07_異世界に行きたい魔法使い
数百年以上も前。比喩でも演出でもなく、この世界の空が一部割れたといわれる。
青空が数ピース欠けたかのように黒い空間がいくつも生じ、人々がそれを認知するよりも先に、空間から魔なる存在はやってくる。
魔物、魔族、魔王。
動物と呼ぶには異形であり、人間と呼ぶには異質であり、異様さと異端さを兼ね備えたそれは、まさに魔王軍と呼ぶに相応しい異世界からの侵略者。
この世界は、異世界と繋がってしまった。
湧き出る魔物の群れに人々は為す術がなく、世界の終焉を迎えると誰もが思っていたらしい。
同じ空間から、魔法使いが大勢やってくるまでは。
魔法使いたちが魔王軍の侵攻を食い止めることで、甚大な被害は出たものの世界滅亡とまでは至らずに済んだ。
魔王軍を残らず倒した魔法使いたちは、異世界へ戻ると同時に黒い空間も塞いでめでたしめでたし……とはいかず。
三割ぐらいの魔法使いは、この世界に残る決断をしたらしい。よその世界に被害をもたらした責任ゆえか、復興すれば住み心地の良さそうな世界に見えたか、真相はわからない。
ただ、魔法使いと人間が共存することによって、この世界にも魔法使いの血が受け継がれていったのは確かな事実だ。
だからこそいま、魔法使いの血のみ流れるユキハがいて、半分だけ流れている僕がいる。
なのに、僕は魔法が使えない。
僕は何者なのだろう。
「なんとなく、キミが魔法使いになりたい理由がわかった気がする」
部屋のベッドに腰かけ、ユキハは亜空線をまじまじと見る。
空が割れる前の光景は、目の前にある黒い線のようなものだったらしい。もちろん、規模は僕の部屋とは比べものにならないほどだろう。
亜空線が割れると異世界への空間が繋がり、こっちからもあっちからも出入りが可能となる。
つまり、僕が異世界に行くことだってできる。
「行きたいんだ、あっちの世界」
ユキハには、もう見抜かれている。もちろん否定はしない。
「……亜空線がどうやったら割れるのかわからない。仮にもしその日が来たとしても、魔法もろくに使えないんじゃ異世界に行くのはあまりにも危険すぎるだろ?」
超大規模な亜空線は一回目だけで、中規模、小規模の亜空線は、数百年経ったいまでもあちこちに引かれているという。
おそらく、僕の部屋の亜空線は小規模もいいとこだろう。
ただ、亜空線が割れる条件も、塞がれる条件もわかっていない。
「魔導隊には連絡してないの?」
「してない。したらいろいろ面倒だろ」
「まーそっか。それにしても男の子だねえ。ロマンを求めて異世界冒険ってのをしたいのかな?」
最低限のおもてなしで出した麦茶をごくごく飲むユキハ。
ユキハの指摘は、半分ほど当たっている。
「さっき親とは住んでないって言っただろ? でも、別にそれはいまに限った話じゃなくて、もう十年以上も両親に会ってないんだよ。伯父が言うには、二歳ぐらいまでは一緒にいたらしいんだけど」
意外な事実だったのか、ユキハの表情が少し真顔に変わる。
「二歳かあ……ちなみにお母さんの顔とか覚えてたりするの?」
「覚えてない。母親の写真なら伯父が持ってたけど、僕が生まれるよりずっと前のものだからいまいちピンとこないんだ」
父親に至っては写真すらない。
だけど、手掛かりはある。
「伯父が口を滑らしたときがあったんだよ、もし彼らがこの世界にいたらどんな仕事をしてたんだろうって。それで判明したんだ。僕の両親は異世界に住んでいるんだって」
どうして伯父が両親について話してくれないのかはわからない。教えられない事情があるのは明らかで、きっと僕の魔力にも関係していそうな気がする。
「別に、伯父に不満があるわけじゃないんだ。育ての親みたいなものだし、ずっと面倒見ていただいているからね。でも、親の顔さえ覚えてないんだ。一度会ってみたい気持ちになるのは、なんらおかしくはないだろ?」
どうして僕は魔法が使えないのか、なぜ両親は異世界に住んでいるのか、なんで僕だけ置いてけぼりにされたのか。とにかくたくさん聞いてみたい。
別に、両親を恨んでいるわけではない。
ただ、理由を知りたいだけだ。
「両親を探すために異世界へ行く。異世界で魔物に殺されないために魔法使いになる。それらが僕の目的だ」
そりゃ冒険心をくすぐられるのは否定しないが、一番は親探し。
これ以上はもう膨らまない。出せるだけの情報は開示した。
ユキハはコップを口に当てたまま離さない。飲んでいるようには見えず、口元を隠しているかに見える。
やがてコップを机の置くと、ユキハは不適に笑った。
「親を探しに異世界突入とかすっごくいいじゃんっ。もし見つかったらそのままコータも異世界に住んじゃうとか?」
「いや、まだそこまでは考えてないけど……」
「ふーん、まあいーや。それよりキミが異世界突入するときはわたしも一緒に連れてってよ! キミの魔力があるなら足手まといにはなんないからさー」
「それはいいけど、そんな簡単に決めていいのかよ」
僕でさえ、結構悩んだ末の計画だ。まるっきり未知の世界なのだから。
「だっておもしろそーだもん。わたしはこの世界が好きだけど、お母さんが住んでた世界には興味があるからね。一度くらいは行ってみなきゃ魔法使いの名が廃るってもんよ」
なんだか僕以上にノリノリだ。テンション上がるあまりベッドを揺らすのはやめてほしい。
「ユキハがいいなら僕は止めないよ。でも僕が魔法使いになることが前提だぞ」
「おっけーおっけー任せとけって。ちゃんと教えてあげるよ」
立てた親指を僕の頬に押しつける。随分なスキンシップだ。
打ち明けたいことは全て済んだので、解散の流れにさせてもらおう。
「いやーなかなか興味深い話だった! ところで送ってくれたりはしないの?」
「そんな遠くないんだろ? まだ明るいし一人で帰れるだろ」
「じょーだんだよ。じゃ、また明日ねー」
ひらひら手を振るユキハを玄関で見送ったあと、僕はベッドで仰向けになった。
伸ばした右手の手のひらを、じっと見る。
ちょっとした苦い記憶がある。
幼稚園入りたてか、まだ自身の魔力が異常だということを気づいていなかったとき。
ふとしたきっかけで園児と手を繋いだら、すぐ離されて嫌な顔をされた思い出。
「ほしなみくん、なんかぞわぞわしてきもちわるい」
どうやら静電気みたいな感触がずっと続く感じがして嫌らしい。子どもながら相当ショックを受けた覚えがある。
それ以来、魔力を抑えることを徹底した。
ついでになるべく近づかれないようにするため、一人でいる時間が多くなった。
「最大の長所、か」
同じ人物ではあるが、今日だけで何回触れられただろうか。
僕の魔力が、初めて人との関係を結んでくれた。
あんなにも喜んでくれて、あんなにもはしゃいでくれて。
気がつけば、頬には涙がつたっていた。