1-10 遠江 掛川城7
ものすごく睨まれている……訳ではない。
だがひしひしと伝わって来る敵意に、「なんだかなぁ」と気分が下がる。
そもそも父が真後ろに立っている状態で、睨んでくる度胸がある者はいない。
そんな度胸があるぐらいなら、幸松の側近を総入れ替えした時に抗議していただろう。
「それでは! 行ってまいります!!」
ひとりだけピカピカと、眩いほどに明朗なのは、幸松だ。
「気をつけるのだぞ」
孫九郎がそう言うと、「はい!」と食い気味の返答。
重大な用件を任されたことが、よほどうれしいようだ。
だがまだ八歳だ。小学生だぞ。
判断を誤れば命に障るような使命をこなすには、あまりにも幼過ぎる。
孫九郎が下手に名をあげすぎたためだろう、皆感覚が麻痺しているのではないか?
やはり志郎衛門叔父に……
「必ず成し遂げて参りますっ」
ピカピカの笑顔が眩しい。
「……ああ、任せた」
「はいっ」
孫九郎はそう言うしかなく、幸松はお日様もかくやの笑顔で首を上下させた。
陣容は、福島家の兵士二百。使者総代として幸松。
側付きたちが総じて若く、まるで小学生の遠足のような気軽さだった。
大人組としては、二木、それから田所兄弟だ。
久々に見た兄弟は、相変わらず色違いのエノキ茸のようで、離れた位置にいてもひと目で血縁者だとわかる。
それにしても……この組み合わせは大丈夫なのか?
目が合った田所兄が、薄い唇の端を鋭角に持ち上げ、丁寧に頭を下げた。
二木とこの男が並んでいると、何とも言いようがない、ぞわぞわとした不穏な感じがする。
張り切って馬に乗る幸松は、孫九郎よりもすでに乗馬技術は達者で、体格も十歳を越えていそうだし、そこだけ見る分には問題なさそうに見える。
だが三郎はじめ側付きの若さが際立って目立つ。
こそこそと、孫九郎を見ながら何かを囁き合っているのは、当代ではまったくもって閑職となりはてた馬廻り衆たちだろう。
あわよくば幸松が死ねばよいと、寡兵で敵地に送ったのだとか、そんなことを言われているのはわかっている。
心配そうに幸松を見送るお葉殿から敵意を感じた事はないが、そう言う輩を放置して諫めようとしないのは、少なからず思うところがあるのだろう。
「兄上様!」
幸が小走りに駆け寄ってきた。
これだけの衆目の中、微妙な雰囲気も意に介さない肝の太さは父譲りか。
お葉殿が、そんな幸を引き留めようと手を伸ばすのが見えた。
その真後ろにいるのは……早田か? かなり面立ちが変わっているが、千代丸の手首を切り落としたあの空気読めない男?
じっと見ていると、早田らしき男はお葉殿に何かを囁いた。
その言葉を聞いたお葉殿のあの表情の意味は何だ? 手を降ろして、うつむいた。悲しそうな表情に見えた。
お葉殿を引き止めた男の視線がこちらを向く。軽く頭を下げられた。あの早田で間違いないようだ。
千代丸の件からもう六年か。父について一兵卒として前線に行ったとしか聞いていなかった。六年であの事件の禊は済んだのだろうか。
「兄上様! 幸松兄上が兄上様の身代わりに信濃へ行かされたというのはまことですか⁉」
誰から聞いたんだ。まあだいたい想像はつくが。
声を抑えない幸の言葉に、見送りに出ていた者たちが動揺した。
背後で、不穏な気配がする。
ゴゴゴゴゴゴ……と、地鳴りがするような雰囲気だ。
孫九郎はちらりと仁王像のような顔をしている父を振り返り、「違うよ」と苦笑した。
「父上が行くわけにはいかないからね。その代わりだ」
幸は、よく理解できなかったようだが、孫九郎が否定したことで肩から力を抜いた。
「幸松には護衛を山ほど付けた。きっと無事に戻るよ」
幸松の事はもちろん気がかりだが、掛川城での父の態度の方にも不穏を感じる。
もっと父には家内の事に目を向けてほしいと思っていたが、こういった陰険さが嫌で城に居つかないのかもしれない。
父の怒りが爆発したら、きっとただでは済まない。本人もそれが分っているから、あえて距離を置いているのだろうか。
幸の頭をひと撫でしてから、大きく開け放たれた大手門から城内に戻る。
孫九郎の真後ろに、怒りの波動を目に見えるほどに発散している父がいて、周囲はそれに戦々恐々の様子だ。
幸の手が伸びてきて、孫九郎の直垂の袖をつかんだ。
「兄上様! 蜂の蜜の飴なるものがあるそうにございます!」
父が怒っている事を全く怖がっていない肝の太さは、絶対に血筋だよな。
それが兵庫介叔父のものだろうが、父のものだろうが、福島の子には違いない。
孫九郎はニコリと微笑み、頷いた。
「堺商人の佐吉が職人を連れてきてくれるそうだよ」
「甘いのですか?」
「水飴よりも美味いと思う」
幸の表情が、子供らしい無邪気さで華やぐ。
周囲の気配がゆるみ、凍り付いていた者たちがそれぞれに動き始める。
孫九郎は袖をつかむ幸の手を握った。
その手は少し震えていた。やはり父の怒りは怖いのだ。
それでも立ち向かおうとする気概と、空気を読んで場を和ませようとする機転と。
幼いなりに、なかなか利発だ。いい子でもある。
お葉殿とその周辺にどんな動きがあろうとも、父がこの子たちを愛し、守ろうとすればすべては穏便に片が付く。
孫を息子だと愛せる父が、幸と幸松を可愛いと思えないはずはない。
孫九郎はくるりと父を振り返り、その険しい表情に笑顔を向けた。




