13-5 駿東 興国寺城1
この時代の人間の体力はバグっている。
砂糖の摂取量がゼロだからか? いやそのぶん馬鹿みたいに米を食うから、糖質はかなり取っているはずだ。
孫九郎の感覚でいうと、スタミナをつけるには肉! なのだが、この時代の一般的な成人男性は現代人ほどタンパク質を摂取しない。
にもかかわらず、長距離の馬旅にも平気な顔をしているのは、もっと別の、根本的な何かが違うのだろう。
貧弱な孫九郎は、一晩寝たぐらいでは体力は戻らない。
それでも、ここにとどまるわけにはいかなかった。
目的地の伊豆へ。
証如らに追いつかれないよう先を急ぐのにはもちろん理由があって、本願寺の門徒を見逃すことには同意したが、力を合わせて北条を討つ! という状況に持って行くわけにはいかないのだ。
本願寺門徒は危険だ。狂信者集団そのものといってもいい。
史実で起こった一向一揆は、おそらくは農民の蜂起というよりも、本願寺による武家への攻撃なのだと思う。
そうなる可能性を知っているだけに、この時代の他の国々が彼らを禁教にしている理由も、わからなくはない。
今は気に入らない思想の排除という意味合いが強いだろうが、いずれ史実と同じような流れをたどりそうな気がする。
そうならないよう手は尽くすつもりでいるが、万が一に備えて、彼らにあまり近づきすぎるわけにはいかないのだ。
全国の武家を敵に回せば、今川家にも甚大な被害が及ぶだろう。
いやむしろ、そこで滅ぶ可能性すらある。
重い身体を起こす。
心配そうな弥太郎が、普段よりマイルドな臭いの薬湯を差し出してくる。
こいつ、馬に乗らず走って来たらしいぞ。化け物か。
どちらかというと細身で、段蔵や風魔小太郎のような、いかにも戦う者といった体格はしていない。いつもにこやかな役人風のこの男が、突風のように長距離を走るのか。
想像しようとして、目が合った。
にっこりと微笑み返されて、訳も分からず鳥肌が立った。
「承菊さまに、御屋形様が直々に御越しだとお伝えしますか?」
「……あの男の事だから、予測のうちだろう」
孫九郎は、渡された薬湯に集中した。
自身で言った通り、承菊にここまで呼び寄せられた感がある。
ならば承菊のほうから、興国寺城に来るかもしれない。
「いや、それをあてにして待ってはおれぬ」
弥太郎は頷き、空になった湯飲みを引き取った。
「失礼いたします」
一晩休んで元気いっぱいの側付きたちが、朝の支度の準備を持って現れた。誰も昨夜のような無精ひげの者はいないし、服装も全員小具足姿だ。
戦に出向く下準備ともいえるその服装に、孫九郎は丸まりそうな背中を伸ばした。
いや、伊豆戦に口を挟む気はない。承菊の采配を見守り、必要であれば搦手役を引き受ける気ではある。
ただ、意味深に麻の花穂を送り付けてきた理由を知りたい。
本願寺が関わっているのか?
狂信者集団と大麻という組み合わせに、あまりいい予感はしないのだが。
孫九郎は全く食欲がわかないまま箸を持たされ、ため息がこぼれそうになるのを飲み込んだ。
箸を置きそうになって、思い直す。大きくなるには食わねばならない。
成長期に入る年齢なのだ、「食欲がない」など言っていられない。
とはいえ食べるのが冗談のように盛られた白飯と、冗談にしか思えない盛り付けをされた味噌だけというのはどうなんだ。せめて小魚や青菜系の栄養を摂取したい。根菜類でもいい。
だが、孫九郎でコレということは、おそらく誰もがこんなものしか食べないのだろう。いや精米した米なだけ贅沢なのかもしれない。
黙々と白飯を口に運ぶ。
時間ができたら、出汁を使った日本食を作ってやる! と固く心に誓いながら。
食事を終え、着替えも終え、髪も結いなおせば、気分も少し上向いた。
疲れは根底に残っているが、我慢できないほどでもない。
今回あえて小具足は着ず、紺色の直垂のままだ。
福島家の色なので気に入っているのだが、これを着ていると小姓に見えるらしく、側付きたちにはあまりいい顔をされない。
だが、これでいいのだ。
貧弱な十歳の子供。それが今川孫九郎だ。
これから承菊とどうやって面会するか話し合っている最中、八雲が報告に訪れた。
誰もが呪いの書簡に身構えていたが、今回運ばれてきたのは普段の半分以下の薄さだった。……いや、これが普通だから。
八雲が嫌がっている風がないのは、それが承菊ではなく関口殿からの書簡だからか。
関口殿は先代今川当主の腹心で、その命令に従って駿河衆を伊豆へたきつけた疑惑がある男だが、この二年間ほとんど音沙汰がなかった。
いや、承菊が濃すぎるせいで目立ちはしないが、遠征先からの報告はきっちりこなしている。常識的な男が送ってきたのは、常識的な分厚さの書簡であり、承菊がもとは北条家家臣だった伊豆衆らを脅し……もとい脅迫……いや説得して傘下に置いたという報告だった。
孫九郎が伊豆に来るのなら、韮山城に全員を呼び挨拶をさせる、というのが関口殿からの提案だ。
……北条軍が攻め込もうと言う時に?
それ以外にも何か理由があるのかと訝しむ側付きたちを尻目に、孫九郎は書簡のうちの一行が気になっていた。
これらの提案を、承菊殿に代わって……とあるのだ。
今回に限って、承菊ではなく関口殿が書いてよこしたのは、伊豆で予想外のことが起こったからかもしれない。
まさか承菊の身に何か?
いや、もしあの男に命にかかわるようなことがあったなら、関口殿もだが八雲も、真っ先にその報告をしているはずだ。
孫九郎は、柱の影に控えている八雲に視線を向けた。
この男がまだ残っているということは、何か言うべきことがあるのだろう。
目線だけで促すと、ひょろひょろと縦に細長い印象の忍びは、長い首を垂らすような仕草で床に額を押し当てた。
「承菊様が、庵原の兵に切りかかられ……負傷はなさいませんでしたが、今韮山は荒れております」
ああやっぱり。そんなことだろうと思った。




