2 審美眼を持つ白猫
「で、どういうこと?」
絵描きの依頼を受けて来てみれば、牢屋に閉じ込められた。そのきっかけとなった白い猫をセシルは睨みつける。猫は鉄格子の向こうで申し訳なさそうにしっぽを垂らしていた。
「いや……まさか、君が女の子とは思わなくて。でも、僕が君の絵に惚れ込んだのは本当だし、魔王様の絵を描いてほしいと思ってる!」
セシルは猫を胡乱気な視線で貫く。この白猫と出会ったのは今日の朝だ。信用なんてできない。
「本当に? そう言って私を殺しちゃうんじゃないの?」
「僕たちはそんな野蛮なことはしない! その証拠に、君の荷物と何か食べ物持ってくるからそこで待ってて!」
そう言うなり外へと続く階段を上っていった。そこで待っててと言われても、ここから動けないセシルだ。
(とか言って、帰ってこないんじゃないの?)
セシルはふてくされた顔で牢屋のベッドに寝転がる。正直そろそろ夕食時でお腹は空いているし、先ほどの謁見でどっと疲れた。
(あーあ。朝までは平和だったのになぁ)
目を瞑って休めば、蘇ってくるのはほんの数時間前のことで……。
「おばちゃん、行ってくるね!」
朝、宿屋の部屋から一階へと降りたセシルは、宿の女主人に挨拶をしてパンが入った包みを受け取った。背中に画材道具一式が入った大きなリュックを背負っている。今日は貴族の屋敷に呼ばれており、セシルはこぎれいな格好をしていた。
「気を付けるんだよ。女の子なんだから、危ない仕事は受けないようにね」
おばさんは面倒見がよく、この町に来るたびに泊っているのですっかり顔なじみだ。セシルは利便性と旅での安全を兼ねて男装をしているが、このおばさんには女の子だと話してある。
「はいはーい!」
明るく返事をすると、セシルは宿屋を後にした。
そして貴族のご令嬢を描き上げ一仕事を終わらせればもう昼時だ。セシルは広場に敷物をしき、丸めてリュックにいれていた自分の絵を広げてからパンを齧る。パンは宿屋のおばさん特製で、冷めてもふわふわで小麦の香りがする。噛めば噛むほど甘みが出て、何もつけなくても十分おいしいのだ。
昼からはここで絵を売ったり、似顔絵を描いたりして商売するつもりだ。それにこうして絵を置いておけば、目に留まった貴族やお金持ちの商人から仕事をもらえる可能性もある。
セシルは手早くパンを口に押し込むと、往来を行く人々に目をやった。こちらに視線を向ける人はいるが、なかなか立ち止まってくれない。一時間が経ち、小さな風景画が一枚売れただけだった。
(今日はいまいちだなー)
場所を変えようかと、片付けるため絵に手を伸ばしたところに影が差す。ふとそちらを見ると、右前方に猫がいた。
「猫」
つい思ったままの言葉が出てしまい、慌てて口を押える。そこにいたのは白猫で、興味深げに髭をゆらしながら絵を見ていた。身長は子どもくらいで、二足歩行の猫だが身なりがいい。裕福な商人のような服装をしていた。ここは人間が住むクレア王国でも辺境であり、一年前に平和協定が結ばれたと言っても魔人を見ることはほとんどない。
(え、魔人って猫もいるの? 人型だけだと思ってた)
白猫は丸い大きな目で一つ一つをじっくり見て、一番端に置いてあった絵を見て目を見開いた。あまりにも真ん丸になったので、零れ落ちるんじゃないかとセシルは驚く。
「これ、魔王様かい?」
じっとその手のひら大のキャンバスに描かれた似顔絵を見てから、顔をセシルに向けた。白猫は男のようで、渋い紳士の声をしている。魔人族とは言語も文字も同じなので、コミュニケーションに困ることはない。
「あ、はい……」
それはセシルが練習用に書いている魔王の絵だ。あの日見た魔王の姿を忘れないために、時間があればキャンバスの切れ端に描いている。白猫はそれを手に取ると顔に近づけたり、遠ざけたりして鑑賞していた。それは絵画を吟味する商人のようであり、思わずセシルの背筋が伸びる。もしかしたらこの白猫は、絵画をよく知る人なのかもしれない。
可愛い前足を顎に当てしばらく考え込み、何度か絵とセシルの顔を視線が往復する。その様子を撫でたいなと思いながらセシルは見ていた。ピクピクと動いている髭に目を奪われていると、白猫はセシルの顔をじっと見つめてきた。なんだか猫が獲物に飛びかかる前のようだ。
「ねぇ君。魔王様の専属画家にならない?」
猫の口から出た言葉は予想をはるかに超えるもので、セシルは口を開けて見返す。
(え、今、魔王様って言わなかった?)
もしかしてその姿を忘れないように寝る前に細部まで思い出し、時間があれば描いているあの魔王だろうかと、セシルは頭を回転させた。
「魔王様ですか?」
「そう、実は魔王様の絵姿を描ける人間を探しててね。君の絵はレベルが高いし、描き方も人間と魔人双方に受けそうだ。それに、この絵は最高だ。すごく気持ちがこもってる」
その言葉は絵描きにとって最高の誉め言葉であり、セシルは嬉しくなって立ち上がる。自分の絵が認められ、さらに憧れの魔王を描けるという。セシルは考えるよりも先に、白猫の手を握っていた。
「ぜひお願いします!」
白猫の手はやはり柔らかく、少しひんやりしてざらついた肉球が気持ちよい。手を掴まれた白猫は目を白黒させた後、セシルの手を握り返した。指が短いのに握られていることに感動する。
そうと決まれば急いで宿屋に戻り、おばさんにいい仕事が貰えたからしばらくは帰らないことを伝えると、心配そうな顔で送り出された。それから白猫と一緒に町を出て少し歩いて人目が無くなったところで、目を瞑らされる。ポンという音がしたかと思うと、浮遊感に襲われた。落ちているような引っ張られているような不思議な感覚で、転移魔法らしい。
一瞬で城に着けば調度品と飾られている絵に感動し、あれよあれよという間に魔王との謁見になった。そして魔王に感動したのもつかの間、こうやって牢に入れられることになったのである。
「やっぱり、おいしい話には裏があるよね~」
今までもいい仕事に飛びついては痛い目に遭ってきた。少しでも危険を減らそうと男装をしているのだが、あまり効果はない。
「それはすまなかった。ほら、荷物とご飯」
突然聞こえてきた声に驚き跳ね起きると、鉄格子の向こうに猫が立っていた。さすが猫。足音がしない。向こうから開けられる窓があり、そこから荷物と食事を入れてくれた。荷物はさすがに大きいので、小分けにしてだが。
「ありがとうございます……えっと」
お礼を言ってから、まだ猫の名前を聞いていないことに気が付いた。魔王という話に舞い上がって、そんな初歩的なことも忘れるとは自分の迂闊さにため息が出る。
「あぁ、ガランだ」
今になって名乗っていなかったことに気づいたようで、ガランは頭を掻いてから床に座った。
「まぁ、食べながら話でもしようか」