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〈25-1〉

 

 真っ直ぐに登っていく機械を、ただひたすらに追いかけて階段を駆ける。

 ふと見下ろすと、はっきりとは見えないものの広場が見えた。明かりが心もとないせいで、広場に人が居るのだとうっすらと解る程度だ。何を話しているのか解らないざわめきが、ここまで聞こえた。

 次第に見えるようになったのは、狙い通りに天井まで届いてくれた、爆発の痕跡だった。表層の破壊くらいは出来たようで、辺りはどことなく焦げ臭かった。だが、いよいよ期待に心臓が高鳴った気がした。

「本当に空、あるんだね」

 先を行くシェヘラがぽつりとこぼした言葉に、リズは思わず眉を顰めた。

「ああ」

 苦々しく思いながら頷いたリズを、不意に足を止めて振り返ったシェヘラは笑っていた。

「……でもさ、なんだか余計に、この先にあるんだって思えて来たよ」

「そうだな」

 そんな笑顔に、つられて笑う。どうしようもなく息が上がった。

 二人の間に会話なんて、最早必要なかった。戻るという道はもう、ない。


 天井では一足先に機械が取り付いていた。ゆっくりと、動き出す。

 いくつもの鈎爪が、少しずつ少しずつ抉り取るように食いついた。がりがり、がりがりと、硬いものを砕く音と振動が、空気までも震わせているかのようだ。機械は一瞬眩い光を放ったかと思うと、どんどん天井にめり込んで、一方、端から瓦礫を落とした。

「リズ!」

「ああ、落ちるぞ」

 自然と期待に声も弾む。息をするのも忘れて、夢中で階段を上り続けていたら、不意に階段は終わりを告げた。視界が一気に開けた。


 見通しの効く〈工場の木〉の屋上で、数メートル先にある天井の様子が間近に見えた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、沈む事のない月として、カラカスを照らしていた筈のものだ。数刻前までは、煌々と赤い光が灯されていたのだろうが、今ではすっかり叩き割られ、微かに焦げ臭い匂いを上げている。時折ぼふりと上がる小さな煙は、それほどまでに先の爆発が、赤い月だったものに影響を与えたのだと改めて知る。

 同時に、この地が作られた場所なのだと、改めて、嫌でも思い知らされた。


 少しでも自分たちが打ち上げた機械に近づこうとして、屋上を横切った。


 〈工場の木〉の最上階は、中心に巨大な縦穴が空いているだけで、あとはがらんとしている。

 穴の底から地響きしているのは、内部で駆動している無数の機械が唸りだろうか。微かに吹き上げてくる油の焼けた匂いのする風は、鼻の奥を刺すような刺激臭を含んでいて、生き物の呼気にも錯覚した。

 未だに彼らをこの地に留めようと、その暗がりから手を伸ばしてくるような気がして、リズは慌ててそこから離れた。

「リズ、こっち来て!」

「あ、ああ! すぐ行く」

 手招くシェヘラの隣に駆けつけ、閉塞された空を仰ぎ見る。


 その瞬間だった。天井が、砕け散った。

「うわっ!」

「っ!」


 白い光が、暗闇に閉ざされていた、街を射た。言うまでもない。機械が天井を踏み抜いたのだ。

 崩壊の音と共に、天井が抜け落ちる。逃げまどう悲鳴が、一際空に響いた。

 飛来物に、リズもシェヘラも慌てて身を屈めた。


 だがそれも一瞬のこと。

 見上げていた誰もが、その眩しさに目をくらませた。遥か下方から聞こえてくるざわめきは、途端にかき消えていた。

 差し込んだ光は、暖められた事のなかった地下の空気に熱を与えた。風が生まれ、匂いが変わる。ひやりとしていて、微かに喉の奥がすっと通った。器官を刺激するような嫌なものではない。

 天井に大きく開けられたその穴からは、驚くほど新鮮な空気が吹き降りた。揮発したガスの重たさや、こもりきったカビ臭さもないそれが、今まで感じた事がなくても、自然と新しい空気なのだと誰もが理解しる事が出来た。


 この地を鬱屈と押し込めていた、大地の蓋には風穴が穿たれ、天から降る凶器の瓦礫に、見た事のないものが混ざって落ちてくる。その事に真っ先に気が付いたのは、誰だろうか。


 それはリズ達にとっても同じだった。

 拳ほどにまで砕かれた瓦礫には、青々と伸びる姿があった。


 そっと顔に寄せて、深く、深く、息を吸う。土の湿った香りと、鼻の奥に少し残る青臭さに、自然と口元もほころんだ。風の臭いが甘くなる。

 シェヘラがベールにも見間違う光にそっと手を伸ばすと、ゆらゆら、きらきらと舞った埃すら輝いていた。機械の腕には熱は解らず、その中に身を投じてみると、頬に包まれるような温かさがあった。

「痛っ……!」

 嬉しくなって見上げようとして、シェヘラは小さく悲鳴を上げた。

 鋭い何かが、目に飛び込んできたかのようだった。動きが止まる。赤い光と暗闇に慣れきった視界を、一息に塗り潰された気がした。

「シェヘラ!」

「あ……? 今、何か刺さって……」

 慌てて光の元を出て、瞬きしていると、何事もなかった自分にシェヘラ自身が驚いた。けれど、その痛みさえも嬉しくなってくるりと回ると、姉の真似をして優雅に一礼した。


「やり遂げちゃったね?」

 くすくすと笑い浮足立つ彼女に、堪えるという言葉は今ばかりはない。そんな姿に、リズは心から頷いた。

「ああ。やっと、見つけた」

「捕まったら、どうなっちゃうかな?」

「さあ。ただ、少なくとも悲観しなくてもいいだろうな。俺らはだって、なんだって出来る」

「ふふっ。そうだね!」


 シェヘラはリズの腕に飛びつくと、軽く腕を引き、そろって光に身を投じた。

 指先に、触れることの出来ない熱に触れる。リズが思わずその眩しさに目をつむると、瞼の上から視界を光が潰してきた。同時に見慣れた赤が透けて見えて、それが血潮の流れだと知る。

 無理矢理にでも先を見ようとして、目を開けた一瞬に見えた天上は、確か抜けるように青かった。霧に閉ざされた赤い光の空の代わりに、真っ白な雲が悠々と流れていた。


 その白さに貫かれた目が痛い。まるで数億の細い針に、目を突かれたようだと錯覚してしまった。


 わっと、それまで聞こえてこなかった声がここまで上がる。

 明ける事のない夜も、晴れる事のない霧も、ついには消え去ったのだ。


「シェヘラ、行けるか?」

 ちらりと伺ってきたリズに、シェヘラはいたずらっぽく笑った。

「これぐらいの高さなら、どうってことないかな?」

「じゃあ、悪いけど。手を貸してくれないか」

「うん、もちろんだよ」

 シェヘラは義手の力を借りてリズを抱えると、義足の力で強く地を蹴った。びしりと割れた足跡は、恐らく後で誰かが見つける事だろう。


 全てがはじめての感覚だった。


 時間と共に光が熱く、肌が焼ける。

 長くは居られないだろうと、頭のどこかが苦言を申す。


 それでも抜け出した先に、それはあった。閉じられた世界に無かったものが、ここにあった。


 踏み締めた大地がさわさわと笑った。少し湿った空気のにおいは、肺の中を洗うようだ。大気の温度は、着こんだ彼らには少し暑く思えてしまった。ざわりとささやく風の声は、彼らを包み込むようだ。


 そう。彼らは、掴んだのだ。

 その時を。




                                   Fin.

 

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