4 漂着
背中に痛みを感じながら、誰かに揺さぶられて目を覚ますと、まだ雨が降る中、傘を握りしめ、ドレスを着た女がいた。
「殿下…、ヴェッセル殿下!」
雨の海辺に似つかわしくない派手な紫のドレスを身にまとった女は、僕と目が合うと嬉しそうに声を弾ませた。
「ご無事でよかったわ」
僕はこの令嬢に助けられたのか…?
浜辺を見ると、他の船乗り達もいた。浜辺に寝転がり、咳き込み、ハアハアと息を切らせながらも、見たところほとんどの船員が無事浜辺まで泳ぎ着いているようだ。さすが海の男達だ。レクスも無事だった。まずはお互いの無事を喜んだが、これからのことを考えなければいけない。
令嬢は僕を助けた、と言うより、僕を見つけたのだろう。傘を持つ手は自身が雨から濡れないよう必死で、目の前の僕にさえ差し出す気配はない。当然自分から海に飛び込むようなことはないだろう。それでもここでの助けを願い出ることはできそうだ。こんな事態だ。自分の身分を使ってでも、みんなを安全で暖かなところに連れて行きたい。
例の令嬢が僕の手を引き、馬車に招いた。しかし、招かれたのは僕だけで、他の船乗り達には見向きもしなかった。
「大変でしたわね。すぐに我が家へご招待しますわ」
「家をご提供いただけるのか。ありがたい。すぐに他の船員達を…」
「すぐに温かいものを用意させますわね。まさか殿下がいらっしゃるなんて思いもしませんでしたわ。これも運命というものかも知れませんわね」
僕の話など全く耳にも入らない様子でしゃべる令嬢に、彼女に他の乗組員の救出を願っても無駄だと思えた。
レクスに後で連絡する、と手で合図すると、向こうも承知したようで、こくりと頷いた。
浜辺から道に上がると、見覚えがある場所だった。ツィーブラウの港からさほど離れていない場所だ。ツィーブラウは波が穏やかなうちに着ければ一時寄港しようと思っていた港で、ここからそう離れていないところに自分の家の別荘がある。
令嬢の屋敷はさほど遠くなかった。子爵は不在だったが、すぐに出てきた家令に話をつけ、今乗っているものの他、もう一台の馬車と馭者を借りることができた。別荘にも連絡を頼むと、家令は承知し、すぐに人を遣ってくれた。
令嬢に丁寧に礼を言い、後日伺うことを約束して彼女には家に残ってもらった。二台の馬車を引き連れて再び海岸へと戻ると、数往復し、船乗り達を自分の家の別荘に連れて行った。
馭者に馬車を借りた礼を言い、後日、礼と馬車を汚した詫びに伺うと伝えた。
別荘では常在する使用人がすぐに対応してくれ、街からも手伝いが来てくれた。
海の男達は、あんな事故に巻き込まれながらも、大きな怪我をするものもなく皆元気だった。残念なことに、二名の乗組員が行方不明になっていたが、船の沈没という大事故からすれば、被害は少なかった方だと言える。
「あの波の中、よく泳ぎ着けたもんだ」
皆、口々に語ったのはそのことだった。
「波の流れが良かったのか、あの波の中で流された方角が岸で本当に助かった。まだ運はあったな」
「大きな魚に押されたような気がしないでもなかったが…。イルカか?」
「さすがにこんな波が荒れてる時にいないだろ」
湯につかり、温かい食事が用意され、ベッドは人数分には足りなかったものの寝るには充分だった。
そして翌日の昼には船乗り達を近くの港町ツィーブラウまで送り届けることができた。
レクスは船長として船をなくしてしまったことを船会社に報告しなければいけない、と頭を悩ませていた。積み荷の補償もあるだろう。しかし、浸水の仕方が急で不自然なのは、レクスも僕も同意見だった。何らかの理由で船体を損傷したと考えて間違いないだろう。しかし、あの辺りには岩場はないはずで座礁したとは思えない。思いがけない漂流物でもあったのか。船が沈んだ場所がさほど深くないなら、潜って船を調べたい気持ちもあった。父から預かりながら持ち出せなかった荷物もできるなら見つけたい…。
事故の調査には協力することをレクスに伝え、しばらく別荘に残ることにした。
王都から側近達も駆け付けた。危うく死にかけたことで、一人でメルクヴェグまで行こうとしたことを叱られたものの、供がいたところでみんなで遭難しただけだ。そう言うと、
「少なくとも、貨物船に乗るなんて事は止めました!」
と、側近の一人、テオールの小言は続いた。そうは言っても貨物船だから沈んだという訳でもないだろう。天候のせいか、運のせいかは知らないが。
妙に背中が痛む。昨日着ていたシャツや背中にうっすらと残る跡は大きな魚の尾びれを思わせた。荒波の中、ぶつかられていたとしても喰われなかっただけまだ悪運があったんだろう。…と思いはしても、励ましにもなりはしない。




