21 絶対零度の魔王様
肉祭り翌日。セシルは朝から運動のため散歩をし、控えめの朝食をとって仕事に向かう。いつもより少ない量の食事に友達の侍女や、よく知る料理人たちが驚いていたが、理由を知っているコルは隠れて笑っていた。そのコルに向けて、口の動きだけで「太ってはない!」と伝えてから、野菜多めの朝食を食べきったのである。
今日の仕事は当然絵描きなのだが、一か月後にレオの在位6周年を祝う式典があるらしく、その会場に飾る大きな肖像画を任されていたのだ。どれぐらい大きいかというと、セシルが10人は寝転べるぐらいだ。一人で持ち運べる大きさではないため、執務室に置きっぱなしにしている。この作業を一週間前から行っていたのだ。
執務室に入れば、机に向いて書類に決裁のサインをしているレオ。そしてその対角線上にドンっと置いてあるキャンバス。
(うーん、相変わらずの圧迫感)
絵を描くセシルはまだいいが、四六時中こんな障害物が部屋の一角を占めていればレオは煩わしいのではないかと思って、自室で作業をしようかと申し出たのだが、作業の進捗が見えていいと返されたのだ。
セシルは軽くレオに目礼をして、絵を描く準備を始める。レオの隣に立ち補佐をしているジルバは、セシルににこやかな笑みを向けて手を振った。セシルはぺこりと頭を下げて、脚立を広げて上っていく。すでに縁取りは済ませてあり、あとは色をぬっていくだけだ。線を描くまでは床に置いてできたが、色塗りは座った状態でしたかったため、キャンバスを絶妙な角度で立たせてもらっていた。
(よし、同じ色のところは一気に塗りたいよね。同じ色が作れる保証はないし)
セシルは肩掛けカバンの中から使う絵具を多めにパレットに出す。そして色を合わせて、膨大な絵具を消費する髪から塗り始めたところに、珍しく魔王の声がかかった。
「肉祭りへは行ったのか」
「へ?」
声をかけられたことに驚いたセシルは、弾かれたように顔を左に向けてレオを見た。キャンバスはセシルがレオを見やすいように、レオに対して横になるよう置かれている。
「行ったのか?」
レオはペンを走らせる手を止めることはなく、書類に視線を向けたまま再び問いかけた。
「あ、はい。行きました」
「……どうだった?」
「とてもお肉が多くて、どれもおいしくて最高でした! とても楽しかったです。祭りを開いてくれてありがとうございました」
思い出しただけでもよだれが溢れてくる。うっとりと肉の味を思い浮かべるセシルに視線を向け、レオは鼻で笑う。
「別に、お前のことを訊いたのではない。民はどうだったかと訊いたんだ」
「あ、民ですか。みんな楽しそうにしていて、活気がありましたよ。コルも、肉祭りが最近の祭りで一番よかったって喜んでましたし」
「……コル?」
ぼそりとその呟きだけが妙に響いた。ふとセシルがジルバに視線を向けると、顔を引きつらせているように見える。目が合ったとたん、勢いよく首を横に振った。表情にはあまり出していないが、必死に何かを伝えようとしている。
(あれ……なんかまずいこと言った?)
心なしか部屋の温度が下がった気がする。気のせいか、パキパキと不思議な音がする。
「レオ様! 魔力が漏れてますから! 床を氷漬けにしないでください!」
そう叫んだジルバがその場から退避する。セシルがぎょっとしてよくレオの周りを見れば、湖に氷が張っていくように床に氷が広がっていた。
「今日は止めだ。外に行く」
吐き捨てるなり立ち上がったレオは、セシルを見ることもなくドアを乱暴に開けて出て行った。「あぁ、もう」とジルバが眉間に皺をよせ、その後を追う。
「セシルさんはそのまま描いてくださいね」
「はーい」
そう言い残してジルバも出て行き、残されたセシルはなんとも言えない気まずさを感じて、空気となっていた衛兵と顔を見合わせた。そしてぶるっと寒さを感じ、魔法怖いと床に広がる氷に目をやるのだった。
その一方で出て行ったレオに追いついたジルバは、隣に並んで歩き顔色をうかがう。案の定むすっとした顔で、不機嫌丸出しだった。
「何に怒ってるんですか」
呆れた声でそう投げかければ、返ってくるのは苛立った声で。
「それが分からんから腹が立つんだ」
それはまるで子どものような言い方で、ジルバは天を仰ぎたくなった。ジルバの中ではレオがセシルを気にいっているのは確定事項であり、他の男と行ったことがおもしろくないのだろうと理解できる。だが少し思い返してみると、レオはその美形でありながらも浮いた話が一切なかったことに気づいた。どれほど美女に言い寄られても、誰かを隣に置くことはしなかったのだ。
(気持ちを知るところからですか……)
ジルバはレオの精神が見た目よりも幼いことは理解していた。
(まあ、素直に育てる環境ではなかったでしょうしね)
ジルバの脳裏に初めて会った時のレオの刃のような表情が蘇る。珍しく戸惑い困っている雰囲気を出したレオに、ジルバはお節介を焼きたくなった。おじいさんにでもなった気持ちで、諭すようにレオに助言する。
「気持ちが分からない時は、口に出してみるのもいいですよ。レオ様は無口な方ですから、普段から思ったことを口に出してみてください」
もちろん政治に問題の無い範囲でと付け加えることは忘れない。その言葉をどう受け取ったのかは分からないが、レオは鋭く舌打ちをして歩調を速めた。
「気分転換がしたい。剣の鍛錬に付き合え」
「……喜んで」
そうして兵が鍛錬している訓練所へ向かい、「抜き打ちの視察」だとうそぶいたレオにより、力尽きた兵士の残骸が積み重なったのである。




