14-2 伊豆 韮山城2
伊豆衆のほうに向きなおった承菊が、にこやかな表情で口を開く。
「北条方が国境を越えたという知らせがくれば……」
話している内容は理路整然としていて、理解するのも難しいものではないが、聞いている者たちの顔色は悪い。
庵原家の粛清を目の当たりにしたからではないだろう。現代人とは違い、死が隣り合わせの時代だ。
ただ、そのやり方がえげつなかった。
気弱な異母弟に手を下させ、自身は高みの見物。
孫九郎はそれが復讐なのだと理解している。裏切りを許さないという姿勢も、間違ってはいないだろう。
だが……大丈夫か承菊。あいつら真っ青だぞ。
「あなた方が内応した事を北条方は知りません」
承菊が「わかってるよな?」と見回した瞬間、居並ぶ伊豆衆たちがビクリと肩を揺らす。
思えば、長綱殿に対してもおかしな反応をする奴らだった。だから伊豆衆が味方に付いたと聞いても、半分は北条方の策ではないかと警戒していた。いや、今でもそう疑う気持ちはある。
ああ、だからこそ承菊は、譜代の家系に対しても容赦のない所を見せようとしたのか?
……いや、根底にあるのは「お楽しみ」だろうが。
松之助殿はこの場を下がり、死者負傷者もすでにない。
開け放たれた大広間にはいい風が通り、日差しも爽やかだ。
だがしかし、一見何も異常がないように見えるこの瞬間にも、血の匂いは残っていた。
孫九郎は脇息に肘をつき、手で扇子をくるくると弄ぶ。
基本、二回までは注意で済ますというのが孫九郎のやり方だ。
三回目にはしっかり処罰する。どんな身分の者にでも、その方針は変わらない。
承菊への厳重注意は二回目だ。後がないぞ。
有能な男でも、勝手が過ぎる行動をされると困るのだ。
「承菊」
「はい」
「優れた家臣というのは、盲目に従うだけではならぬ」
こちらに向き直った承菊が、こてりとまともな振りをして頭を傾ける。
「だが、気ままにするにも限度がある」
その本性を知っていてさえ「まともな」という形容をしてしまうぐらいだ。外面が良すぎるやつはこれが怖い。
叱責しても、こちらが悪いようにもって行かれそうだ。
「領分をはみ出すな」
そう言った孫九郎を、承菊は瞬きもせずに見つめ返してくる。
強烈なその目力に負けまいと、眉間に力を込めた。
「従わぬなら、それなりの対処をせねばならぬ」
庵原家に復讐をしたいという熱意は、理解できなくもない。
そもそも孫九郎の命を狙い、他国と通じ、内紛まで起こそうとした連中だ。重い処罰が下されるのは当然なのだ。
だが、そこから一歩でも踏み出した瞬間、例えば無関係な者にまで被害が及ぶようなことを意図的に起こしたとしたら、それはつまり、孫九郎に刃を向けたと同等だ。
「今川孫九郎の敵に回るか?」
その言葉に、顕著な反応をしたのは伊豆衆だ。
ぶんぶんと盛大に首を左右にふり、中には後ろに手をついて腰が引けてしまっている者もいる。
……いや、お前らに言ったわけじゃないんだけど。
「御屋形様」
伊豆衆に背中を向け、孫九郎に正対している承菊が穏やかな口調で言った。
「重々心得ております」
ずいぶんと殊勝だが、果たしてそれは本心か。
承菊は、今まで見た事もない晴れやかな表情で微笑んだ。
「御屋形様のご判断に否やは御座いませぬ。いつでも御処分を」
……えっ、怖いんだけど。
孫九郎以上にぎょっとしたのは伊豆衆だ。己らが処分されるとでも思ったのだろうか、ますます顔色を悪くしている。
孫九郎は脇息に肘をついた手で顎を撫でた。まだ髭もない、薄い骨格なのが自分でもわかる。
誰からどう見ても、貧弱な体格の子供だった。侮られることは多々あっても、ここまで怯えられた経験はない。
……何かやったな、承菊。
おそらくは孫九郎に対する噂を流布したとかだろうが、やりすぎじゃないのか?
「承菊」
この男の本心がどこにあるのか、正確な所はわからない。
復讐が根底にあることは確かだし、そこを曲げる事はないだろう。
だがその他の部分、例えば今川家に対する気持ちはどうなんだ?
僧籍にある身で大勢を死に追いやり、笑いながら復讐を遂行する。そんな男が、本音の部分で孫九郎をどう思っているのか……想像してみたが、身震いしたくなるだけだった。
噂をばらまかれた程度、実害がないのだから辛抱するべきなのだろう。
「伊豆は其の方に任せる」
この男から目を離してはいけない。
これまで以上に強くそう思いながら、改めて告げる。
「次はないと思え」
承菊は粛々と頭を下げた。
同時に、その背後に並ぶ伊豆衆までもが一斉に頭を下げる。
承菊に対しては思うところがあるが、初対面の伊豆衆にまで同じ対応をするつもりはなかったのだが。
今回の伊豆戦を無事凌げたら、しっかりとした監視役を側に置くほうがいいだろう。
大広間の極めて上座に近い場所に、関口殿が黙って座っている。先代当主の腹心だったというが、これまでほとんど表には出て来なかった。
一応は庵原と同程度の家格、いや今川家の血を引いている程度には名門だ。身分的にも立場的にも適任ではあるが……
孫九郎は席を立った。
それに続いて側付きたち、護衛たち、最後に承菊と関口殿も立ち上がる。
伊豆衆がいない場所で話す必要があるという目配せは、通じたようだ。
表立っては言えないが、門徒への扱いをどうするかの相談がしたかったのだ。
あとは……
麻の花穂だ。あれがどういう意味を持つかによって、今後の動きを変える必要があるかもしれない。




