17-5 伊豆 韮山城4
改めて戦況報告を受けた。一の丸にある城主の執務室、広さは二十畳ほどの殺風景な部屋だ。
承菊の好みなのか装飾の類は一切なく、文机にある墨の匂いがやけに濃く漂う。
孫九郎を上座に、関口殿と承菊を対面に、そのほかにいるのは旧駿河衆でもこの城の役付きでもなく、実務をこなす承菊の子飼いたちだ。
居心地悪そうに下座でもじもじしているのは、彼らの身分が本来この場にいるにはそぐわないからだろう。服装をみても、下級の武官文官だとわかる。
だが、承菊がわざわざ同席させるぐらいだから、実務担当者だと思って間違いない。
孫九郎は黙って、差し出された陣中報告書を読んだ。承菊の手ではない。だが要点はよくまとまっていて、わかりやすい。
しばらくして読み終わり、ため息をひとつつくと、末席に座る若い男がビクリと肩を揺らした。もしかしてこの男が書いたのかな。
「……よくわかった」
かわいそうなのでそちらを見ずに、承菊に向けて頷く。
「こちらの被害が最小限でよかった」
人的物的被害は少ない。ただ、敵にかなりの死者が出た。
しかも、その多くが門徒だ。
証如に文句を言われる……だけならまだしも、本願寺派の恨みを買うのではないか。孫九郎の危惧を聞いて、承菊はうっすらと笑った。
すでに多くは「荼毘に付している」のだそうだ。
下座の者たちの青ざめた表情を見るに、あの穴に落として上から油をかけ、もしかしなくとも火をつけたのか。詳細を知りたくはなかったが、遠からずだと思う。
「今はまだ本願寺と揉めるつもりはない」
「問題ございませぬ」
いや、問題しかないだろう。
孫九郎は、承菊のつり上がった口角を見て顔をしかめた。
「無事逃れた者も多く、その者たちは落とし穴からは離れた位置におりました」
つまり、穴を埋め戻してしまえば証拠隠滅だということか? ……ちょっと、いやかなり生理的に受け付けない。
死んでいったほとんどが農民なのだ。武士の戦にかき集められ、無理やり最前線に追いやられた。
戦とはそういうもので、どこの軍でもその過半数は雑兵で成り立っているから、門徒の死者率が多すぎるというわけではないのだろうが……。
しかも荼毘に付したと言えば、つまり死者を供養したということで、証如が激怒したとしてもそれを不当なものだと言い張れる。
結論としては、悪くない……いや、上出来の結果だ。
だが僧籍にある者としてどうなんだ。高笑いをしながら行う残虐行為は、御仏の御心に沿ったものだと言えるか? 絶対に違う。
果たしてこの男の中で、信仰はどういう位置にいるのだろう。宗教や信心からは一番遠い、究極のリアリストにしか見えない。
「まあよい」
孫九郎はため息をついた。
全然よくはないが、今すぐこの男の考えを矯正するのは無理だ。
「小さくともよいゆえに、墓石のひとつでも置いてやれ。証如殿もそれで納得してくれるだろう」
「御屋形様。門徒に御心を砕かれるのはお控えになった方がよろしいかと」
心を砕いているわけではない。配慮しているだけだ。そう言い返したい気持ちを飲み込んで、「何故だ」と一応聞いてみる。
「京に居りました際、信徒の娘がいつの間にか本願寺に帰依しておりました」
「そういうこともあるだろう」
「熱心に本願寺に通うその娘から、大麻草の臭いが強くしておりました」
そうだ、忘れていたがその件もあった。きっかけは承菊が送ってきた大麻草の花穂からだった。この際だから言いたいことは言わせてみようと、軽く頷いて先を促す。
「数日もしないうちに、その娘と仲の良かった者たちが、そろって同じ部屋で妙なお香を焚くようになったそうにございます」
「酒に酔う程度の酩酊だと聞いているが?」
「問題は、酔いではありませぬ」
孫九郎は、正面に座っている墨色の法衣の男をじっと見つめた。
承菊は頷き、まるで敬虔な僧侶であるかのように気がかりそうな表情をする。
「同じ体験をしているという同胞意識が厄介なのです」
娯楽が少ない時代に、仲間と部屋に籠って吸う大麻は、確かに強烈な快楽体験になるのかもしれない。
そして周囲の者たちの目には、その未知の効果が理解の及ばぬ良くないものに見えたのだろう。
その娘は、強引に本願寺から引き離そうとする両親に反発した。友人たちと時を同じくして家を出て行ってしまったそうだ。
カルトに奪われた家族を取り戻す的騒動がこの時代にもあって、それを見聞きした承菊は門徒に強い拒否感を抱いているのかもしれない。
日本の仏教にはいろいろな宗派があるが、他人様に迷惑を掛けない限りは、どんな宗派だろうがかまわないという考えが一般的だと思う。
だが狂信的な門徒に限って言えば、門徒以外から敵視され、敵視し返す傾向にある。
その固い同胞意識のもとになっているのが大麻草だということか? そこまで振り切って断定していいかわからないが、承菊の言い分は理解できなくもない。
「領内に大麻草の煙が蔓延するのは困る」
「その通りでございます」
孫九郎の出した結論に、承菊は軽く数回頷いた。
「あの者たちの、他に類を見ない妄信ぶりは伝播します」
想像してみる。村にひとりの門徒がいて、家族や仲間にそれを勧める。全員が大麻草で気分が高揚し、万能感に溺れながら団結力を増して行って……
「承菊」
「はい」
「誰がどんな信仰を抱こうが、構わぬ」
孫九郎自身は感じた事はないが、何かに縋らなければ生きていけない人はいる。縋ること自体が問題なのではなく、それが周囲にどう影響を及ぼすかだ。
プラスのほうに働くならいい。逆にまわりを害するようになるのであれば……
「それが今川の毒にならぬ限りはな」
「はい、その通りに御座います」
「その方の危惧は理解した。頭に入れておく」
孫九郎はぱたりと報告書を閉じた。




