事ではないはずだからだ。
孫九郎に言わせてもらえば、周囲の諫言に耳を貸さない気質は、もっと幼少期に矯正しておくべきものだった。
それが、高天神城での数年で培えなかったのは残念なことだ。
まあ……あの勘助の薫陶を受けたのだから、頑固いや意固地なのは仕方がないのかもしれない。
「伊豆の国境を越えられぬのなら、箱根へ向かう」
証如は胸を張りながらそう言った。結構通る大きな声で。
ああそう……と、好きにさせたいところだが、恵如に懇願するように見つめられ、気づかれないように溜息を飲み込む。
「もう少し待ってください。まだ兵が街道に目を光らせているので危のうございます」
「お、お困りのようですので、拙僧はあの御方の容態を見て参ります」
恵如は孫九郎の制止にかぶせるようにそう言って、止められる前にと身を翻した。
……丸投げして逃げるなよ!
「無理にお止めすることはできません。ですが本当に今の相模は危うい」
「これだから武家は! 伊豆は危うい、駿東も危うい、どこもかしこも戦、戦、戦!」
ぷんすかと頬を膨らませている少年を横目に、孫九郎は苦笑した。
「耳が痛うございますね」
「いつも弱い者たちが辛酸を嘗めるのだ。武士が戦をするせいで!」
それはまあ、武士の戦の九割が農民を動員してのものだから、そう言われても仕方がない。
「力に力で対抗してもろくなことにならぬわ!」
このうっぷんがいつか爆発して、一向一揆に至るのだろう。
孫九郎はまくしたてる若い頭巾姿の少年に無言で頷きを返した。
だがな、証如……理想を高く掲げれども、現実は苦く……だぞ。
この子は近い将来、血みどろの一揆をおこすカルト教団を率いていくことになる。
若者らしいこのひたむきな正義感が、多くの悲劇を生むのが目に見えるようだ。
令和を生きた常識の範囲内では、証如の行っている事に間違いはない。
だが、右の頬を叩かれた後に粛々と左の頬を差し出せる者は、平和を享受していた時代においても少数だった。
暴力とはまた違う戦い方がメインになるが、敵を排除する方法はむしろ多岐にわたって存在したと思う。
人類は常に、戦い争い生きてきた生き物なのだ。
だからこそ戦は起こるし、一向一揆も起こる。
「この世から諍いが消えればよいのですが」
孫九郎はそう呟き、驚いたようにこちらを見た証如の若い顔を見て首を振った。
「残念ながら、そういうわけにはいきません」
孫九郎は武士だ。既にもうこの身は血にまみれている。
「切り付けられるのを、ただ黙って待っている事は出来ないのです」
それが、平和な時代からこの血なまぐさい戦国の世に紛れ込んだ、孫九郎の選んだ道だった。
証如は結局、相模へ向かうと言い張った。
何をしに行くのだと問うても、具体的な答えがあったわけではない。きっと彼自身にも、言語化できない強い信念なのだろう。
それ以上は止めなかった。
真摯に忠告はした。それでも行くというのだから、この先に起こることは証如自身が受け止めるべきものだ。
ただし、孫九郎が協力できるのは国境を越えるところまで。
それでも行くのかと問いかけると、「もちろんだ」と頼もしい返答。
石橋をたたいて壊すつもりで歩まねばならない戦国の世で、こんな無鉄砲が生き残れるのだろうか。……いや、余計なお世話か。
「本当に行くのですか」
不安そうに繰り返し尋ねるのは恵如だ。
彼は残るという。どうやら板垣が患っている病について、治療方法を調べたいのだそうだ。
どうやら風土病らしく、甲斐の農民に多くみられる病なのだとか。
証如は甲斐の農民が苦しんでいると聞き、迷わず恵如に治療法を探せと命じた。
わがままで傍若無人で扱い辛い子ではあるが、今はまだまっすぐな理想を胸に抱く若者なのだ。
ちなみに、麻の花穂の件についてちらりと尋ねてみたが、証如はそれを全く深刻にはとらえていなかった。法要の時に焚くただの薬草ぐらいに思っている。
孫九郎は軽い口調で、うちの薬師が危険視しているから、今川の領内では使わないで欲しいと頼んでおいた。
臭いを嗅いで気分が悪くなって吐いた者が複数いるというと、永興にも心当たりがあったようで、証如も渋々とだが了承してくれた。
隠し事が苦手そうな恵如の表情が微妙に強張ったのは、気になるところだ。
駿東に残り、いずれ甲斐に向かいたいという恵如の動向については、目を離さないようにするべきかもしれない。




