〈3-2〉
もう一息速度を上げると、向こうもやはりついて来る。
ちらりと視線を廻らせていたら、こちらを捕まえようと伸ばされた、相手の腕が視界の端に見えた。革製の手袋に包まれた手とマントの袖口の隙間から、人の肌ではないものが見えた。
その腕に一瞬気を取られてしまい、右手に折れていく道の壁が眼前に迫り来る。
同時に、相手が確信を持ったかのように差し迫った。
「けどこれでっ、詰めだと思うな?」
壁が迫ってくるのも構わず、彼は一歩二歩と一層強く踏み込んだ。三歩目は、壁を蹴る。四歩目を、頭の上まで蹴りあげた。
「っ……?!」
景色は回り、後続を睨みつけると追いかけていた人物と目が合う。フードの奥が驚いて息を呑んでいた。
着地と同時に背後を取った。相手が反撃してくるよりも先に、その右腕を後ろ手に捻ると背中を押さえた。
壁に押し付けた拍子にぎゅっと小さく声を漏らす。詰めた息は子供のようだ。相手は浮浪児か何かだろうかと、リズは当たりをつけた。
「……して!」
「侮ったか? 悪いね。君が思っているみたいに、俺はわざわざ襲われてやるほど親切じゃないんだ」
咄嗟の事だったのだろう。無理に動こうとして、マント姿は自ら余計に肩を苛めた。
リズが端的に告げると、拘束を逃れようともがく姿が可能な限り首を向けてくる。相手も声を荒げた。
「離してよ! リーズヘック・スタインフェルド!」
「は……?」
子どもの声が叫ぶ。同時に、自らの名前がその口から出た事に理解ができなくて、リズは硬直してしまった。驚きのあまりに、拘束していた手も緩めてしまう。
その隙を見逃す筈がなく、マントの姿はするりと抜け出し飛び退いた。警戒を怠らない視線がフードの影からこちらを睨む。
「いくらなんでも酷い挨拶じゃない?」
不貞腐れた様子の声は、どんなに勘繰らせても少女の声にしか聞こえない。
未だに声を無くすリズに溜息をこぼすと、フードを後ろに落とした。一つに束ねた深緑色の髪が、するりと肩に落ちてくる。栗色の瞳が試すような視線でこちらをまっすぐに見てくると、目の前で袖を大きくまくって素肌を晒した。
目の前の姿の予想外の行動に、リズは凍り付いて動けなかった。
「ねえ。この手に、この足に、あんたは見覚えあるはずだよ」
「これ、は……」
リズには、それだけを絞り出すのがやっとだった。
「見覚え、あるでしよ?」
ダメ押しの言葉と差し出された腕に、恐る恐る目を落とす。
相手が義足である事は、先程から気が付いていた事だ。そこに特別大きな驚きはない。
何処で作られ、何の目的で動いているのか解らない野良の機械が、目的を求めて人気の薄い街のあちらこちらでうろついている位なのだ。野良の機械に目をつけられて四肢を奪われた者が居たとしても、どこの街でも何らおかしい事はない。少しばかり武骨で大袈裟な機械が、奪われた手足の代わりを果たしてくれるだけなのだ。
浮浪児ならば尚更、有りえない話ではないと思っていた。
しかし差し出された腕は、野良の機械のものとは違う。確かに武骨さは有る。個人の為に調整された義手は、使い手の身体に負担がかからない様に、最低限の造りで不自由ない動きを可能としている。自分が手掛けたものを、リズが見間違う筈がなかった。
彼の見開かれた目が、相手の言葉をありありと肯定する。その様をじっと見つめていた少女は満足そうに頷いた。
「そう、あんたが作った機械。あんたが父さんに渡した機械だよ」
だがどうしても、我が目を疑ってしまう。どうしてそれがここにあるのか、と。有りえないものでも見てしまったような気味の悪さに、リズは目の前の表情を何度も伺った。
「お前は誰なんだ……?」
漸く絞り出したリズの言葉に、目の前の顔が呆れて嘆息していた。
「酷いね。ここまで言っても解らないんだ。それともわざと? レイ・アルゼートはあんたの知り合いじゃなかったの?」
端的に告げられて、まさかと思う。
「レイ・シェヘラ……?」
恐る恐る口にした名前は、自分をここまで運ぶために手引きしたアルヴィスが教えてくれたものだ。尋ねたら、やっと解ったのかと言わんばかりに肩を竦められる。「誰だと思っていたの?」 と、考えを見透かされたように苦笑交じりに言われてしまってバツが悪い。
「跡をつける様な事をして悪かったわ。でも、ヴィスおじさんに貴方の事を言われてから、どうしても偽りのない貴方の事を知っておきたかったの」
まっすぐに向けられていた視線は、つと反らされた。
「特に父さんの事なら、尚更ね」
「それは……そうだろうな」