8 わがままな魔王様
三日後、優しく温かな絵を描こうと努め、自分もなるべく穏やかな気持ちでいるようにしていたセシルの苛立ちは限界を迎えていた。
「なんで魔王様はあんなに大人気なくてわがままなの!?」
自室で休憩をしているセシルはキィと叫ぶ。セシルはこの三日間、公務外のレオに付いて絵を描いていた。公務外ということは、私生活に入っているようなものであり……。
「許せないわ! あんなにいい肉を出されているのに、焼き加減がちょっと違うだけで食べないなんて! 作り直させるなんて! 全ての肉に謝りなさいよおおお!」
それはもう素晴らしい肉だった。本日の昼食は目の前の鉄板で焼かれたステーキだったのだが、生肉のサシの入り方や熟成のさせ方たるや、そのままでもいけそうなほどだった。それが熱々の鉄板の上で焼かれれば、肉汁が弾く音と野性味あふれる香りに襲われる。
つい肉をデッサンしてしまった。プロの手によって焼かれた肉は、一筋切れ目を入れれば肉汁が溢れ、切り口は桜色。セシルは目を輝かせ、唾がせりあがっていた。一生食べられないような上質の肉だ。
それなのに、レオは一口食べるや眉間に皺を寄せて、肉が硬いと下げさせたのである。その上焼き直させる始末。セシルは筆を折りそうになり、このままでは魔王の顔を悪魔顔にしかねなかったため、休憩をもらったのである。
「あれが魔王だなんて! これが美しい花には棘があるってこと!? 無駄に顔がいいから許しそうになるじゃない!」
セシルはベッドに飛び込んでゴロゴロとのたうち回る。この怒りを運動で発散しなければ、絵が悲惨なことなる。
セシルの怒りは先ほどの昼食だけではない。三日も傍で見ていれば、色々と見えてくる。食に関してはかなりの偏食だということが分かったため割愛するが、他も酷かった。執務室に飾られた花が気に入らない、焚かれている香を変えろ、来月の式典に合わせた衣装のデザインに細かな注文を付けるなど。挙げたらきりがない。
セシルはわっと叫び、不満を爆発させるとはーっと息を吐いた。少し気持ちが落ち着いた気がする。
(あんなわがまま魔王でも、お城の人たちは不満な顔一つせず従ってるんだから、すごいよなー)
わがままを言われても、誰も嫌な顔一つせずどこか嬉しそうにしている。セシルにはそれが不思議だった。
「まぁ、考えてもしかたないわ。仕事仕事! いい絵を描く!」
気持ちを切り替え、スケッチブックを片手に城の風景のスケッチに出かける。この時間、レオは重鎮との会議があるそうなので、セシルは背景に使えそうな風景を集めることにしたのだ。
そしてぶらぶらと城内を歩いていると、赤いバラが見事に咲き誇っている庭園を見つけた。
(赤いバラに囲まれる魔王様……いい。棘があるところなんかぴったり)
描く場所を決めれば、手ごろな石があったのでそこに座り簡単に描きうつしていく。
(これを背景に、流し目魔王もいいし、目を閉じているのもいいかも。あ、でも赤目は入れたいわ)
構図を考えながらスケッチをしていると、突然背後に人の気配を感じて振り向いた。そこに立っていた人物にセシルは目を見開き、向こうも振り返られると思っていなかったのか、目を瞬かせている。
「ガランさん?」
「あぁ、ごめん。つい見てしまった」
ガランはひげをピクピクと動かし、丸い目を絵に向けていた。
「今日は風景画?」
「はい、背景の練習になるので」
「いいね」
そう言うとガランは右斜め向こうにある石に腰掛け、ふところからまたたびが入った袋を取り出して匂いを堪能する。
(本当にいつでもまたたびを吸うのね)
ガランはふぅと一服してから、茶色い目をセシルに向ける。
「どう楽しくやってる?」
「はい。画材も買っていただきありがとうございます」
昨日の夕方、さっそくセシルがお願いした画材が一式届き、狂喜乱舞したのだ。どれも高級品で、喉から手が出るほど欲しかったものだった。
「画家に才能を発揮してもらう環境を整えるのが僕の役目だからね」
ガランは王宮の美術品を扱う部門の最高責任者だった。道楽から始めた美術品鑑賞だったが、その審美眼と知識を買われて十年ほど前から城で勤めているらしい。現在城に飾られている絵画や彫刻の数々は、ガランが各地から買い集めてきたものなのだ。
そして城中を見ても何故彼だけが猫なのかは教えてもらえなかった。
「ガランさんってすごい人だったんですね」
人というか猫というか。それゆえに、その話を聞いた時に疑問に思ってしまったのだ。
「でも、私でよかったんですか?」
話をもらえた時は有頂天になり、魔王の専属画家になれた時には感動した。だが、時間が経って冷静になり、王宮にある絵を見ると不安に駆られた。自分の画力は、王宮にある絵のどれにも及ばない。
ガランは目をパチクリとさせ、自信なさげな顔をしているセシルを真意を探るようにじっと見る。。
「だって、私よりも上手に絵が描ける人はたくさんいるじゃないですか」
「あぁ……」
そこでセシルが不安に思っている要因に気づいたガランは鼻にしわ寄せ、またたび袋を懐にしまった。
「実は、当初はクレア王国の宮廷画家に頼んだんだよ。そりゃぁ、技術力は高いし、レオ様の美しさを最大限引き出して素晴らしかった……」
宮廷画家は画家にとって最高の名誉であり、並大抵の努力でなれる職ではない。セシルは宮廷画家だった父親の姿をぼんやり思い出しつつ、相槌を打った。ガランは宮廷画家の画力を賞賛しながらも、顔は曇っている。
「でも、絵からは畏怖しか伝わってこないんだ。レオ様は画家を嫌っているところがあるし、当然といえば当然なんだけどね」
人間にとって魔人は恐れるもの。代々子どもにそうやって教えてきた。
「それで、街や旅の画家にも描いてもらったけど、今度はレオ様の魅力にやられたり、絵に邪な想いが入ったりしていて……。だから、セシルさんが描いたレオ様を見た時驚いたんだ。あの絵からは純粋な敬愛と美の賞賛が溢れていたからね」
「それは……なんだか恥ずかしいです」
まるで自分の心を覗きこまれているようで、セシルは顔を赤らめる。初めて見た時からずっと描き続けていたのだ。当然想いは強くなる。
「そういう絵に込められた想いは、無意識に見た人に伝わると思うんだ。だから、今回の絵は君に描いてほしかった」
ニコリと笑顔でそんな殺し文句をもらえば、やる気にならない画家はいない。
「絶対いい絵を描いてみせますから、任せてください!」
やる気がメラメラ湧いてくる。
「ちょっと手のかかるとこもあるけど、よろしく」
「……たしかに」
その言葉で朝の肉の恨みが再燃した。ガランに向けた目が据わる。そして何かを思いついた表情になり、二マリと笑って言葉を続けた。
「あの、ガランさん。魔王様が苦手なものってありますか?」
そう尋ねたセシルに対し、ガランは不思議そうな顔で首を傾げたのである。




