1、何でもいい合える仲間を、つくるためには
1、何でもいい合える仲間を、
つくるためには
この手で宝物を掴もうと、全力で走ってきた。
毎日走ってさえいれば、それがいつかは、掴めるものだと信じて。
だが、目の前の視界は悪く、それでも頑張って、前に進むと、何もかもが遮断されたかのようにして、突然真っ暗になる。
人はそこからどうするのだろう。ふと、そんなことを思った。
ケージの中の回し車をグルグルと走り続けるハムスターのように。
いつまでもそれを追い求めるのか、あるいは蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませ、暗闇の中、動けなくなってしまうのか。
黒い壁のこぢんまりとした二階建ての居酒屋。
一階のフロアーには大勢の客が賑やかに楽しんでいたが、二階のこの部屋は、僕らだけで、楽しんでいた、というよりも、寛いでいた、と言った方がいいのかもしれない。
もうそんな歳でもない。
そう、若い時みたいに、盛り上がるものでもない。
僕らは、歳をとっていた。アラフォーといってもいい年齢だ。
この店は、僕にとっては丁度いい店に思える。そんなところで僕は、今、主役として、持て成されている。
テーブルにはいくつもの料理が並び、それから、ビールやらカクテルなどのグラスも所狭しと置かれている。
正直に言えば、今の心境は、めでたい日だというのに、何か悪いことをして、誰かの視線を気にするような、そんな釈然としない心境があった。
だからこのように流行ってもいない、それでいてまったく客がいない、というわけでもないこの店が、今の僕には救われる思いだった。
それに、店長が気を利かしてくれ、二階の大部屋に案内してくれたので、仲間内で寛ぐことができた、というわけだ。
その仲間といえば、中年の礼服を着た男が数人集まっていて、なぜか、皆が遠い目で、昔を思い出しながら語り合っている様は、まるで女のいない同窓会のように思えた。
ある者は煙草を吸い、鼻から煙を出す。そして、ボソボソと喋り出す。
またある者はビールジョッキを片手に物凄い勢いで、それを胃の中に流し込んでから、それに頷く。
またある者は立ち上がって、入口にある電話を取り、追加の注文をしながら会話の中に入り込んで来てから、いきなり否定した。
一体、何なんだ。
ここにいる誰もが、黒色の礼服を着ており、殆んどの者が、首が苦しくて白いネクタイを外していた。
そんな彼らを見ていると、白い壁が目前に迫ってくるように、僕は圧迫感を感じ、苦しかった。
別に虐められているわけでもなく、話のネタとして、イジられているわけでもない。
彼らの会話が、僕の耳には入って来ない。ただ、それだけだった。
まるで異国の地に一人、ポツンと道端に佇んでいて、頭上で、そう、英語が乱れ飛んでいるかのようだ。
なぜ、僕はそんな気分に陥ったのか。
それは、今、新しく結婚したばかりの彼女がトイレに立ち、彼らがこれ幸い、という具合に烈火のごとく、僕に対し、質問攻めにするのではないかと、僕は戦々恐々と、奴らの顔だけを見守っていたからで、彼らの言葉など、耳に入ってくるよしもない。
この歳で結婚?
今まで何をやっていたのか、あるいは、なぜこんな歳になるまで独身を貫いてきたのか、そうゆうことを訊かれないかと、不安で、受け身となり、とにかく居心地の悪い思いだった。
今日日、高齢化が進む社会。アラフォー結婚も珍しくないだろ。
しかし、早くから結婚をして、子供が生まれ、ある程度の生活の基盤がしっかりしている者であれば、見方が、違う。そんなものだ。
「お前、聞いてんのか?」
中年になり少し顔の筋肉が落ちたが、それでも端正な顔の男が言った。
「ああ、聞いてるよ」
僕はそう答えてみたが、正直動揺していた。
「じゃ、俺が何言ったのか覚えてるか?」
「し、知ってるよ。新しいことを見つけるには・・・そりゃ難しいよってことだろ」
僕は必死に、さっきまでの話を思い出そうとしたが、無理だった。
元は白い壁だったのだろうが、今では煙草の煙で、茶色というか、黒っぽい色に変色しているのを、何気なく眺めていた。
いかん。思い出せん・・・。
「それは大分前の話しだよ。ま、いいや。またその話に戻る、とするか。
さっきはどうも消化不良で終わってたからな。
でも、こいつは昔から、こうだったよな。
まるで人の話を聞かないんだ。ほお~ってな、具合で。
人のことを何だと思ってんだか・・・」
「まあいいじゃないか。ちゃんときいてたよ」
「ほんとかよ」
「それより、実は、俺もそう思っていたんだよ」
「何が?」
「新しいことを見つけるのは難しい、だろ」
僕は言った。
「ああ。俺もそう思う。
だってそうだろ。今まで一生懸命やってきたこと、それが何らかのかたちで、幕が下りたように終わってしまうんだ。
その後、それに変わるものなんて、そうそう見つけることなんできない。そうじゃないか」
頭に、所々白いものが混じった、黒縁眼鏡の男が言った。
「まあな。じゃ、例えば、何かを見つけたとしよう。
その新しいことにチャレンジして、それで失敗し、大きな挫折を経験すれば、心は折れる。
それでも立ち上がって、歩きだし、そして、走ると、また、そこには大きな壁が聳え立っている。まるで袋の中の鼠だよ」
僕は調子が出てきた。
「今だから言えるが、色んなことをしてきた。経験したことによって分かったこともあるんだ」
「それは、言えるかもな。俺も色んな人生送ってきたぜ」
銀縁眼鏡をかけた男は、鼻の下にチョビ髭を蓄えている。
「でも子供のまま、成長の止まった奴もいるがな・・・」
「うるせえな。俺のことか」
存在感が薄く、この場にいることさえ忘れていた男が言った。
「別にお前のことじゃない。世の中には、親の脛を齧って生きている奴がいるってことさ」
チョビ髭。
「どう考えても、俺のことじゃないか・・・。やめてくれよ。そうやって。俺のことをイジるのは」
存在感の薄い男が肩を竦ませた。
「でも、お前が言っていたように、目的や夢って、生きていく中で必要なことだったのか?」
黒縁眼鏡が、僕を見た。
「常に何かを目指し、それにトライする、ってやつな。
そう、そう。俺たちがまだ部活を続けよう、って言っても、それには耳を傾けることもなく、お前は、さっさと引退してったもんな」
チョビ髭。
「ああ。まあね。どうだろう。確かに励みにはなった。でも・・・」
僕は息苦しさを覚えていた。
彼らは、昔の彼らでもなく、今では、裏の心があるのかもしれないのだから。
もしかしたら、ほら見ろ、夢ばかり追いかけてきたから、そんな人生になったんだよ、と嘲り、腹の中では、笑っているのかもしれない。
もし、そうであったのなら、僕は何を喋ればいい・・・。
周りの人間の殆んどは、もっと前に結婚していて、子供が生まれ、安定した家庭を築いている。
本当は、僕のことなんか、見下しているのかもしれない。
あの時の彼らは、実は、ある一定の答えをちゃんと持っていて、この時を待っていた、といわんばかりに今、僕の目の前に、その答えを差し出そうとしているのではないか。
そんな感傷を受けたのは、気のせいだろうか。
だが彼らの顔が、まるで井戸端会議に夢中な、傲慢なおばちゃんたちの顔に見えてくるのは、一体、何故だろう。
「でも、何だよ?」
端正な顔の男。
「そのお陰で途中、息切れをしたが、な」
僕は溜息をついた。
「頑張りすぎたのかもしれない」
「すぐそうやって自分を擁護しようとする。
言い訳だよ。世の中にはお前よりも、辛くて、悲しい生き方をしたヤツが五万といるんだ」
昔から、端正な顔の男は、言葉がきつかった。
「まあな。でも、お前、相変わらず手厳しいよな」
僕は言った。
「当たり前じゃないか。俺は高校を出てから、ずっと働いて、家族を養ってきた。
それなりに苦労してきたんだ。お前みたいにのんべんだらりとした生活を送ってきたわけじゃないからな。
いい加減、夢ばかり追っ掛けてないで、働けよ」
それに対して僕は何も語らず、無視した。
「お前、友達だから言ってんだよ。見知らぬ奴だったら、こんなこと言わないぞ。何、無視してんだよ」
チョビ髭。
これにも無視した。付き合えばキリがない。年は同じなのに、親に言われているような気がして、面白くない。
「ああっ、くそ。俺も家族抱えてて、苦労してんだ。必死に働いても金が足りねえ。
だから貯金を切り崩して、やっていけるっていうくらいで、実際のところは、今では、その貯金も底をつき始めてるんだ・・・」
黒縁眼鏡が煙草を吸い、煙りを吐き出した後、溜息をついた。
「でもよ、あの時は良かったよな、あの時は」
「あの時って?」
僕は訊いた。
「あの時は、あの時だよ。物事を単純に考えていた頃だ。
それだけをしていればいい、っていう頃だよ。
今思えば、あの時が一番幸せだったような気がするな」
黒縁眼鏡はしみじみと、煙りを鼻から吐き出し、言った。
「じゃ、今は不幸せだ、って言うのか?」
僕は反撃に出た。
「奥さんがいて、子供もいて、それなのに、不幸せとでもいうのか?」
「いや、充分幸せだよ」
何処となく苦しそうな顔をした黒縁眼鏡。
「じゃ、何でそんなこというんだよ?」
僕は尚も、ひつこく食い下がった。
「いや、だって、あの時は毎日同じことを繰り返し、練習して、汗をかいていれば良かったんだぜ。
今みたいに人間関係に身を削りながら仕事して、家族の為に金を稼ぎ、明日はどうやって食っていこうか、それから、何十年先の安定した生計もちゃんと筋道を立てなければならないんだぞ。
とにかく、今は色々なことを考えなくてはいけない、ということを言いたかったわけで・・何も、今が不幸せだ、なんていう訳じゃないんだ、よ・・・」
苦しい言い訳を言うかのように、黒縁眼鏡は言った。
「お前、相当苦労してんな」
チョビ髭。
「苦労は、してるわな」
黒縁眼鏡。
「大人になる、っていうことは、こういうことだったんだろうな」
僕が静かにそういうと、皆が頷いた。二十年という月日が流れても、僕はあの時のことを鮮明に、そして、克明に覚えていた。
20年という年月は長く、色々なことがあったし、
想いも沢山あった。
苦楽を共にした友。本当の友達っていうのは、
いくら年月が流れたとしても、
またあの時に戻れる。
気軽に読んでもらえれば、幸いです。