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男たちの晩餐会  作者: 中野拳太郎
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9、スローライフ ~これからは~



9、スローライフ

~これからは~


僕は名古屋で、三LDKのアパートに沙織と、十一歳の娘、香世と三人での暮らしを始めた。


就職をしたばかりということもあり、まだまだ資金的に、余裕がなく、一軒家やマンションなどを購入することはできないが、いずれは自分のマイホームを手に入れたい、と思っている。


「あなた、仕度はできたの?」

「香世も早くね。ほら、もたもたしないの」

沙織は、いつも元気だ。家族の中で一番の元気屋さんだ。


僕らは、ようやく出掛ける準備ができ、玄関を出て、愛車の黒色のシエンタに乗り込んだ。

勿論、運転手は僕だ。

助手席に沙織が座り、後部座席に香世が広々としたスペースに一人寛いでいる。

「藤賀さん、これから何処にいくの?」

娘の香世からは藤賀さん、と呼ばれている。


「ちょっとね。買い物の前に、友人のお墓参りに行きたいんだ。いいよね?」


「いいよ。その変わり、スイーツを、ちゃんと食べさせてよ。

この前は、食べさす、と言ってたのに、いざカフェの前までくると、素通り、だったもん。がっかりだわ」


「あの時はほら、時間がなかったじゃない。出発が遅れてたから、仕方なかったのよ」

沙織が嗜めるように言った。


「はい、はい。今日は絶対。うん約束するよ」

どうもあのくったくのない笑顔に僕は弱いようだった。


「それより藤賀さんって、お母さんとは、高校の時に付き合ってたんだよね?」


「ああ、まあ」

恥ずかしいところを、ズバリと訊いてくるんだな。


「香世、藤賀さんじゃなく、お父さん、って呼びなさい」

沙織が後ろを振り返って、言った。


「うん、そのうちにね。だって、なんか、藤賀さんの方がしっくりくるんだもん」


「俺は、今のままでもいいよ」


「あなた・・・」


「ま、香世ちゃんの好きにさせて、あげればいいさ」


「いいじゃん。何と呼ぼうと。それより、お母さんとは、高校の時に付き合っていたけど、それでも遠距離恋愛になっちゃったから、別れたんだよね」


「まあね」


「ごめんね。香世がしつこく訊いてきたから、喋っちゃったのよ」


沙織が、香世にどのように僕らのことを伝えているのか、知りたいと思った。

それと同時に僕の方は、正直にあったことを伝えてもいいものか、と思い悩む。

それから十一歳という年頃にも、どう接していいのか分からないし。


「それで、十九年後に、アメリカで、奇跡的に再会した。なんか嘘みたいな、でもカッコいいな」

香世は、楽しそうに微笑んでいた。

「お母さんは、凄くびっくりしたけど、嬉しかったって、言ってたよ。

藤賀さんは、どんな風に思っていたの?」


「そりゃ、お母さんと同じく、びっくりしたし。うん、でも嬉しくもあった。

それだけじゃなく、俺は思ったんだ。

このチャンスを絶対に逃したくないと思ったし、逃しては駄目だってね。

だから、俺は帰国と同時に、お母さんの家に行ったんだ」


「そう、そう、あの時は私も家にいたんだけど、びっくりしたな。

だって、見たこともない人が家に上がり込んできたんだもん。

正直、どうしょうか、逃げようか、って思ったくらいだもん」


「あの時は・・・。ごめんね。自分でも必死過ぎて、常軌を逸していたとしか、思えなかったもんね。まったく、恥ずかしいよ」


「ううん。ほんというと、ね、私、カッコいいな、って思ってたんだよ。

私もこんな風に、追いかけてきてくれる男の人がいれば、いいなって・・・」


「もう、香世はまだ子供でしょ。ほんとに、この子はませてるんだから」


これでも大分慣れてきたんだ。最初はほんとに緊張した。

背中に、額に、そこらじゅうに汗を流していたものだった・・・。

ようやく落ち着いて、車を運転することができるようにもなってきたし。


なには、ともあれ、プロポーズは、沙織の娘、香世のいる前でやろうと決めていた。

また、そうしなければ、ならない、とも思った。

これから三人で一緒に暮らさなければならないのだから。


あの日、アメリカから帰り、しばらくしてから僕は、沙織に電話をした。


一度目は無視された。


それでも諦めず、翌日も電話をかけるが、またもや無視。


三度目は、一週間後にした。


そこで、ようやく繋がったのだ。

それからは話しが早かった。一度

食事をし、アメリカでのことを謝り、あの時の行為は、決して軽はずみのものではなく、本気で君のことを想っていたことを告げた。


そして、二度目の食事で、事態は動いた。

前向きに考えてはくれない沙織を尻目に、僕はぐいぐいと押していたように思う。もう二度と沙織を失ないたくない、と。


だから、僕は、真剣に君と交際をしたい、と言うと、沙織は、そこで、自分の子供のことをいうようになったのだ。

彼女は、きっと、娘のことが自分の心にブレーキを掛けていたに違いない。

彼女は、その僕の押しに、やがては、その重い心のブレーキを緩めるようになった。

そして、これからのことをどう思い、どうしたいのか、それから、どうしてくれるのかを、訊いてきたのだった。


僕は、そこで、真摯に沙織と向き合い、何もかもを納得し、そして、受け入れるから、香世と会わせて欲しいと、伝えたのだ。


沙織は泣き出した。

今までは一人で、考え、頑張って生きてきた彼女だ。

そのプレッシャーの重みが緩和されたかのような、一種、泣き笑いのような顔に変わった。


そして、静かに、ゆっくりと微笑みながら、だが、時折啜り泣き、やがて、頷いたのだった。

まるで嬉しさが込み上げてくるかのように。

実際嬉しかったのだろう。


そして、僕は、沙織の家にいき、娘の香世のいる前で、沙織にプロポーズをしたのだった。


こんな僕だけど、これから、一生懸命に君たちを守っていくから、俺と結婚をして下さい、とプロポーズをしたのだ。


沙織の喜びを押し殺したような、やや強張った顔。

それからいつまでも口を開いて、唖然としていた香世の顔。

今でも脳裏に張り付いていて、離れない。これからも離れることは、ないだろう。



昼下がりの強烈な日差しが舞う中、僕は沙織と香世と共に、川島が眠る墓地にやってきた。


夏の風物詩である蝉時雨。

時には大きく、また時には小さく鳴り響くその音色を聞きながら、額に汗を浮かべ、三人で山を登ってきた。


「何で、こんなに暑いのよ。もう、虫がいっぱい。私虫がきらいなのよ。だから、藤賀さん、この後、絶対、パフェかケーキ食べさせてよね」

香世がぶうぶうと文句は言っていたが、必ずしも、嫌な感じはしなかった。

なので、負い目を気にせずに、ここまで三人で来れたのだろう。


「分かってる。この後、ちゃんとカフェにいくからね。

そしたら、香世ちゃんの好きなもの、何でもいいから、食べさせてあげるよ」


「ほんとだよ」


「うん。分かってる」


「お父さん、あまりあまえさせないでよ、香世のこと」


「はい、はい」

僕は、この先、このように二人のゆうことを聞き、このようにして二人に振り回されるのだろう。

それは予想できる。

ま、それも悪くはないのかもしれないが。


名古屋の外れ、山奥にあるこの墓地には車で、家から三十分が掛かっていた。


僕は前からここに来たかっのだ。だが、すぐにはこれなかった。


色々なことがあった。就職もそうだ。慣れない職場に悪戦苦闘し、時間の経つのも忘れていたこと。

この結婚もそうだ。娘の香世のこと、新しい家族の中に飛び込んできたこと。


でも一番は。


それは気持ちの面が、一番大きかったのかもしれない。

まだ気持ちの整理というか、あの川島が亡くなったことを、認めたくないもう一人の僕がいたことも、認めないわけにはいかない。


だからといって、今川島の死を受け入れたのか、と言われても、僕は分からない、と答えるだろう。


大合唱で奏でる蝉の鳴き声に少々嫌気を催してきたが、この晴天、雲一つない青空を見上げると、川島にはこの晴天が似合うな、とさえ思えた。


この墓地には多くの墓が並んでいた。

入り口の水汲み場には柄杓と手桶があり、僕はそれを借りた。

手桶に水を汲み、それを持って、沙織と香世と、三人で奥の方へと歩いていく。


「ね、川島君ってどんな人だったの?」


沙織が後ろから訊いてきた。


「俺たちのリーダーで、頼れる大黒柱だよ。沙織も知ってるだろ?

インターハイに二年連続で出場し、三年生の時には優勝した、俺たちの誇りだよ」


「うん。それは知ってたけど、そうゆうのじゃなくて、もっと、何ていうか、パーソナリティーな部分かな」


「バーソナリティ一なとこね。一重に真面目な男だった。

練習には嘘がつけない、っていうタイプでさ。

他の奴がサボっていても、アイツだけは、もくもくと、いつまでも練習をしていた。

納得いくまでは、絶対に辞めることはなかったよ。

楢崎もボクシングは強かったけど、アイツの場合は、その逆で、練習嫌いなんだよな。

けど、試合では勝っちゃうんだ。ま、アイツの場合は才能があったんだろうけど。

そして、二年の途中、ま、三年が引退してから、川島はキャプテンに就任した。

でもアイツは不器用なんだろうな、部員や後輩の面倒を見る、というより、自分がする練習を見て、そこから何かを感じてくれ、っていうタイプだったな。

だから誤解を受けるかもしれないが、アイツは、とにかく責任感が強かったよ。

部員や後輩のことを結構、気にしてたからな。

皆、それを分かっていたんだが・・・」


「へぇー。そうなんだ。でも・・・」


「でも、何?」


「人のことだと思って言ってるけど、武志も変わらないよ。不器用なところ、は」

沙織は笑いながら言った。


「そうだな。でもアイツには敵わないよ」


「何が?」


「だって、アイツは試合でも、憎らしいくらいにの冷静沈着さで、それで、相手を、まるで将棋の駒みたいに、ゆっくり、ゆっくりと崩していくんだ。

そして、相手が落ち始めると、一気に潰しにかかる。そんなボクサーだったよ」


「まるで、機械、戦うマシーンね」


「そうかもな。でも、そうじゃなきゃ勝っていけないんだ。

ボクシングというスポーツは。

俺なんて、一発いいのをもらうと、それでリズムは狂い、焦って、窮地に陥るようになる」


「そうかもね。武志は、ちょっと感情的なところがあるから。浮き沈みが激しいもの」


僕は頷いた。


ようやく川島の墓の前にやってきた。


「川島、お墓が汚れてるじゃないか」


僕は墓の周辺を綺麗にしてやる。草を抜き、横に鳥の糞がこびりついていたので、それを、水をかけて、歯ブラシで擦って取り除いてやった。

花立にある花は、もう既に枯れていたので、抜きとり、僕らが買ってきた花を、代わりに差してやる。


沙織が墓に水を巻いてくれたので、僕は蝋燭を立て、そこにマッチに火をつけ、灯してやった。

幸い風がなく、すぐに点火できた。そして、沙織の鞄から線香を取り出し、蝋燭の火で線香をつけた。


「川島、俺たち、結婚したんだぜ」

僕は目を閉じ、両手を合わせた。

「でも、結婚するまで、二十年かかったけどな。

ふんっ、おせぇってか?

そりゃ、色々なことがあったんだよ。高校を卒業して、大学にいって、そして、社会人になってな」


僕はしばらくはお参りをした。

すると、なんともいえない、感情が胸の中で涌いてきた。


それは消化することを、できるものでもなかった。


いくら口を閉じようとしても、出来なかった。


「何で、そんなに、早く、逝っちゃったんだよ・・・」


自分では気づかなかったが、やがて啜り泣く声を出していた。


もう駄目だった。


僕は見た目は大人だ。

それなのに、こんな所で、子供の目の前にも関わらず、泣き出してしまったのだから。


「俺さ、お前は、もしかしたら、知ってっかもしれないけど、憧れてたんだよ。

俺も、お前みたいになりたかった、ってな。

でも無理だよな。才能ないし、練習だって、あの試合の一ヶ月くらいしか一生懸命にやらなかったのだから。

お前がいっていたように、練習は嘘をつかないんだよな。

だから俺は負けたんだ。

そんな甘くないよな、世の中。

俺はいつも口ばかりだった。

お前みたいに黙って実行、っていうタイプでもない。

お前の背中、カッコよかったぞ。今だから言うけど、俺、目指してたんだよ。お前みたいになることを。

それで、お前のフォームを真似て、シャドーボクシングをしたりしてた。

笑ったゃうだろ?

笑ってくれよ。

でもさ、何でだよ。何でお前は、そんな所で、寝てんだよ。

そこから出てこいよ。そして、俺と話をしてくれ、よ・・・」


あれ、おかしいな。

涙が止めどとなく、溢れ出てくる。止まらないよ。


何でだろうな?

もうここに来ても大丈夫と思ったから、来たのに・・・。


何で、涙が出るんだろう。


後ろには、俺の嫁さんと、十一歳になる娘がいるのに、な。


俺って、何処まで、カッコ悪い男なんだろうな。

そう思わんか?


もっとしっかりしなくちゃ、な。


だから、川島、俺のこと、応援してくれよ。

学生の時みたく、お前に応援してもらうと、しっかりできそうな気がするんだ。


「私も参るわね」


僕は後ろを見た。


「沙織も、参ってくれるか?」


「うん。勿論。だって、武志の仲間だもんね。川島君は」

沙織が微笑んでくれた。

「武志の今までの人生の中で、良かったのは、素晴らしい仲間がいて、あんなに素晴らしい思い出があることよ。

そして、いくら年を重ねても、また仲良く再会できること。

ちょっぴり羨ましかったな、あんな風に本気で、思ってくれる仲間がいて」


沙織が静かに、川島の墓の前にきて、そして、線香を上げ、お参りをしてくれた。


僕は、そんな沙織の横顔をじっと見つめた。

そうやって、いつまでも見つめていると、後ろから小さな声が聞こえてきた。


「パパ」


その後ろからの小さな声。


気を配っていないと、分からないような小さな声だった。


「この、言葉。一回、言ってみたかったんだよね、私。

だって、前は、お父さんって読んでたから・・・」


香世が恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしながら、沙織の持つ、線香に手をやった。


「お母さん、どいて。私もお参りするから」


「お父さん、聞いた? 今、香世が、パパって言った」


沙織の嬉しそうな顔。


僕は涙をハンカチで拭きながら、頷いた。


「香世、もう一回、言って」

沙織がそう促したが、香世は照れもあるのか、その日は、もう口にはしなかった。


それでもいいと思った。あんなにも優しくて、小さな、可愛らしい声を聞けたのだから。


ゆっくりでいい。そう、急がなければならない理由は、どこにもないのだから。


だから、これからは、スローライフで。









(了)

                     

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