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ギンクちゃんの部屋はびっくりするくらい片付いていた。物は結構ある方なんだけど、アラインさんの部屋の惨状を見てきたばかりだからか、すっきりとしているように見える。
壁の際にベッドがあり、少し離れた場所に小さいテーブル。そのテーブルの傍らに椅子とキャンバスが。何かを飲みながら絵を描いていたようだ。テーブルの上には油絵用の画材一式と、湯気が立つマグカップがある。キッチンのようなものは見当たらないけれど、どこかにあるのだろう。
他人の生活スペースをまじまじと見るのは、はしたないことだと分かっているけれど、つい、なんの絵を描いているのか気になってしまった。あの手で筆が持てるのだろうか?
描き始めたばかりなのか、人物画なのは分かるが、ほとんど下絵の状態だ。特徴的な画風で、写真のようなリアルさはないけれど、それぞれのパーツの位置が整っていて、下手には見えない。……というか、普通にわたしより上手だと思う。
でも、この顔、どこかで見たような……。
「にゃに見てるんだ」
「ぅ、わっ! ごめんなさいっ」
背後から声をかけられて、わたしは思わず肩をはねさせる。振り返ると、誰もいない――いや、目線を下げればギンクちゃんがいた。人間と比べて表情が読み取りにくいけど、多分、呆れている。
「こっちはかまわにゃいけど、向こうはそうでもないぜ」
「向こう……?」
ギンクちゃんが、手を向けた先には、頬を膨らませているアビィさんがいた。確かに、向こうはご立腹のようで。
「すみません……」
わたしはおとなしくアビィさんの方へ向かう。彼女の元へたどり着くと、再び杖で頭を殴られた。さっきといい、結構本気で叩いてくるので頭が痛い。
「遅いです」
「口で言ってくださいよぉ……」
わたしは頭を押さえながら言うが、アビィさんにひと睨みされるだけで終わってしまった。
「……さて、と」
ギンクちゃんが壁を触ると、ぶわ、と一気に壁へと光が走る。その、縦横無尽に走っていたと思われた光は、最終的に魔法人のような形へと終結する。
「ここが出口だ」
ギンクちゃんが言うと、アビィさんはためらいなく壁へと歩く。そして、ぶつかることなく、にゅ、と壁の中へと吸い込まれていった。魔法だとは思うんだけど……なんかちょっと、抵抗あるな。普通に怖い。
しかし、ビビっているのはわたしだけのようで、ザムさんもアルベアちゃんも普通に『出口』へと入っていく。
「……帰らにゃいのか?」
ギンクちゃんに言われて、わたしは唾を飲み込んだ。そうだよね、わたしが帰らないと出口を閉められないし、絵を描くのに戻れないもんね。
ええい、やけくそ!
わたしは息を止め、なんなら目もつむって、壁へと軽く走った。
体に膜がまとわりつくような違和感が気持ち悪くて、正直、二度とこの魔法は味わいたくないな、と思ったのだった。




