その1の1
試し書き。
2話だけ投げます。
モウリ=シンスケの意識は、闇の中を漂っていた。
その闇に、差し伸べられるモノが有った。
「せんぱい。せんぱい」
聞きなれた声だ。
女の声だ。
それが、シンスケの鼓膜を揺らした。
声の主は、シンスケの肩に手をかけた。
そして、シンスケの体までもを揺らしてきた。
シンスケには、まだ眠気が残っている。
だが、そうまでされては、もう眠ってはいられない。
「んん……?」
シンスケは、目を開いた。
そして、上体を起こした。
見慣れぬ風景が見えた。
そこは草原-くさはら-だった。
1度も訪れたことは無い。
まったく新鮮な印象を与えてくる、初めての場所だった。
「フミ。どこだここは?」
シンスケは、そう尋ねた。
シンスケの隣に、彼と同年代くらいの少女が居た。
地面に膝をついていた。
少女は、学校の制服を着ていた。
冬服だ。
スカート姿だ。
ヒザの素肌が、野の草に触れていた。
彼女の名は、フミ。
シンスケが通う学校の、後輩だった。
(妙に温かいな)
シンスケも、学校の冬服を着ていた。
今は、真冬だったはずだ。
たとえ冬服を着ていても、肌寒さを感じるはずなのだが……。
今のシンスケは、むしろ暑苦しささえ感じていた。
春か、初夏の気温だ。
そう思えた。
「……わかりません」
フミが少し遅れて、さきほどの質問に答えた。
ここはどこなのかという質問だ。
「そうか」
シンスケにも、ここがどこなのかは分からない。
見当もつかない。
つまり、迷子ということか。
「俺たち、学校の屋上に居たはずだよな?」
「はい。
そこで、あの光に包まれました」
「ああ。
それが、どうしてこうなった?」
「不思議ですか?」
「科学的じゃない。
こんな風に、飛んじまうってのは」
「ならばあの光は、科学的なモノでは無かったということです」
「そうか。……そうだな」
「そうです」
「お前、髪の色が変わってるな」
シンスケは、フミの髪の毛を見ながら、そう言った。
シンスケが知るフミは、長い黒髪だった。
だが、今のフミの髪は、輝く銀色だった。
「せんぱいも、変わってますよ」
「え? 何色だよ?」
「銀色です」
「お前もだ。お揃いだな」
「はい。ふしぎですね」
「そうだが。まあ、良いか」
「良いのですか?」
「こうなったもんは仕方が無い」
「それはそうですけどね」
「それより、これから俺たちは、どうすりゃ良い?」
「後輩の私に聞くんですか? それを」
「本読んでるだろ。いつも。
こういうとき、どうすりゃ良いのか、分かってんじゃねーのか?」
「まさか。
私の読書は、暇つぶしに濫読しているだけです。
目的をもって精読しなくては、血肉にはなりません」
「血肉?」
「深く理解して、しっかりと記憶に留めなくては、役には立たないということです」
「うろ覚えかよ。お前の読書は」
「いけませんか?」
「天才は、1度見たことは忘れないって聞くがな」
「天才だと思ってたんですか? 私を」
「違ったらしいな」
「当たり前です」
「それじゃ、俺に行き先を任せてみるか?」
「どうぞ」
「後悔すんなよ」
「責任を押し付けたりはしません。ご心配なく」
「それじゃ、行くか」
シンスケは草の上から、重い腰を上げた。
そして、軽く尻をはたいてから、歩きはじめた。
その足取りに迷いは無い。
すいすいと、草をかきわけていった。
「どこを目指しているんですか?」
フミはそう言って、周囲を見た。
2人が居る草原は、小さな丘に囲まれていた。
視界が悪い。
目的地にできそうなものは、見当たらなかった。
だというのに、シンスケの歩みは、決して乱れることは無かった。
「太陽を見ろ」
フミは太陽を直視しないように、軽く空を見上げた。
太陽は、空高くにのぼっていた。
「…………?」
「あの高さだ。今は昼間だろう」
「日の高さは、季節や地域によって変わりますよ」
「……大体で良いんだよ。
ここが日本なら、南は向こうで、西が向こうだ。
そうだろ?」
「そうでしょうが。それが何か?」
「冒険っていうのは、西に向かってするもんだ。
三蔵法師だとか、アメリゴ=ヴェスプッチとかな。
わざわざ東に向かうのは、コショウが欲しい連中だけだ」
「コロンブスだって、きっとコショウが欲しかったはずですよ」
「そんな奴は知らん」
「それに東には、絹も有りますよ」
「それは流通品だろ。冒険じゃねえ」
「昔の人たちにとっては、大冒険だったのではないでしょうか?」
「そうか? とにかく俺は西に行く。
なぜなら、そう決めたからだ」
「決めたのであれば、仕方ありませんね」
「うん。仕方が無いんだ」
「では、行きましょうか」
「うん。行こう」
2人は、西に歩いていった。
そして、小高い丘をのぼった。
そして、後悔した。
「ぐるるるるるっ!」
丘の上で、凶暴な顔をした馬が、待ち構えていたからだ。
真っ黒な、通常よりも遥かに大きな馬だ。
目は赤く、口の端からは唾液を垂らしている。
不気味なうなり声を上げるその馬からは、明確な敵意が感じられた。
いや、敵意というのは生温い。
殺意だ。
人を殺すという意思が、そこには有った。
その体格は、サラブレッドなどよりも遥かに屈強だ。
戦って勝てるようには見えなかった。
「すまん。フミ。
俺は間違えたかもしれん」
東を選んでいれば。
シンスケは、そう思わざるをえなかった。
「いえ……。
こんなこと、誰にも予想なんてできませんよ。
ですが……」
「何だ?」
「手を握ってもらっても、構いませんか?」
「ダメだ。
手が塞がったら、あいつと戦えない」
「戦うような相手じゃ……」
「お前を逃がすくらいはしてやる。東に走れ」
「私1人で逃げたって、なんにもなりませんよ……」
「コショウくらいは見つかるだろ。
行け! 走れ!」
「っ……!」
シンスケが覚悟を決めた、次の瞬間。
「かかれーっ!」
叫び声が聞こえた。
男の声だ。
直後。
鎧姿の戦士たちが、槍を手に、丘の死角から現れた。
鎧は西洋風のものではなく、和式だった。
軽装鎧で、あまり良いモノには見えない。
安物のようだった。
槍を持った戦士たちは、いっせいに馬へと突きかかった。
馬の意識が、シンスケに向かっていたのが良かったのだろうか……。
凶暴な馬の体に、戦士たちの槍は、見事に突き刺さった。
「グゥ……!」
馬の巨体に、いくつもの穴が穿たれた。
馬はうめき声を上げ、草地へと倒れた。
そして、動かなくなった。
当面の危機は去った。
シンスケには、そのように思えた。
「だいじょうぶですか?」
小柄な若い男が、シンスケに声をかけてきた。
その男は、猿のような顔をしていた。
「ありがとうございます」
シンスケは、素直に礼を言った。
「どうも」
フミもぺこりと頭を下げた。
「おや。美しいお嬢さんだ」
フミの容姿を見て、男はそう言った。
「連れが居るので」
フミはそう言って、シンスケに歩み寄った。
「ご夫婦でしたか。これは失礼」
(違うんだが?)
「ところでお2人は、このような所で何を?」
「こっちが聞きたいくらいなんだけど……」
「はい?」
「あやしい奴らですね」
男の背後、軽装の戦士が口を開いた。
その戦士は小柄だが、猿顔の男よりは、少し背が高い。
覆面をしていて、顔は見えない。
ニンジャ。
その戦士の格好を見て、シンスケは、そんな印象を抱いた。
(あれは、狐の耳か?)
シンスケは、その戦士の頭頂部を見た。
そこに、野の獣のような耳が有った。
シンスケは、大して驚きもせず、耳から視線を外した。
「よせ。イチワカ」
猿顔の男が、ニンジャのような戦士を咎めた。
戦士の名は、イチワカというらしかった。
「ですが、ヒヨシさま。
そのような装束、尾張では見たことがありません。
他国の草なのではないですか?」
「たわけ」
ヒヨシと呼ばれた猿顔の男が、イチワカを叱りつけた。
「間者がこのような、目立つ格好をするものか。
失礼なことを言うでない」
「……もうしわけありません」
「ですが……」
ヒヨシはきらりとした瞳を、シンスケたちに向けた。
「不思議ではありますな。
このような見事な格好をした夫婦が、
人里離れたところを、うろついているというのは」
(……どう説明したら良いんだ?)
シンスケが悩んでいると、代わりにフミが口を開いた。
「駆け落ちなんです。身元については、聞かないでください」
「なるほど」
果たして、それで納得がいったものか。
ヒヨシはそれ以上、何も聞かなかった。
「あなたがたは、ここで何を」
フミは逆に、質問を返した。
「そのようなことを聞くとは、やはり間者なのでは無いだろうな?」
イチワカが、フミを睨みつけた。
それをヒヨシが止めた。
「よせ。
……我々は、ただの偵察部隊です。
特に隠すようなこともありません。とはいえ……。
至急ノブナガ様のもとへ、戻る必要が出てきましたが」
「ノブナガ?」
思わずシンスケが尋ねた。
「左様。オダ=ノブナガさまです。
自分は、ノブナガさまに仕える武士の一人。
ヒヨシマルと申すもの。
とはいえ、まだ名字も無い足軽ですが」
「俺はモウリ=シンスケです」
「フミです」
ヒヨシが名乗ったので、シンスケとフミも名乗った。
「ところで……」
名乗りの後に、フミは質問を続けた。
「至急戻らねばならないというのは、何か事件でも起きたのでしょうか?」
「お前が知る必要が有るか?」
内情を探ろうとするフミに対し、イチワカの目が、鋭くなった。
「よせと言っている。実は……」
ヒヨシが言葉を続けようとした、そのとき。
「グルオオオオォォォッ!」
倒されたはずの馬が、力強く飛び起きた。
「えっ……?」
シンスケは、呆然と馬を見た。
馬は全身を槍で刺され、血みどろだった。
どう見ても致命傷だ。
それを起き上がるとは。
並のいのちでは無い。
完全に、意表を突かれた形になった。
シンスケは、動けなかった。
狂馬の巨体は、シンスケに迫った。
そして……。
「シンスケどのっ!」
「っ!?」
「ヒヨシさま!」
突き飛ばされた。
シンスケがそう感じた、次の瞬間……。
ヒヨシの上半身が、宙を舞っていた。
彼の2本の足は、地を踏んだままだ。
たった一撃で、ヒヨシの体は、2つにちぎられていた。
誰がどう見ても、致命傷だった。