『6』
(どうして、どうして私がリョウガと共に体育倉庫に!?)
トウバンの仕事って、天子だけじゃなかったの?
(この重苦しい空気、緊張しちゃう!)
そういえば、ドッジボールも他の道具も、リョウガ一人で持っているよね。
「あのー。」
返事ないっ!なんで!?
「リョウガ…?」
あ、振り向いた!なんだか嬉しい!
「いや、それちょっと重そうでね。」
「…確かにこれほどの荷物は『普通の人』には無理だ。」
「ひゃっ、ごめんっ!やはり私手伝うから。」
「いらない。」
「で、でもー。」
「また何か『忘れてしまったら』こまるから。」
「ううっ…。」
ああ、胸が痛いっ。いや、これって心からの痛みだよね…?
「それよりお前。」
「な、なに?」
「俺を名前で呼んでるが。この前は『リョウガさん』ではなかったか。」
「そういえば…。」
確かにさん付けだったけど、いつのまに完全に呼び捨てしていた。でもいつか、リョウガに呼び捨てを許された気がするけど。それって、いつだったっけ…?
「ご、ごめんなさい。これからはちゃんと敬語使うのでー。」
「そんなことどうでもいい。」
「で、でも、先はー。」
「お前。」
近い、近すぎっ…!
「まだ俺を『運命の人』だと思ってるのか。」
「え。」
「消そうとしたが、まだ残っているのではないかとー。」
「ええええ!?」
ちょ、待って!運命とか残るとかわけわかんないし!これって、まさかの冗談?って言うか、ものすごい自信だし、まさに本気だし…!もしかしてリョウガってとんでもないナルシストなの?
「ば、馬鹿言わないで!」
「バカだと…?」
「そう、自意識過剰っていうか、自己愛強すぎ!」
確かにリョウガのこと、他の人の何倍も気になるけど!思わず目を奪われちゃうけど!それってたたの興味だし、惚れ惚れじゃないからっ!
「…そりゃよかったな。」
「意味わかんないけど!」
「なんでもない。気にするな。」
「えー。」
いきなりの『命令』は、刺激のように思考そのものを曲げる。私、命令されることが嬉しくて、快感になるようにプログラムされてるから、今の状況さえ愛しすぎてー。
「はい…。」
やっぱ従うことは私の喜びになる。そう教わったけど、その世界に身を許したのは私。落ちるたびの快感を忘れず、心から求めて、今での気持ちいい世界に沈みたい…。
「んんっ…。」
「ーしっかりしろ!」
「ひゃっ!」
目を覚ました時、瞳に映るのはリョウガの慌てる顔。私は肩を揺さぶられたまま、突然現実に呼ばれてしまった。
「えっと、その…?」
曇った空が晴れるように、ぼうっとしていた頭がはっきりした。
(私、なにしてたっけ。そういえば何かを聞いてー。)
いや、そんなことはどうでもいい。全ては当然。そう決まっている。頭の中に隠された世界のルールが一瞬見えたから。私ったら、なにを気にしてたっけ。こんなの気にしない約束なのに。
「大丈夫か、お前。」
「平気平気。」
「お前さー。」
「しーっ、静かに。」
なんで心配しているのかわかんない『私の無事』より、ずっと大事な勤めがある。聞こえてくるこの小さな息。
この凄まじい感じ。間違いない。近くにいる。倉庫の後ろからいくつの命を感じる。気配はほどんどない。たぶん、身を隠している。
でも、私、普通じゃないもん。行ったり来たり、うろうろする足音の軌跡さえちゃんと見えてる。つまり私は相手より腕前が上ってこと。
「ふむふむ、なるほど。」
「おいおい。何する気だ、お前。」
「では、お手並み拝見といく!」
「そっちにはー。」
古い布の下、身を隠していたのはー。
「キィキィ。」
とがった鼻先。大きな前歯。長い尻尾を振りながらこっちをじっと見てる、灰色の毛の塊は…!
「ネ、ネズ…。」
「キー?」
「いやあああああ!」
ネズミ、ネズミがいっぱいっ…!
「きゃああっ!あっち行けーっ!ついてこないでっ!」
いつから走り出したか、どこまでは走ったかわからない。ただ走って、走って、走り続けた。誰かが私を後ろから抱きしめるまで。
「ー落ち着け、大丈夫だ。怖いものは何もない。」
「ヒック、ヒック!」
「ああ、ちゃんとついているから。」
暖かい温もりが、そっと頭を撫でてくれた。
「よしよし。」
やっと振り向いたそばにはリョウガがついていた。私の片手をぎゅっと捕まえて、背中を優しく撫でて。
「ヒックッ…。」
そう、あなたはこんな人だった。いつも私を支えてくれる、頼れる人。
「ずいぶん顔が赤いんだが、息切れか?」
心配してくれる瞳を見たらちょっと恥ずかしくなっちゃった。で、でも私わるくなんかないもん!だってあんなに数多いネズミを見たら、女の子は誰でも逃げちゃうはず!でも驚きすぎてしゃっくり止められないもん!
「まあ、確かにあのスピードなら、息切れするのもおかしくはない。早すぎて、一時は見逃してしまうかと思った。」
「そ、そう、ヒッック、なの…?」
今更だけど、やはり私って『普通』とはもう遠く離れているかも…。
「それで、突然走り出した理由は?」
そういえば私、先『あれ』を見てー。
「ネ、ネズミ!ネズミィ!」
「はあ?」
「いたのよ、ネズミが、何匹もっ!」
「…ああ、確かにそうだったが。」
「『ああ』じゃないのよ!本物のネズミなの!」
「もしかしてお前、鼠のことがー。」
「ダメなの!ネズミはダメなのぉっ!」
「世界最強のくせに、鼠は駄目か?」
「絶対ダメ!」
「まったく…。」
「ネズミ、もうないよね?ついてこなかったよね?」
「ーお前の速さを上回る鼠なら、一匹もなかったが。」
「よかった。もう怖がらなくていいんだね。で、そんなことよりー。」
今更だけど、私リョウガに抱きついてるの?先からずっとこのままぎゅっとしていたの?私の馬鹿、気づくの遅いっ!
「もう、ネズミはないよね。」
「そうだな。」
「いや、その、そろそろ放しても、いいんじゃ、ない、かな?」
「へえ、そう思ってるのか。」
当たり前でしょ!今でも恥ずかしい!恥ずか死そうからっ!
「うん、だから、そろそろ放してくれたらー。」
「いや、困るな。」
「え?」
「俺はそうは思えないので。」
「そ、それって?」
「まだまだお前が足りない。そしてー。」
もう、くっつくのやめて!手に力入らないで!
「『調整』したいこともあるし。」
「ど、どういう、んんっ、ふあっ、んぐっ。」
ああ、まただ。また気持ちいい感覚が口の中に広がる。舌が絡みついて、快感となる。私はこの感覚を知ってる。だって、いつもの場所だもん。
「むふぁん。」
「これでいいか。」
またこの世界に落ちて嬉しい。判断力が鈍くなって、なんの責任も取らなくていい。考えず動く従いの世界。
「鼠が怖いのか?」
「はぁん…はぅん…。」
「話しさえできないのか。あの野郎に、こういう時には『暗示を使える』と言われてるが。」
聞きたくない見たくもない。もうずいぶん幸せだから。ここは、現実より何倍も楽しくて、気持ちよくてー。
「俺の言葉を聞いてくれないか。」
「むふぁ…。」
「もっと気持ちいいどころに連れていてあげるから。」
「ん…?」
「ほら、快感が体を包んでくる。どんどん気持ちよくなる。」
「ふはっ、はあぁっ…!」
本当に気持ちいい…!
「3つ数えると力が一気に抜けて、頭が真っ白になる。ほら、3、2、1、はい。」
手を叩く音が魂さえ貫いて、私のスイッチを押す。
「俺に従ったらもっと気持ちよくなる。ほら、俺の言いつけ通りになってしまう。それは不可抗力。逆らうなんて思わない。」
「あっ、はぁあんっ。」
「鼠は怖い生き物ではない。ほら、考えろ。鼠は小さな命。怖がるなんておかしい。復唱しろ。」
「ねっ、ねずっ、こわはん、お、おかぁっ…!」
気持ちいい!熱いのが全身を回っていくっ!
「頭の中に描いてる鼠が小さくなっていく。そのたび、怖い気持ちもだんだんなくなる。ほら、恐ろしさが完全に消える。特に俺といる時は安心して、鼠なんか何気なく見ることができる。」
「ひっ!あひっ!あぅんっ!」
うん、きっとそうだね。だって『ご主人様の言うことは絶対で正しい』と決められてるからっ。それより、気持ち過ぎて考えられないっ!
「そしてー。」
だめっ、もう限界!
「ひゃぅっ!んんぐー!」
そして、なにがあったっけ。
「ーり、おい、あかり。」
「え…?」
私、なんでこんな所に…。確かにリョウガトウバンのため、体育倉庫に行って…。その後、なにも思い出せない。あの日の放課後とまったく同じ。
「私、なんで、どうなったの?」
「さあ、居眠りじゃないか。」
「えー。」
そういえば、最近眠い感じあるし、授業もぼうっとして、ノートも書いてないし、なぜか時間が過ぎてしまって困るし。
「ボールは?」
「まだ移ってない。」
「じゃ、一緒に運ぼう。」
「ああ。」
まあ、こんなこと簡単だから。私一人でいいけど、助け合うとか、一緒にいたいとか。いろいろ考えてしまって。
「キィー。」
「あれ?」
目の前で動くあれ、ネズミだよね。
「ネズミいっぱい、山盛りだね。」
「…怖くはないのか?」
「なんで怖がる必要があるの?小さいし、かわいいし、なによりリョウガがついてるし。」
「…あかり。」
「え?」
指をパッチンとならす音が、視界を変える。
「鼠が怖くないのは俺のおかげだな。」
「えー。」
「俺がついてるから怖くない。そう思ってないか。」
「思っ、てる、けど…。」
「じゃ、恩返ししなければならにだろう。」
「そう、だね。それが人の道理だね。」
「ならー。」
近づいてくる黒い瞳。だんだん意識が吸い込まれる。
「俺と付き合え。」
「はい…。どこまで付き合えばよろしいでしょうか…?」
「…いや、これかなりダメージあるんだな。」
「えー。」
「なんでもない。今のは忘れろ。」
「はい…。」
夢の世界じゃなくても、命令は絶対的だから。素直な子になったら、明日は今日より気持ちよくなれるかな。
「土曜日、映画館で付き合おう。」
「はい、わかりました。」
これも当たり前。だって『リョウガに誘われた時はいつもオッケーの返事をする。』べきだから。