12 断罪
翌日、父王との謁見のためにマリーナを呼びに行くと、そこにいたのはまるで別人だった。
海を思わせる水色のシフォンのドレスに、巻き貝のように結われた髪はまさに令嬢の装いであり、男物のシャツと腰に巻いたシーツで溺れていたのと同一人物とは思えない。
ピアスとペンダントはどうしてもこのまま、と本人が押し通したらしい。あれがないと言葉に不自由する事は侍女には説明できないが、本人が大事にしているものだから、と折れてもらった。
既に靴のことでひともめあったらしい。王城の侍女がさらなる極みを目指しながらも思いのままにならないのを不満そうにしているのをなだめ、マリーナに腕を差し出すと、周りにいた侍女達が「きゃっ」と小さく声を上げ、とげとげしい雰囲気を少し柔和にした。
マリーナをエスコートして謁見の間まで行くと、既に役者は揃っていた。
プリスカ嬢の隣には、父が呼び出したプリスカ嬢の父、ノルデン子爵がいた。
マリーナはプリスカ嬢の隣に立つだけで少し緊張していた。猫が敵を見つけて毛を逆立てる三秒前の緊張感だ。
まずは、今日の来客を王に紹介する。
「陛下、このたびの海難事故で世話になりました、プリスカ・ノルデン子爵令嬢と、マリーナ嬢です」
続いて、来客自身が王に挨拶する。
「陛下、ノルデンです。ご尊顔を拝見し、光栄です」
「プリスカです。お会いできましたことを大変光栄に存じます」
二人の挨拶が終わると、自然とマリーナに視線が集まる。しかし、マリーナに、いやあの翻訳のペンダントにこの場で話をさせるのは少し危険だ。
「マリーナ嬢はうまく言葉を話すことができません。どうか、挨拶はご容赦ください」
と言うと、王は
「よい」
と言った。マリーナも軽く会釈する。
続いて「事故」の報告だ。
「今回のブラド号の事件に関しご報告します。嵐を避け、沖合で停泊中だったブラド号が高波に飲まれて浸水、船は沈没し、積み荷も全て失いました。乗組員は海に投げ出されましたが、二名を除き海岸までたどり着くことができました。たまたま私も同船に乗船しておりましたが、岸に漂着したところをノルデン子爵令嬢が通りすがり、屋敷に迎えていただきました」
「おお、それは大義であった」
上機嫌な王の言葉に、プリスカ嬢は得意げに笑みを見せ、深々と礼をした。
「そんな…。臣下として、当然のことをしたまでですわ」
当然、か。僕だけを屋敷に運んで、それを当然と言う神経が理解できない。しかし、この場ではあくまで笑顔と感謝だ。
「また、こちらのマリーナ嬢には、船と共に海に沈んだ王家の指環を届けていただきました」
「ほう…それはそれは。双方、我が息子ヴェッセルのためによくぞ尽くしてくれた。礼を言う」
ノルデン親子とマリーナ、三人揃って王に深く礼を返した。
マリーナは、これで帰れる、と期待しているのがありありとわかった。申し訳ないが、もう少しかかるよ。
「陛下。実は少々気になることがあります。この場を借りてよろしいでしょうか」
僕がそう切り出すと、案の定、マリーナは露骨に失望の表情を見せた。自分だけ先に帰せ、と言いたげだが、あえて目を合わせないでおく。
「なんだ?」
狸な王が打ち合わせ通りにしらばっくれている。
「実は、今回の沈没ですが、人為的に引き起こされたものかも知れません」
周囲がざわつき、ノルデン子爵も、子爵令嬢も少し落ち着きをなくしている。
「…どういうことだ。話してみよ」
「嵐の中、当初船はきちんと制御できていました。沈んだ船を調べたところ、浸水したのは高波のせいではなく、船体に穴があいていたからでした。あの海域には岩場もなく、どうして船体に穴があいたのか疑問だったのですが…、どうも、船の内側からの衝撃で穴があいたようです」
周りに合わせ、初耳を装いながら僕の説明を聞いていたノルデン子爵がピクリと反応した。
「積み荷の依頼元を調べたところ、出港直前に樽を五つ、飛び入りで引き受けていました。中身はワインとなっていましたが…。ノルデン子爵、間違いないかな?」
突然自分が指名され、慌てたのだろう。ノルデン子爵は一瞬反応が遅れ、目を左右に動かしたものの、すぐに冷静なそぶりを続けた。
「あ、ああ、当家が持ち込んだ荷物ですね。はい、ワインでした。残念ながら、船と共に沈んでしまいましたが…。ワインなどは何とでもなる物です。殿下がご無事で良かった」
ここに来て見せた作り笑い。ぎこちない笑みに、本物の作り笑いを返す。
「いなくなった船乗りの二人は沈没の犠牲になったと思っていたんだが、樽を船内に運び込んだ後から姿を見た者がいないんだ。調べたら、三つ先の港街にいることがわかってね。事情を聞かせてもらったよ」
タイミングを見計らい、騎士隊員がその二人を連れて来た。二人は後ろ手で縛られ、その場に跪かされた。一足先に兄の元で絞られ、今回の件については既に自白済みだ。
「樽の中の物は、ワインのような液体ではなかったようだよ」
「も、申し訳ありません」
二人はノルデン子爵に謝ったものの、子爵は完全に二人を切り捨てるつもりのようだ。
「知らんな、こんな連中は。…もしや、私の積み荷とすり替えて、よからぬ物を積み込んだのか」
「よからぬ物…。例えば、壁に穴をあけるのに充分な火薬とか?」
続けて出てきたのは、樽が一つ。持ち主を示す焼き印が押されたものだ。ノルデン家の所有するワイナリーの焼き印だ。だからこそ、急な積み荷の申し入れもすぐに受け入れられたのだろう。
「他の樽は潰れて見当たらなかったのに、一つだけこのまま沈んでいた。どうやら不発だったようだな」
「お、お父様…」
この緊張感に耐えかねたのか、プリスカ嬢は父の腕にすがりつきながら、その手が大きく震えている。
「こいつらがすり替えた物が何かなど、私が知ってる訳がない。私を嵌めようとしたな! 誰に頼まれたっ! 言えっ!」
今更罪をなすりつけようとしても無駄なんだが…。
「頼んだのはあなた自身でしょう? ノルデン子爵」
今回、期待もしてなかったいい証拠が残っていた。
ノルデン子爵に騎士団が押収した紙を見せた。それを目で追い、ノルデン子爵はわなわなと手を震わせ、その場にしゃがみ込んだ。
いつもご苦労様です。
夫より言付かった特別手当三百ゴールドと、ルナータの港までの乗船券です。
ルナータに着いたら、カシムさんをお訪ねなさい。
この手紙を見せれば、次の仕事を世話してくれるでしょう。
体に気をつけて、この街に来た時には、また声をかけてくださいね。
樽を持ち込んだ二人が、将来の再就職を目論んで大事に保管していた手紙。
それはノルデン子爵夫人の手によるもので、日付から船が沈んだ前日、樽が載せられた日のものだとわかる。
図らずも、義理堅い身内により事件の証拠が追加されてしまったことになる。それもまた仕方がないことだろう。
もう一つ、ずっと僕が気になっていたことがある。
これが水難事故だと思っていた時から、ずっと気になっていたことだ。
「プリスカ嬢が海岸に現れたのは、雷はやんでいたが、まだ雨が残る時間だ。館から離れたあの海岸まで散歩に来るには不自然で、…船がちゃんと沈んだか、確認していたのではないかと思えてね。乗っているはずのなかった私を見つけ、欲が出たのかな。人助けをするなら、救いの手はあの時岸にいた全員に向けられるべきだった。あんな状況で、相手の身分を見るようなあなたを信用するのは難しくてね…」
うなだれる父を前に、手を固く握りしめたプリスカ嬢は、最後まで僕と目を合わせることはなかった。
当初の自信に満ちた姿はない。王城まで来て、王子は手に入ったも同然だと思っていたんだろうか。王族としての地位を得、この城に自由に出入りする自分を夢見て…。




