15-4 伊豆 下田湊1
見下ろす下田湊は天然の要塞だった。
河口に少し開けた部分があって、そこをぐるりと山で囲んだ入江なのだ。
だがいかんせん、農耕可能部分が狭い。
領主清水氏が大きくなれなかった一番の理由はそのあたりだろう。
入り江には船をつけるに十分な広さがあるので、農耕よりも漁業が主たる収入源だろうか。うまくやれば交易で利益を得ることもできそうな立地だが。
「……城を築くならあのあたりだな」
孫九郎は、入江を塞ぐような位置にある山を指さした。
「そうですね、あそこに城があれば、海への睨みもききそうです」
平然とそう答えるのは藤次郎だけで、残りの者たちは息を飲んで沖での戦に見入っている。
「やるなぁ」
思わずこぼれるのは感嘆の声だ。
善之助が操る旗艦が先頭にいるのはどうかと思うが、相手の三浦水軍の船尾を突く形になっているのでかまわないのだろう。
目につくのは、オールを使っての細かな船隊移動だ。風がかなりあるのに帆を使わないのは善之助のやり方だろうか。
帆を広げた三浦水軍の安宅船は風にあおられ思うように動かせず、興津水軍は器用に有利な位置に回り込んでいる。
いやそんなことより、この距離からでもわかるほど激しく上下している船上で戦おうとしている事の方に尊敬してしまう。
安宅船にはキールがないので、もの凄く揺れるのだ。
「船での戦は矢を射かけ合うのが主流だと思うていたが違うのだな」
「……いえ、それはどうでしょう」
土井が目を細めながら言う。
「三浦水軍はまずは矢で応戦しようとしました。接弦されていない船は今でもそうです」
つまりは、対応しきれないほど素早く急襲したということか。三浦水軍はそれから距離を取ろうと帆を広げたのだが、回り込まれたという所だろう。
やはりやるな。
「こちらも出遅れる訳に参らぬ。原殿」
「……は」
二日前とは雲泥の差で、毅然とした表情の原殿が孫九郎のそばで片膝をついた。
がしゃりと鎧が擦れる音がする。
見事な意匠の兜が陽光を跳ね返し、体格がいい身体を緑系の物々しい武者鎧が覆っている。
げえげえと吐いていたことなど思い出せないほどの、歴戦の武者ぶりだった。
「采配を預ける。下田を落とせ」
「はっ」
「抵抗をせぬ者には手を出すな。略奪も許さぬ。目指すは清水の本陣だ」
「お任せください」
深々と頭を下げる兜を見下ろして、孫九郎は頷いた。
ちらりと、少し離れた場所で両膝をついている若者を見る。父親に比べると地味な装いで、下級武士程度の武装だ。
「一番槍を果たした者に褒美をやろう」
原殿が訝し気に顔を上げ、孫九郎が息子を見ている事に気づいたのだろう、はっとしたように息を飲んだ。
「……うまくやれ」
孫九郎は、深々と頭を下げた親子から視線を逸らせ、再び激しくぶつかり合っている安宅船に目を凝らした。
「は」
聞こえてきたのは、くぐもった応え。
「者ども、参るぞ! 御屋形様に勝鬨を捧げるのだ!」
どっと背後で怒声が響いた。
その熱気が風となって舞い、今川軍による下田攻撃が始まった。
おそらく、清水殿に今川家に逆らう意思はなかったのだろう。
突撃した軍勢に対し、清水勢はたいして抵抗しなかった。武器を置き両手を上げる者たちが多発。反撃してくるのは北条勢か。
それも長くは続かなかった。
清水の屋敷の門が大きく開け放たれ、早々に降伏の意思を伝えてきたからだ。
原殿たちの仕事は、向かってくる北条勢への対処と、置かれた武器の回収だった。
「離さぬか!」
そう大声を上げる北条方大将と思われる男が、最後まであきらめずあがいていた。原殿の息子が馬乗りになって、兜の外れたその頭を地面に押さえつけている。
大きな男だ。力も強そうだ。だが、原親子の体格もそれに負けてはおらず、周囲に見守られながら若者は一人で奮闘していた。
腕組みをしてそれを見ていた原殿が、孫九郎に気づいて腕をほどいた。
「まだ危のうございます」
まっさきに案じてくれたのは、物々しいこの場の状況に反して、ただの旅装の集団があまりにも心もとなく見えたからだろう。
だが心配はいらない。見ろ、敵方にもはや戦意はない。
孫九郎が近づくにつれ、敵将が動きを止めた。
その視線が凍り付いたのは、こちらの正体に気づいたからだろう。
「名は」
「笹原十郎様です」
即座に答えたのは弥太郎だ。
押さえつけられた笹原はひゅっと音を立てて息を吸い込んだ。抵抗していた手から力が抜けたのだろう、海老ぞりになっていた身体がガシャンと音を立てて地に沈んむ。
孫九郎は頷いて、その容貌がよく見える距離まで歩を進めた。
血走った目が、ぎょろぎょろと動いてこちらを見ている。
「……裏切ったか、清水!」
そう張り上げた声も上ずり、強い怯えが混じっていた。
「いいや、ただその方らが負けただけだ」
孫九郎は淡々とそう返し、衝撃を受けた表情の笹原に真顔で頷きを返した。
「見通しが甘かったな」
この世は戦国。弱い者は負ける。油断をしても負ける。
北条に敗因があるとすれば、そもそも今のこの時期に伊豆を取り返そうとしたことだ。
国力の差は埋めようがなく、承菊を遠ざけるという策もたいして効果はなかった。
それでも侵攻を諦めようとしなかった北条殿の判断が悪い。
笹原は、怒声を張り上げて最期の力を振り絞った。押さえつける手を跳ねのけ、落ちている刀を掴もうとして……
原殿の息子が、無表情のままその首を刈り取った。




