2-3 遠江 掛川城10
苛々と扇子を弄り、パチパチと開閉する。
その前で項垂れているのは父。……そう、父だ。
ちらりと視線をよこされて、思いっきり舌打ちしたくなった。
「……のう、お勝」
「なんですか」
イラッとしながら、つい不機嫌がにじみ出た口調に、視界の端で志郎衛門叔父が口を手でふさぐのが見える。笑うな。
叔父上も叔父上だ。教えてくれればよかったのに。
実は、父に新しい縁談が来ているそうなのだ。
相手は三河松平家だ。
以前京で出会ったあの少年の姉君が、年回りもいい頃なのだそうだ。
いや父はもう四十越えだぞ。あの少年の姉という事はまだ二十代だろう。
この時代では立派な嫁ぎ遅れの年頃だが、家格だの年回りだので縁組の相手に恵まれない女性は多々いる。特に戦が常態と化している武家では、男子の数が少なくなりがちだ。
その方も、許嫁を対織田の戦で失い、嫁ぎ先を探しているのだそうだ。
さっさとお葉殿を継室にしておかないからだ、とは口にしなかった。
なにやら子供の耳には入れたくない事情があるらしいのと、そもそもお葉殿の身分が父の正室にするには低すぎるのだそうだ。
幸松を産んだのに? そう思うのは、孫九郎の意識がまだ現代の感覚に捕らわれているからだろう。
福島家の家格を考えれば、最低でも同格の国人領主の娘でなければならないのだそうだ。
なるほど、それで城内が異常にピリピリしているのか。
お葉殿の周辺、馬廻り衆にとっては、幸松はなくせない旗印だ。
望外の展開で福島家の嫡男に躍り出て、さてこれからは我らの時代だと意気込んでいたのだろう。
それが新たに正室を迎え、男子を産まれでもしたら……
おそらくはあの正体不明の者たちは、影供のつもりなのだろうな。
身分を隠そうとしたのは、護衛の数にも入れてもらえなかったのに、勝手についていこうとしたからか。
「お、お勝に黙っているつもりではなかったのだ!」
父の必死な表情に、思わず酸っぱい顔をする。
まるで浮気がバレた亭主の言い訳のように聞こえたからだ。
「話があるというだけで、向こうも本気だとは限らぬし」
「いえ、父上に縁組を持ち込むというのは、なかなか目の付け所がいいと思いますよ」
国をまたいでの打診が冗談なわけないだろう。
松平とは難しい仲だ。婚姻を期に歩み寄るという方法はなくはない。
改めて見た父は、四十を越えているが変わらず筋骨たくましく、年齢を感じさせない偉丈夫だ。正室が不在ともなれば、縁談ぐらい来るだろう。
それが背筋を丸めて、しおしおと肩を落としている。
反対すると思われたのか?
確かに、今川館のあずかり知らないところで話が進みそうなのは問題だ。
よりにもよって、そんな話を早田から聞かされるとは思ってもいなかった。
幸松の立場を思えば微妙な気もするし、福島家にこれ以上の不穏が持ち込まれるのは避けたいが、父に正室を……というのはあり得ない話でもない。
お葉殿とうまくいってほしいと思っていたが、一度拗れた仲というのはそう簡単に元に戻るものではない。
もつれた糸をほぐすには相当のエネルギーがいるし、そもそも父には一番苦手な分野だろう。
「ですが、家内の仕置きがうまくできる女性でなければ困ります」
たぶん孫九郎のほうに年齢が近い義母だ。そういう関係性は厄介の種だ。
そもそも父には前例がありすぎる。女性の扱いがきっと壊滅的に下手なのだ。
「なかなかしっかりしたお嬢さんのようですよ」
そう言って咳払いをしたのは志郎衛門叔父だ。
もしかしなくても、福島家側で主導しているのはこの叔父か。
孫九郎の時もそうだが、その前にあったという庶子たちの諍いのことを忘れたのだろうか。また同じことになる可能性、そうなった場合の騒ぎをもっと考えてほしい。
「……福島家の層が薄いというのなら、養子を迎えるというのはどうですか」
叔父がそんな画策をするのは、お葉殿の問題というより、父の手元に残った男子が幸松ひとりだからだろう。
例えば幸松が病気や怪我で早死にする可能性を考えれば、あと一人二人男子が欲しいと思うのはわからなくもない。
父の代は、あの兵庫介叔父を含めると実に五人の嫡出子の男子がいた。それに比べると、確かに心もとなくはある。
特に福島家は孫九郎の実家だ。孫九郎の世代の層はもっと厚くてもいい。
御家騒動など起こされるのは勘弁してほしいが。
「……養子」
そう呟いた叔父の脳裏にあるのは、きっと生まれたばかりの双子のことだろう。
だがそれで言うなら、三郎だって条件は同じだ。
「叔父上のところには、下にはまだ四郎がいますよね。三郎に福島姓を名乗らせるのは?」
どんなふうに育つかわからない赤ん坊よりも、すでに気性もはっきりしている三郎のほうが安心できるんじゃないか。
「いえ、そのようなことは」
叔父はとんでもないと首を振ったが、叔父だって福島家の嫡出男子だ。例えば今父や幸松が死んだとすれば、この叔父が福島家に戻ってくるだろう。
「ですがそのような心配をしなくとも、あれだけ父上によく似ている幸松がいるではありませんか」
下手に正室を迎えて、その子が幸松の下につくことを是とするだろうか。
そこまで想像してもらわなければ困る。
「迎えるのなら正室ではなく、側室あるいは養子の方がいいかと思いますよ」
叔父がどうしても幸松を廃そうとしているのなら、じっくり話し合いが必要だ。
……もちろん兄ちゃんは幸松の味方だからな!




