18-3 駿東 長久保城2
満足そうな表情で興国寺城に戻った朝比奈殿を見送って、孫九郎は再び思案に沈んだ。
傾いた日差しが鮮やかに色濃くなる刻限、久しぶりに父と膳を囲みながら、信濃での事を話したり、源九郎叔父の事やその子供たちの事を話したり……話題は尽きないはずなのに、ふとした瞬間に甲斐での内乱について考えてしまう。
はっと我に返って箸を動かすが、気づけば父は既に食べ終えてしまっていて、対して孫九郎の膳は半分も減っていない。ただでさえ食が細く、食べるのが遅いのに、すでにもう満腹中枢が働き始めていて、それ以上の食欲がわかなかった。
「もう少し食わねば。雀の涙ほどの量ではないか」
いやそんな事はない。この時代の米のよそい方は冗談のレベルで多いので、半分食べれば腹は満たされる。
だが残すのはもったいないし、腹が満たされても必要な栄養素が足りているかどうか。
改めて食べることに集中して、残りの飯を頑張って胃にねじ込み、触ってわかるほどポコンと膨らんだ腹を撫でた。
「今度干物を取り寄せよう」
塩っ辛い魚ばかりをつついていたのを見られていたのか、父が笑顔でそんな事をいう。
膳が片付けられ、父の前には食後の白湯が、孫九郎の前には弥太郎作の薬湯が置かれた。
正直、満腹の上から飲むのは苦行だが、一時期飲めなかった間、胃の調子が良くなかった記憶があるので、頑張って飲み切るようにしている。
「明日明後日にも源九郎が来る。お勝の具足を運んでくるよう頼んでおいた」
「えっ」
孫九郎は、嫌な顔をしそうになるのをギリギリで堪えた。
小具足姿はまだいいが、具足……つまり鎧兜を身に着けるのはあまり好きではない。あまり、ではなく、できる事なら避けたい。
普通の鎧兜でも重いが、孫九郎用にあつらえた一式は拷問器具のように重量がある。手も足もまだ細い子供には似合わないし、そもそも重みで動けなくなるのだ。
いや訂正しよう。動けなくなるというのは大げさだが、少なくとも白桜丸に自力で乗ることはできないし、走ることはもとより、斜面や階段を上るのも難しくなる。厠に自力で行けないのも辛い。
中でも一番苦痛なのが兜だ。子供サイズなのに、どうしてあんなに重いのだ。試着した後、二度とかぶるまいと誓ったほどだ。絶対首をやられる。
「……着る機会はない気がします」
予防線を張ってそう言うと、父は首を振った。
「伊豆では前線に出たのであろう。どこから矢が飛んでくるかわからぬ。お勝は無防備すぎる」
父に言われたくない。
思わず唇を尖らせると、父は「ふふふ」と笑って頭を撫でてくれた。
大きな手だ。その腕は分厚い筋肉に覆われ、ひょろひょろとした矢や多少の刃など跳ね返してしまいそうだ。
それに比べると孫九郎の身体があまりにも貧弱で、いや、比べても仕方がない事だとは思うのだが、防具が必要だと言う父の意見もあながち間違ってはいない。
心配してくれているのはわかるので、それ以上は何も言わずに頷いておいた。
……ただし、着るとは言っていない。
明日の予定を話し合っている最中、ふと父の言葉が途切れた。
その視線が部屋の外を向き、一瞬置いて、側付きたちも身構える。
先触れがないということは急用か。表から気配を感じるなら忍び衆ではないだろう。
騒ぎになっていないということは、招かれざる客というわけでもない。
何かあったのかと身構えていると、せかせかと数人が廊下を歩いてくる足音がした。
「失礼いたします。二木です」
二木? 信濃の遠征後、短い休暇の後でいいからと三河方面への頼みごとをしていたのだが……嫌な予感がする。
相手が二木というのが問題だ。この男が関わると、何事も穏便ではおさまらない。
風評被害だと言われそうだが、トラブルメーカー体質、いやトラブルを自分で起こす質なのは否定できないはずだ。
本当の緊急なら先に急使が届いているはずだがら、たいした問題ではないと信じたい。
やがて部屋に入ってきた二木は、まずは孫九郎……ではなく父に頭を下げた。
この男の中では主君である父が最上位なのだ。孫九郎はあくまでもそんな父の子に過ぎない。
このブレなさが、周囲との軋轢の原因でもあるし、孫九郎の信頼の拠り所でもある。
二木は小具足姿だった。つまりは戦に出向くつもりで来たのだ。父はそんな忠臣の顔を見て、不愛想に口を開く。
「どうした」
「はっ、今川館の方に厄介な事案がございまして、急ぎ渋沢殿を呼び寄せねばならぬ事態に相成りました。代わりを不肖某が」
渋沢? 渋沢に厄介な事案と聞けば、女性問題を連想するのだが。
この場にいる誰もがそう思ったのだろう、しばらく無言が続く。
「具体的には?」
孫九郎が促すと、二木の細い目がこちらを向いた。
「土岐家から縁談が来ております」
……渋沢に? きっと誰もの頭にあるのはクエスチョンマークだろう。渋沢は今川家臣福島家の重臣である。国をいくつもまたいだ先の、しかも守護家からの縁談が来るような家格ではない。
「御屋形様にです」
思わずのけ反ってしまった。
「奥平様によりますと、前に一度お断りしたのだそうで、再度のお申込み、かつ代替案を持ち込まれました」
「待て、確か土岐家の兄のほうから、今川家に身を寄せたいという話が来ていただろう」
「今回は弟の方からの申し入れです」
頭が痛くなってきた。
「……それと渋沢とどんな関係が?」
聞きたくないが、聞かないわけにはいかず、渋々とそう尋ねると、二木の細い目がきらりと光った。気のせいでなければ……楽しそうだな。
「姫ひとりで不服ならば、もうひとり。重臣の娘を嫁にやる。その娘と渋沢を娶せれば、二重にお家の縁が深まり……」
「もういい」
孫九郎はパタパタと手を振った。
予想するに、渋沢の美男ぶりを見たか聞いたかした重臣の娘のごり押しだろうな。
二木も人の災難を楽しんでいないで庇ってやれよ。
「御屋形様がどうしても婚姻は早いとおっしゃるのであれば、今は渋沢だけでもと」
「もういいと申した」
孫九郎は「はあああああっ」と大量の息を吐き出した。
初対面から既にもう六年。アラサー渋沢はまだ独身で、その美貌は変わらず健在だ。いや、変わらないどころか年々色気がグレードアップしている気がする。
親戚から養子を迎えて嫡男にしているぐらいだから、この先妻を娶る気はさらさらないのだろう。
気の毒なほど女難な男前に、不幸な婚姻を強要するわけにはいかない。
「……今は忙しい」
しばらくして、孫九郎は言った。
「駿東と伊豆にかかり切りになるから、当分今川館に戻れそうにない」
逃げるが勝ちという言葉がある。厄介な事案からは距離をおいておくのが吉だ。
言い訳ではなく、「そんな事」に関わっている暇などないのだ。
奥平や八郎殿には悪いが……いや、はっきりものを言うこの男が話をつけたほうが早そうだな。
「その方、今川館に引き返して話をつけてこい」
「え、嫌です」
今や孫九郎に真顔でそう言えるのは、きっと二木だけだ。
「うまくやれたら、父上のお側につけてやる」
だが扱い方を知っていれば、使いやすい有能な跳ね馬だ。
「まことですか?」と疑わし気に聞かれて、真顔で頷き返した。
言っておくが、「うまくやれたら」だからな!




