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〈23-2〉

 

「君の悪あがきもここまでだよ」

 かつり、かつりと、緩やかな歩みが寄って来る。もう、お互いの表情がはっきりと見えるほどだ。

 不安そうに、シェヘラは身を寄せてくる。だがそれでもリズには、先程よりもむしろ余裕があった。遠巻きにしていたざわめきが聞こえて来たせいだ。見上げられて、安心させるように、シェヘラの背中を軽く叩いた。


 そんな姿に、何か企んでいると解らないクロアでもない。すっと目を細めながら嫌そうに続けた。

「まだ何かしようって言うなら、もうやめておきなよ。君の世迷い事はもう沢山だ。知らせても聞かない盲信のバカだから、本物を見つけられるかもしれないって、少しでも思ってしまったあの時の僕を殴ってやりたいね」

 うんざりだと、何よりもその表情が語っている。

「それは、こちらとしても同じだ。あんたに頼る以外にも方法があったのに、俺も見る目がなさ過ぎたな」

 だが、と、相手に口を挟ませる間もなくリズは続けた。

「あんたのお蔭で、俺だけでは知り得なかった事を知れた事にくらいは感謝するさ。あんたはなんて言っていたっけ? ああ、ここがあんたの管理下であるって事の証明の為に、あの赤い月を消してくれるんだったか?」

「……それが、なんだって言うんだい」

「俺らはお前の思うように動かないって話だよ! だから、あんたの手を借りずとも、月を落としてやるだけだ」

 突きつけるようにリズが告げた途端、初めてクロアは驚いたように目を見開いた。

「やめないか!」

「再起動!」

 慌てた様子で取り押さえようとして来た姿を半身で躱して、鋭く叫んだ。途端、油圧をかけられ、動き始めたばかりのエンジンが、広場の真ん中で億劫そうに、重たい唸りを上げ始めた。


 音の出どころを聞きつけた者たちが、一斉に動き出す。

 リズがここまで乗って来た一際大きな機械が、ゆっくりとその身体を起こしていった。

 マントの姿達が破壊してでも止めようと接近した瞬間を待っていたかのように、四方八方に向かってシュウッと音を立てて蒸気を噴いた。慌てて、群がっていた姿達が身の危険に散っていく。


 ピッという小さな駆動音を、一体誰が聞けただろうか。機体を完全に起き上がらせたそれは、不躾にも天を狙い、天を撃ち落とす砲台に他ならない。

 動き出した機械は止まらない。

 与えられた命令のままに、与えられた使命のままに、如何にも猛々しい砲身は火を噴いた。轟音と打ち出した衝撃が、不安を煽るかのように空気と地面を揺らす。誰もが音の出どころを追って、空を見上げた。

 打ち出された中身が、霧をかき混ぜながらその薄明かりの中に消えていった。


 一瞬の、静寂。息を呑んだのは誰だろう。


 カッと眩い光が、霧の向こうで光った。その明るさは、朧月の赤い光をかき消すほどだ。見上げた人々の中には、ぎゃっと悲鳴を上げて目を背ける姿もあった。

 暗闇に慣れた彼らの目には、眩しすぎた。


 それもわずかな時の事。

 一際空気が震える。『何か』が砕けた音が、爆発の音に紛れて降って来た。

 発電を止めた電球のように、消える事のなかった赤い光がふっと落ちた。動揺と困惑が、一際街を焦らせる。

 向こうの通りでは、恐慌状態に陥った者たちが悲鳴を上げて逃げ出した。

 赤い月の夜が、闇に閉ざされる。ぽつぽつと、辺りの軒先やカンテラの明かりだけが、地上に落ちた最後の灯として、わずかな心のよりどころになっていた。


 クロアは慌てて、明かりが灯されている〈工場の木〉を振り返った。

「非常灯を!」

 声を受けて即座に誰かが動く。すぐに、〈工場の木〉で動きがあった。

 下から一つ、二つ〈工場の木〉の外観に明かりが灯されて、いつも街を見下ろす影にしかならない巨大な姿が、部分的に浮かび上がる。

 表面は、舗装は去れていないようだ。パイプは縦横無尽に走り、太いケーブルは霧から守る為に覆いがされている。等間隔に開けられた小さな窓は、窓と言うよりも空気穴に見間違う。

 薄暗闇をまとっていた巨大な象徴は光を受けて、もはや街を見下ろし威圧している要塞のようにしか見えなかった。


 外観を照らしていた非常灯も、建物半分を照らすだけに終わった。誰かが気を利かせなのか、あるいは気が付いてしまったのだろう。常に立ち込めていた筈の霧はすっかりかき消され、霧の向こうが見えてしまっていた。

 幸い光源が薄くて見にくいものの、より夜目の効く者たから次第に気が付いてしまった。

 ざわめきが、起こる。明確にこの場所が囲われているのだというものが、この地の天を塞ぐ蓋が、見えてしまったのだから。


「チッ……!」


 舌打ちした姿が、リズを睨みつけていた。

「こんな事をして、ただで済むとでも思っているのかい?」

「さあな。ただ、誰かに決められた枠の中で、与えられるままに役割をこなすだけなんてまっぴらだ」

 ひょいと肩を竦めながら真っ直ぐに見返すと、信じられないものを見るような顔がそこにはあった。

「何を馬鹿な! それが当たり前の事だ。君の考え方は異質なんだよ」

「は、は!」

 あまりにも責めるような姿がおかしくて、ふと気が付くと笑ってしまっていた。

「じゃあ、つまり、あんたも『ここ』に捕らわれているって訳だ。ドラクロア」

 口にしてから、そういう事かと納得する。目の前の表情が驚くほど強張り凍り付いた。


 気の毒だとは思わなくても、かつての自分を見てしまったような気がして、一瞬心臓の奥を掴まれた。その『一瞬』で、さっきまで目の上のたん瘤でしかなかった男に、同情してしまったのかもしれない。

 それでも今は、目指すべきところがあるのだと、リズははっきりと決意を言葉にした。

「普通なんてクソくらえ。俺は、俺の力で俺の信じた夢を掴んで見せる!」

 宣言すると当時に、シェヘラに目配せして駆け出した。


 彼らが自分の脇をすり抜けるまで、クロアが動かなかったのも、リズ達にとっての幸いかもしれない。

「ッ、取り押さえろ!」

 クロアが動いた時にはもう、リズもシェヘラも先の砲台に飛びついた後だった。

 ハッとしたマントの姿達が再び襲い来るよりも先に、リズは叫んだ。


「跳べッ!」


 ぱしゅん、と。空気が抜けたような間抜けな音が、天上に向かって空を割いた。

 

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