『7』
「ほら、できた!」
「ありがとう、ゆかり。」
鏡の中には見慣れない私がいた。こんなの、ちょっと似合わないかも。思わず俯いてしまう。
「はい、ストップ!何考えてるの?」
「え、いや、その、三つ編み、初めてだから…。」
「もう、『はじめて』じゃないのよ。何度も苦労したのに!」
苦労って、疲れてることよね?こんな時は『ごめんなさい』とか『すみません』とかっ…!
「でも、それが私の喜びだった。大切な想い出。かけがえのない時間、唯一な幸せ。」
「えっ…。」
「苦しい時も、悲しい時も、あかりがそばにいてくれた。だから私頑張ろうと思った。雨の日も風の日も、全部乗り越えられた。ありのままの私にいられた。」
「…ごめんなさい、ゆかり。大事な想い出を、私は全部ー。」
「それは言わない約束。」
ゆかりは「あかりは謝る必要ないっ!」とかいってるけど、やっぱごめんなさいはごめんなさいだもん。でも、私から敬語を言われた時のゆかり、特に辛そうな顔して…。
「私たち双子でしょ?」
後ろから抱きつく温もり、暖かい。
「こんなちっぽけな事で『ごめんなさい』とか『すみません』なんて、聞きたくないわ。」
「ごめん…。」
「あかりん。」
ああ、また言っちゃった。
「大丈夫、一つずつやり直せばいい。最初は『ゆっくり』でも、最後は『なかよし』!」
「そう、だね…。」
「まあ、いきなりデートだなんて、心配ご無用みたいけど。それって、あかりんが心を取り戻してる証だから。すっごく嬉しいわ。めでたしめでたし。」
って、目が笑ってない…!全然嬉しそうに見えないっ!
「でも、やっぱちょっぴり寂しいだわ。あかりんは私との絆より、恋人のほうが大事だね。」
「え…。」
「リョウガに与える愛情が残っているのに、私には知らんぷりばっか。」
「ええ…?」
「昼休みもずっとクラスの子達と遊んで。この姉、寂死いだわ。」
「ちょ、ちょっと、待ってくださいっ!」
せ、説明しなきゃ。誤解、止めなきゃ…!『誘われて答えただけ』って、無神経すぎない!?ただの言い訳みたいだし!なにより友達と親友の違いに気づかなかった私が悪いし!
でもでも、私まじ知らなかったのに!お弁当は親友と食べなくてはいけないとか!誰と食べるべきで、誰と食べたらいけないとか!それが『女の子』にどれほどの影響力があるのか!
「す、全て誤解です!」
「その『誤解』ってなにかしら。もしかして、クラスのみんなとは呼び捨てになって、今私に敬語使ってること?」
「げっ。」
「それとも、彼氏とのデートは好きだけど、姉とのコミュニケーションは退屈ってこと?」
「むむむ…!」
いけないっ、話題、避けなきゃ!
「わ、私リョウガのこと好きじゃないし!」
「へえ。好きでもないくせにデート?」
「だって、『リョウガに誘われた時はいつもオッケーの返事をする。』って、絶対の絶対でしょ?」
「はあ…?」
だって、そう決まってるでしょ?当たり前なことや普遍の真理を問いかける人はない。だから今のはゆかりが変。
「あのね、あかりん。」
「なに?」
「絶対って、まさか『決まってる運命』とか、頭の中で響く『当たり前な命令』とか…?」
「うんうん、それだよ!」
「…ぶっ殺してやる。」
い、いきなり殺されたぁー!?
「えっと、その、まずは落ち着いてー。」
「ねえ、あかり…。」
つ、捕まえちゃった…!だめ、このままじゃ危ない、逃げられない…!でもゆかりと戦いたくないし!
「今日あいつと二人きりよね。」
「そ、そうだけど…。」
「…挨拶のまえ、一先ず殴ってやったら?」
「ってリョウガを殺す気!?」
「大丈夫。あいつなかなか死なないから。」
「やってみたことある!?」
「特にキスに注意!」
「き、ききき、キッス!?」
いやいや、そんな関係ではないし!キスなんて欲しくないし!なにより今までリョウガにキスされたことー。
(あれ?)
今、なぜか違和感がー。なんか違う。たぶん、『本当の私』って、ほんの少しの感覚に喜んで、いやらしいこと望んで、心まで犯されることを幸せとしてー。
「とにかくあいつが近づいたら殴ってあげなさい。わかった?」
「はいっ…。」
そう、これが私。ありえない命令や独り占めの欲望が、真っ白な頭に吸収されるのが、すっごく嬉しい…。
「ーしっかり!」
「ふひゃ!?」
あれ、ゆかりが目の前?いつの間に…?それより顔色悪くない…?
「よかった…。本当、びっくりさせないでよ。突然トラー。」
「虎?」
「…なんでもない。それより、気分はどう?頭が痛いとか、めまいがするとかー。」
「全然平気!」
「ーっ。」
突然、ゆかりの視線が冷えた。そういえば、この前も同じことあった。あかりの気持ちを消した言葉は、もしかして『平気』、なの?
「あの、ゆかりん。」
「…そろそろ行かなくちゃ遅れる。待たせてしまうのは悪いでしょ。」
「う、うん。そうだね。急がなきゃ。」
もっと話したいけど、ゆかりのご機嫌、かなり斜めだし。私のせいかも知れないから、一人にさせてあげましょう。
「じゃー。」
それでもやっぱ、笑顔でいてほしいな。だから笑っちゃおう。私の笑顔、届きますように。
「行ってきます!」
「…今度はちゃんと帰ってきなさい。」
「え、今、何か?」
ゆかりは返事してくれなかった。そのまま振り向いて、肩を震えるだけ。
(本気で怒ったのかな。)
仕方ない。寂しいけど我慢して、待ち合わせ場所に進まなきゃ。
(って、あれ…?)
たしかにあれ、リョウガだよね?なんで家の前でー。
(まさか私のために…?)
そうか、来てくれたんだ。なんだかすごく嬉しいよ。
「待たせてごめんなさいっ…!」
「…お前はいつもそうだ。」
「え?」
「なにがあっても悪いのは自分だとすぐ誤る。」
「ご、ごめん。」
「ふう…。」
でも私が悪いもん。みんなのこと忘れたりして…。それって清められない罪だから。
「ここに来たのは俺の好き勝手だ。気にするな。」
「…はい。」
そう、これは気にしてはいけないこと。だから消さないと困る。
「あかり…!」
「んぅう…。あれ…?」
また、いつの間にか肩を捕まれてる。なんと言うか、慣れてしまうほど当たり前なことになっていて…。
「あの、どうかしました?」
「そりゃお前が…。いや、気のせいだ。」
私?何もしてないけど?そんなことよりリョウガ速すぎ。正気に戻ったら目の前にいてー。
って、正気…?私はいつも正気、だね…?
でも、目が覚めたら時間たってるし、みんな心配してるし…。
(うっー。)
頭痛いっ。なんでだろう、最近。風邪でもひいたのかな。
「大丈夫か、お前。顔色が悪いが。」
「へ、平気だからっ!」
わっ、近いっ!これ以上近づいたら危ない!だって、『リョウガが近づいたら殴らなくちゃ。』でも、殺したくはないから。私が気をつけなきゃ。できるだけ離れよう。
(でもこれは遠すぎるんじゃ…。)
後ずさりしたら追いかけてくると思ったのに、リョウガはただ歩くだけ。一緒に行くけど、手を繋ぐほどではない。これじゃデートより散歩、いいえ、ゆっくりな追いかけっこみたい…。
(まあ確かにこれは『当たり前な』デートで、義務みたいなものだし。)
好きとか愛情とか関係ないし。べつにリョウガのこと好きでもないし。
でもでも、過去の私ってこの人に恋をしたよね?運命の人なら、何度忘れてもお互いに奇跡的に引かれて、運命を感じて、また恋に落ちるはずじゃん…?
なのに私はリョウガのこと、みんなと同じ仲間だと思ってるし、引かれてもない。むしろ全然気づかなかった。目の前の運命を逸らすなんて、おかしいじゃん。なにより、昔の私が『好き!』と感じたとしても、今の私はなにも感じないから。『今も好き!』とは言えないよね?
「なにをちらちら見ている。」
「ふえっ!」
びっくりした…!突然振り向いたら反則!
「驚いたか?」
「いやいや、大丈夫。」
「すまない。久しぶりなので緊張したかも。」
じっと私を見つめる視線。まあ、私だってちらっとしていたから文句言わないけど、そんなに見つめると恥ずかしいよ…!
「いつまで経っても、お前は相変わらず…。」
突然、感情を隠していた瞳から、暖かい笑みを見た。
「待った甲斐があった。」
ううん、先のは嘘。そう、確かに気になる。引かれる。目と目が合うたび、ドキドキを隠しきれない。
「行こう。映画館はすぐそこだ。」
あの笑顔に、会いたいから。
「ここ、ですか?」
デートには映画。AIからそう教わった。でもやっぱ緊張しちゃう。
(だ、大丈夫。映画ランキングも見てきたし、今やってる映画のストーリーは全部覚えたし!)
だから私はリョウガが決める映画を観て、楽しかったふりをすればいいよね。うん、簡単なこと!
「それで、観たい映画はあるか。」
「なんでもいいよ!」
そう、これが正解!のはずなのに、なんでリョウガはそのままじっとしてるのかな。
「見えるのか、あのライト。」
「う、うん。確か、シーリングライト、だね…?」
「実はあのライトの中、光の源がある。」
「え、本当?」
「ああ。ちゃんと見ろ。ほら、きらきらしているだろう。」
見える…。隠していた光の源…。
「…うん、目の前できらきら光って、まるで光の海みたい。」
「光の波に身を任せてみろ。体が揺れるたび、気持ちよくなるはずだ。」
最初はわからなかった。でも、ゆらゆらしてる光を見ていると、時間が経つたび、頭がぼうっとして、まるで、理性が消えていく。
(だめ…。このままじゃ、また…。)
なんとなく、怖くなる。でもその分、楽しみにしてる。自分を失うくらいの喜びをー。
「きらきら、きらきら、眩しすぎるから、目を閉じてしまおう。なら、今まで体の揺らめきが、頭の中にも広がる。ほら、ただ幸せ、もうなにも考えられない。」
目がくるくる回るほど、頭の中が、思いが、記憶が、心が、揺れ始める。ちぐはぐのスクランブルが、単純な喜びを求める。
「三つ数えると、気持ち良さが波立つ。その気持ち良さに飲み込まれたら、ただ幸せで、頭は真っ白、なにも考えられない、考えたくもない。ただ、俺に従え。ほら、3ー。」
「ぁあぅ…。」
「2。」
「はぅあっ…。」
「1、ほら、ゼロ。」
「んぐっ…!」
なにこれ、嘘、気持ちいい…!一生を捧げても、もっと、得たい、この感覚、好きー!
「次、指を鳴らすとお前は元の自分に戻る。」
「いやっ、もっとぉっー。」
「今日一日、俺に頭をなでられたらこの感覚が蘇ってくる。そしたらお前は世界のだれよりも素直な子になる。いいか。」
「うん、好き、大好き、ありが、とうっー。」
パッチンとする音が私を現実に戻した。よくわからないけど、すごく気持ち悪い。素晴らしい感覚を奪われたみたいなー。
「好きな映画はあるか。」
「な、なんでも良いってば。」
「ふう…。」
ため息とともにアレがくる。あの手が、恵まれた指が、頭をなでて、私を快楽に導いてくれる。
「はふっ…!」
「好きな映画は?」
「思い出せないっ、見たことないからっ!」
ああ、気持ちいいすぎて頭がぐちゃぐちゃっ。腹の中がおかしいっ…!なんだか暑くて、濡れちゃって!
「ホラーはどうだ?」
「怖いのっ、いやなのっ!」
「…まさか未だにお化けが怖いのか?」
「だめっ、だめなのっ!」
「じゃ、あれにしようか。」
リョウガの馬鹿っ!もう映画なんてどうでもいいからっ!はやく、はやくぅ!
「指を鳴らすと飛んでしまった理性が戻ってくる。」
いやなの!もっと頭の中を、魂までいじってっ!
「一瞬で今までを超える感覚が寄せる。今の記憶はその気持ち良さと書き換えて、全て消えてしまう。」
いい。でも怖い。本能的に恐怖を感じる。快感に自分を手渡す怖さを。でもー。
「ほら。」
「へああぁっ!」
気持ちいい過ぎて、逆らえないっ!
「は、ふぁ、ひぃっ。」
今一瞬、何かに貫かれた気がするけど。なぜか思い出せない。
「落ち着いたか?」
「え?あ、うん…。」
「じゃ、買いに行こう。」
「な、なにを?」
「ヒーロー映画のチケットだ。」
「そ、そうだね。」
わけもなく脚が震える。具合悪いのかな。
「あのね…。」
「なんだ?」
「ちょっと、疲れたみたいで。」
「じゃ、座ろうか。」
「いやいや、大丈夫から。ちょっと一人でー。」
「だめだ。」
え、なんで?私は休んで、リョウガはチケット買ったらいいじゃん。どうしてひとりじゃだめなの?
「今のお前を見たら、きっと誰でもー。」
「え?」
「ー俺は俺のものを分け合う趣味はないから。」
また悪い顔色。私なにもしてないのに!
「休んでいい。時間はあるから。」
「ごめん、私のため…。」
「かまわない。ただし。」
「ただし…?」
「他の連中を見るな。今日のお前の視線は俺のものだ。」